十一話 | ナノ


Episode.11 
兄の唇が、弟とよく似た弧を描いた。




ロックウォート王国有数の貿易都市、メンデル。
高い城壁に囲まれた敷地内で唯一自然を色濃く残す北部の森の中、広く開けた場所に、鹿の親子がいた。
巣に帰る途中なのだろう、母鹿と子鹿は日の沈み始めた森の中を跳ねるように駆けていく。

しかしふと、その細い足が止まった。
黒い瞳が虚空を彷徨う。


ざわ、ざわ、ざわ、と。

空気が、木々が、森が、揺れる。


鹿の親子はまるで見えない何かから逃げるように、一目散に茂みの奥へと去っていった。
周囲の騒ぐ音のみが、その場へ取り残される。

そこへ突如、ベルの音が紛れ込んだ。

その豪奢な音色は徐々に徐々に近づいてくるが、空間には何も見えない。

しかしその音が開けた場所へ入った途端。
空間が歪むように、空気が揺れる。


蜃気楼の中から出てきたかのようにじわりじわりと現れ出でて、その場へ停車したのは、
先ほどレイたちと別れた男を乗せた巨大な馬車だった。





「ファンタジア」という劇団の名には、ひとつの説がある。
それは、旅劇座ファンタジアの人気の原因のひとつともなっている、「姿を見せない」という点だった。


ファンタジアの劇団員を乗せた馬車にすれ違ったことのある人物はいない。
黒く塗られた車体に金や紅の装飾を纏った豪奢な馬車である、という情報が現実として確認できるのは、そのファンタジアの公演へ直接出向くしかないのだ。


その巨体は誰の目にも留まらぬよう、姿を消す。

そして現れるとき、空間の歪みを切り裂いてやってくるのだ。

ただ単に誰かの魔術なのだとする説もある。あの劇団は奇跡を起こして空間を行き来しているのだと語る者もいる。
どのような噂がたとうと真実を明るみにしない、その"幻想"こそが、この劇団が圧倒的人気を誇るひとつの理由である。

そして今日この日も、幻想を謳う旅劇座の馬車は人の目につかない土地へ移動し、馬車の置き場所の確保と公演の準備に来ていた。




裏方のスタッフがぞろぞろと馬車から降り、キャンプの用意や小道具の点検を始める頃。
その中では、役者ごとに設けられた控え室の一室、紫の髪に灰色の目の男―――先ほどレイたちを助けた男が、本日の衣装と思しきものに着替えながら、同じ部屋で作業をする容姿のよく似た青年へ向かって話しかけていた。
にったりと、端正な顔をいやらしい笑みに歪めながら。


「んふふふふ。かっわいかったなぁー、あのコたち!」

「気持ち悪い声で笑わないでよ、兄さん」



男を兄さんと呼んだ青年は、髪や目の色や立ち姿こそ男によく似れど、顔立ちはどちらかというと未だ子供っぽさを残す。
色気のある、と形容するに相応しい男よりはどちらかというと甘い、優しげな、といったような面立ちだ。
浮かべる表情もしっかり者然としたもので、軽薄な兄に呆れる真面目な弟、といったところだろうか。

青年はクローゼットの中から白いブラウスを取り出すと、ベルトのバックルを締めた兄へ手渡した。
男はそれを受け取り、するりと腕を通す。
太過ぎないが筋肉のしっかりついた、男らしく引き締まった腕だ。

弟の指摘もすましたような表情で応答しない兄に青年は大きく溜め息をつくと、先ほど手渡したものと色違いの黒いブラウスを取り出し、着替えながら口を開いた。


「まったく……ようやく見つけたと思ったら、またたぶらかしてたの?しかも子供、さらにはチケットまで渡して!」

「未来への投資ってヤツだよ。あの白髪のコ、ありゃ絶対清楚系美人になるぜぇー!気弱そうなトコがそそるんだよまた!青髪のコはちぃとばかし男っぽいのが残念だがスタイルはよかったからなぁ、もうちょい経ってから髪伸ばしゃ、女戦士ってカンジでセクシーになるカモ」

