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茶化し上手
※『月明のしずく』の続き
※転生トリップ特典『超怪力』
※主人公は魚人



 目が覚めてすぐに、サッチは自分が『失敗した』ということを思い出した。
 見上げた天井と漂う消毒液の匂いで、自分がどこにいるのかを正確に把握する。
 もぞりと身じろぎ、痛んだ腹に顔をしかめつつゆっくりと起き上がったところで、まるで狙いすましたかのように扉が開かれた。

「やァっと起きたかよい」

 ため息交じりに言葉を寄越されて、よォ、となじみの顔へ挨拶を向ける。
 そのままサッチがちらりと壁掛けのカレンダーを見やると、『三日だ』と部屋に入ってきた相手が言葉を投げた。
 『三日』と言うそれが、サッチの問いたいことの答えだとするならば、とんでもない時間である。
 見下ろした自分の四肢がちゃんとそろっていることを確認して、サッチの手が軽く腹を押さえる。
 鈍くじんわりと痛む腹部は、触れた感触からして包帯が巻かれているようだ。
 それを確認して手を離し、いつもはきちんと整えている髪を無造作に後ろへ掻き上げてから、サッチの口がため息を零した。

「ドジっちまったなァ」

「そんだけで済んでよかったと思えよい」

 サッチへ言葉を放ち、ベッドの傍に用意されていたのだろう靴を足先でサッチの方へ寄せてから、見舞い人であるはずのサッチの『兄弟』は、くい、と顎で部屋の扉の向こうを示した。

「あのまんまじゃァかびちまう、何とかしろよい」

 冗談の入り混じった言葉が示す意味を把握して、わかったよ、とサッチは頷いた。







 『白ひげ』と言う名の海賊が乗るモビーディック号は、四皇を狙った身の程知らずに襲われることがある。
 そうやって起きた三日前の海戦で、サッチがドジを踏んだと把握したのは、敵船に深く踏み込みすぎたときだった。
 案外いい攻撃をする剣士に剣をへし折られながらも勝利して、さっさと戻るかとため息を零したところで、多数の攻撃に耐えられず崩壊した大型船の柱が、サッチへ向けて倒れ込んできたのだ。

『サッチ!』

 慌てて逃げようにも崩壊しかけた足場が悪く、これはしまったと冷や汗を零したサッチが、足場の板で出来た壁を突き破るようにして海へ向かって吹き飛ばされたのは、その名を呼ぶ声が聞こえたのとほとんど同時だった。
 とんでもない力で押しやられたせいか、壁を破ったせいで背中と腹のあたりがひどく痛み、ついで海へ叩き落されたことで軟弱なことに気を失ってしまった。
 けれども、ほんの一瞬見えた『相手』が誰だったのかを、サッチはちゃんと覚えている。

「ナマエ」

 だからこそその名前を呼んで、サッチは『兄弟』いわくのかびそうなあたりを覗き込んだ。
 モビーディック号の端の端、魚人のクルー達が時折出入りに使うこともある船倉の隅には、わずかに海水を引き込んだ場所と、きちんと閉ざされた『海への出入り口』がある。
 そして、薄暗い部屋にわずかな水音を響かせるそのくぼみの傍らに座っていた男が、ぴくりと体を揺らした。
 それから恐る恐る、と振り向いた男に、よォ、とサッチは笑みを向けた。

「サ、サッチ……」

「なーにしてんだ、こんなとこで」

 名を呼んできた相手へそう尋ねながら、サッチの足がナマエと呼んだ男の傍らに近づく。
 ナマエはそこから逃げようとしたが、その体が少しばかりモビーディック号の壁に触れたことで、ぴたりと硬直したようにその動きを止めた。
 それを逃さずサッチが傍へ座り込んでしまえば、ナマエはもう、身動きの一つも取れない。
 サッチより大柄である傍らの男は、魚人だった。
 その力は人間の男どころか、恐らくは通常の魚人よりも強く、そして当人にあまり加減が出来ていない。

「大丈夫か……?」

 恐る恐ると言った風に言葉を寄越しつつ、ナマエの目がちらりとサッチの腹部を見やった。
 清潔な服に着替え、きちんと髪も整えてきたサッチはいつもと変わらないはずだが、サッチ自身もそしてナマエも、その怪我が服の下に隠れていることをちゃんと知っている。

「まー、ちっとばかし怪我もしちまったけど、大したことねェよ。助けてくれてありがとな、ナマエ」

 『人間嫌い』なのだと思っていた『兄弟』が、実はむしろ人間が好きで、大事な『家族』を傷つけたくないからこそ近寄らないのだと知ったのは暫く前のことだ。

『サッチ!』

 サッチの名を呼び、そしてサッチを船の外まで弾き飛ばしたナマエは恐らく、あの時サッチを助けるつもりだった。
 ただ、サッチの知る魚人の中でも随一の怪力を持つせいで、うっかりその加減を間違えてしまったのだろう。
 そして多分、そのせいで落ち込んでいる。

