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 モビーディックとかいう名前だったはずの白ひげの船は、確かにずいぶん大きかった。
 小船に一緒に乗った船員に手伝われて、俺はマルコをマルコの部屋らしいところへと運んだ。
 むしろ、抱きつかれて離れられない俺ごと運ばれた、というのが正しいのかもしれない。
 マルコを部屋に運んだ後、帰り方を面倒くさそうに説明した男性は、俺とマルコを残してさっさと引き上げていってしまった。
 二人部屋のようだが、マルコの相方の姿は無い。
 どちらがマルコのベッドか分からないが、とりあえずあまり物の乗っていないほうへと近づいた。

「っと、……あー……マルコ、離れてくれ」

「んー……」

 ベッドのそばでそう声を掛けて軽く腕を叩くと、小さく唸ったマルコは案外素直に俺から腕を離した。
 まったく引き剥がせなかった、あの苦労は一体なんだったのか。
 そのままベッドへ座り込み、ぱたりと倒れこんで寝息を立てはじめた彼へと、視線を向ける。
 確かに、そこで眠っているのはマルコだった。
 酒が入っているからか顔は少し赤くて、一緒に過ごした頃とは比べられないくらい体も大きくなっている。
 けれど確かにマルコだった。
 とりあえず、ベッドから足を投げ出しているマルコの体を少し押しやって、全身をベッドの上へ上げてやる。
 それすら簡単にはいかず、少し力が必要だった。

「……大きくなったんだなァ……」

 きちんとマルコをベッドへ上げた後、思わず、そんな風に呟いていた。
 たった一週間しか一緒にいなかったのに、まるで子供の成長を目の当たりにしてしまった親のような気持ちだ。
 今のマルコに足へしがみつかれたら、一歩だって歩けないに違いない。当然抱き上げたりだって出来ないし、初めて会ったときみたいに叩かれたら痛いではすまないかもしれない。
 細身で、けれどしっかりと筋肉の付いたマルコの体を見下ろして、そっと目を逸らした。
 女性の体より、こっちのほうがよっぽど目の毒だ。
 とりあえずいつも被っているんだろうタオルケットを広げて、俺は自分の視界からマルコの体を隠すことにした。
 ここの島はいわゆる春島という奴らしいから、タオルケットだけでも風邪を引いたりはしないだろう。
 タオルケットの下でもぞりと身じろいだマルコが、少し体を丸めてからまた寝息を零す。
 小さな頃と似たポーズで寝入っている彼に、何だか懐かしさを感じて、俺は小さく口元を笑ませた。
 頭を撫でようと手を伸ばして、それで起こすのも悪いかと思い直し、手を下ろす。
 会ってしまった。
 そんな風に思ってしまって、小さく息を吐いた。
 会いたくなかったわけじゃない。
 けれども、店長の店に来た面々にマルコの姿が無かったときに、ああ俺はマルコとは会わないのだ、と何となく思ってしまっていた。
 だからこそ、こうしてマルコの部屋にいることが、何だかおかしな気がする。
 嬉しいようなくすぐったいような、けれども怖いような感情の名前が分からずに、ふるりと首を横に振った。
 その際に視界を過ぎった青に、俺はそちらを見やった。
 ベッドの近くにある机に、いくつかのペンと一緒に、小さなコップがあった。
 少し褪せた青色のそれは、俺が買って与えた覚えのある、マルコのコップだった。
 その色の褪せ方に、俺が感じて居るよりも長い年月をマルコは経過してきたのだと改めて感じて、俺はそっと机へ近づく。

「やっぱり、マルコが持ってたのか」

 マルコが消えたあの日、一緒に無くなって、どこを探しても見つけられなかった青いコップ。
 俺がマルコの物を入れた衣装ケースと一緒にここへ来たように、やっぱりこれは、マルコが帰ったときに持ち帰っていたらしい。
 そうして、それをずっと持っていてくれたのだ。
 もともと、小さかったマルコに合わせて買ったものだ。
 大きくなったマルコには使いづらいだろうし、劣化したプラスチックは簡単に壊れてしまうだろうに、マルコはまだこれを持っていてくれた。
 もしかしたら、マルコも、俺の事を少しは覚えていてくれているのかもしれない。
 そんな風に思うと、何だか胸が温かくなったような気がした。
 懐かしいコップをひょいと持ち上げて、ふと、俺が書いてやったマルコの名前がかすれてほとんど消えてしまっているのに気付く。
 まぁ、長い間使われていたのなら当然だ。
 机の上に転がっているいくつかのペンの中にマジックのようなものがあるのを見つけて、それを手に取った。
 前に書いた自分の字をなぞるように、改めてコップにマルコの名前を書く。
 そういえば、この世界は話す言葉は日本語なのに、書き文字は英語だ。俺が名前を書いてやったとき、マルコは不思議そうな顔をしていた。
 英字にしてやったほうがいいんだろうか。
 少し考えたが、三文字の縦書きにした片仮名の横に英字を書くのはバランスが悪そうだと思って止めておく。
 改めてマルコの記名を終えたコップを元の位置において、ついでにマジックらしきペンもそばに置いた。
 マルコは深い眠りについているようで、まだ起きる気配はない。
 さて、明日も仕事だ。そろそろ俺も帰って眠らなくては。

「じゃあな、マルコ。元気でな」

 最後にそう言葉を落として、俺はそのまま船を降りるためにマルコの部屋を出て行った。






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