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迷える羊
※無知識転生トリップ系主人公はサカズキが分からない



 俺には、同期であるマグマ人間のことが理解できない。

「サカズキ、飯行こう、飯」

 ひょいと執務室へ足を踏み込んで声を掛けると、椅子に座り執務机に座った男がじろりとこちらを睨みつけた。

「舐めた口をききよるのォ」

 放った言葉と共にぽこりと小さく音がして、それから物の焦げる匂いがする。
 サカズキの仕事量に合わせて配備されている副官たちが慌てだしたので、俺はさっと目の前の相手へ敬礼した。

「失礼致しました、サカズキ大将。昼食をご一緒させていただけませんでしょうか」

 俺よりいくつか階級が上の海兵は、俺の言葉にふんと鼻を鳴らした。
 しかしそれでも、その手がペンを片付け始める。
 書類も重ねておいて立ち上がった男が視線を寄こしたので、俺は額に当てていた手を下した。
 ぴんと背中を伸ばしたまま先に執務室を出て扉を支えると、のそりと動き出した相手が執務机を離れる。
 副官に二時間後の時刻を短く告げて、数人の副官から揃って敬礼で見送られて出てきた海軍大将が通路へ足を踏みだして、それを見送ってから俺は扉を閉じた。

「大将、昼食のメニューについては、何かご希望がございますか? 肉、魚、野菜とそれからカレーがありますが」

「まだそのふざけた口調がつづいちょるのか」

「いやお前、自分がさせといてそれはないだろ」

 舌打ち交じりに寄こされた批判に、俺は少しばかり呆れた顔をした。
 それからすぐ隣に並んで見上げると、海軍大将らしい鋭い眼差しがこちらを見下ろす。
 赤いスーツに真っ白なコート、襟ぐりから刺青を晒して頭に軍帽を乗せた傍らの男は、この海軍て大将なんて肩書きを持っている人間だ。
 サカズキと言う名の彼は、少し年齢は年上だが、俺の同期だった。
 一緒に入隊して、気付けばどんどん出世して、少し見ない間に海軍大将となっていた。
 海軍本部に異動して最初の任務がこの男が率いる隊への同行で、そこでの働きを買われたのかそれとも元からそう言う予定だったのか、俺は赤犬直属の部隊に配備されている。
 それならそれでいいかと適当に納得した。海軍にいる以上働かなくてはならないし、俺はどうやら『ここ』では丈夫な部類のようなのだ。

「部下の前でふざけた口を叩きよる方が悪いんじゃろうが」

「俺だって部下のはずなんだけどなァ、サカズキ大将」

 どしどし歩きながら落ちた言葉に言い返す。
 縦社会の海軍で、肩書も上の相手にこんな口を叩くのはどうかとも思うのだが、再会して最初の挨拶の時に変な顔をした『赤犬殿』が、あとから俺に要求してきたことだ。
 それなりに年も近く、新兵だった頃のお互いを知っている。
 そんな相手に目上として扱われるのが嫌だと言われて、他の同期達はどうなんだよとうっかり尋ね損ねた。
 俺が見ている限り、サカズキにこういう口を利くのは今の同僚たちと海軍元帥、それからガープ中将、教官くらいだ。そこに俺を並べていいものなのか、とても気になる。
 しかしまあ、マグマ人間を怒らせたら火傷ですまないことは間違いないし、俺自身もいやではないからこのままだ。

「肉、魚、野菜は知っちょるが、カレーは曜日がズレとらんか」

「カレーの場合は俺の手作りだなァ。昨日作り過ぎたのを鍋ごと連れてきたんで」

「…………選択の余地がありゃせん気がするが、わしの気のせいか?」

「サカズキがカレーの口じゃないんなら、あれはそのまま持って帰って夕飯にするよ」

 鍋ごとだが一応冷蔵庫に入れてあるし、米も手配してある。カレーについては通りすがりの氷結人間に冷凍もしてもらったので、昨日のカレーだが保存状態は問題ない。
 海軍最高戦力を便利に使うもんだねと呆れられたが、自分を『最高戦力』と自負するのはどうかと思う。多分そうだとは思うけれども。
 俺の言葉に、こちらをじろりと見やったサカズキがため息を漏らす。

「おどれ、わしが断らんとわかってて言っちょるな」

「うーん、正直、断らないんじゃないかなとは思った」

 だってサカズキはカレーが好きだもんな、と言って笑うと、照れたのかサカズキの目がこちらから逸らされた。

『うまいな、サカズキ!』

『…………ん』

 新兵の頃、食事メニューがカレーだと二人で喜んだもんだ。
 まあ大体どんな料理でも食べられるが、カレーは殆ど外れが無い。
 匂いが減退した食欲ですらも刺激するし、何より量が食べられる。
 自炊するようになってからは俺も色々と拘っているので、サカズキにも満足してもらえる味になったはずだ。