「お前があんときいなけりゃ、もっととんでもない怪我してただろ」

 サッチの積極的な行動の賜物か、最近は時々『人間』の『家族』にも近寄るようになっていたというのに、サッチが目覚めなかったこの三日ほどを『一人』でこの船倉で過ごしているらしいというのだから相当だ。
 落ち込むなよ、と言葉を向けて軽くサッチが相手へ触れると、ナマエはびくりと体を揺らした。
 わずかにひんやりとした肌がサッチの手から逃れ、ナマエがとても困った顔をする。

「……危ないから、触らないでくれ」

 そうして寄越された言葉は、いつだったか夜の海の上で聞いたものに似ていた。
 しかしサッチは、相手を見上げて口を動かす。

「やだね」

 そうしてついでにもう一度手を動かしてぺちぺちとわざとらしくナマエに触れると、ナマエがむずがる子供のように体を揺らした。
 派手に動けないのは、すぐそばにモビーディック号の内と海を分ける壁があるからだ。
 モビーディック号もやわなつくりはしていないが、ナマエの力ではどうなるかもわからない。丈夫なボートを壊しかけたのは、つい先日の話だ。

「サッチ」

「おれはおれの好きなようにすんだよ」

 非難の響きを声に含めたナマエへ告げて、サッチの手がするりとナマエの体を辿る。
 魚人らしくたくましい腕に触れ、それからするすると滑った掌でナマエの手をつかまえると、ナマエの腕がまるで彫像のように強張った。
 ほんの少しでも動くまいとしているそれに笑って、サッチの指がわずかにざらつく魚人の手の甲を撫でる。

「ここ触っても、別に平気だろ」

「そりゃあ……」

「こことかも、ほら」

 言葉と共に掌の内側へ指を動かすと、ナマエはますます困った顔をした。
 サッチがナマエへ積極的に接触したり、触らせたりするたびにやるのと同じ顔だ。
 ただ今日はそれに、わずかな怯えが見え隠れしている。
 サッチの体からは消毒液の匂いがしていて、人間より感覚の鋭敏な魚人であるナマエも、それを感じ取っていることだろう。
 それが故のことなのだと分かるから、作り物のように動かない、わずかに温かい掌を指でくすぐるように触ってから、はは、とサッチは笑い声を零した。

「三日で動けるようになってんだ、お前の『怪力』も大したことねェな」

 思い切り板を割りながら吹き飛ばされたせいで少々体は痛んだが、骨には少々ひびが入ったくらいで、折れてもいないらしい。
 そのくせ三日も眠り続けていたのは、最近寝るのが遅かったせいだろう。
 何せもうじき、ナマエや数人のクルー達が『白ひげ海賊団』へ入った日付なのだ。
 大事な宴を控えては、料理の担当としてあれこれと用意をしないわけにもいかない。
 相変わらず困り顔のナマエを見やり、サッチは笑って言葉を紡いだ。

「あのくれェじゃ死なねェの」

「……三日も意識不明だったくせに、何を」

「あれはちーっと疲れてただけだって。マルコにも、サボってんじゃねェって怒られたしな」

 先ほど医務室で寄越された言葉を思い出し、サッチはそんな風に言葉を放つ。
 その目がふと、ナマエが首から下げているものへと留まり、そうしてその口元へ優しげな笑みが浮かんだ。
 小さなその巾着の中身は、壊れた貝細工だ。
 ナマエが初めて壊した『大事なもの』だったということは、この間本人の口からきいている。
 傍らの男が、自分の失敗にしょげている小さな子供のようにすら思えて、ナマエの手から離れたサッチの片手が、ばしばしと自分より大きな背中を叩いた。
 少々の衝撃が腹に響いたが、痛いと騒ぐほどでもない。

「あれっぽっちじゃ壊れねえよ。そんなにしょげんなって」

「…………けどな」

「ん〜? 詫びになんでも言うこときくってェ?」

 反論を寄越そうとする相手にわざとそんな言葉を放つと、数秒を置いてため息を零したナマエが、その体からわずかに力を抜いた。
 詫びはする、なんでも言ってくれととんでもなく男前で気前のいい発言をした相手に、馬鹿だなとサッチが笑う。
 そんな発言をしては、サッチにいいようにされてしまうということくらい、いい加減理解してもよさそうなものだ。

「それじゃああれだ、おれの怪我が治ったら一回ぎゅっと抱きしめてもらおうじゃねェか。ちゃんと加減しろよな」

「…………勘弁してくれ」

「だァめ。もう決めた。なんでも言えっつったお前が悪い」

 笑って言葉を述べたサッチへ向けて、ナマエが何とも哀れっぽい目線を向けてくる。
 しかしサッチの決定は覆らず、一週間ほどのちに白昼堂々男を抱きしめることを強いられたナマエは、ちゃんと力加減を覚えてきたようだった。



end


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