目が覚めて驚いたのは、カーテンから洩れる目映いばかりのお天道様の存在。

嗚呼、寝過ごしたんだなぁ…。なんて寝ぼけた頭の片隅で軽く思う。今日の一限は何だっけか。まぁ、どのみち遅刻は確定だろうからと起こした体を再び布団の温もりに身を委ねた。







「って、マズい…!このままだと二度寝所じゃ済まないかも!!」


そう声を張り上げて名残惜しくも掛け布団を退かし、言葉通り飛び起きる。こんなに素早く行動が出来るなんて、自分の中じゃ拍手ものだった。


「師匠も“学生の内は学業とプロ棋士両立しろ!”なんて言うけど…」


どう考えてもその師匠の方こそ俺の学生って身分を忘れてると思う。あれ?これって俺の気のせいじゃないよね?違うよね?
…うん、そうじゃなきゃ昨日の晩だってあんなに帰りが遅くならないっつーの。

そんな事を意味なく未だ回転力の鈍い頭で考える。でも悠長に支度している時間が無いのも事実な訳で。右往左往しながらも何とか家を出るまでの用意ができた。


「いってきまーす、っと」


靴を引っ掛けながらバタバタと玄関から出て行く。返事のない空間に挨拶するのはもう慣れた。さて、遅くなってしまったが今日も一日頑張るとしますかね。

お気に入りの曲が入ったウォークマンを起動させて小走り気味に大通りに向かい足を動かした。







学校に着くまでに通る街中から少し離れた河川敷の土手の上、本日の天気も良い為か擦れ違う人々の表情はとても生き生きとしたものだった。

耳元では未だエンドレスで繰り返されるお気に入りの一曲で。奏でられてるこの曲は最近席替えをして仲良くなった名字から借りたものだった。あの時の、自分の好きな物を楽しそうに話す笑顔がずっと頭に焼き付いて忘れられない。花の咲くような…って例えが一番しっくりくるのかもしれないね。あの時から彼女を目で追いかけてる俺がいる。


「和谷くん、おはよっ!」

「ひっ…!だ、誰だ!?」


こんな風に考え事に耽っていたからだろうか。真後ろに迫る小悪魔ちゃんの挨拶に気付けず、盛大な驚きを見せてしまった。


「あー…驚いた?」

「いきなり声掛けられたら驚くに決まってんだろ!ったく、タチ悪ぃな名字は」

「ご、ごめん」


流石に自分の世界に入り、尚且つウォークマンだって付けてた俺はこんな反応をしたって仕方ない…筈。決して威張れるようなもんじゃないけど。

初めこそ俺の返答に綺麗に整えられた眉をハの字に下げた目の前の名字。しかし、こちらが本気で怒っていないと分かると次第にその表情は笑みに変わる。彼女に想いを寄せてる身になればどんな事されたって許しちゃうんだから惚れた弱みって恐ろしいよね。
でも、何となく思った。


「何で名字がこんな時間に此処に居る訳?」

「和谷くんだってそうじゃんか」


尤もな切り返しに頷く事しか出来ない。自分だけ遅刻を指摘されているとでも思ったのか、ぷくりと白い両の頬を膨らまし僅かに下から睨みつけてきた。そんな上目遣いだって可愛いだけなのに。


「俺は昨日の対局の後、師匠の所で夜遅くまで指導してもらってたから朝起きられなかったの」

「単なる寝坊か」

「どうせお前も同じだろ?」

「まぁね」


そう言うなり乗っていたチャリから身を下ろし、二人並んで他愛ない会話をしながらゆっくり歩く。のんびりとしたこの空気は何時振りのものだっけ。最近の多忙なスケジュールをこなしてた俺にとっては有り難い休息になりそうだな。
ちらり、隣にこっそりと視線を向ければ何やら名字も楽しそうだった。


「なんかこのまま学校行くの嫌だなぁ。あー、サボリてぇー」

「私も賛成ー。どうせ一限はマラソンだしね」

「…名字」

「なに?」

「少し寄り道していかね?」

「例えば?」

「本屋、とか」


いつも何かしらの本を片手に席に着く名字を知っている為、敢えて本屋を指定し窺う様に首を傾げて聞いてみる。
どうにかしてこの緩やかな雰囲気を壊したくなくって我ながらこの必死さが笑えるって言うか、何というか。取り敢えず意中の彼女にこんな事聞いたら呆れるかも。


「本屋ね。うん、いいよ。どうせ私も買いたい物があったし!丁度いいや」

「そうと決まったらサッサと行こうぜ!補導されてもいけないしな」


そもそもサボる事自体いけないんだけどね。嬉しさのあまり、気持ち悪いほど顔の筋肉が緩んだ。名字に引かれたらどうしよう…なんて後ろ向きな考えが浮かばない程一人胸中盛り上がった。


「おーい、チャリ借りるぞ」


半ば奪う様にハンドルを自分の手に取る。驚き目を剥いた彼女をそのままに素早くサドルに跨り振り向いた。


「名字、何突っ立ってんだよ。早く乗れって」

「いやいや、私重いし…」

「俺、そんなにひ弱に見える?」

「そう言う訳じゃ…」

「ほら、行くぞ!」

「ま、待ってー!!」


置いて行かれまいと急いで後ろに乗り込んでくる。このチャリは後ろに荷台が付いている為、振り落とされない様にとしっかり腕を腰に回してきた。否応なしに赤く染まる顔、それに耳。情けない姿に彼女は気付いているのだろうか…?こう言う部分だけは勘が働く様なので、おっかなびっくり肩越しに後ろを盗み見る。


「…………」


どうやら心配はいらなかったらしい。何故なら後ろの名字だって同じ様に真っ赤に顔を染めてるんだから。





(よし…!)(今度それとなく遊びにでも誘ってみよう!)




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