キニーネ
※捏造に次ぐ捏造
※うっすらと主人公死にネタ
※少年ドレーク→主人公
真っ白な雪が、あたり一面に広がっている。
ぎし、と足元で音が鳴り、ドレークはゆるりと息を吐いた。
白い息がその唇から漏れて、目の前の空気へと混ざって消えていく。
ドレークの父が率いるバレルズ海賊団の塒は、ミニオン島とよばれる白い島にある。
ゴーストタウンと化したアジトにはそれなりの海賊たちがいるが、夕暮れを過ぎて夜も近い時刻に外をうろつく人間は、見張りを覗けばそうはいない。
見渡す限りどこまでも真っ白な島は、海に囲まれた孤島だ。
X・バレルズの所有する船以外に、自由な船すら一隻もない。
「…………」
ぼんやりと彼方を眺めてから、ドレークの目がそっと自分の足元へと向けられた。
今もなおちらちらと降り積もる雪が、ドレークの足元をわずかに埋もれさせている。
見下ろした自分の足は、今塒で大酒を食らって笑っているだろう『父』を慕って駆け寄っていたあの頃よりも、随分と大きくなったように感じた。
父親が海軍を裏切り、ドレークが悪魔の実を食らい、そうして父親の手駒として連れて行かれてからも、ドレークはずっと父のことを慕ってきた。
どんな目に遭わされたとしても、捨てられたくないと、ずっとそう思ってきた。
それがどこかおかしなことなのではないかと気付いたのは、つい最近のことだ。
ドレークの中の一等大事な場所が、『父』からよそに奪われてしまったのが、そのきっかけであった気もする。
「ドリィ」
さく、と後ろで足音がしたのと同時に声を掛けられて、ドレークはゆるりと後ろを振り向いた。
声の主はドレークの様子を眺めて、はは、と小さく笑い声を零す。
さらに数歩近寄った相手の手がひょいと伸ばされて、ドレークの頭へと軽く触れた。
「雪積もってるぞ」
こんなに寒いのに何してるんだ、なんて言いながら、男の指がドレークの髪から雪を払い落とす。
寄越された言葉に今さらしみいる寒さを自覚して、ドレークはふるりと体を震わせた。
ドレークが今着ている服は、数年前に父親がドレークへと買い与えたものだった。
小さな頃は十分温かかったそれも、何年も着ているうちに丈が足りなくなってくる。それに古びているせいか、あまり防寒具の意味が無くなっていた。
それでもないよりましだと着込んだそれの袖を軽く引っ張ったドレークを見て、仕方ないな、と笑った男がするりと自分の着ていた上着を脱いだ。
「ほら」
まだ体温の残る温かいそれをはおらされて、ドレークが目を丸くする。
困惑をその顔に宿したドレークをよそに、さっさとドレークに袖を通させた男は、そのまま着込ませたジャケットの前を閉じてしまった。
最後にドレークの頭にフードまでかぶらせて、それから一歩引いてドレークの姿を眺める。
「……うん、なかなか似合うじゃないか」
満足そうな顔でそう言われて、驚いて固まっていたドレークは、慌てて上着の前へ手をやった。
「あの、別におれは」
「あーこらこら、せっかく着せたのに脱ごうとするなよ」
ボタンをはずそうとする動きを、伸びてきた手が押しとどめる。
ドレークが本気を出せば振り払えそうな強さで抑えられて、けれども振り払えなかったドレークは、眉を寄せて目の前の男を見た。
「……ナマエさん」
困り顔で名前を呼ぶと、はは、とナマエと呼ばれた男が笑う。
笑い声は白く凍って空気へ散り、冷えた空気を吸い込んでしまったからか、寒いな、と呟いた男の体がふるりと震えた。
「いいから貰っとけって。そろそろ新しいのを買おうと思ってたんだ。捨てるのももったいないからな」
それからそんな風に紡いだナマエの言葉がまるで真実でないことを、ドレークは知っている。
