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「連絡先を教えてもらえばいいじゃないですか。そしたら会えなくてもやり取りできるのに」

 店長の高田は伍代やそのボスである佐竹と頻繁に連絡を取り合っているのだから、三上が訊けば伍代は喜んで連絡先を教えてくれそうなものである。

 そもそも、これだけ長い間もどかしい関係を続けていながら、まだお互いに個人的な連絡先すら知らずにいるということの方が香田には信じられなかった。

 伍代がこの店に来たときにしか会えず、しかも大抵の場合他のスタッフがいて二人きりにはなれない状況ではいつまでたっても何の進展もなかろうと気を利かせたつもりで言ってみた香田の言葉に、三上は美しい瞳を一瞬不安げに揺らめかせ、すぐにいつもの怜悧なカフェの女王の顔を取り戻してケトルをコンロの上に置いた。

「……お客さまと個人的に親しくなるのはご法度だよ」
「いや、普通のお客さまならそうですけど」
「伍代さんが普通のお客さまじゃないとでも?」
「見るからに色々普通じゃないでしょう。突っ込みどころ満載過ぎますよ、副店長」

 あんなに厳つい顔と体格で夏でもダークスーツをきっちりと着込んだ、極道臭丸出しの五分刈り兄貴という時点で伍代は香田の“普通のお客さま”の基準からは大きく外れるし、伍代の上司で、高田とは学生時代からの付き合いだったという佐竹は既に店の身内のような関係にある。

 あまり深くは訊かないようにしているが、新人スタッフの雪矢と佐竹の関係を考えても、佐竹は既に“普通のお客さま”とは言えないはずだ。
 同じように、佐竹の右腕である伍代も、香田にとっては常連客というよりむしろ身内のような感覚でいたのだが……。

「もしかして……アドレス訊いて教えてもらえなかったら嫌だとか思ってます?」
「……」

 ふと浮かんだことをそのまま口にした瞬間、サーバーからカップにコーヒーを移していた三上の手元がぶれ、狙いが外れた液体がカップの淵を汚してしまった。

「ええ!? それはないですって! あの伍代さんが、副店長に連絡先訊かれて断る訳ないでしょ」
「うるさいな。零れたの、自分で拭いて飲めよ」
「あ、ありがとうございます」

 乱暴にずいっと渡されたカップを受け取り、淹れたての香りにほっと息を吐いて、改めて目の前の敏腕バリスタを見下ろす。

 いつもは子猫のように悪戯な輝きを放つ瞳が、不安げに揺らめいて“CLOSED”のプレートがかけられたドアを見つめていた。

 どうやら、美貌の副店長は香田が思っている以上に不器用で、傷つくことに臆病らしい。
 
 こうなるとからかうこともできず、放って置けない気がして、淹れたてのコーヒーをひと口啜った香田は、客席側に回ってカウンター席を挟んだ三上の向かいに腰を下ろした。

「大丈夫ですよ、副店長」

 いつも閉店間際にやって来た伍代が座るその位置からは、コーヒーを淹れる三上の姿が一番よく見える。
 三上以上に不器用な男は、疲れているであろう仕事帰りにわざわざ店を訪れ、この席から自分のためにケトルから細いお湯の糸を垂らす美しいバリスタの姿をじっと見つめ、出されたコーヒーを静かに飲み干して帰って行くのだ。

「俺の予想では多分ゴダイさん、真正のドMだと思うんですよね」
「はっ!?」
「毎回毎回副店長の女王様っぷりに振り回されて遊ばれて、それでもわざわざ金払ってコーヒー飲みに来るなんて、ただの物好きじゃできないでしょ。闇金帝王の右腕のあの見事な下僕っぷりを見たら腰を抜かす人続出ですよ、裏社会界隈で」
「……誰が女王だ」

 表情を変えずにコーヒーをひと口啜った三上の目が一瞬大きく見開かれた気はしたが、香田は言葉を止めなかった。

「だから、店に来られないくらい忙しくても……副店長から『お仕事頑張って、早く遊びに来てくださいね!』とかひと言送ってもらえるだけで元気になって仕事を片付けて、次の日には飛んできちゃうと思います。連絡先を訊いたら喜んで教えてくれると思いますよ。ゴダイさん真正のドMだから」
「なるほど……今までそういった自覚はありませんでした」
「!?」

 突然背後から聞こえた柔らかいバリトンに、香田がスツールから腰を浮かす。

 ぎこちなく首を後ろに向けて振り返ると。
 そこには予想通り、ダークスーツをきっちりと着込んだ厳ついヤクザ顔の大男が立っていた。

「私が真正のドMかどうかはともかく、ミカミさんに連絡先を訊かれて断るような真似はしませんよ」

 どこから話を聞かれていたのか。
 青ざめる香田の顔とは対照的に、三上の頬と耳先がじわじわと赤く染まっていく。

 ドアにかけられたプレートにはベルがついていて、誰かが入ってくれば気付くはずなのに。
 店に入って来た気配すら感じさせずに香田の背後に立つとは、完全にプロの仕事である。

「お冷、お持ちします……!」

 自分が伍代の“特等席”を占領してしまっていたことに気付いた香田が慌ててカウンターテーブルの向こうに戻ろうとすると、ヤクザ顔の大男はいつもと変わらない、外見にまったく似合わない穏やかな口調で声をかけてきた。

「ついでに、ペンもお借りできますか。出先でインクを切らしてしまったもので」

 そこまで言って、伍代はカウンターの向こうに立つ三上の顔を見上げ、ごくごく親しい者だけが笑っていると分かる笑みを浮かべて恥ずかしそうに首の裏を掻いた。

「名刺の裏に……手書きしたもので、いいですか。若い奴らのように手早く連絡先を交換したりだとか、ああいうのはどうも苦手なんです」

 飲みかけのコーヒーカップを手に、真っ赤な顔のまま固まっていた三上が、はっと我に返ってこくこくと頷く。

 素直になれないカフェの女王さまは「メールは苦手なのであまりお送りしないと思いますけど」と、深夜に訪れた常連客のためにカップを温めながらいつもの澄ました顔で呟いていたが。
 その手元を見つめる伍代の瞳は、穏やかに凪いでいた。

 どうやら香田の“真正ドM”発言は三上と連絡先を交換できたことによって帳消しにされたらしい。

 伍代が怒っていないらしいことを悟った香田は、極道顔の常連客の前にそっとお冷のグラスとペンを置くと、気配を消して酒棚の瓶を数え、静かにスタッフルームへと姿を消して迅速にその日の発注を終え、挨拶もそこそこに店を出たのだった。


○●○


「……不器用なんだよな」

 夜空に浮かぶ三日月を見上げて、ぽつりとひと言。

 香田から見れば、男同士であろうと、ヤクザ上がりの闇金業者と堅気の人間であろうと、あそこまでお互いを意識し合っているのであればさっさとくっついてしまえばいいと思うのに。
 連絡先ひとつ交換するにも数年の歳月を要しているようでは、先が思いやられる。

「下僕第一号としては、やっぱり女王様には幸せになってもらわないと」

 不器用で一途な二人の幸せを願う呟きを聞き届けたのか、夜空の隅で星がひとつ、キラリと瞬いたのだった。
 

end.

(2015.1.28)




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