愛はあるのよ、愛は
※トリップ主人公とロメオ
頭がおかしいと思われるかもしれないが、俺はすぐに理解した。
ここは俺が今まで生きてきたのとは別の世界だ。
「んあ、大丈夫か?」
そんな風に言いながらこちらを覗き込んでいる男の顔を、ぼんやりと見上げる。
口の両端から牙が飛び出たとても恐ろしいその顔を、しかし俺はどうしてか知っているのだ。
つい昨日、コミックスを買って読んでいたのだから仕方ない。
コスプレか、と問いたいところだが、男のすぐ後ろで息絶えている巨大生物のおかげで、それも出来ない。
漂う血の香りも生臭い磯の匂いも本物で、そして男の後ろを見ていることに気付いたらしいそいつは、後ろを振り向きへははと笑った。
「おれっとこの船を襲うたァいい度胸だったが、まーだまだ根性が足りねェな!」
ぶん殴ってやったと発言する様子に、どうやらあの巨大生物はこの男が倒したらしいと把握する。
わけもわからぬまま海へ落ち、砂浜へ這い上がった俺の上に乗り上げようとしていたあの化物が、吹き飛ばされたのはほんのついさっきのことだった。
そしてそれをやったと言うのなら、目の前で笑っているこの男が俺の命の恩人であることには変わりない。
「……助けてくれて、ありがとう」
「ん? おお!」
とりあえず庇われるがまま砂に預けていた背中を起こして言葉を放つと、こちらを向いた男が軽く笑った。
どうってことないと言いながら身をかがめて来て、俺が立ち上がるのに手を貸そうとしてくれている。
それを無視してその顔へ向けて手を伸ばすと、一転して不思議そうな顔になった男が少しだけ身をかがめた。
「何だべ?」
問いかけるその声を放っておいて、鼻の真ん中に着けられている装飾品を掴まえて軽く引っ張ってみる。
「いっ!!!」
「……あ、ちゃんと鼻ピアスなのか……だっ!」
悲鳴を上げられてすぐに手を放したのに、目の前の男のふるった拳が俺の頭を強打した。
思い切り砂にぶつかってとても痛い。
「いってェ〜……! 何すんだべ!」
そう怒鳴る『バルトロメオ』は涙目だったが、泣きたいのは頭が埋まりかけている俺の方だと思う。
※
俺を助けてくれたバルトロメオは、わけもわからないまま無人島にいると言った俺をあっさり仲間に引き入れた。
本当にそれでいいのか不安だったが、あちこちの街を締め上げ裏稼業でも一つの組織を治めていたバルトロメオの懐は、案外深いらしい。
むしろ『海賊になるってェことだべ。ちゃんとわかってんのか?』と問われたが、海賊になるかのたれ死ぬかの選択肢だったなら、それはもちろん海賊になる方を選ぶに決まってる。
海賊稼業は初めてだと言うバルトロメオは、今は輝かしい『先輩』の経歴を辿り、グランドラインと呼ばれる偉大なる航路に向かっている途中だったらしい。
俺の知っている『バルトロメオ』は新世界までたどり着いているから、あまり心配していない。
そうして、俺がこの船のクルーになってもう数ヶ月が経つ。
「ナマエ、ナマエ、今日は宴だっぺ!」
どたどたと足音を鳴らしてやってきた相手に視線を向けると、倉庫整理をしていた俺の近くまでやってきたバルトロメオが、二番目にいい酒を出せと言っているところだった。
寄越された言葉に首を傾げて、それから膝の上に置いてあった帳簿をめくる。
「一昨日も宴だったのに、今日は何の宴ですか船長」
「今日はおれの誕生日だべ」
訊ねた俺の前で、むん、とバルトロメオが胸を張る。
何でそんなに偉そうなんだと思いつつも、なるほど、と俺は頷いた。
バルトクラブの中で一番の位置に座る船長の誕生日なら、宴をするのだって問題ないだろう。
その代わり次の島まで切り詰めて貰わないと干からびてしまいそうだが、その辺は他のクルー達と相談した方がいいかもしれない。
「おめでとうございます。それじゃあケーキとご馳走も必要ですね。でも、一番いい酒じゃなくていいんですか?」
「一番いい酒はルフィ先輩のお誕生日に飲むんだっつったべ!」
