Sei il mio dio
※主人公はトリップ主ではない
※虐待的な表現がありますので注意
※映画『GOLD』のネタバレもいろいろあります
悲鳴を上げることは許されなかった。
必死に耐えた自分の鼻をくすぐる肉の焦げた匂いに、自分がついに人間以下を表す焼き印を入れられたのだと思い知る。
痛みをこらえて歯を食いしばった口の中に血の味が広がったということばかりが鮮明だ。確か、その直前まで殴られていたからだった。
おれを買い取り玩具にして楽しんだ天竜人だとかいうド変態野郎の手元から逃げ出すことができたのはそれから何年も経ってからのことで、ひょっとしたら神様なんてものが本当に存在しているんじゃないかという幸運が折り重なった結果だった。
しかしながら、天翔ける竜の蹄なんていう馬鹿みたいな名前の焼き印を胸に記されたおれは、誰から見ても奴隷だった。
しかも『天竜人』の所有物ともなれば、誰だってかかわろうとするはずがない。
体力の持つ限り遠くまで逃げ出してももはや限界で、気持ち悪いくらい生温い空気の路地裏で雨に濡れながら転がっていたおれの視界に、ふと革靴が入り込む。
体に降り注いでいた雨がやみ、それに気付いて視線を動かしたおれは、自分を見下ろしている大きな男を見つけた。
顔立ちは、影になっていてよく分からない。
ただ、その左右の耳についた星の飾りが揺れて、光をはじいておれの目を突き刺した。
『死体かと思ったが、生きているのか』
落ちてきた声がそんな風に言葉を紡ぎ、動いた革靴がおれの体を軽く蹴とばす。
されるがままに体をごろりと転がしたおれは、仰向けになり、降参した犬のように腹を晒すことになった。
できる限り隠そうと努力していた胸の焼き印は、多分濡れたシャツが張り付いているので分かってしまうだろう。泥で汚れているから少しは分かりづらいかもしれないが、それでも見えないなんてことはありえない。
たまにおれを助けようとしては焼き印に気付いて逃げていく人間様のように、きっとおれを見下ろす相手もおれの焼き印を見て離れていくんだろうと、そう思った。
しかし、声も出せないままでじっと見上げていたおれのすぐそばで、ほう、と声が落ちる。
『面白いじゃないか』
何かを楽しむように、そんな言葉が落ちたのと共にその手が伸びてきて、大きなその右手の指の全てへ金の指輪がついているのに気が付いた。
きっととんでもない金持ちだ。
雨と光をはじくそれを見てそんなことを考えたその日、おれは一生分の幸運を使い果たしたんだと思う。
※
おれを拾い、そのまま連れて帰った大きな男は『ギルド・テゾーロ』と名乗った。
おれは『ナマエ』というらしい。
テゾーロがつけたそれは、頭がぼんやりして名前すら思い出せないおれが仮名としてもらった名前だった。
風呂に入れられて食事をもらい、犬のように食らったおれをテゾーロは蹴らなかった。
何かを品定めするようにこちらを見る目に身構えたけれども、おれの首には必死になって外してきた首輪が再びつけられることもない。
それどころか、どうやっておれが天竜人のもとから逃げたのかを聞きたがり、何度もその話をさせた。どうやら、おれの幸運に次ぐ幸運で作り上げられた脱出劇をいたくお気に召してくれたらしい。
最高のショーだったに違いないと、見たかったとまで言ってくれたテゾーロはきっと、おれを天竜人に引き渡すつもりはないんだろう。
テゾーロはおれを殴らなかったし、怒鳴らなかった。
だからこそ、連れて帰られて数日後、『ナマエ』という呼び名に慣れたおれの目の前に用意された道具に、とんでもなく裏切られた気持ちになった。
「……そ、それ……」
恐る恐ると声を漏らして凝視した先に、先が赤く焼けた大きな焼きごてがある。
わざわざ部屋へ運ばせたらしい大きな道具からは熱気が漂っていて、中に大量の炭がくべられているのが見えた。
今からどんな拷問を受けるのか、すぐさま想像してしまって逃げを打ったおれの方を見たテゾーロが、指から外した金色の指輪を一つこちらへと放り投げた。
小さな一つだったはずの輪が大きくひずみ、おれが逃れる暇を与えずにおれの体を拘束する。
両足を束ねるようにされたせいでバランスを崩して後ろへ転んでしまうと、さらにもう一つの金の指輪が放られて、それはおれの両腕を動かせないように体とひとまとめにしてしまった。
「テゾーロ!」
非難がましく叫んだはずの声が恐怖にひずんでいることは分かったが、涙をこぼしてもいられない。
必死になって暴れていたら、おれの腹へと重みが乗せられた。
