ランサーと旅館に行くA


「おい、マスター、起きろ」
「……ん、なに……?」

 声を潜めたランサーに揺さぶられて、身を起こす。時計を見れば丑三つ時で。眠りを妨げられた恨みでランサーを見ると、青タイツにゲイボルクで死ぬほど驚いた。なんだこいつどうした。

「なに、なんで武装してんの」
「やっぱりあいつらの誘いなんかに乗るんじゃなかったぜ。この宿、結界が張られてる」
「はぁ!?けっ、結界?」
「ああ。それもただの結界じゃねえ。どうやら中にいる人間の精気を吸い取る類のだ。身体は大丈夫か、マスター」
「いや……私は別に、変わったところはないけど」
「そりゃよかった。まあこの結界は主に普通の人間の生命力を奪うものだ。お前には関係ねえだろうさ。あの湯には、しっかり取られてたみたいだけどな」

 ……今、聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。怪訝そうな顔で見やれば、槍兵はニヤリと笑った。

「精力増強の湯なんてあるわけねえだろ。あれも浸かってる人間の精力を吸収する魔術がかかっていた。普通の人間ならちょっとばかし気分が軽くなる程度だが、お前は普通じゃねえから快感の方向に働いたわけだ」

 こ、こいつ自分の主が魔術にかかってるのにあんなに好き勝手しやがったのか……!やっぱり帰ったら綺礼の3倍こき使ってやる!
 なんてことを決意しながら乱れた浴衣を整えて、寝室を出ると廊下に面したドアの向こうから不気味な音が聞こえてきた。カリカリ、カタカタ、何かがドアを引っ掻き、開けようとしている音。なに、ゾンビでもいるっていうの。

「黒鍵は?」
「持ってきてない……」
「分かった。オレの側から離れるなよ、名前」

 いくぞ、とランサーがドアを開けた。

「ひぃっ」

 情けない声が出たのも無理はないと思う。だってドアの向こうには骸骨がひしめき合っていたんだもの。
 肉を求めて手を伸ばしてくるそれらを槍の一振りで破壊すると、ランサーは私の手を引いて廊下に出る。
 ぐにゃりと、空間が歪んだ。
 もうそこは宿ではなかった。前も後ろもゴーレムで溢れ、壁は血みどろで、やせ細った人間が埋まっている。それは助けて、助けて、とか細い声で繰り返し、取れかかった眼球を涙で濡らしている。
 「なに、これ、」吐き気を無理やり飲み込む。あり得ない。恐ろしい。おぞましい。こんなのが、魔術だっていうの?

「固有結界だ。現実じゃねえから安心しろ。まあ、無理な話だろうがな」
「ほ、かのお客さんとか、は?」
「普通の人間なら精神だけ引っ張られてこの異世界に連れ込まれてる。死なない程度に精気を吸われてるだろうな……オレたちは普通じゃねえから、丸ごと来ちまったみたいだ」

 それはつまり、どっちにしたってこの光景は私たちには現実ってことじゃない。

「……こんなの、封印指定どころじゃない。魔術協会からも聖堂教会からも抹殺対象にされるわ」
「どうせ言峰が自分の仕事を押し付けてきたんだろ。あいついつか絶対殺す」

 ゴーレムを破壊しつつ、前に進むランサーの背をとにかく追いかける。どうやら結界の起点を目指しているようで、そこにこの結界を展開した魔術師もいるらしい。
 魔術師程度、ランサーの敵ではないだろう。そいつを叩いてしまえば、この悪夢も終わる。あとは現実に戻って、ぐっすり眠れるわけはないけど布団でぬくぬく朝を迎えて、帰って綺礼に文句を言うだけ。
 それだけなのに、なんだかとてつもなく嫌な予感がした。