「ホント、兄さんはそればっかりだね。そのうち夜道に刺されるんじゃない?」

「それは遠慮しときてぇな〜。俺、死ぬときはもち肌美人と腹上死って決めてるんで!」

「……やっぱり、一度は刺されるべきだね」


女好きを注意する弟、軽く思って取り次がない兄。
すでに幾度も交わされたのであろう、テンポのよい会話はたとえ容姿が似ていなくとも互いが兄弟であると示すかのようで、二人が過ごした時間の長さを物語っていた。

ふと、弟の目が兄の左手へ向く。

「あれ……?」

青年は小さな疑問を口に出すと、視線を兄の中指に固定し、ブラウスのボタンを留める手を止めた。
弟の変化に気付いた男はふと顔を上げ、弟と視線を合わせて首を傾げる。

「兄さん、その指輪……」

「ん?」


青年はそろりと手を上げ、兄の左手を取った。留めかけだったブラウスの裾がはらりと落ちる。

男の目じりの垂れた、アッシュグレーの瞳に、淡く紫が映り込む。


「あ……?ンだこれ、光ってんぞ?」


すらりと伸びた長い指のうちの中心、中指の根元。
そこに嵌められた指輪の紫の宝玉が、淡い光を帯びてぼんやりと輝いていた。光を目に映した青年は一瞬柔らかく笑むも、すぐに不安そうに歪む。


「キレイ、だけどちょっと…不気味だね」

「今までこんなことなかったんだけどなぁ…?」

身に着けている当の本人も指摘されるまで気付かなかった様子で、奇妙なものを見る顔で己の中指を凝視している。
眉間に皺を寄せて首を傾げると、ただそれだけの動作でも様になっていた。

本人がわからないなら仕方ないとでもいうふうに、弟はクローゼットから次いで衣装の上着を取り出すと着替えを再開させた。


「それ、生まれたときからあったんだっけ?」

スカーフをしながら兄へと問いをかける。
兄のほうも着替える手を止めないまま、弟の疑問へ応えた。

「さあな。物心つく前から持ってたのは確かだけど、親はそんな話一切しなかったぜ。ま、話したところで気味悪いとか、のろわれてるとかばっかだろーけど」

「ちょっとやめなよ、そういうこと言わなくても…」


少し気に障る問いだったらしい。
男の整った眉がひそめられて、瞳がふてくされたように虚空へ向けられた。

卑屈な言葉に慌て、弟は遮るように言葉を発した。
反抗的な台詞に腹を立てたのか、男の吊り気味の眉が更に角度を増し、瞳が弟を睨み付ける。


「ンだよゼナ、あのジジイの肩持つのか?そりゃこの俺様の美貌がアイツのおかげだってのは理解してっけど、里ぐるみの迫害の筆頭だったヤローだぞ」


ゼナ、と呼ばれた弟は、もう24にもなろうかという年齢に合わぬ稚拙な罵倒を低く発した兄へ少し困ったような表情を浮かべた。
手のかかる兄弟は今更だが、こういうモードに入ってしまった兄はなかなか収拾がつかない。
根が暗く卑屈であるため、それをカバーするナルシストな性格が頑固さを生み出してしまうのだ。

豪奢な装飾の施された白い上着の金のカフを留め終えたゼナは、長く波打った紫の髪を軽く纏めていた紐を解き、腰まである後ろ髪を器用に編み始めた。
視線は目の前のクローゼットに中付けの鏡を見つめながら、意識は傍らの兄へ向けられる。


