スノウ・ホワイト


「今から、出かけよう」

 そう云って、晋助は黒いダッフルコートを俺に向かって放った。
 突然の提案だったけれど、今日は特に予定もなかったから、受け取ったコートを広げておもむろに袖を通す。
 そんな様子をドアの前で眺める彼はすでにコートを着込んでいたけれど、俺のものとは違って襟元の開いたデザインだったから、首元が寒々しく見えた。

 少し待ってくれ、と断りを入れてから自分の部屋へ行き、クローゼットの中から白いマフラーを取り出す。
 両端にエリザベスの目と口が刺繍してあるこのマフラーは、一等お気に入りなのだ。
 首にぐるぐると回してやれば、晋助は一瞬眉をしかめたけれど、それ以上文句も云わず、黙って巻かれていた。



 電車に乗って数十分。
 降り立った駅は始めて訪れる場所だった。 ホームに所狭しと貼られてあるイルミネーションイベントのポスターを見て、いつだったかクラスの者たちがこの街の電飾は一際美しいと話していたのを思い出す。クリスマスイブにはイベントなども開催され毎年賑わうのだとか。思えば今日は12月24日。それならばこれだけの人通りも頷ける。
 けれども、晋助がこのような人工的な風物に興味を示していたのには少し驚いた。

「イルミネーションか?点灯時間には少し早いようだが……」

 先ほど見たポスターには17時点灯とあったから、あと30分以上は待たねばならない。

「ああ、それか。……見たいのか?」
「……いいや」
「なら、早く行こうぜ」

 人混みをかき分けて足早に歩き出した晋助を追う。
 相変わらずの彼の嗜好に少し安心したものの、それならば今日は何処に向かうのだろうか。
 見当もつかなかったが、彼の行く先が予想できないのは常なので、それ以上は考えても意味はないと思考を放棄した。


 駅を出て、人通りの多い繁華街を進んでゆく。
 近年開発が進んだ海岸沿いのこの街は、駅付近にはショッピングモールや高層ビルディングが立ち並び、近代的で小奇麗な景観だった。
 そして赤や緑、金や銀の装飾が建物の外壁や街灯にも施され、このシーズンならではの華やかさを演出している。
 きちんと補整された歩道には細い鉄パイプがアーチ状に組まれていて、そこにはイルミネーション用の電球が 荊棘線のように巻きつけられいた。きっと夜になれば光のトンネルになるのだろう。
 鉄線で形作られたオブジェや、幾重にもコードが巻きつけられた街路樹も、点灯時間をむかえれば色とりどりに輝いて、人々の目を悦ばせるのだ。

 そんな作品群を横目に通り過ぎ、繁華街を抜けたころには、ほとんど人はいなくなっていた。

 先ほどの賑やかさとは打って変わり、マンションや工場の建ち並ぶ静かな町並み。

 しばらく歩けば、開発途中の空き地も目立ちはじめ、海風がざらりと頬を撫でた。



「寒いな」

 本当はそこまで寒くはなかったけれど、何となく口について出た言葉。
 それを真面目に受け止めたのか、晋助は俺の横に肩を並べると、そっとその手を掬い取った。
 きゅっとその手を握り返せば、同じ力で握り返してくるてのひらから伝わるのは、ほのかな暖かさ。
 それはきっとこの流れる大気とは違う、彼の温度で、俺の熱なのだろう。
 
 視界の左隅に映る黒いコートとさらりと動く見慣れた髪先。
 マフラーの先のエリザベスの顔が、その肩越しにぴょこぴょこ現れては姿を消した。
 時たま顔を出すエリザベスと目が合う度に、彼の手をぎゅっと握る。
 なんだか楽しくて、飽きもせず、そんなことをずっと繰り返していた。



「着いたぞ」

 顔を上げればそこは、何もない空き地だった。
 果てが見えないほどにただひらすらに、広大な土地だった。

「待て、ここは私有地ではないのか。勝手に入るなど……」
「いいんだよ」

 何が良いのか解りもしなかったが、手を引かれるままにその地へ足を踏み入れてしまった。

 辺りを見渡すと、目線のずっと向こうにポツンと白い板のようなものが立っている。
 看板かとも思ったが、近づいてみるとそれは漆喰で塗られたような分厚い壁だった。
 二畳分くらいだろうか。人の背よりもう少し大きなそれは、俺達が近づく度にぐんぐんと、空に向かって伸びてゆく。

 ふと空を見上げると、夕暮れ時の薄暗かったはずの空は、いつの間にか雲に覆われたような白く曇った空に変わっていた。

 止まることなく伸びてゆくその壁は、天空の境域を曖昧にしてゆき。
 俺達が壁の前に辿りつくころには、その頂きは白い空と完全に溶けきっていた。

 眼前にそびえるどっしりと構えたその壁に、そうっと、手を触れてみる。
 予想通り、ひんやりとしていた。
 けれどその冷たさは、例えば氷のようなしびれるようなとげとげしさや、冷たい風に吹かれたときのような刺すような寒さではなくて。
 触れたてのひらからじんわりと染み入るように、やさしく、ゆっくりと身体を侵食してゆく。

「な、あたたかいだろう」

 そう云って晋助は得意気に笑うと、ずるずると壁に凭れてしゃがみ込んだ。
 そして。ほら、と当然のように差し出される手を取り、彼に倣う。


 へたりと座り込み、顔を上げれば、辺りは隙間なく白い世界だった。
 あの壁はいつの間に視界を覆うほど拡がっていたのだろう。
 それともあの白い空が落ちてきたのかもしれない。
 足元を見ると、その地面さえも真っ白に染まっていたから。もしかすると雪が降ったのかもしれなかった。

 そんな雪景色を背に、彼がうっそりとわらった。



 何の気なしに、今日初めて訪れたあの華やいだ街の景色を思い出してみる。
 頭上のいつまでも白いままの空を見上げても時間をはかることは出来ないけれど、そろそろあの街は雑踏の中に光を灯し始めただろう。
 きらきらと輝くその電飾は、すべてを暴き、偽に照らす。
 
 けれども、ここにいる俺達に夜は来ないから。彩られることも願わないんだ。

 

 そっと近づく顔に目を伏せれば。
 重なり合ったてのひらの感触が、すうっと意識の奥に消えていった。
 触れ合う頭が、肩が、その唇が。背にした壁さえも。
 ひんやりと冷たく白く、同じ温度に混じり合って溶け込んでゆく。
 まぶたを閉じても眼前に広がる景色は変わることはなく。

 いつまでも、白いまま。
 ふたり、寄り添い合って。ただ、沈んでいった。








May you have a warm, joyful Christmas this year!
二人の仕合せを祈って、メリークリスマス!


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