ホワイト・アウト
※惚れっぽかった主人公と同期で上司なスモーカーさん
※微妙に名無しモブ注意
「振られた……」
「またか」
ソファに座ったまま横で放たれた言葉に、スモーカーの口からは煙交じりのため息が漏れた。
またかってひどい、なんてぐずぐずと言葉を零しているのは、スモーカーの同期であり今は部下となったナマエと言う名の同輩だ。
ただの雑用係であった頃からの顔見知りで、スモーカーが怪訝そうに眉を寄せるほど初対面からなつっこく近寄ってきたナマエと親しくなり、酒を飲み交わすようになったのはもう随分と昔の事である。
その一番最初も、今と同じように暗い顔をしているナマエから話を聞くためで、そして彼が口から吐き出した台詞が同じなのだから、『またか』と呆れて何が悪いと言うのだろうか。
じろりとスモーカーが見やった先で、酒が入ったせいでか少し赤みのある目がスモーカーを見やり、情けない顔の男が情けない声を出す。
「今度こそ……今度こそ真実の愛だと思ったんだ」
「先々月にも聞いた台詞だな」
女々しい男へ言ってやりながら、スモーカーはその片手で酒瓶を掴まえた。
込み入った話なら人に聞かれない場所がいいだろうとスモーカーが提供した自宅の床やローテーブルの上には、ナマエと共に持ち込んだ酒瓶で溢れている。
海兵の中でもあまり酒に強くないナマエが飲むための弱い酒の横に並んでいるのは、スモーカーがその口を潤すための火酒だ。
それと同じ銘柄である手元の瓶の中身をグラスへ注ぎ、ついでにナマエが持っているグラスの中にも少しばかり垂らしてやると、元々入っている薄い酒の中でスモーカーの酒がとろりと渦を巻いたのがわずかに見えた。
強い酒を寄越されたのにも気付いていないのだろう、ありがとうと声を漏らした酔っ払いの両手が、そっと自分のグラスを掴み直す。
「それで、どこの女に振られたって?」
傍らに座る男へ尋ねると、スモーカーの言葉に答えるように、ナマエが女性の名前を口にした。
聞き覚えの無い名前にスモーカーが首を傾げると、それが分かったらしいナマエが口を動かす。
「ほら、この間から厨房に入るようになった、巨乳の」
「ん? …………ああ」
寄越された言葉にさらに記憶の中をさらい、そして弾き出された顔を思い浮かべたスモーカーが声を漏らす。
そういえば二週間ほど前、たまたま食堂で共に昼食をとることになったナマエが『可愛い』と言っていた女性であった気がする。
そして、ナマエと一緒では無かった日に、スモーカーにナマエのことを訊ねて来た彼女だ。
「……振られたのか?」
そこまで思い出して呟いたスモーカーに、だからそう言ってるだろとナマエが湿っぽい声を出す。
意味が分からず、スモーカーは更に首を傾げた。
さすがにそう言う機微には疎いスモーカーでも、彼女がナマエのことを訊ねてきたのは、彼女がナマエのことを気にしていたからだと言うことは分かる。
ナマエの名前を教え、ついでにどこの配属なのかを教えた時、ナマエの想い人であったらしい彼女は嬉しそうに笑っていたのだから間違いないだろう。
それならば、ナマエが彼女に告白をしたのなら、その恋は叶っているはずではないのだろうか。
不思議そうなスモーカーの横で、ナマエががくりと肩を落とす。
「『好きなのは私じゃないでしょう』って言われたんだ……」
「ああ?」
「『ずっと見てたから分かります』とか、『応援してますから』とか! 言われたんだよ!」
ぐっと拳を握り、そして大声でわめいたナマエに眉を寄せて、うるせェぞと唸ったスモーカーの掌がぱしりとその頭を叩いた。
痛いとそれに抗議をしながらも、グラスを落とさなかったナマエがスモーカーを見やる。
「どう思う!」
「おれが知るか」
酔っ払いの言葉に対して、スモーカーはその口から葉巻をつまんで放した。
その代わりに唇を押し付けたグラスの中から酒を飲み、食道を降りて胃を熱していくその強さに小さく息を吐く。
じわじわと酔いが回りつつあるスモーカーの横で、すでに酔っ払いであるナマエが口を動かした。
「俺がどれだけ必死にそれを否定してきたかも知らないでだな、そういうことを言っちゃったわけだよあの子は! 巨乳で天使だが酷い! 酷すぎる! そう思うだろ!」