「父さんだって悪気があったわけじゃないよ。迫害されても仕方ないじゃないか、僕らは実際……―――禁忌の子、なんだし」

鏡に映る反転の瞳が、そっと、憂いを帯びて伏せられた。
その虹彩は少し暗いグレーをしている。

同じグレー、しかし弟より明るく薄い瞳をした兄は、弟と色違いで作られた衣装をルーズに身に纏う。


「そりゃハーフエルフとかに使う言葉だろ。俺らは純粋な雷鳥族だ。目の色が違うってだけでなんで里追い出されなきゃなんねーワケ?」

「そりゃ、そうだけど……」

「俺もお前も、望んでこんなふうに生まれてきたワケじゃねーのに。ひどいよな」

鏡の中に映った兄の瞳は、ただまっすぐに、反転した己の瞳を睨みつけていた。



レイがいっていたように、雷鳥族の外見における特徴で最もたるものは「紫の髪」と「金色の瞳」である。

嵐を操る神、ゼクトゥスの容姿として伝えられているのも紫の髪と金の瞳であり、そして雷を繰る独自の能力から、過去には雷鳥族を神の一族として崇め奉る宗教もあったほどだ。
混血の誕生を避けるために雷鳥族が里へ引きこもってからそういったことはなくなったが、今でも雷鳥族に対する周囲の偏見などは消えていない。

彼らは雷鳥族の特徴としてもうひとつ、長く先の少し垂れた耳を持つとされているが、この兄弟は紛れもない先の垂れた長い耳、紫の髪を持っている。
ひとつだけ違うのが、瞳が金ではなく灰色、という特異なものだった。



神の血をひく一族に生まれない異端の色。

ゆえに兄弟は虐げられ、存在を消されそうになるまでに至っていた。



くるり、と兄の身体が回転し、弟の横顔を見つめた。
不意に両腕が伸びてきて、ゼナの両肩を掴みぐい、と強引にこちらを向かせる。
ゼナはまさか殴られるのではないか、と一瞬身を固くしたが、向けられた瞳は優しさの溢れる兄のそれだった。

「大丈夫だぜ、ゼナ。お前はこのゼノ様が守ってやる。二人でここまで来たんだ、いつかもっとデケェ劇団作って、この世界…ユニフェロン全部、虜にしてやろーぜ。んでもってアイツら見返してやんだ」

「………兄さん………」

常日頃から兄が語る、そう遠くはないであろう未来の話。
ゼナの唇がふっ、と緩み、顔一面に明るい笑顔浮かべる。


「……うん。喜んで着いていくよ、兄さん。僕も守られっぱなしじゃないからね」


兄の唇が、弟とよく似た弧を描いた。





「でもその前に、兄さんの女癖、どうにかしないとね」

「うっ…お前、せっかく俺様が感動的なこといったのに!お兄ちゃん傷付いた!」

「はいはい、はやく着替えてちょうだい。未来への投資したんでしょ」








「――――……守る、か……」





急かされ着替えのスピードを上げた兄を尻目に、ゼナはぼそりと呟いた。

















日も暮れ、昼の活気が収まってきた頃。
黒に金と紅の装飾の巨大な馬車が留まった広場には巨大な天幕が用意され、公演を見に来た客たちで大いに賑わっていた。


その中には、レイ、ギル、ミューの三人の姿もあった。


昼間に会ったあの男に渡されたチケットを持ち、半信半疑でやってきたところ、なんの違和感もなくすんなり入ることができてしまった。
しかも席のほうは指定式だったらしく、彼女らの貰ったチケットは公演が行われる舞台のすぐ下だった。

天幕の中は馬車に負けないほどの煌びやかに装飾されており、舞台の上にはシャンデリアまで下がっている。
初めて見るものだらけのレイは目をキラキラと輝かせて、キョロキョロをいろんなところを眺めては声を高くしてこう呟いた。

「なんか、すごいな…!」

彼女のボキャブラリーは、はっきりいって、かなり少ない。



天幕内は上演のための準備に追われているらしく、客やスタッフの話す声で賑わっていた。
魔科学製のスピーカーからは今回の演目が放送されている。
演じる役者たちの名前には「ゼノ・フィルステイン」、「ゼナ・フィルステイン」の二人が入っており、それが流れた瞬間、客席から大きな歓声があがった。


