万華鏡


 午後の授業終了のチャイムがなり、十分間の休み時間。
 まだ寝ぼけている頭を揺らして定まらない焦点探していると、前の席に座る桂は後ろに向き直り、この前河原で見つけたのだ、と云って俺の机の上に小さくて平べったいガラスのようなものを四つ並べた。
「なんだよ、これ」
「おはじきだ」
 指先にのるくらいの円形のガラスは云われてみれば確かにおはじきだった。梅の花が型押しされた薄い橙色のものと、黄の筋が入った乳白色のものは比較的綺麗な円形だったけれど、網目状の筋が入った群青のものと、中央にくぼみがある青緑のおはじきは、縁ががたがたと波打っていて円というよりは四角に近い歪んだ形をしていた。
「晋助にはこれをやろう」
 そう云うと桂は、一番左端の青緑のおはじきを指先で押し出した。
「なんだよ。一番変な形のやつじゃねぇか」
「光に透かしてよく見てみろ。これが一番綺麗なのだ」
 その言葉に従って、差し出されたおはじきを摘まんで窓に向かってかざしてみる。
 濃淡の混じった青緑のガラスには無数の傷がついていて、陽の入り方でその鮮やかさを変えてゆく。もっと奥まで覗きこめば、碧く広がる水面には小さな気泡が幾重もふわふわと舞い上がっていた。
 それは窓の向こうに広がる銀杏の葉がはらはらと舞う寒空の季節にはひどく不釣り合いな色彩に思えたけれど、光の角度を変える度に魅せる小さな宙は季節まで通り越すかのようにあたたかく揺らめいていたから。その小さな玻璃をそっとポケットしまい込んで一緒に連れてゆくことにした。


 今日は木曜日だから、次の6限は担任のロングホームルームだ。
 この授業を抜け出すのはいつものことだったし、それから放課後までの時間を誰もいない数学準備室で過ごすのも、もはや習慣になっていた。
 準備室の窓際に置かれた坂本が持ち込んだ革張りのソファの上に座って、昼休み中に集めた材料を鞄から取り出す。
 国語準備室にある銀八自慢の菓子棚から拝借してきたラップフィルムの芯に、後輩の三郎から教えてもらって作ったスライドグラスでできた反射鏡もどきをその中に仕込んだ。具材はあのおはじきの他に、木島にもらったビーズ(アクセサリーを作ろうとして挫折したらしい)の中から、一粒一粒陽をかざしてなるべく光を透すものを選んで入れた。
 こうして身近な材料で作った万華鏡はあまり見栄えのよいものではなかったけれど、取りあえずは中身の確認だ。外装は後で考えることにすればいい。

 窓際に立ち、少し緊張しながら小さな穴を覗いた。
 目の前に広がるのは光を目指して突き抜けるシンメトリカルな世界。
 ゆっくりと筒を回せば、二度と戻れない景色がくるりと廻り。それは変わり続けることの永遠を色鮮やかに示してゆく。
 いつだったか坂本が舶来物だといって寄越してきたカレイドスコープに比べれば、その透明感も光箭の鋭さもやっぱり粗末なものだったけれど、ぼんやりと映るやわらかな光で彩られた百色の世界は、いつまでも見飽きることはなかった。

「万華鏡かの」
 懐かしいの、と突然降る声に後ろを向くと、そこにはこの部屋の主が立っていた。
「……おまえ、この時間は授業だろ」
「今日は、小テストをさせちょる」
「それなら、ちゃんと監視しとけよ」
「そうじゃのー。じゃが、カンニングは解答を見れば何となくわかるしええんじゃ」
 ふうん、そんなものか。それよりも今はさっきの景色の続きのほうがずっと気になったから、手元の筒に視線を戻した。
「それ自分で作ったんか?」
「ああ」
「綺麗に映ったか?」
「うん」
「ほうか。それはよかったの」
 なんとなくそのにっこりと笑うその顔を覘いてみたけれど、色眼鏡の奥の表情までは見てとる事はできなかった。
「ワシにもそれ見せてくれんかの」
 唐突に振るその要求に、思わず顔をしかめた。
「わし、今日、誕生日なんよ」
「ふうん」
「じゃから、それ、わしにくれんかの?」
 右手に握った紙筒を指し示し、相変わらず白々しいほどの莞爾を向けてきた。
 その取ってつけたような笑顔でどんなものも見事に奪い去るその狡猾さ。やっぱりおまえは変わっていないんだな。そして今度は餓鬼の玩具をも平気で掠め取るのか。
「……ばかにしやがって」
「ばかになんぞ、しとらんよ」
 思い通りになるのは癪だったから、こいつになんか渡してやるものかと思ったけど、よく考えたらそんなに必死になるほどの事でもないと気が付いた。
 手放してしまっても、もう一度作ればいいだけの話じゃないか。
 銀八の棚のラップフィルムはきっと明日にでも補充されているだろうし(紙筒が欲しいだけなのだから、別に職員室からファックスの芯を拝借してきたっていいのだ)、三郎もきっとまた嫌な顔一つせずスライドクラスを父親からもらってきてくれるだろう。木島にもらったビーズだってまだ沢山さんある。あのおはじきだけは同じものはきっと見つからないけれど、桂に頼んで別のものをもらえばいい。いや、拾った河原に案内してもらって探したっていいんだ。なんだかんだ云いながら桂もきっと探すのを手伝ってくれるはずだから。二人で探せばもっと綺麗なおはじきが手に入るかも知れない。
 だって、そうだろう。時間は、もう充分にあるのだから。

「仕方ねぇなぁ。じゃあ、やるよ」
 右手にすっぽりと収まった稚拙な宇宙を、彼に差し出しだした。
 それなのに。
 近づく手のひらは右手を通り越し、この肩を掻き抱くものだから。
 引き寄せられた衝撃で、手から離れた万華鏡はからころと床を転がってゆく。
「やっぱり、いらなかったんじゃねぇか」
「すまんの。本当は、おんしからの祝福が欲しかっただけなんよ」
 ばかじゃねぇの、とそう云えば。あははと笑ってみせるいつものやり取り。
 思わす漏れたため息の返事のかわりに、抱きしめられたその腕の馴染んだ感触。
 
 ああ、そうさ。悔しいけれどお前には昔からなに一つ敵わなかったよ。
 剣の腕も、奪い取る勇気も、喪う覚悟さえも。
 捨てられないものが多過ぎて、未練がましくしがみ続ける無様な俺を。
 それでもおまえはいつだって憐れむことはないんだな。

「誕生日おめでとう」
 軽く背伸びをしてその唇を追いかけた。
 そういえばおまえの誕生日なんて、今日初めて知ったなぁ。
 溺れる呼吸に僅かに目を開けその頭越しを覗いてみれば。もう手の届くことのない床には、いつかの宇宙誌が静かに拡がっていた。












思いっきり遅刻しましたが辰誕のお話です。
もっさん大好き!


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