かくれおに
※ジャブラがバイオレンスにかわいそうなので注意。
「よくねてるなァ……」
シーツの上に横たわる男を見つめて、その短く小さい手をサイドテーブルの時計に触れさせたナマエは、かちりとそれのスイッチを押してアラームの設定を外した。
ルッチが手癖で設定したようだが、今日のルッチは一日休みだと言うことはすでにナマエも知っているのだ。
ルッチから見えやすいように時計を置き直して、よし、と頷いてからその足が寝室の出入り口へと向かう。
ルッチを起こさないよう、そろりそろりと足を動かして、できる限り静かに通路へ出たナマエは、更にできる限り静かに扉を閉じた。
「…………ふうっ」
かちり、ととても小さく音を立てて扉が閉じたのを確認してから、大きく息を吐く。
ルッチはあまり寝起きが良くないが、それでも扉続きの部屋や同じ部屋で過ごしていたら、ナマエが立てる物音でルッチを起こしてしまいかねない。
わざわざ休みの日に起こしてしまうのも可哀想だと言う小さな気遣いをしたナマエは、にんまり笑ってそのままその足をいつも食事をとるのに使っている部屋へと向けた。
部屋へ入ると、すでに朝食をとっていたルッチの同僚の何人かが扉のそばのナマエを見やり、その後ろに誰もいないのを確認して不思議そうな顔をする。
近付いてきた鼻の長いCP9が、ルッチはどうしたんじゃ、と端的にナマエへ尋ねた。
「寝てたからそのまんまにしてきた」
そちらへそう答えてから、ナマエはカクの横を通り抜けてソファへと向かった。
ふかふかのそれへ腰を下ろすと、隣に座っていたカリファが微笑みながらナマエのために紅茶を淹れてくれる。
差し出されたそれをナマエが受け取ったところで、そうか、と頷いたカクもソファへと戻ってきた。
開いている場所に腰を下ろした彼に、隣り合う形になったジャブラが少しばかり視線を向けて、すぐにその目を逸らす。
大してそちらを気にする様子もなく、カクがにまりと笑った。
「それじゃあナマエ、ルッチが起きてくるまでわしが遊んでやろう」
「え? いいよ」
何とも恩着せがましく発言したカクへ、ナマエはすぐさま言葉を投げる。
おれ勉強しないと、と言い放つナマエには、子供らしさのかけらもない。
それはナマエがこの世界へ『生まれ直した』存在で、つまりは中身がこの場の誰より年上になりつつあるからなのだが、ナマエがそれを口にしたことは無いので、この場の誰もそれを知らなかった。
「昨日までルッチといっしょににんむだったから、進んでないんだ」
以前ルッチに買い与えられたテキストを示して、ナマエはそう言った。
どう考えてもナマエと同じ年齢の子供がやるには難解なテキストなのだが、ルッチは随分と当然と言いたげな顔をしてそれをナマエへ与えるので、恐らくCP9はみなああいった教育を受けているのだろう。
既に『修行』から廃棄された身であるナマエに必要なのかは分からないが、やれ、と言ったルッチに正当な理由もなく逆らうのは恐ろしいので毎回きちんと終わらせている。
まだ締切日まで時間はあるが、ルッチが起きてきたら机に向かうのは難しくなるので、今のうちに少しでも進めておきたいとナマエは思っていた。
こういう時普通は『宿題』を出した方が教えたりするものだと思うのだが、ルッチは基本的に邪魔をするばかりである。
前はバインダーを使ってルッチの膝の上でテキストをやったりもしていたのだが、ナマエが熱中している時に暇になると、ルッチはナマエの『集中』している対象を奪い取りにくるのだ。恐らくそういう『習性』なのだろう。
ナマエの言葉を聞いて、なんじゃそんなもん、とカクが口を尖らせる。
「勉強ならわしが後で教えてやろう。なんなら手伝ってもやるわい」
「えー……」
そう寄越された言葉に、しかしナマエは不審そうな顔をしてカクを見やる。
信用しとらんのか、とそれを見返して心外そうな声を出したカクへ、できない、と少年ははっきりと答えた。
「前にそれで見すてられた」
あれは確か、ルッチがカリファと共に任務へと出ていた時のことだった。
ルッチに与えられたテキストをこなさねばならなかったナマエを遊びに誘ったカクは、あの時も今と同じ台詞を吐いていたのだ。