ミューの隣に座っていたギルは、心底つまらない、というようにむすっとした表情で天幕内の装飾を見つめていた。
隣のミューへそっと顔を寄せ、周囲の客に聞こえないようにそっと囁く。

「……劇座っつーか、パレードだな」

レイの隣に座っていたミューもミューで、あまり否定する理由が見つからないらしく、困ったように眉を下げて苦笑する。
しかしふわりと上空へ視線を漂わせると、年頃の女の子らしく綺麗なものには目がないのか、レイほどではないにしろ目を輝かせた。

「でも、華やかなのにギラギラしてなくて、なんだか上品だよね。今日会ったあの男の人も、態度は少し軽い感じだったけど、物腰は優雅で気品があったし」
「そうかぁ?俺にはチャラチャラしたヤローにしか見えなかったけど…」

レイははじめからあの男を「いい人」と信じて疑わない。
島での生活の記憶しか持たない彼女には「悪い人」の区別がつかないのだから当然かもしれないが、何でもかんでも信じるのは少し躊躇いがあった。

一方ミューははじめこそ警戒を解かなかったものの、レイに頑なに大丈夫だと言われ続けていざ来てみればどうやら内装が気に入ったらしい。
同様にあの男に対しても不信感が薄れてきている。


ちぇ。なんだ、俺だけかよ。
ふてくされたような表情は同行する二人の抜けっぷりを心配してのことだった。



「つーか本当に出んのかねぇ、アイツ。ファンタジアの裏方でセット準備してるヤツだって劇団員だって言い張れんだぜ?」

ギルがいぶかしげに声をあげる。

無理もない。
あの男は「ファンタジアに来れば何者かわかる」とは言ったが、「ファンタジアに出ている」とは言っていないのだ。
ファンタジアに所属しているのは役者だけではなく、当然スタッフも含まれる。
格好を付けたいがためのただの見栄である可能性も捨て切れなかった。

しかしレイはといえばまったく気にしていないような風で、至極不思議そうに首を傾げた。
ギルの機嫌がなぜ悪いのか理解できないらしい。

「いいじゃないか、有名なんだろ?ファンタジアって。あの人が出ても出なくても、いいモノタダで見せてくれたんだから感謝しなきゃ」
「そうだよね。しかもこんな前の席、なかなか取れないんだよ?すっごくレアなんだから」

レイの言葉にミューが賛同し、ふわりと微笑んだ。
双方の顔を見比べて、しばし考えてみる。


たしかにそうかもしれない。
得体の知れない嘘吐きの男だったかもしれないが、結果としてこうして人気の高い劇団の公演を間近に見ることができる。
それに。
姉のこれほどまでに楽しそうな顔は、久しぶりに見た気がしたから。

まあいいか、とも思えてしまった。


「……そんなもんか」
「そんなもんだよ」


そうして三人が話しているうちに、準備が終わったらしい。
ビーッ、という鋭い音が鳴って、会場内の証明が突然落とされる。

客でいっぱいになった天幕の中に、急激な静寂が訪れた。





しばらくすると、どこからか、小さな音色が聞こえてきた。
繊細で美しい、されどどこか物悲しいような、ピアノが奏でる旋律。


パッと、舞台が明るく照らされて。
散乱した酒瓶、倒れた家具類、埃の溜まった部屋のセットの中、
壁に凭れてグラスを傾ける、騎士服姿の男の姿があった。


以前は上質だったのだろう赤い礼服はそこかしこが汚れ、
波打つ髪は乱れて顔を隠す。
されどその隙間から伺う憂いを帯びた表情、気だるげだがどこか洗練された動作は、
なにかひとを惹きつけるような男だった。