「え──?」

 残念なことに、私の嫌な予感というものはよく当たる。サーヴァントの幸運値がマスターに移るという噂も、あながち間違いではないかもしれない。
 声を上げようとしてももう遅く、私はひとり、突然床に現れた穴に落下した。
 「っ!痛い……もう、なんなのよ」腰を強く打ち付けて痛みが走る。昨晩ランサーに好き勝手やられた分の気だるさもダブルコンボで襲ってきて、しばらくの間立ち上がれないなと悟る。

「随分と大層な魔力量を持った人間がいたが……君だったのか」
「!あ、貴方がこの結界を展開した魔術師ね」

 地下室みたいな、薄暗い室内。そこらじゅうに転がっている白骨は本物なのだろうか、考えたくない。そこに魔術師はいた。薄汚れたコートを身に纏っていて、背の高い、ひょろひょろとした男。腕の中には生きているのか死んでいるのかも分からないくらい覇気のない女性が抱えられていた。
 「今すぐこの結界を解きなさい」言って聞くような奴じゃないだろうなと思った。「嫌だ。解くわけがないだろう」ほらやっぱり。見た限りこの行為は常習化している。この男は繰り返し繰り返し、この宿に泊まりに来た客から魔力を奪っている。

「しかし、久しぶりに大物に当たってラッキーだ。これだけの魔力があれば当分は楽にしてあげられる」
「なっ!?グッ、はな、せ……!」

 床から生えてきた手が私の体を拘束する。それから魔術師が近づいて、首を絞めてきた。さほど強くない力だが振りほどけない。
 横たえられた女性に視線がいく。「ぁ、く……ぅ」魔力を吸い取られているみたいで一瞬くらりとした。そうしたら、女性の肌に少しだけ赤みが戻った。

「ああ、最高だ!君の魔力は極上。これならば楽になるどころか治るかもれない!」

 男が興奮したように叫ぶ。女性、魔力、治る。ああ、なんだか分かった気がする。つまりはこの女性は何かの病に罹っていて、男は他人の魔力を与えることで治療しようとしているんだ。周りにあふれた白骨は本物だ。私と同じように結界に捕らわれてしまった犠牲者たちだ。
 「他人を犠牲にして助けようとしてるなんて、最低」睨み付けると、男は心底不思議だというように首をかしげた。

「最低?何を言う。君も僕と同じ人間だろう?」
「な、に……?」
「君も僕と同じように、他人を犠牲にしてでも救いたい人間がいるだろう」
「──っ」

 同類の人間の考えていることはよく分かると男は言った。
 喉の奥が凍りつく。締められた隙間から酸素を吸い込むのも忘れて、頭が真っ白になった。
 "他人を犠牲にしてでも救いたい人間がいるだろう"魔術師の言葉が何度も何度も何度も反芻する。聖杯、冬木大災害、黒い泥、人類を呪うサーヴァント、いろんなものが浮かんで消えて、最後にあの人の姿が残った。

「わ、たしは……っ」

 そんなことない、と。
 言えるはずもなかった。だってどうしようもなく図星だったから。他人を殺してまで叶えたい願いがあったから。
 視界が乱れていく。目を強く閉じる。屈してはならないと思うのに、いっそ屈してしまえと耳元で悪魔が囁いている。助けてほしい、助けないでいい、こんな私見て欲しくない、早く来て、来ないで、来ないで、ランサー、助けて──

「おい、オレの女に何してやがる」

 瞬間、顔に生暖かいものが飛んだ。反射的に開けようとした瞼を大きな手が覆った。

「いい。目瞑っておけ。……遅れて悪かった」

 肉を割く嫌な音が聞こえるが、耳を塞ごうとは不思議と思わなかった。これから私が犠牲にしていく人たちの、怨嗟の声に聞こえたのだ。
 「哀れな奴らだ。胸糞悪い……言峰の奴、本当にタダじゃ済まさねえぞ」目隠しを外される。結界はすでに消えていて、普通の宿に戻っていた。

「帰るぞ、名前」
「……うん」

 もうすぐ聖杯戦争が始まる。
 その間ずっと、あの魔術師の言葉が私の中で繰り返されることだろう。

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