そしてカクの誘った遊びが終わった頃、急な任務が入ったと言ってさっさとエニエス・ロビーを出て行った。
後に残されたナマエが、一人で机に向かい、難解な英語で記されたテキストを前にうんうん唸りながらペンを握りしめていたのは言うまでもないことだ。
それほど遠くない日である思い出を口にしたナマエに、む、と覚えていたらしいカクが口を閉じる。
その隣でぎゃははは! とジャブラがやかましく笑い声をあげて、すぐに横からうるさいわい! と怒鳴られていた。
むうと頬すらふくらましたカクからじっと視線を注がれ、ナマエは少しばかり身を引く。
CP9という恐るべき集団の一人でありながら、ナマエの正面から視線を注いでくるカクの目はぱっちりとつぶらで、そして何か妙な圧迫感をナマエへと与えていた。
「いやほんとに、おれ勉強しなきゃで……」
それから逃れようと口を動かしたものの、更にじっと視線を注がれて、ナマエは最後まで言えずに口を閉じる。
何故なら、つぶらなカクの瞳に、悲しげな色までが宿ってしまったからだ。
ほんきで遊びたいのかCP9が、と尋ねたくなったものの、そこでそうだと頷かれてしまったらどうしようかと背中に汗をかいたナマエの肩を、ぽん、と傍らからカリファが叩く。
ナマエがその顔をカリファへ向けると、優しげに微笑んだ彼女が困ったような声を出して囁いた。
「ナマエ、諦めて付き合ってあげて」
「………………」
中身はとにかく、年下であるはずの子供にそんな譲歩を求めるのはいかがなものだろうか。
少しばかりそんなことを考えてから、ルッチがいないときはテキストに付き合ってあげるから、と落とされたカリファの言葉に後押しをされる形になって、仕方なくナマエが頷く。
「…………わかった。でも、あぶないあそびはおれできないよ?」
ぽつりと落ちた少年の言葉に、正面のソファに座っているカクの顔がぱあっと輝いた。
ガキかお前はと傍らでジャブラが呆れた声を出していたが、全くナマエも同意見だった。
※
何とも可愛らしいことに、カクが提案した『遊び』は『かくれんぼ』だった。
鬼を決めて物陰に隠れ、制限時間内に見つかるかどうかを競うというものだ。
さすがにCP9は気配を絶つのもすさまじく、ナマエが鬼になるのは三回に一回というハンデを貰ったものの、ナマエはずいぶんと見つかりまくっていた。
それが、昼食時間を過ぎた頃、制限時間ぎりぎりになっても鬼が近くにやってこない。
おかしいと思って隠れ場所から通路へ出たナマエは、同じように異変を感じて出てきたらしいカリファとカクと遭遇して、鬼のジャブラを探して通路を歩いた。
そして『手掛かり』を見つけてそれを辿って行った結果、辿り着いたのが長官室だ。
三人で顔を見合わせてこっそりと室内をのぞき込んだ後、三人そろって深刻な顔をした。
「………………ルッチがおるぞ」
「いつの間に起きたのかしら」
「もう少しねてるとおもったんだけどな……」
呟く三人の視線を受け止めているのは、長官室のソファにどかりと座ったCP9最強の男だった。
何とも酷くとげとげしい雰囲気を醸し出した彼の足元には、本来ならナマエたちを探し回っていただろうジャブラの姿がある。
獣化しているので、恐らく一戦交えたのだろう。長官室の床がべっこりとへこんでいて、そこでぐったりとのびている。
通常通り執務机に向かって座っているスパンダムは、ちらちらルッチのことを気にしつつ、その手に書類を持ってジャブラのことは見えないふりをしているようだ。
「ルッチがこわい……」
「すでに人の一人二人殺してきたような雰囲気をしとるのう」
不機嫌極まりないルッチを観察して、カクがそんな的確かどうかも分からない言葉を述べる。
そうねとそれに頷いて、カリファが軽くため息を零した。
「ジャブラったら……ここまで引きずってこられたのかしら」
落ちた言葉に、そうかも、と応えつつナマエはちらりと床を見やった。
ナマエやカク達をここまで導いた『手掛かり』が、なんとも痛々しい傷跡を通路に刻んでいる。
恐らくジャブラの爪によってつけられたのだろうそれは結構な距離で、修繕するのが大変そうじゃのうとカクがどうでもよさそうに言葉を零した。
「残念じゃが、遊びは終いじゃのう」