会場のあちこちから、ほぅ、と、感嘆の息を洩らすのが聞こえる。

男は空になったグラスを放り投げると、ぐいと前髪をかきあげた。
切れ長の目が客席に向けられる。


「……!…あれ、もしかして」


レイがほんの小さく声を上げた。

そう。
今舞台に出て廃れた騎士を演じるのは―――



「今日会った人だ…!」



紛れもなく、昼間に門の前で彼女らを助け、ファンタジアへ誘った男の姿だった。




かけらも信用していなかったギルは予想が裏切られ混乱している様子で、必死に目を凝らして舞台上の男を見つめた。
しかしウェーブした紫の髪も、下睫の長い灰色の垂れ目も、白い肌も。
すべての特徴が一致している。

「アイツマジで出てたのか……つかさっき、ゼノ・フィルステインっていったよな?ファンタジア一の役者の」

「そんなすごい人だったんだ…!」


二人が驚き半分感激半分に演技に見入っている中。
レイはひとり納得いかなげに首を傾げていた。


そうこうしていると、敵国の騎士を演じる弟が舞台に登場し、主人公と会話をしている。

ふとレイのほうを向いたミューは、眉間にしわを寄せるレイに問いをかけた。


「………?」

「…どうしたの?レイ」
「……フィルステイン兄弟って、雷鳥族なんだよな?」
「うん、そうみたいね。ルッキーノさんも言ってたし」
「あの二人…髪の毛は紫色だけど、目の色が違う。雷鳥族は金色なのに、あの二人は灰色だ」

レイはいち早く二人の違和感に気づいていたのだった。
改めて兄弟を見たギル、ミューは驚いたように目を丸くし、よやく事実に気付いたようだった。


「……!そういえば。お昼に会ったときに気づかなかったのはそのせいかな。紫の髪に金の瞳だったら、すぐわかるものね」

「でも雷鳥族って集落に閉じこもって滅多に出てこないんだろ?目立つのが好きじゃないっていうし、今こうして外の世界で役者してんのは、突然変異か混血かで集落追い出されたせいなんじゃねーの」

「……そっか。なんだか、わたしたちみたいだね」






舞台上の男―――ゼノが演じるのは、伝説と呼ばれた剣技を怪我を負ったことで失い、誇りすらも忘れて酒に浸り、ついには妻子にまで見捨てられ堕落した騎士である。

今回の演目は、主人公が自分と同じ髪色の敵国の騎士と繰り広げる凄絶な悲劇だ。
兄のゼノが主人公、敵国の騎士は弟のゼナが演じる。
どんな役者も一度は演じ、書籍にもなっていることで誰でもストーリーを知ることができる劇座としては定番な演目も、この二人が演じることでどこか新鮮で華やかなものになっていた。


そして、二人が決闘をするシーンへ移る。
もともと話の内容を知っていたミューが、ここが一番の盛り上がりであることを教えてくれた。

客席はシンと静まり返り、全員の視線がたった二人へ向けられる。

キン、キンと二人の剣が振られ、互いに打ち合う。
力は互角。
勝ち負けのわからない戦いが続いていく――――はず、だったのだが。



どうにも様子がおかしい。

見せ場としては同等であるべきはずの剣技は敵役であるゼナのほうが上に見え、対するゼノが本気であせっているかのように必死に対応しているのである。
舞台に近い三人の席にも、ゼノの荒い息遣いが聞こえてくるようである。


