パンテラの確信 (1/3)
※アニマル転生主人公はなんちゃってユキヒョウ
※軽くグロテスク、残酷な表現があります
※オリキャラ(モブ)注意
俺の家族達ほど美しい獣を、俺は見たことがない。
うっすらと青みがかかった白と灰色の合間の毛皮には黒い斑が不規則に並び、しなやかな肢体をしっかりと覆っていた。
特に俺達の母親は、圧倒的な跳躍力を誇る四足や長い尾も優雅さを醸し出していて、獲物を狩るときはまるで絶対の強者のように力強く、そして俺や兄弟達を見下ろす眼差しは穏やかでどこか理知的だった。
ひょっとしたら俺と『同じ』なのではないかと、そんなことを考えてはいたが、俺の口は高い鳴き声を零すばかりだったし、彼女の鳴き声も兄弟達の鳴き声も意味合いを予想は出来てもそれを『言語』としては判別できなかったので、確かめる術はない。
多分彼女も俺達も『ユキヒョウ』なんだなと、そんな知識ばかりが俺の小さな頭の中を回っていた。
白っぽい毛皮についた斑点も鳴き声も、いつだったか動物園で見た相手に似ている。
けれども記憶の中のどれよりも、俺の母親は美しい。
真っ当な人間として生まれて生きていたはずの俺が、ひょんなことから得た第二の人生は肉食獣としての生涯だったらしい。
娯楽も無ければ文明の利器もなく、あたりは一面白い雪と岩や林ばかり。
もしも独りだったなら頭がおかしくなったかもしれないが、俺には俺を生んで育ててくれている母親や一緒に過ごす兄弟がいて、ちゃんとした『獣』になることができるようになった。
いつか独り立ちするとはしても、こんなにも美しい獣達の傍にいられて、もしかしたら同じような姿で生きていけるのかもしれないということは、ほんの小さな救いだった。
「……チッ! おい、毛皮は汚すなって言っただろうが!」
だが、俺の中の小さな救いは、今目の前で全て潰えた。
いつも通りの一日だったはずの今日、雪の中、不審なにおいを感じたのは俺の兄弟が先だった。
母親は狩りへ出ていて、二匹でそろって確かめに行った先で見つけたのは、不審な足跡だ。
止めようにも俺の言葉は通じず、俺の兄弟が先行して、そして俺とそう大きさの変わらない俺の兄弟が罠にかかった。
助けようにも助けられず、罠の解き方を確かめていたら俺も現れた人間によって捕まった。
戻ってきた俺達の母親は俺達を助けようとしてくれて、しかしまた目の前で捕らえられた。
そして、何人もの人間達がいた小屋のような場所へと連れてこられて、今俺の目の前でその頭が潰されたのだ。
「だってよォ、この野郎おれの腕を噛みやがった!」
「薬が効いてるって油断したほうが悪ィんだよ、どうするんだ、上玉だったってのに」
人間たちが言葉を交わす。
その鳴き声の意味が理解できるという事実が、胸糞悪くて仕方ない。
俺は小さな檻へと押し込まれていて、地獄のような光景を見ていることしかできなかった。
俺の兄弟はすでに殺されていて、物言わぬ兄弟の体からは皮が剥がれてしまっていた。
部屋には血の匂いが満ちている。知っている匂いの混じるそれは、間違いなく、今俺が天涯孤独の身の上となったという事実を示していた。
俺が今までで一番美しいと知っている母親の毛皮が、どんどん血が染みて汚れていく。
苛立った様子で俺の母親の死骸を蹴とばして、やっとけよ、と傍らの片腕を怪我した人間へ声を掛けた人間が、その視線をこちらへ向けた。
「仕方ねェな……こいつをそのまま回すか。小せェが、襟巻くらいにゃなるだろ」
言葉と共に近寄ってきた人間が、先に板のついた棒を檻へと押し込んだ。
ぐいと体を押され、慌てて逃れようと暴れても隙間が足りない。
焦って漏れた鳴き声は黙殺されて、檻の端へと押し付けられる恰好になってしまった俺の背中に、ちくり、と小さく痛みが走った。
その事実にびくりと体を震わせて、それから襲ってきた悪寒に体から力が抜ける。
ごる、と喉の奥で音が籠り、どくどくと心臓の音がうるさくなった。
小さく痛みの走った箇所から、痛みとしびれが体に広がっていくのを感じる。
そしてそれは、圧倒的に恐ろしい死の気配を持っていた。
「うまく打ったか?」
「ああ、こんなもんだろ」
俺を棒で押していた人間の言葉に、俺の後ろにいたらしい誰かが答えた。
ずるずると床へ転がる形になり、浅くなる息をどうにもできずに舌を出しながら、俺は視線をそちらへ向ける。
俺を見下ろして佇んでいる人間が、その手に何かを持っている。
薄暗い室内で灯りをはじくのが針先だと気付いて、背筋が冷たくなった。
俺は、何か薬を打たれたのか。
「毒で死んでりゃあ、無駄に暴れることもねェだろ。客間のお客人も満足ってもんだ」
「おい、死ぬまでちゃんと待ってろよ。『自分で剥ぎたい』なんて言っても、客に自己責任なんて言葉は通じねえんだから」
「違いねェ」
げらげらと笑う人間たちの声が、ひどく耳障りだ。
背中から伸びた痛みはしびれと共にどんどん体へと広がっていて、毒物が血管を通っていく様子がなんとなく頭に浮かんだ。
俺の口からはか細い鳴き声がこぼれて落ちて、横向きに転がった俺の眼に、今まさに皮を剥がれている頭のつぶれた母親と、首から下の皮を失った兄弟の姿が入り込む。
俺達が、何をしたというんだろう。
絶望と、苦しさと、悔しさと、いろんなものがないまぜになった思いのままにもう一度小さく鳴き声を零したところで、どこか遠くで物音がした。
「なんだ!?」
「おい、海賊だ!」
同じく遠くで人間たちが何かを怒鳴って、どたばたと暴れ出した。
血まみれの部屋から出て行ったようだが、身動きもとれない俺には関係のないことだ。
どんどん音が遠くなり、意識が遠のくのも感じる。
それでもどうにか意識をとどめようと努力しているのは、意識を手放せば最後、自分に待っているのが『死』だということが分かっていたからだった。
いっそ目を閉じてしまえば楽になれるのかもしれないが、それでも、自分から死のうなんて思えるはずもない。
そうして、檻の中に横たわり、どのくらい時間が経っただろうか。
ふいに、ふっと体からつらさが遠のいた。
そのことに気付き、ぴくりと体を揺らす。
気付けば俺の目の前に、人間が一人佇んでいた。
全員が出て行ったわけではなかったのか、なんて考えながら、ゆっくりと視線を上へと動かす。
俺を見下ろした人間は、先ほどまでこの部屋にいた連中とは少しばかり毛色が違うような気がした。嗅いだことのある筈の、しかし知らない匂いがしている。
あいつらの言っていた『ボス』だろうか、とその姿をぼんやりと見上げた先で、おい、と人間が声を落とす。
「全部抜いたつもりだが、まだ動けねェのか」
尋ねて寄越された言葉に、ぱち、と瞬きをする。
そんな俺の前で、人間が何かを持つように上向けていた片手を裏返し、そこにあったものがべちゃりと床へ落ちた。
つんと鼻を刺す香りは薬品のそれで、そのことに困惑しながら体を動かした俺は、自分の体に自由が戻っているという事実に気が付いた。
先ほどまであったしびれも痛みも、まるで感じられない。
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