世界の正位置
※トリップ系主人公とホーキンス船長
「……ぅ……」
町中にいたはずなのに変な樹海に紛れ込んで、自販機もコンビニも無いそこを飲まず食わずで猛獣に怯えながら歩き続けて、三日目にもうだめだと地に伏して倒れ込んだところで、誰かに腕を踏まれた。
痛いと声を上げる元気も無かったものの、硬い靴底の感触に思わず顔を上げると、俺の腕を踏みつけたその誰かもこちらを見下ろしているところだった。
何処かで見たことのあるような顔をしているその人間が、ゆっくりと足を退かしながら草むらから這い出るようにして倒れている俺を眺めて、ふむ、と声を漏らす。
「遭難者か?」
問いかけに、はいと応えたくても声が出ない。
助けてほしい、せめて水を分けてほしい、そう思って俺が見つめても受け入れられることはなく、しげしげとこちらの顔を見つめたその人間は、それからどうしてかカードの束を取り出した。
長い指で巧みにその一束を混ぜ合わせて、丁寧に整えた後、それの一番上を引く。
「……ふむ、なるほど」
小さく声を漏らした男が、ちらりとその視線をこちらを向けた。
その手に持っているカードの絵柄がこちらへと向けられるが、ぼんやりとしか眺められない俺にはそのカードに書かれている文字が理解できない。
とりあえず、女の裸が描かれているのは分かった。タロットカードだろうか。
「正位置だ」
だから助けてやろう、と続いた言葉に、よく分からないが今、俺の命が占いに左右されたことだけは分かった。
※
俺が拾われることになったその男が、『バジル・ホーキンス』なんていう名前の漫画のキャラクターだと知ったのは、おどろおどろしい雰囲気の船に連れ帰られた後のことだ。
漫画の世界にいるなんて荒唐無稽な話だが、そうなってしまったものはどうしようもない。
数日間の療養を経て歩けるようになり、海賊と言えども困っている人間には優しいんだなと、漫画では読んだことの無かったホーキンスの善行に感謝の念を抱きながら『いつ船を降ろしてもらえるか』と打診した俺に寄越された通告は、『お前はすでにこの船の一員だ』という恐ろしいものだった。
「……え?」
「何だ、聞こえなかったのか?」
困惑する俺を見やって、どうやら日課らしいカードならべをしているホーキンスが、けだるげに長い髪を後ろへと払う。
「いや、でも、そんなこと言われても……」
確かに、一宿一飯以上の恩を返すべく船の雑用は率先してこなしているし、クルーとも少し仲良くなった気がするが、俺はただの一般人だ。
ホーキンス達には言っていないが、海賊どころかこの世界の住人でも無い。
どこから帰ればいいのかも分からないが、それでも帰る方法を捜す為には、いつまでも海賊船に厄介になっているわけにもいかない。
俺の方から視線を外して、ぺらりとまた一枚のカードを置いたホーキンスは、諦めろ、と端的に口にした。
「お前はこの船のクルーになった。異論は認めない」
「…………いや、人には職業選択の自由と言うものがあってですね……」
何を勝手に、と思って声を掛けてみても、ホーキンスの表情は変わらなかった。
もはやこちらに関心は無いとばかりにカードをめくるホーキンスに、ため息を零したくなるのをどうにか堪える。
数日この船に乗っていて分かったことだが、この船長は変わり者だ。
彼を慕ってついてきているクルー達は受け入れてしまっているらしいが、どうして物事を占いで決めるのかも全く理解できない。
そこまで考えてから、はた、と気付いて思わず口を動かした。
「……ひょっとして、俺がこの船を下りられないのは、その占いのせいですか?」
「いいや、おれが決めた」
もしもそうだったら今すぐその手元からカードを取り上げてやろうと思っての俺の問いに、しかしホーキンスははっきりとそう答えた。
思わず踏み出しかけていた足を止めて、そうですか、と小さく呟く。
「…………それじゃあ、せめて理由を教えてください。俺は全然役に立ってないと思いますし、乗せていたってお荷物ですよね?」
自虐的に聞こえるかもしれないが、俺の言葉は事実だ。
確かに雑用はさせて貰えているが、それだって本来なら別のクルーがやっていたような仕事なのだ。
操舵術なんてかけらも持っていないし、こんな大人数での集団生活なんて学生時代の合宿以来だ。あれこれと一から教えて貰っているし、その分クルー達には余計な手間を掛けさせていると思う。
正直言って、降ろしてもらった方が俺もクルー達も平穏だ。
それに、やっぱり海賊船と言うのが困る。
今のところ何もやったりはしていないようだが、俺が乗るこの船の長はあの『バジル・ホーキンス』で、漫画の中でも随分強かった海軍大将に喧嘩を売るような奴なのである。
助けて貰った恩義はあるが、一緒にいて面倒事に巻き込まれるのはいやだ。