「……?」


それは客の目には、決闘と呼ぶにはあまりに醜い、本気の"殺し合い"に映っていた。





「なんだ、あれ…?この話、こんな激しい戦闘シーンってあったのか?」

「……おいおい、どうしたんだ?あのゼナが台本を間違えるなんて…」

「でも、明らかに様子が変よ。なんだか異常に白熱してるというか……」

「おい、まさか本気じゃないだろうな?」


三人の耳に、様々な困惑の声が聞こえてくる。
会場はあちこちが騒々としているのに、キン、キンという鋭い刃が打ち合う音は、緊張を満たすように会場内に響いていた。

全体が戸惑ったように見守る中。

レイたちが座る前の席には聞こえてきた。
彼ら―――宿命のライバルを演じる、兄弟の会話が。



「……っく、ゼナ!どうしたんだよ、これじゃ台本通りじゃねーじゃんか!冗談はよせっつの!」


今日の昼、レイたちに向けていた飄々とした笑みがうそのように、男は切羽詰った表情で弟を叱責した。

しかし対する弟は兄を見下すように、ニィと口端と吊り上げる。
冷ややかな目は美しく、されど、身が凍るほど冷たい。


「何言ってるんだい、―――僕はいつだって本気だよ、兄さん」

その言葉には冗談も何もなく、ただまっすぐな真実のみが宿る。
そう、それはレイの目にもわかることだった。



兄、ゼノの剣は、素人目にはわからない演劇用の模擬刀である。
つまり剣としての形や煌きをもってはいても、人を殺傷できるほどの切れ味はない。

しかし。
弟、ゼナの持つ剣は、明らかに本物の剣なのだ。
打ち合う音、風を切る音、振るうときの軌道―――少しでも剣を扱う者にとっては、容易に読み取ることのできる違和感だった。




つまり、ゼナは――――


兄を、本気で殺しにかかっている。





「ッ!…おいお前、まさか!」


キン、とより高く音が鳴り、ゼノの剣が弾き飛ばされる。
形を模しただけのガラクタは大きく弧を描き、舞台の端にカランと軽い音を立てて落ちた。

つられて追うように視線を動かしたゼノの肩に、ゼナの踵が振り下ろされる。



金属製の踵を覆うプレートが、重く肩へと沈み込んで。


ゴキリ、と、鈍い音が鳴った。






「ぐああああぁぁぁあッ!!!!」






ゼノの絶叫が響き渡った。






それに呼応するように、客席は悲鳴で包まれた。

たくさんの観客が席を立ち、慌てて会場を出ていく。

やがて、天幕の中はレイたち三人のみになった。





砕かれた肩を抑えて蹲るゼノの首筋に、鋭利な切っ先が当てられる。

乱れた髪の隙間からそろりと仰ぎ見ると、そこにいたのは、いつも一緒だった―――
優しい大事な弟の、やわらかな笑顔だった。



「さようなら、兄さん。貴方の大好きな舞台の上で最期を迎えること、喜ばしく思うことだね」


「―――っや、やめろぉぉぉおお!!!」










銀色が、振り下ろされる。













カキイイィィィン!!

鋭い音が鳴り響き、ゼノがそっと目を開け、何事かと顔を上げると。


「っ!…君は、昼間の…?」


そこに立ちはだかり、白い片手剣二振りをクロスさせてゼナの剣を受け止めていたのは、
足元に淡く青い光を纏ったレイだった。





「自分の兄貴に手出すなんて、何考えてるんだよ!」


レイが吼える。

その背後では、レイに遅れて舞台に上がってきたギルがゼノを舞台から降ろして避難させ、レイの後方へと大鎌を持って援助についた。
ゼノの傍らにはロッドを手にしたミューが膝を着き、ゼノの肩の傷の具合を看ている。


視線の先のゼナの瞳は一瞬驚きに見開かれていたが、やがてすぅと細まり、
甘い口元は歪な笑みへと形を変えた。

「……ふふふ。噂に違わぬ強気だね。ねぇ、"竜人"さん?」

「!!」





――――何故。





「でも今君に用はないんだ。そこを退きな!」


レイが驚愕に言葉を失った瞬間を逃さず、素早くゼナの剣が振り下ろされた。
今度こそは受け止めきれず、レイの身体が後方へ傾く。
よろけた隙を狙い、再度の一撃が腹部を狙う。