ぐり、と押し付けられた慣れた感触が、靴底だというのはすぐにわかる。
真上にテゾーロがいて、その手には赤く焼けた焼きごてを持っていた。
悲鳴をあげそうになったおれを見下ろして、テゾーロの自由な手が人差し指を立ててテゾーロの唇の端へと当てられる。
「ナマエ、静かに、だ。何もひどいことをしようという訳じゃない」
寄越された言葉に、それがひどいことじゃなかったらなんだというんだ、となじりたい気持ちをどうにかこらえる。
『静かに』と言われてそれに従ってしまうのは、言うことを聞けば少しはましだという経験則によるものだ。
必死に歯を食いしばるおれを見下ろし、唇に笑みを浮かべたテゾーロが、おれの腹から足を退かした。
そのまま屈み込み、唇に当てていた手がおれの服を無理やり引っ張る。
テゾーロがおれにくれたシャツは前開きで、乱暴な動きにボタンがはじけ飛んだ。
そうして晒されるのは、おれを人間以下にした烙印だ。
そのことに眉を寄せたおれを見下ろして、テゾーロが唇を動かした。
「今から、これを消してやる」
囁くような言葉に、思わず目を見開く。
困惑をはっきりと示したおれを見て、テゾーロが真っ赤な焼きごてを軽く揺らした。
大きなそれの先端は、よく見ればテゾーロが耳に飾っているものと同じ形をしている。
「なァに、とても痛いだろうが、死にたいほどじゃない。そうだろう、ナマエ?」
「……テゾー、ロ」
「ただうるさいだけなものは嫌いでね、声をあげるなとは言わないが……そうだ、我慢できるなら、終わったら笑ってもいいぞ」
言葉と共にその手が動いて、熱気がおれの胸元へと近付いた。
じゅ、と聞こえた懐かしい音は、いつだったか聞いたものに似ている。
「い……っ」
思わず声をあげそうになって、必死になって口を閉じた。
肉の焼けるひどい匂いが鼻へ届き、緩んだ歯を再び食いしばったからか、どうやら口の中を噛んでしまったらしく、血の匂いがする。
それでまた記憶が刺激されて、初めて焼き印をされた時もそうだったことを思い出した。
熱い。
痛い。
冷や汗が吹き出し、苦しさがとんでもなくて身を捩り、そのたび抑え込むように焼きごてを強く押し付けられる。
時間はそれほどかからなかっただろうが、おれにはとてつもなく長く感じられた。
涙すらにじんだところで、ようやく胸への圧迫感が無くなる。
「……よし」
こんなものか、と落ちた声とともに拘束がほどかれて、おれは思わず自分の胸元を庇うように両腕を前に回して床の上に横向きになった。
いっそ両手で圧迫して痛みを紛らさせたいくらいだが、きっと触ればもっと痛いだろう。
じくじくと熱を宿すそこに必死に息を吐いて、それからそっと自分の胸元へ目をやる。
涙でにじむ視界に入り込んだそこには、ひりひりと赤く焼けた大きな星型が記されていた。
おれを人間以下たらしめた紋章は、星に飲まれて影も形も見当たらない。
「……あ……」
何か言葉を出そうとして、けれどもまるで絞り出せず、その代わりのように溢れたものがおれの視界を妨げる。
だらだらと情けなくこぼれた滴が目の間を通りながら伝い落ち、おれが転がる絨毯へと染み込んだ。
唇がわなないて、体が震えている。
そのまま横たわっていたおれの上へ、ナマエ、とテゾーロが声を落とした。
それを受けて涙のにじむ目を動かせば、おれを見下ろしたテゾーロが、いまだに赤い焼きごてを炭火の方へと戻したところだった。
それから軽く首を傾げて、いつの間に手元へ戻したのか、ほとんどの指に金の指輪を付けた両手が軽く広げられる。
「どうした? 笑っていいぞ」
声をあげなかったからな、と寄越された言葉に、ひぐ、と変な風に声が出る。
そうしてそれから、おれはわななく唇を無理やり引っ張って、笑顔のようなものを顔に浮かべた。
相変わらず涙はぼろぼろ零れて唇も震えていて、おれの今の顔は絶対に笑顔には見えないだろう。
だけど、仕方ない。
悲しいわけじゃないのだ。
ただ、涙が止まらないだけだ。
沸き立つような、身もだえるような、今の自分の身の内にある気持ちを言葉で記すなら、きっと笑顔こそが似合うものであるはずだ。
言い訳しようか考えあぐねたおれの傍で、よし、とテゾーロが軽く頷く。
どことなく満足そうなそれに、テゾーロが構わないならこれでいいか、とおれは判断して、そのまま変な顔をしていることにした。
おれが、恩人の大好きな『星』を胸に抱くようになったのは、その日からだった。
end
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