「ま、いいだろ。美味しいぞ、俺のカレーは」

「うぬぼれちょるのォ」

「鍋の中身食いつくす勢いで食べても大丈夫だからな。たくさんおかわりしてくれよ」

 にっこり笑ってそう言うと、ふん、とサカズキがまた鼻で笑った。
 そうして辿り着いた休憩室で、俺が振舞ったカレーを食べる海軍大将と来たら、相変わらずの仏頂面だ。
 しかし、カレー鍋は中身がすっかり空になったので、お眼鏡に叶ったのは間違いないだろう。







 ごう、と空を飛ぶ赤黒い塊を覚えている。
 空気を裂く熱源と、上がった野太い悲鳴、人や大地の焦げる匂い。
 まるで映画の中のような現実は、目の前で大量の人間が死んだということを俺へと教えた。
 武器を捨て、両手を上げ、命乞いした海賊達の全てが。

『なんであんなことしたんだ!? あいつら、降伏してただろ!』

 掴みかかった相手は俺より体格が大きくて、その腕はつい先ほどまでまるで太陽のように赤く燃えていた。
 掴みかかった俺の腕に触れた肌はまだ熱くて、火傷しそうなそれに少し顔を顰める。
 それでもその服を手放さないでいると、こちらを見下ろした相手が、どことなく怪訝そうにその目を眇めた。

『何故?』

 愚かな子供を眺めるように、その目が俺を下に見る。

『海の屑に、生き場所なんぞ必要ない』

 常識を説くようなその声は、大きくも小さくも無かったのに、今でも鮮明に耳へと残っている。
 俺には、サカズキが理解できない。







 カレー鍋はきちんと洗って、持ち帰る仕度をした。
 きちんと本日の仕事も終わったし、あとは帰るだけのことだ。
 スーツ姿の海軍将校が大きなカレー鍋を抱えて帰るというのは少し異様かもしれないが、朝だって似たような格好で出勤したのだから問題ない。
 そもそも残業もしっかりとやってしまった本日、時刻は夕食時を過ぎ、人目にだってそれほどつかないだろう。

「久しぶりにこんな時間になったなァ」

 しみじみ呟きつつ、ひとまずはとカレー鍋を抱え直す。
 海軍本部の中にはいつだって人の気配があるが、このくらいの時刻になるとそれだってさすがに疎らだ。
 家まで運びましょうかと言ってくれる部下もいたが、自分の昼食の片づけに部下を使うなんてパワーハラスメントもいいところである。丁重に断り、残業を許さず帰らせたのだが、自分の方がうっかり残業をしてしまった。

「どっかで食べてくには邪魔だな」

 鍋を抱えて飲み屋に入ったらさすがに変だよなと胸のうちで呟きつつ、ひとまずはと通路を歩く。
 家に帰って何か作るのはこの時間だと少し面倒だから、鍋を置いたら近所に出かけるのがいいかもしれない。
 そうしよう、なんて一人で納得して足を動かしたところで、俺はふと前方にある人影に気が付いた。

「あれ? サカズキ?」

 海軍本部から外へ出るための通路の奥、出入り口付近に佇んでいる圧力のあるその男は、誰がどう見ても海軍大将サカズキだった。
 コートを羽織って赤いスーツを着込み、頭には帽子まで乗っている。
 昼間に見たのと何にも変わらない相手に、首を傾げつつ近寄った。

「何してるんだサカズキ? 待ち合わせか? そんなところにいたら人の邪魔だぞ?」

「邪魔はしちょらん」

 俺の言葉に、隙間が空いているだろうとサカズキが反論してくる。
 しかし、いくら壁際に立っているとはいえ、サカズキは海軍大将だ。彼自身にどうしようもない威圧感があるし、新兵では隣を通るにも勇気がいるだろう。
 出入り口に佇む海軍大将なんて、もうそれだけで怖い。

「なんの見張りをしてるんだ?」

 手伝おうか、なんて尋ねつつ見上げると、サカズキが組んでいた腕を解いた。
 その目が改めてこちらを見下ろして、もう終わった、なんてことを言う。
 どうやら、サカズキの任務は終了時間があったらしい。さきほど見たばかりの時計は八時を回っていたから、交替時間でも来たんだろうか。