しかし切っ先はギルの幅の広い大鎌に阻害され、刀身を柄が押し返した。
ギリ、ギリギリと、剣と大鎌の鍔迫り合いが始まる。


レイが体制を立て直すと黒髪が揺れ、ギルの金の瞳が肩越しにレイを捉えた。


「おう。大丈夫か」

「…!……ありがとう、ギル」


ギルの背中に笑いかけると、レイは再び双剣を構えなおす。
それを待っていたかのようにギルが一際力を込めると、剣を勢いよく弾き飛ばした。

よろける相手。

先ほどと反転した状態を見逃すことなく、レイの双剣、ギルの大鎌が襲う。


一閃。


軌道を描いた刃は、ゼナの左腕と右足を浅く裂いた。

痛みに秀麗な顔が歪む。
ゼナは剣を落とすと、左腕を庇うように手のひらを添え、右足から崩れ落ちた。


「っ!…ぐ、ぅ……!」


レイとギルにもこれ以上追撃する気はなく、それぞれの武器が光へと姿を変えると、レイはバングル、ギルはペンダントの宝玉へと吸い込まれていった。
戦いが終わったと見てミューが結界を消すやいなや、舞台に影が飛び込んできた。


ゼナのもとへよろよろと近付くのは、兄であるゼノだった。



「お、おい…大丈夫だから、もうこの辺にしといてやってくれ!あんまりケガさせると座長に怒られちゃうからさぁっ」

ゼノは己の肩を砕いた張本人である弟の傍へ跪き、無事であるほうの腕を上げた。

「おい、ゼナ……大丈夫か?」

優しい、ただ弟を想う手が伸ばされて、ゼナの頬に触れようとする。


パシン。


俯く弟の表情は見えず。
ゼノは弟に弾かれた手にジンジンとした赤い痛みを感じながらも、弟を驚愕の表情で見つめた。


そんな兄を嘲笑うように、ゼナの笑い声が、低く響く。



「…へぇ…?怒られるくらいで済むと思ってるの?公演中に本気で戦いはじめて、セット壊して、お客さんみんな逃がしちゃったんだよ。もう終わりだよ、僕も、兄さんも」



改めて見渡してみれば。


スタッフが組み上げた豪奢なセットはあちこちが破壊され、戦闘の名残を窺わせた。
客席も今はがらりとしていることに、ゼノはようやく気付いたのだろう。
先ほどまでは舞台袖で事の成り行きを見ていたはずであろう他の劇団員の姿も今はなく、その空間にはレイたち三人、そして兄弟の五人が取り残されていたのであった。

ゼノの瞳が揺れる。

震える声で、弟へ問いかけた。


「……ゼナ、なんでこんなことしたんだよ。兄ちゃんが何かしたなら謝るからさ…」

「今更謝罪なんていらないんだよッ!!」


突如あげられた咆哮に、びくりと、ゼノの肩が跳ねる。

瞳は信じられない、とでもいうように見開かれ、カタカタと怯えたように震えているのが傍目にもわかった。
ミューがそっと寄り添い落ち着かせようと背に手を添えるが、効果はない。


今ゼノの思考の中には、変わってしまった弟しかいないのだ。


ゼナの腕が飛び、衣装を纏うゼノの胸倉を掴んだ。
己のほうへと引き寄せるようにすると、顔が近くなる。


異なった、しかしどこかよく似た顔は、

それぞれ怯えと憎しみを滲ませ、異端のグレーを揺らしていた。


「あんたのそういうところ、大ッ嫌い。自分にも他人にも甘くて、へらへら取り繕ってさ。それに何がユニフェロン一の役者になろうだよ。何が守るだよ。今まであんたが僕を守ってくれたことなんて一度でもあったのか!!」

「ッ、……ゼナ」

「やめろ聞きたくない!あんたのせいだ、あんたのせいで母さんは死んだし僕たちは父さんに嫌われた!そんなヤツの身代わりなんかにどうして僕がならなきゃならないんだよおッ!!」


