落下傘


 今思えば、あれが最後の日。
「私は大きな罪を犯してしまったのかもしれません。気が付くには遅すぎました。……いえ、本当は解っていたはずなのに」
 荒い砂利に膝を立て、先生は幼い自分に視線を合わせた。ゆっくりと持ち上がる手は私の頬を優しくなぞる。いつだって師は年端もない子供に対しても驕ることなく一個人として平等に接した。その教育は子供たちの自主性と個性を尊重し己の思想を押し付ける事は決してなかったけれど、それでも剣を取らせその動機に迷いを起こさせないには十分な価値観を植え付けた。
 友の為に、恩師の為に、国家の為に、約束の為に。
「大丈夫です、僕が先生の正しさを証明してみせます。先生の代わりにあの二人もきっと僕が守りますから」
 だから先生、僕たちの為に泣かないで。もう逃げ道は残されていなくても。
 何も言わず唯々僕を抱きしめていた先生は、遠くはない俺たちの未来を見越していたのだろう。負け戦に立ち向かうには晋助は性根が優し過ぎたし、銀時は希望を失い過ぎていた。そして俺は同じ過ちを繰り返す。


 鬼兵隊の戦艦から、予定通りの退路で二人は浜辺に降り立った。
 銀時は今までの死闘が嘘のような熱のない瞳で、黙々とパラシュートを畳む俺を見つめていた。
「ヅラ……おまえさ。本当にこれでよかったのか?まぁ、今更言っても遅いんだろうけどよ」
 それは先の攘夷党と鬼兵隊の対立を指しているのだということは明白だった。そして攘夷活動については一切口を出さない銀時にしては珍しい発言でもあった。
「仕方あるまい。こうなる事は概ね予想していた。それに攘夷党の指針もそろそろ転向しなければならない時期だったしな。予定より尚早だが鬼兵隊との対立は良い誘因となろう」
「あーいや、そうじゃなくってよ……」
 ならば、高杉のことか。それならば殊更珍しい。銀時は昔から俺たちの機微に触れるのを意識的に避けていた節があったから。
 その問いかけには敢えて答えず、纏めたパラシュートを浜辺に捨て置き懐に手を伸ばす。掴み馴れたその教本は無残に二つに切り裂かれ、背表紙は赤黒く変色している。内側まで血が滲み張り付いてもう読めたものではなかった。力任せに二つに開いて引き裂けば、劣化した綴じ紐は難無くぷちぷちと千切れてゆく。
「おぃ!」
 銀時の露骨に焦る声を聞き流し、波際へと歩を進め紙束を海へと放った。引汐にのまれて紙片はのたりのたりと穏やかに消えてゆく。
「貴様だって棄てたのだろう」
 本当にラーメンを零したのかは定かではないが。それに、その訳はきっと俺とは違うもっと純真で切ない理由からであっただろうけれど。
「ヅラ、お前……」
「案ずるな、貴様が思っているようなことではない」
 そんなことではないのだ。
 ただ、あの天空の船から飛び下りたとき。降下する俺達を見下ろしながらあいつは笑っていたから。
「読むこともできない本を持っていても無意味だろう。それにな、あいつも持っていたのだ。だからもう必要ない」
「……は?」
 傘体が邪魔で明瞭には見えなかったけれど。降り注ぐ陽が鋭くて瞳も開けられなかったけれど。確かに笑っていた。それは今まで出逢ってきた中でも一等穏やかで優しい微笑みだったから。このどす黒く風化した己の一方的な信義など全く価値がないことにようやく気が付いた、それだけのこと。
「あいつはな、結局いつも俺に甘いのだ。遠慮なく利用させてもらうさ」
「……あぁ。そういうことね。はいはいご馳走様ですよ」
「勿論、次に会うときは差し違える覚悟は出来ている」
「……おめーらってさ、ほんっと面倒くさいよな」
 あー銀さん心配して損したわ。そんな甘いの俺でも食えないね、なんて呆れたような素振りで切り返す銀時の、一瞬見せた沈痛な眼差しには気が付かない振りをした。

 あれはたしか、銀時がやって来る少し前。
 軒下に座り、陽の堕ちる庭先で3人で見た夕暮れの景色。
「小太郎、晋助。いつか一緒に日本の夜明けをみましょうね」
 幾重に重なる金色の帯も、綺麗に微笑む先生の顔も見過ごしながら。本当は隣に座る少年の揺るぎのない双眼に映る紫の夕暮れだけを見ていたんだ。
 昔から我儘で横暴なお前が大嫌いだった。
 美しいものしか赦さない潔癖さと不遜さを湛える瞳が大嫌いだった。
 そして誰よりも俺を正しく見透かし、甘やかし続けるお前が心底憎らしかった。
 たぶん今もきっとあの夢の狭間に残された二人は。血に塗れ尽き果てるまで終わらない幻想を描くだろう。

 今なら少し解る気がする、きっと銀時は先生にとっても唯一の希望だったのだと。
 陽を浴びて銀色に揺らめくお前は生きる力。未来を切り開く力。何物にも囚われない自由な力。無限の可能性、一途な思い、暖かく嫋やかな心。
「さあ、帰ろう。子供達も心配しているぞ」
「お前、きっと神楽に殺されるぜ。あいつすげぇ心配してたもん」
「……それは有難いことだ。詫びとして酢昆布でも持って行かなくてはな」
 昨日と変わる事のない日常へ。貴様はそこで待っていてくれ。もう少しで全ては終わるから。
 そしていつかお前達が穏やかに過ごせる遠い未来に。こんな馬鹿で救いようのない幼馴染が二人も在ったことを、時折思い出して笑ってくれたなら嬉しいよ。







ヅラはほんっと銀ちゃんの事が大好きですよね。高桂はなんというか…血の繋がっていない双子のような関係だったらいいな、という私の願望。

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