「そうみたいね」
やれやれとため息を吐いた二人に、そうだよな、とナマエも頷く。
一緒に遊んでいた仲間がああなっているのだから、遊びを続行などできる筈もないだろう。
「ジャブラを医務室につれてくのがさきだもんな」
何ともまっとうなことを言い放ち、ルッチを刺激せずどうやってジャブラをつれだそうかと考え始めたナマエの上で、あら、とカリファが声を漏らす。
「ナマエには、それより先にやってもらうことがあるわ」
「え?」
寄越された唐突な言葉に、ナマエは思わず上を仰いだ。
至極当然というような顔をして、カリファとカクがナマエを見下ろしている。
「あれをどうにかしてくるんじゃ」
「は?」
あれ、と言いつつ室内を指差したカクに、間抜けな声を漏らしながらナマエはその目を室内へと向けた。
そうしてそこにいる『人を一人二人殺してきたような』ルッチに、すぐさまその顔と体の向きをカリファとカクの方へと戻す。
「ルッチものすごく機嫌わるいよ? おれいっても何にもできなくない?」
今は室内に背中を向けていてナマエには見えないが、その足元に横たわるジャブラの様子からも分かる通り、ルッチの機嫌はすこぶる悪い。
さすがに子供相手に暴力をふるってくるとは思えないが、舌打ちをされたりどこかへいけと言われるのが関の山だろう。
ルッチの機嫌がよくなる方法など、ナマエは殆ど知らないのだ。
だというのに、困惑するナマエをよそに、大丈夫じゃナマエなら、とカクが何とも無責任な言葉を落とし、頑張ってね、とカリファが何とも優しげな微笑みを浮かべる。
えええ、と小さく声を漏らしたナマエの肩にカクの手が触れて、とん、と後ろへと押される。
無理やり室内へと追いやられて、わ、と小さく声を漏らしながら後ろ向きにたたらを踏んだナマエは、真後ろにあった何かに背中を支えられてその動きを止めた。
あれ、と目を瞬かせてから、その視線が真上を見上げる。
そうやって見やった先にあったのは、自分を見下ろすCP9最強の男の顔だった。
「…………ルッチ」
「どこへ行っていた」
低い声を落としながら、伸びてきたルッチの手ががしりとナマエの服を掴み、ひょいと上へと持ち上げる。
首が締まると慌てて自分の襟あたりを捕まえて気道を確保してから、カク達と遊んでた、とナマエは正直に言葉を落とした。
ほう、と声を漏らして、ルッチの視線がちらりと長官室の出入り口を見やる。
それにつられてそちらを見やったナマエは、そこが無人になっていることに気付いて衝撃を受けた。
カクとカリファの姿がどこにもない。
「……にげたのか……」
何とも世知辛い世の中である。
ため息を零したナマエを連れて、行くぞ、と声を漏らしたルッチがナマエの体を抱え直す。
ぶら下げられる恰好から片腕で抱き上げられる恰好になったナマエは、ルッチの肩越しに見えた怯えた顔のスパンダムに軽く手を振って、むくりと起き上がった仏頂面のジャブラにぱちりと目を瞬かせた。
あちこちぼろぼろだが、あっさりと人の姿に戻ってうんざりとした顔をしているジャブラは、どうやらのびたふりをしていただけだったらしい。
驚くナマエへ、しっしと獣を追い払うように手を振って見せたジャブラの姿が、通路に出たルッチが勢いよく閉じた扉によって遮られる。
ぱちぱちと瞬きをしている間に通路を歩き始められて、とりあえずジャブラは無事らしい、とナマエは把握した。
あの分なら、カクやカリファが戻ってこなくても、一人で医務室にも行けるだろう。
よかった、と息を吐いてから、その意識が自分を抱き上げる男へと戻された。
「ルッチ、どこいくんだ?」
床に刻まれたジャブラの爪痕を踏みつけて歩くルッチの腕の中で、ナマエがすぐそばにある顔を見やって尋ねる。
部屋だ、と端的に答えて、じろりとその目がナマエを見やった。
「おれの許可なく部屋を出るな」
「それナンキンっていうんだぜ」
何とも横暴な発言に、とりあえずナマエはそう非難する。
ルッチがいないときの部屋は静かで暇なんだぞと訴えると、テキストでもやっていろ、という返事が寄越された。
「置いていった分は終わったのか」
そんな風に言葉を重ねられて、う、とナマエが言葉に詰まる。