「だから知らねェって……ん?」
涙すら貯めつつあるナマエの言葉に低く声を漏らし、その途中でふと気付いて言葉を止めたスモーカーは、葉巻を咥え直しながらナマエを見やった。
「なんだ、心当たりがあるのか」
『真実の愛』とやらの相手が指摘した『別の想い人』に思い当たる節があるのなら、今度はそちらへぶつかって行けばいいだけの話ではないだろうか。
スモーカーの知る限り、ナマエと言うのは恋多き男だった。
付き合おうが付き合うまいが基本的に相手に振られているが、振られた後に落ち込むことはあっても、相手の女性にしつこくすることはない。
しいて言うなら、落ち込んでいることに気付いたスモーカーが声を掛けた時に、こうして酒を飲みながらぐだぐだと泣き言を言う程度のことだ。
すぐに新たな恋を見つけるのだから、もうすでに『次』があるというのなら、こうして落ち込んでいる理由すら分からない。
そっちに行きゃあいいだろうが、と言葉を零したスモーカーに、出来るならそうしてるとナマエは返事をした。
その眉が寄せられて、わずかにうるんだ涙目が酔っぱらって赤らんだ顔の中からスモーカーを見つめている。
「恋に気付いて五秒で敗れた」
「そっちにも振られたのか」
「違う! 絶対に好きになってもらえないって分かってるんだ!」
拳を握って力説するナマエに、酒を片手にしたスモーカーが軽く瞬きをした。
少しばかり考えて、葉巻を吐き出すついでに質問を傍らへと放り投げる。
「……どっかの嫁か?」
「いや、嫁には行ってないと思う」
「特定の相手がいんのか」
「そういう話は聞いたことがない」
「それじゃあ、そいつが誰かに惚れてるのか?」
「……そうなのか?」
「おれが知るか」
最後の質問に質問を重ねられて、舌打ちを零したスモーカーの舌先が軽く葉巻を舐めた。
安定した収入が欲しかったと豪語して周囲に比べて非力な体で海兵になったナマエは、故郷を無くした移民だと聞いている。
上を目指す野心は無いが、穏やかな平和を求める正義をその心に持っていることをスモーカーは知っているし、スモーカーが耳にする限り、ナマエに対する悪い噂は殆ど無い。
しいて言うならその愛に生きる姿勢が節操無しだと言われることがあるくらいだが、スモーカーの知る限り、ナマエは既婚者や特定の相手がいれば告白することすらない、どちらかと言えば清い方向に頑なな貞操観念を抱いているのだ。
市民受けもいい方であるし、毎度振られているとは言っても、『そういった』関係になった相手だって片手では足りない。
そのナマエの考えから逸脱した相手では無さそうだというのに、何故ナマエは相手にぶつかる前からそれを諦めているのだろうか。
「……わかんねェな、どこのどいつだ?」
「…………いや、それは言えない」
答え合わせを求めたスモーカーに対して、ナマエが寄越したのはその返事だった。
それを聞いて眉を寄せつつ、もう少し考えてはみるものの、脳裏に浮かんだ女性の面々は、一度ナマエが告白し玉砕、または付き合ったのちに振られた相手ばかりだ。
正体の掴めないナマエの『想い人』にわずかな苛立ちを感じて、スモーカーの眉間に皺が寄る。
別に今更、ナマエが誰に惚れていようと気にすることではない筈なのに、それが気になってしまうのは、今までいつだってあけっぴろげに『誰それが好きだ』と言ってきたナマエが、今回に限ってそれを言わないからだろうか。
咥えていた葉巻を灰皿へ置き、グラスの中身を飲み干したスモーカーがそれをローテーブルへ置くと、ごとん、とそれなりに大きな音が立った。
「言えねェんなら訊かねェが、相手に問題が無ェんなら、さっさと告白してみりゃどうだ」
何のステップも踏まずにそうすれば振られるだけだろうが、思わずスモーカーの口からそんな言葉が転がり出る。
いやそれはちょっと、と声を漏らして、ナマエが自分のグラスの酒を舐めた。
「絶対振られるから、やだな」
「やってみなけりゃわかんねェだろうが」
言葉を放ちつつ、スモーカーの手が瓶を掴まえ、自分のグラスに酒を注ぐ。
先ほどより荒い動きのせいで跳ねた酒がわずかにテーブルへ零れたが、後で拭けばいいだけの話だと判断し、瓶を手放した手でグラスを掴み直した。