「ああ……」
そういえば買った時にそんな話をしていたような気がする、と思って頷くと、人の話はちゃんと聞いとけ、とバルトロメオの手が軽く俺の頭を叩いた。
暴力反対です、とそれに訴えつつ、とりあえず立ち上がる。
「それじゃあ、今日は宴と言うことで」
「だべ! ん!」
クルーに伝えますねと言葉を続けた俺の前で、頷いたバルトロメオの手がずいとこちらへ差し出された。
俺の頭を掴めそうな大きくて超人的な能力を放つその指を晒されて、軽く首を傾げる。
「……何ですか?」
何を求めているのかと問いかけると、目の前で手を降ろしたバルトロメオがおののいたようにのけぞった。
「ナマエ……お、お前……!」
「はい?」
「お前……おれにプレゼント用意してないのか……!?」
衝撃を受けたような顔でそんなことを言われて、あ、と声を漏らす。
俺のそれをどう受け取ったのか、子供が見上げたら泣きそうなその顔にわずかに涙を浮かべたバルトロメオが、酷いっぺ! と声を上げながら来た時と同じように走っていってしまった。
どたばたと響いて遠ざかっていく足音を聞きながら、しまった、と軽く頭を掻く。
「……欲しいのか、誕生日プレゼント」
俺が用意しなくても、クルーの誰かが用意していることは明白だ。
何せバルトロメオはこの船の船長で、グランドラインに入ると言う酔狂な彼について行くクルー達は当然バルトロメオに忠誠を誓っている。行くあてもなく打算でついてきた俺とは違うのだ。
大体俺はバルトロメオの誕生日だって知らなかったのに、誕生日プレゼントを用意していないと泣くだなんて、と軽く肩を竦めた。
「……仕方ないなァ」
呟いて、倉庫の端へ移動する。
白兵戦で役に立たない俺の主な仕事は、基本的に倉庫の整理や備品の管理だった。
だから殆ど自分の好きなように片付けてしまったこの倉庫の片隅には、こっそり置いてある俺の私物入れがある。
その中から、全部揃えたらバルトロメオにやろうと思ってとってあった、とても古い手配書を取り出す。
「……まあ、ルフィじゃないんだけど」
見下ろしたそれは、今はもう新しい写真に変わっている『悪魔の子』と呼ばれる彼女の手配書だった。
バルトロメオは新しいものしか持っていなかったから、この間の酒場で見かけた時に、レアかもしれないと思って貰ってきたのだ。
さびれた酒場にあったわりには痛んでいないそれを丁寧に丸めて、何かリボンでもあったかなと自分の荷物入れを覗いてみるものの、そんな可愛らしい私物は無い。
「んー……そのままでいいか……?」
片手で丸めた手配書を持ちながらそんなことを呟いたところで、どたばたと騒がしい足音が近づいてきた。
先ほど聞いたのと同じそれに視線を向ければ、俺の予想通りの相手が倉庫の扉を押しあけて、ナマエ! と人の名前を大声で叫ぶ。
「なんで追いかけてこないんだべ!」
「船長、面倒くさい」
拳を握って抗議する相手へ声を投げつつ、手元の手配書をぽいとバルトロメオへ向けて放り投げた。
放物線を描いて飛んできたものを頭で受け止めて、バルトロメオの手がぱしりとそれを掴まえる。
「何だべ?」
「それ、誕生日プレゼント。それじゃあ、俺はクルーに宴のこと伝えてきますね」
不思議そうにしているバルトロメオへそう言いながら、よいしょ、とバルトロメオの指定した『二番目にいい酒』の入った樽を一つ抱える。
残りの樽はまた後で運ぶことにして、倉庫から通路へ出た俺の足がそのまま甲板の方へ向けて進みだしたのと、手配書を検めたらしいバルトロメオがよく分からない雄叫びを倉庫で上げたのは殆ど同時だった。
ちょっと鼻をすすっている音がするのは、悪の組織を治めていたくせにかの船長殿が感動屋で涙もろいからだ。
「あーあ、全く」
多分また顔が涙やらでぐちゃぐちゃだろうから、タオルの一つでも用意しておいてやろう。
end
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