ナマエの表情に答えを見たらしく、眉間に皺を寄せたルッチは、さっさとやれ、と言葉を吐いた。
そのままゆらゆらとナマエを揺らして歩くルッチの肩口にしがみ付いて、何でそんなにおこってるんだよ、とナマエが呟く。
確かに渡されたテキストはまだ終わっていないが、締切日はまだまだ先である筈だ。
その間に何をするもナマエの自由であるし、それになにより、ルッチはナマエが『テキストを終えていない』と分かる前から機嫌が悪い。
「おれが目覚ましとめたからか? だって、今日はいちにち休みなんだろ、ゆっくりねてていいのに」
CP9の任務が、決して簡単なものでは無いことをナマエは知っている。
だからこそ、休みで早く起きる必要も理由もないルッチがベッドの上でぐっすり眠っていられるよう、気を使ってこっそりと離れたと言うのに、これでは本末転倒である。
うーん、と軽く首を傾げてから、先ほどのルッチの言葉を反芻したナマエは、あれ、と思い至って口を動かした。
「ルッチ、もしかしてさびしかった?」
『おれの許可なく部屋を出るな』ということは、つまり起きた時近くに居てほしかったと言うことだろうか。
CP9最強を謳う男にも可愛らしい部分があったものである。
それなら、物音をたてないように大人しく、隣の部屋にいてやったほうが良かったのかもしれない。
小さな体でそんなことを考えたナマエの体が、ふいにぎゅうと締め付けられる。
「う……! ル……ルッチ、痛い痛い痛い」
簡単に人を殺せる片腕がぎゅうと締め上げてくるのにぎしぎしと骨を軋ませて、ナマエは慌てて目の前の肩を叩いて加害者へ訴えた。
それを受けて、小さく舌打ちをしたルッチの腕がゆるりと緩む。
危うく中身が出るところだった口から大きく息を吐いて、何するんだよもう、とルッチを非難したナマエの顎が目の前の肩口に乗せられた。
恐らくジャブラを捕獲したあたりだろう、随分と壁に傷のある曲がり角を曲がって、ルッチの足先がまっすぐに私室へと向かっている。
この分だと本当に部屋に戻ることになりそうだと気が付いて、なあルッチ、とナマエは口を動かした。
「部屋に戻るよりさ、ルッチも一緒にかくれんぼしよう」
「ガキのお遊びには興味が無い」
遊びに誘ったナマエへ向けて、ルッチがせせら笑う。
そうは言うけどなかなかもりあがるんだよ、とそれへ答えて、ナマエは少しルッチから体を離した。
背中を支える大きな掌に体重を預けて、そのままルッチの顔を見やる。
「カクとかカリファとかジャブラとか、なかなか見つからないんだ」
ナマエが鬼の時は随分と手加減をしているようだったが、六式使い達のかくれんぼはもはや児戯の領域を超越していたのではないだろうか。
もしかしたらルッチだってかんたんには見つけられないかも、と言い放ったナマエへ、ぴくりと反応を示したルッチの視線が向けられる。
「そんなわけがあるか」
どうやら興味を示したらしいと気が付いて、ナマエはじっとその顔を見つめた。
「そう言うけど、やってみたらむずかしいってこともあるだろ?」
挑発するように言葉を放ったナマエに対して、わずかにルッチの目が眇められる。
その足がぴたりと止まって、どうしたのかとナマエが目を丸くしたところでルッチの体が反転した。
「ルッチ?」
「いいだろう、おれの実力を見せてやる」
きっぱりと言い放ったルッチの足が、来た道を戻るために動き出す。
わかりやすいナマエからの誘いに乗ってくれた男に、ぐらぐら揺れる体を目の前の肩にしがみ付くことで支えたナマエが楽しげに笑う。
ルッチは怖いし強いし時々意味が分からないが、ナマエがこの世界で一番親密にしている相手は彼だった。
『かくれんぼ』などただの子供の遊びではあるが、ルッチが参加するというのなら、先ほどよりさらに楽しく遊べるだろう。
「ルッチもいっしょにやるんなら、さっきよりもっと楽しいな、きっと」
そう思ったから口を動かしたナマエを抱えて、ふん、とルッチが鼻で笑った。
余談ではあるが、ナマエ以外の参加者達は、鬼になったルッチに気配無く背後へ忍び寄られた時、それぞれが死を覚悟したと言う話である。
end
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