「黄猿殿か青雉殿と交替か?」

 尋ねつつ周囲をきょろりと見回すが、そこにサカズキより大きいサカズキの同僚の姿は見当たらない。
 いや、とそれへ返事をしてから、サカズキがこちらへと手を伸ばしてきた。
 その手がそのままがしりと俺の抱える鍋を捕まえたので、奪われそうになって慌てて鍋を抱え直す。

「もう中身は無いって」

「知っちょる。よくもまァ、こがいにでかい鍋を持ち込んだもんじゃあ」

 空の鍋を奪おうとしながら落ちた言葉に、そりゃサカズキの分も作ったからな! と声を上げた。
 そのまま身を捩って鍋からその手を振り払い、取られないように持ち直す。

「ちゃんと自分が運べるぎりぎりの大きさにしたんだよ。朝より今の方が軽いけどな」

 朝は中身が入っていたので、それはもう重かった。
 それでもカレーを本部まで持ち込んだのは、作ったらこの海軍大将のことを思い出したからだ。
 俺が持ち込んだカレーをすっかり腹に収めてくれた海兵が、俺の言葉に眉も動かさずにその手を下す。

「今日はそのまま帰りよるんか」

「ん? うん、まあ」

 そこから唐突に話を変えられて、俺は戸惑いつつも素直に頷いた。

「ほうなら、飯も今からか」

「夕飯? まあ、今日は遅くなったから、いったん帰ってからどこかに食べに行こうかと思ってるけど」

「帰りに適当な店にでも寄りゃあえいじゃろうが」

「鍋持って?」

 さすがに恥ずかしいだろと俺が笑うと、そがいなもんを持ち込んだ方が悪い、とサカズキが唸る。
 別に怒っているわけでもないだろうに、話し方や声の調子が怒っているように聞こえるから、サカズキは損だ。

「しょうのない奴じゃのォ」

 そんなことを考えていたら、そう言ったサカズキがこちらへ背中を向けた。
 白いコートの上で正義を揺らしながら、出口から出て一歩、二歩と進んだ男が、そこで立ち止まってこちらを見る。

「何をしちょる」

 はよ来んか、と続いた言葉に、え、と思わず声が漏れた。

「ついて来いって時はちゃんと言えよ」

 まるで当然のように歩き出していった相手へ言い返しつつ、とりあえず後を追うように外へ出る。
 サカズキが二歩の距離を四歩かかってしまって、何となく悔しい気もする。

「察しの悪い奴じゃあ」

 やれやれと言わんばかりに言葉を落とされて、察してちゃんは良くないぞ、とそれを批判する。
 けれども意に介した様子もなく、サカズキはまたそのまま歩き出した。
 今度はその後を俺もついていく。
 隣に並べないのは、そんな風に言い放つサカズキが、行き先を開示しないからだ。

「どこ行くんだ?」

「ついて来ちょれば分かる。黙ってついて来い」

 尋ねてもそんな回答で、勝手な奴だなァと俺は少しばかりため息をついた。
 思えば、俺が赤犬直属の部隊に配属された時も突然だった気がする。
 別に断って帰ってもいいのかもしれないが、まあいいかと、俺はそのままサカズキを追いかけた。
 ちらちらと視界の端で、サカズキが背負う正義が揺れている。
 汚れのない白いコートに刻まれたそれを見るたび俺が思い出すのは、『サカズキ』と言う名の人間を始めて直視した、あの日のことだった。
 俺は、サカズキの過去なんて知らない。
 だからサカズキが海賊をどうしてそんなに嫌うのかも知らないし、いくら嫌いでもどうしてあそこまで憎めるのかも分からない。躊躇いもなく人間を焼き尽くすその心も、時には海兵にすらも向かうその苛立ちも。
 俺にはサカズキが理解できない。

『うまいな、サカズキ!』

『…………ん』

 けれどそれでも、目の前を歩く情け容赦ない海軍大将は、間違いなく俺の大事な友人だった。
 相手だってきっと、ほんの少しくらいは、そう思ってくれているはずだ。

「どこか行くにしても、どうせなら俺の家にも寄ってくれよ。鍋置いていきたいからさ」

「…………黙ってついて来いと言うちょろうが」

 背中へ向けて声を掛けたら、舌打ち交じりにそんな返事が寄こされた。
 俺がただの新兵だったら震えあがって口を閉じただろうなと思いつつ、気にせずいくつか話しかけながら歩むサカズキのあとをついていく。
 たどり着いたのは海軍大将赤犬の私邸で、何とも恐れ多いことに、俺はその日、サカズキの手料理を夕食として振舞われた。
 昼のカレーの礼のつもりなんだとしたら、サカズキはなんとも律儀な奴だった。



end


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