俺の言葉にちらりとこちらを見やって、ホーキンスがその手元のカードを一枚つまみ、こちらへ向けた。
理由だ、と寄越された言葉に首を傾げて、とりあえずホーキンスへと近付く。
差し出されたカードを受け取りそれを見下ろしても、タロットカードなんて俺には意味が分からない。
しかしその絵柄にはどこかで見た覚えがあって、そういえば俺を拾うとホーキンスが決めた時のカードに似ている気がした。
くるくると羽衣みたいに布を巻き付けた裸の女性が描かれている。いやらしさを感じないのは宗教画じみているからだろうか。
「……で、これが何ですか?」
「見て分からないのか?」
ひとまずカードを返しながら尋ねると、俺からカードを受け取ったホーキンスが呆れたような声を出した。
占いはからっきしなもので、とそれに返事をしながら、今ホーキンスの手元に渡ったカードを見やる。
「何かそれ、意味があるんですか?」
英語で『世界』なんて書かれていたカードから、どうやって理由を察しろと言うんだろうか。
俺の命を助けてくれたカードに対して言いたくはないが、意味不明だ。
俺が発した言葉に、ホーキンスが手元のカードをテーブルへ並べた。
何かの意味を持って並んでいるらしいそれらを軽く指でなぞってから、じっとテーブルを眺めた後で、その目がもう一度こちらを見やる。
「お前がおれの恋人になると分かったから連れて帰った」
「…………は?」
そうして寄越されたその言葉は、やはり意味不明だった。
間抜けすぎる声を出した俺に、それだけだ、ときっぱりとホーキンスが言葉を紡ぐ。
何がそれだけなのか。色々と間が端折られている気がする。
俺もホーキンスも男なのに、どうしてその結果が出てきて、更にはそれを受け入れているのだろうか。
「…………あの、俺男ですが」
「知っている」
思わず呟いたが、ホーキンスの返事は端的なものだった。
かといって、目の前のホーキンスが女には見えないから、やはり俺と目の前の誰かさんは同性だ。
まさか、バジル・ホーキンスがそう言う趣味だったとは知らなかった。
一歩足を引いてしまったものの、ここで思い切り断ってしまって良いものだろうかと、余計なことを頭の端で考える。
まだ島は遠いらしく、見渡す限り何も無い。泳いで逃げることは不可能だ。
やるとは思えないが、機嫌を損ねて鮫や『海王類』の泳ぐ海原へ渡り板からダイブなんてする羽目になっても、運よく妖精の少年が助けに来てくれる筈もない。
「え、えーっと、えっと……」
ぐるぐると余計なことを考えて、どうしようもなくなった俺の口から出た結論は、『お友達からでお願いします』だった。
人間、混乱すると何を言うか分からない。
※
俺の困惑をよそに、恐ろしい発言をしたバジル・ホーキンスは、今までと何の態度も変わらなかった。
相変わらず船を下りることを許してはくれないし、島へ降りる時は監視のつもりか常に付きっきりの二人っきりだが、それ以外では不自由もない。
護身術も習って、船の仕事にもせいを出したからか体力もついた。
海戦や略奪の時は倉庫に放り込まれているが、多分何かあっても自分の身くらいは守れるようになっているんじゃないかと思う。
帰り道を捜すことは出来ないが、ひょっとすると思ったより海賊ライフというのは快適なのかもしれない。
そんな勘違いをし始めている自分を感じながらも、俺はいつもの通り船の雑用を一通りこなして、休憩を貰ったところだった。
「……ホーキンスさん、もう少し寝てた方がいいんじゃないですか」
隣で酒の匂いをまき散らしながら座り込んでいる誰かさんに言いつつ、口に咥えているスプーンを揺らす。
別に構わない、なんてことをホーキンスは言うが、どう見たってその顔は寝不足顔だ。
俺は基本的に恐ろしい肝臓を持つ海賊達の宴会には参加しないが、どうせまた明け方まで飲んでいたんだろう。食堂に使われている部屋を片付けるのが大変だった。
いっそ甲板で飲んでくれたら酒瓶も海に捨てるだけでいいのになと少しだけ考えて、いいやそんな環境破壊は駄目だと思い直す。見やった海原は真っ青で、俺が知る『日本』の海とはまるで違う。いくらグランドラインでも、この素晴らしい自然は大事にしなくちゃならないだろう。
「ナマエ、何を見ているんだ?」
「海は広いなァと思いまして」
寄越された問いかけに返事をしつつ、皿の中身をもう一回口へと運んだ。スープをライスにかけただけの賄だが、これはこれで旨い。
もぐもぐと口を動かしながら視線を向けると、ホーキンスがぼんやりとこっちを見ていた。
やっぱりその顔は眠そうで、口の中身を飲みこんでからスプーンを皿に放る。
「すごく眠そうですよ」
ただでさえ今日は快晴で、からっとした空気が辺りを満たしているのだ。
占いが好きで夜更かしが好きなホーキンスには全く似合わないし、さっさと部屋に戻ってあのちょっと変わったベッドで大人しく眠るべきだろう。
