母校に来るのは何年ぶりだろう。
特に廃れた様子もない6年間通った小学校を沖田は見上げていた。
それはとても複雑な心境で……。
爪先立ちの恋
―学芸会とちゅう事件―
― 時は数日前に遡る
夕食を終え、まったりとした時間をソファの上で送っていた沖田の腹部に神楽が乗っかり、両手を顔に添えてきた。
なんだこれ、と成されるがままになっていた総悟だが、顔が近付いてきた時には色んな意味でじぶんの身に危険を感じた。
「何すんでィ、淫乱」
「しーっ。ちょっと黙ってるネ」
なお近付いてくる神楽の顔。
クラスの化粧の濃い女子共とは肌も、匂いも違うなぁと感心していると口唇に神楽の息がかかった。
あれ?これヤバくね?
自分はもしかしたら襲われてるんじゃないかと、思った瞬間。
「んっ!?」
「あり?失敗したアル」
鼻と鼻がぶつかり、沖田と神楽は豚鼻状態に。
これは屈辱を味あわせる為の策なのか。
未だマウントポジョンにいる神楽の肩を押し自分からどかすと、沖田は頭を押さえながらどんな風に訳を聞けば良いか悩んだ。
最近たまたま観ていた教育番組で、子どもにむやみやたらに叱るのではなく、ちゃんと訳を聞く事が大切だとかなんとか眼鏡をかけたメタボ気味のおっさんが言ってたのを思い出した。
「…なんでこんな事したんでさァ」
「ちゅーの練習アル!」
やっぱり?
流れ的にそうだとは思ったが、沖田は信じたくなかった。これ以上聞いても頭が痛くなるだけな気がして、それ以上は問い質したくはないと口を噤んだ。
だが、うんざりする様子の沖田を気にせず、神楽は胸を張って語り始めた。
「わたし学芸会の主役に選ばれたネ!」
学芸会とはこれまた懐かしい響き。沖田も小学生の時の記憶を探ってみたが、もう何年も前の事なので思い出せなかった。
「今の小学生は学芸会でちゅーまですんのかよ。とんだ羞恥プレイだねィ。で?主役って事はチャイナは姫?ぷぷ、似合わねー」
「似合わないって何ヨ!それに姫じゃないアル。王子様だもん!」
お姫様だったら可愛い顔で寝てれば良い。王子様は自分から顔を近づけてキスをしなくちゃいけないから、練習が必要なんだと神楽は主張する。
「んじゃ、チャイナにとってお姫様の方難しいじゃねぇか」
「? なんでアルか?」
「どう頑張っても寝顔は可愛くならねぇだろィ」
「ぶっ倒す!!!」
そして夜中沖田は目を覚ました。
体のだるさを感じ寝返りをうつと、鼻がぶつかる距離に神楽がくぅくぅと寝息をたてて眠っていた。
(あぁ…、昨日もゲームしててそのまま…)
決して広くないベッドに薄いタオル1枚を共同に使い、寝てるという今の状況はなんだ。
また薄黄色のキャミ1枚着ただけの神楽に溜め息をつき、そのまま覗き込む。
(…あと数年したら、)
と、まで思ってタオルを捲るとへそが丸出しで、気持ちがみるみる萎えていった。
「腹こわ、」
すぞと最後まで言えずに、首にまわされた細い両腕の引力に逆らえずそのまま落ちていく。
「さだはるぅ、だいしゅきアリュぅ…」
そして、ぷちゅとリップ音が室内に響いた。
さだはるって犬じゃねぇか、と頭の片隅で思う一方、合わさった口唇の小ささに驚いていた。
ゆっくりゆっくり秒針を刻むよりもゆっくりと離す。
犬、犬に噛まれたと思え。
沖田の中でしっかりとなかった事にされようとしているが、実際に起こってしまった事に目を瞑る事など到底無理に近い。沖田は忘れようとする葛藤と、無意識に浮かんでくるぶつかった小さな口唇との間に悶々する夜を送る事になった。
「くちびるがカサカサするアル」
「ぶっ…!」
人差し指を自分の口唇にあて、難しい顔をしながらの神楽の発言に、コーヒーを飲んでた沖田は思わず吹き出しそうになった。
「神楽さまのぷるるんなくちびるが、カサカサなんてありえないアル!ミツバ姉リップ貸してヨー!」