「馬鹿野郎!」


ゼナの言葉を遮るようにして、高く声が切り裂いた。

全員の視線がそちらへ向く。


険しい顔をしてその場に立っていたのは、
蒼い髪の少女、レイだった。



「お前らにどんな事情があるか知らないけど、何があったって何もかも人のせいになんてするな!ましてや自分の兄弟をそんなヤツ呼ばわりして、許されるワケがないだろ!?」

「……君……」


ゼノの瞳が潤む。

しかしゼナは迷惑極まりないというふうに、レイを鋭く睨み付けた。


「うるさい黙れ!お前なんかに言われたくないんだよ、『表として生まれてきた』くせに!」

ゼナの後ろにいたギルが、ふと顔をしかめる。



「……表……?」



"表として生まれてきた"、とは、いったいどういうことなのだろうか。


先ほどのゼナの発言からしても、まるで自分がゼノの身代わりにでもなったというような意味の言葉があった。
何かがひっかかる。

ギルがゼナへ問いかけようとすると、空間に五人のものではない、少女の声が響き渡った。




「その辺にしておけ、情けない」

「!」


全員の視線が一斉に声のほうを探す。

彼らが目にしたのは、客席の一番後ろにたたずむ、小柄なシルエットだった。
それがゆっくりと歩みだす。
舞台の光が届く位置にまでくると、ゼナがはっと息を飲むのがわかった。


「っ、……フェイラン…?」


呆然と、その少女のものであろう名を呟く。


少女は金に茶が混じる髪に、エメラルドグリーンの瞳をしていた。
纏う衣服は明らかに大陸のものではない。
そして何よりの特徴、虎のものによく似た耳は左側しか存在せず、右耳だったであろうものはひどく捩れていた。
長くしなやかであったはずの尾も半分ほどから捩れてしまっている。

奇形の少女は軽々と舞台へと上ると、レイたち三人の警戒もよそに、まっすぐにゼナへと近付いていった。


「騒がしいと思って来てみればこの様だ。何をしている?自分の兄一人引き渡すだけにわざわざ戦いなぞ仕組んで、子供如きに負けるとは」

「っう、うるさい!結果的に兄さんはもう戻れなくなったんだ、僕の手柄だろう!?」


見目の幼い彼女はそれに相反したひどく大人びた声と口調で話した。

むしろそれに声を上げて反抗するゼナが子供のように見えるほどである。


突如現れた人物に困惑を隠しきれず、ゼノは険しい表情で少女を見上げた。

「…おっ、おい!どういうことだよ?あんた誰なんだ?ゼナはいったい何をしようとして……!」

「……―――エルフの少年を探すことだ」


ゼノの問いを遮るように、少女の声が響く。
彼女の瞳はレイへと向けられていた。

言葉の意味を捉えきれず、レイのアイスブルーの瞳がすう、と細まる。


「そこに答えがある。うぬらの旅の目的も、新たな存在も……」
「……おい!さっぱりワケがわかんねぇよ、もっとはっきり言いやがれ!」

ギルが吼える。
しかしフェイランと呼ばれた少女は気にも留めず、ゼナの腕を掴み、引き上げて無理やり立たせた。

ゼナは一瞬眉根を寄せるも声を上げることもなく、少女へと身体を預けて立つ。


「これ以上は口出しできん。行くぞ」

「!待てよゼナ、兄ちゃんを置いてくのか!?」


舞台の下へと降り、歩き始めたゼナの背中へ、兄の慌てたような声がかかった。
ゆっくりと、紫の髪が振り返る。

ゼノを見つめる青年は、少しだけ、悲しそうに笑った。



「……まだ兄貴ぶるつもり?いい加減鬱陶しいよ。さっきの話でわかっただろう、僕はあなたが嫌いなんだ」

「そんな…なんでだよ。今までなんだって二人でやってきたじゃんか!」

「だから、そういうところが嫌いなんだ。勝手に二人だなんて決め付けないで。あなたはいつだって一人だったくせに。―――僕を、置いていったくせに」



青年の震える声を残して。

少女とゼナは、すぅ、と、影に溶けるように姿を消した。





「……ゼナ……ゼナ!ゼナァァァアアッ!!」














その場に取り残されたのは、

悲痛な兄の叫びと、

新たな問題を抱えたレイたち三人の立ちすくむ姿だった。





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