そう思っての俺の問いに、そう見えるか、と呟いたホーキンスが距離を詰めてくる。
思わず身を引こうとしたものの、座り込んでいるすぐそばにあった荷物箱が俺の進行を阻害して、結局俺の体はホーキンスと荷物に挟まれるような形になった。
ぐいぐいと体を押し付けてくる相手に困惑しながら、あの、と思わず声を漏らした俺の方に、改めてホーキンスがもたれかかってくる。今つめた距離を少し開いているのは、そうしないとうまくもたれられないからだろう。
酒の匂いが更に強く香って、ひょっとして頭から浴びたんじゃないかと思うほどだった。
しかし別に触れる髪も濡れてはいないので、俺にそう思わせるほど飲んだと言うだけのことだろう。つくづくこの人達の飲む量は恐ろしい。
じっとしていろ、と呟いたホーキンスが体の力を抜いたので、どうやら人にもたれたまま仮眠をとるつもりらしいと把握して、俺は眉を寄せた。
「……俺は午後も仕事があるんですが」
「安心しろ、そうだと思っておれが変更させておいた」
「またそんな……」
いくら船長とは言え、ホーキンスは我儘だ。
そしてそれを許したんだろうクルーを思うと、彼らの甘やかしがこのホーキンスを作り出したんじゃないかと思わずにはいられない。
しかし、ホーキンスの決定が通ったならば、それを覆すことなんて俺には不可能だった。
小さくため息を零して、仕方なくもたれかかりやすいように少しだけ体の向きを調節する。
俺が受け入れる体勢になったと気付いたのか、ホーキンスが更に体の力を抜いた。
のしかかってくる重みに、この人は俺と自分の体格差を把握しているんだろうかと少しだけ心配になりつつ、そういえば、と口を動かす。
「昨日は、何で飲んでたんですか」
先週の宴会は、海軍を退けたことに対する祝杯だった。
その前は七難八苦の上にようやく次の島にたどり着けたときで、その前はいい酒が入ったからだ。
物事の大小はあるが、何のきっかけも無く宴会をやることなんて無い筈で、しかしそういえば、俺は昨日の『宴会』のきっかけを知らない。
後で誰かクルーに聞けばいいんだろうが、何となく尋ねた俺に、ああ、とホーキンスが軽く口を動かした。
「明日がおれの誕生日だからな。その前祝いだ」
「へえ………………え?」
あっさりと寄越された言葉にこくりと一つ頷いて、それから思わずホーキンスの方へと顔を向け直す。
うるさいぞ、と呟くホーキンスはすでに目を閉じていて、どうやら本気で眠るつもりらしい。
いやしかし、今この人は何と言っただろうか。
「俺、そんなの知らなかったんですが」
「ああ、言っていなかったな」
思わず呟いた俺に、ホーキンスはあっさりと返事を寄越した。
いくら俺が宴会を断るからって、そんな仲間外れの仕方はないんじゃないだろうか。
この船の上にいることにも慣れてきて、クルー達やホーキンスを『仲間』として見ることだって増えて来たのに、これは寂しすぎる。
ひどい、と思わず呟いた俺に、何だ、とホーキンスが目を閉じたままで言葉を紡ぐ。
「プレゼントでもくれるつもりだったのか」
そしてそんな風に言葉を寄越されて、知らなかったのに用意なんて出来てないですよ、と言い返した。
明後日には次の島につくらしいから、何か買って来よう。
いや、どうせまたホーキンスはついてくるんだろうから、一緒に歩いて決めてもいいかもしれない。俺の携帯はとても高く売れたので、ベリーには少しばかりの余裕がある。
それでもあまり高いものは買えないけど、ホーキンスならやっぱり占い関係の物でも選ぶんだろうかと考え込んだ俺の肩を、ぐり、とホーキンスの頭が擦った。
目を閉じたまま人の肩に懐く相手にため息を零して、仕方なく口を動かす。
「……ちょっと遅れますけど、ちゃんと用意しますから」
少しスキンシップが多い気もするが、警戒するのも馬鹿らしいくらい、俺に対してのホーキンスは『普通』だった。
それこそ、あの時の『あれ』だって彼なりの冗談だったんじゃないかと思えてくるほどだ。
普通に会話をして、まるで友達みたいに軽口を叩いてくることもあるし、それに言い返して笑うことだってある。
それなりの友好関係を築いてきた相手に言うと、わかった、とホーキンスは素直に頷いた。
「あとで、お前が何を寄越すか占っておく」
「……結果を教えてくれたら、絶対違う物を用意しますけど」
楽しげに聞こえた言葉に返事をすると、なら教えないでおく、とさらに楽しそうな声がした。
それから改めて、寝る、と呟かれて、はいどうぞ、と傍らを明け渡し、まだ食べている途中だった昼食に手を伸ばす。
結局俺の肩が解放されたのは、それからおやつ時も過ぎた頃のことだった。
end
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