ミツバがポーチから取り出したリップを受け取り、満足気に口唇に塗るたくる神楽を沖田はいつの間にか真顔で見ていた。何見てるアルか?という神楽の言葉で我に返ったが、途端に“ロリコン”の4文字が頭の中に浮かぶ。
(俺は違う。絶対違う)
**
学芸会当日はまさにイベント日和だった。運動会ではなく、学芸会というのが惜しいような。
我が子をフィルムに収めようとカメラを手にした家族が多い中、高校生の沖田は少々居づらかったが神楽にしつこく強請られた為ミツバと二人で敷かれたござに座っていた。後ろの方には椅子が並べられており、そちらも人で全て埋まっているようだ。「早めに来て良かったわね。立ち見はちょっと辛かったもの」
「そうですね。すんげぇ人……」
暗幕に覆われ、スポットライトの熱と挙げ句にこの凝縮されたような人の数。
体育館の中はモヤモヤと熱気があり、沖田は姉の体調が心配だった。
パンフレットを見ると神楽の6年生の出番は最後の方。正直神楽の劇以外は興味はない。
(冷たい物でも買いに行くか)
ミツバに飲み物のリクエストを聞き、暫く席を空けると告げ、沖田は体育館から校舎に続く渡り廊下へと出た。
「あー!そーご!」
聞き慣れた高い声が、耳に入る。
「どこ行くアルか?」
「飲み物買いに…って思ったけど、小学校には自販機ってねぇんだよな」
「うん、ないヨ。外まで行かないと」
そうだよなぁと、沖田が首を捻り校舎の奥を見ていると後頭部に視線を感じた。
神楽の隣りに大人しそうな黒髪の女の子が、興味津々といった目で見ている。
「神楽ちゃんの好きな高校生ってこの人ですか?」
コソコソと神楽に耳打ちをしていたが、沖田にはしっかりと聞こえていた。
「違うアル」
「え、ではお隣りに住んでるドSでバカでスケベで歯軋りがスゴいというお兄さんですか!?」
一体自分をどんな説明してるんだと、沖田は青筋がたちそうになったがここは耐えた。無理やりにでも笑ってやる。怒っているという事を伝えるために。
「わ、そよちゃん!しーっ!しぃーっ!」
「おせぇよ。誰がドSでバカでスケベで歯軋りが凄いんで?」
ニコリと笑ってはいるが、右手は神楽の頭部を鷲掴み。
「そーご!いたっ、痛いアル〜!」
涙目になった所で離してやると、神楽は頭を抑えてその場にうずくまった。
そよちゃん、と呼ばれた少女は神楽に大丈夫?と声を掛け、次に沖田の目をその大きい目で見つめ返した。
「神楽ちゃんからお話を聞いた時はどんな方かと思いましたけど、とてもかっこいい方だったですね」
「ホントにチャイナの友達?こんな良い子な筈がねェ。まさか脅され、」
「んな訳あるカ」
すぐに復活した神楽はそよを庇うように前に立ちふさがった。
何もしねぇよ、と言っても近寄るなオーラ全開の神楽の相手をするのも骨が折れる。
「じゃ、俺は飲み物買いに行ってくるから。じゃあな、そよちゃん。劇頑張ってくだせェ」
「はい、ありがとうございます」
「わたしは!?」
後ろから騒がしい声が聞こえてきたが、沖田は両手で耳を塞ぎ完全に雑音を閉ざした。
すると腰回りに何かが凄い勢いで抱きついてきた。それが何かは振り向かなくても分かっていたので、沖田は構わず歩き出した。
「そーご。わたしもジュース飲みたいネ。買ってきて?」
「可愛くいってもヤダ」
「ケチぃ!ちゅーしてあげるからお願いヨー!神楽さまのファーストキッスあげるからー!」
「そんなんどこで覚えてくるんでィ。
……それにファーストキッスはもう無理だっつうの」
最後の方は神楽に聞こえないような小さな声になった。
ふてくされている神楽をそよに任せ、沖田は用事を済ませる為に足早に校舎を後にした。
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