ソファに背中を預け、酒を飲むスモーカーの隣で、そうは言うけどな、とナマエが呟く。
その顔が少しばかり困ったようなものになり、それからその口を塞ぐようにグラスに唇を押し付けてじわじわと中身を飲み干したナマエは、混じった強い酒のせいでか先ほどよりも随分と酔っぱらった様子でスモーカーへ視線を向けた。
「振られたら、責任とってくれるか?」
「ああ?」
そうして寄越された情けなくもらしくない台詞に、スモーカーの口から低い声が漏れる。
振られればすっぱり相手を諦めて次なる愛を求めるはずのナマエは、だって、と見た目に似合わない子供のような言葉を吐いた。
「もしこの相手に振られたら、俺はもうこの海で生きていけないような気がするんだ」
「何だそりゃあ」
「いっそグランドラインとか目指すかもしれない」
この海賊がはびこる時代に聞き捨てならない台詞を聞いて、馬鹿か、とスモーカーが吐き捨てる。
人種の違いか、スモーカーから見ても明らかに、ナマエは弱い人間だった。
もちろん海兵として生きた時間も長く、それなりに戦えはする。
しかし、あまたの能力者達が行き交う偉大なる航路で生きていけるとは到底思えないし、その実力からしてナマエが異動願いを出したとしても今の支部より他へ行けるとも思えない。
スモーカーの考えを読んだように、もちろんその時は軍を辞めるよ、とナマエが言う。
生きる為に絶対あぶれない仕事を選んだと豪語したくせに、傷心すればそれすら捨てると言いきったナマエに、スモーカーはわずかに目を見開いた。
見つめた先のナマエはやはり酔っているようだが、その顔に嘘や冗談の類は見当たらない。酔いに任せての言葉ではあっても、つまりナマエの今の台詞は本心なのだ。
そこまで言うほどその『誰か』を好いているのかと考えてたところで、スモーカーの手元でわずかに小さな音が漏れた。
見やった先のグラスの縁にわずかなひびが入っていて、それに気付いたスモーカーの指が力を緩める。どうやら、知らないうちに力を入れてしまっていたらしい。
まだ頭ははっきりしているのだが、ひょっとするとスモーカーも酔いが回っているのかもしれない。
何か食い合わせや飲み合わせが悪かったのか、胸元にむかつきすら感じて、スモーカーの手がまだ酒の入っているグラスをテーブルへと避難させた。
「……仕方のねェ奴だ」
そうして唸り、先程灰皿へ放った葉巻を掴まえる。
まだ煙を零しているそれを口に咥えてから、スモーカーはその顔を改めてナマエへ向けた。
平穏を愛する甘っちょろい正義を抱えた海兵が、スモーカーの返事を待つようにその視線を注いでいる。
「分かった、おれが責任を取ってやらァ。明日にでも、とっとと当たって砕けてこい」
吐き出した煙と共に、ヤケ酒には付き合ってやる、と言葉を放てば、ナマエがわずかに目を丸くする。
そしてその顔が嬉しそうに笑顔を浮かべたのを見て、とりあえず今日は家から追い出してやろう、とスモーカーは心に決めた。何故なら、恐らくナマエは明日振られて、今日より長く酒を飲むであろうからだ。
しかし、今日はもう帰れ、とスモーカーが口を動かすより早く、グラスをテーブルへ置いたナマエの手がスモーカーの方へと伸びてきて、がしりとその両手がスモーカーの空いた右手を掴まえる。
ぐっと握り込んだその指先が熱いのは、ナマエが酔っぱらっているからだろう。
「ん?」
ぐい、とそのまま腕を引かれ、わずかにナマエの方へ体を傾けてスモーカーが声を漏らしたのと、その顔へ向けてナマエが言葉を紡いだのは同時だった。
「スモーカー、俺と結婚を前提に交際してくれ!」
「………………は」
「駄目なら、責任取って結婚してくれ!」
酒で赤らんだ顔に満面の笑みを浮かべたナマエの放った言葉が、スモーカーの鼓膜を震わせる。
退路を断たれたのだとスモーカーが気付いたのは、馬鹿なこと言ってんじゃねェと一発殴ってソファへ沈めたナマエに、酔った最中の台詞を盾にとられて翌朝もう一度迫られた時だった。
end
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