何故ならナマエが今ドレークへ着せたこのジャケットは、つい先週、新調したばかりのものなのだ。
今のような嘘を、ナマエはよく口にする。
かつては正義の味方だったはずなのに、簡単に嘘を吐いて、ドレークに優しくする。
それが何故かということを、ドレークは恐らくしっかりと理解していた。
ドレークが、X・バレルズと呼ばれる海軍将校だった男の息子だからだ。
「……別に、今くれなくたって」
ぽつりと呟きながら、ドレークは少しだけ俯いた。
ドレークの体には少し余る上着からは、ナマエの匂いと、それからわずかにドレークの父親が好む煙草の匂いがする。
そのことをわずかに悔しく思うのは、ナマエがドレークの父親を慕っていることを知っているからだった。
ナマエが一番傍にいようとするのは、いつだってX・バレルズの傍だ。
ドレークの中の一番はいつの間にか父からナマエにすり替わってしまったのに、ナマエにとってはそうではなかった。
ドレークの欲しいものは、決してドレークの手の上には落ちてこない。
そのことを噛みしめたドレークの傍で、そういうなよ、とナマエが穏やかに言葉を零す。
「多分、今日じゃなきゃ、もう渡せないんだ」
「え?」
そうして放たれた静かな言葉に、ドレークは戸惑い目を瞬かせた。
思わず顔をあげたドレークを見つめて、ナマエが穏やかな微笑みを浮かべる。
いつも通りであるはずのそれは、しかしどこかいつも通りではない気がして、ドレークは何かが自分を焦らせたのを感じた。
けれども、それが何なのかが分からない。
「……ナマエさん……?」
「……いろいろ、試したんだけどなァ」
やっぱり駄目みたいでな、とナマエが訳の分からないことを口にする。
「塒を変えたほうが良いという提案も聞いてくれないし、強行しようにもそんなことすりゃあ殺されるだけだろうし」
「あの」
「連中の目を逸らす努力をしてもみたが、まあ、無理だろうな。頑張ってはみるけど」
しみじみそんなことを言い放つナマエの言葉が、理解できない。
もう一度目を瞬かせたドレークの前で、ナマエはその笑みを深くした。
「けど、ま、あの人は俺の命の恩人だから」
いつだったか、どうして父に従うのかと尋ねたドレークへ答えたのと同じ言葉を紡いで、ナマエが白い息に言葉を混ぜる。
「あの人の役に立てるなら、まあいいさ」
まるで何かを諦めるような、あっさりとしたその言葉は、ドレークの胸の内を突き刺した。
ナマエは、ドレークの父親がかつて海軍将校だった頃、彼の副官だった男だ。
ドレークの父に従ってともに海軍を裏切り、今もなおその片腕として生きている。
二人の間にどんなことがあったのかを、ドレークは知らない。
ドレークから見て、今の父親はどう考えても『正義の味方』ではないのに、それでも捨てられたくないドレークと同じように、ナマエもまた盲目的にかの『海賊』に付き従う。
ドレークの父親は、ナマエにとってはどんなものよりも一番であるはずだ。そこにドレークは割り込めないし、とってかわることだってできない。
分かっているのに、込みあがる気持ちを押さえられずに握りしめたドレークの拳は、長い袖に半分が隠れてしまった。
ドレークの仕草に気付いた様子もなく、不意に吹き抜けた風に、ナマエはふるりと身を震わせる。
「……うう……やっぱり寒いな! 中で温まってくることにするよ。ついでにバレルズさんに酌でもしてくるかな」
「あ……はい」
薄着のままで言葉を放たれて、ドレークは頷く。
見張り頑張れよ、と言葉を放ったナマエの手が、フードごしにがしがしとドレークの頭を撫でた。
「腹が減ったら、ポケットの中身でも食べな」
言いながら手を離されて、思わずドレークの手がずれかけたフードを押さえる。
その様子にまた笑って、ひらりと手を振ったナマエは、そのまま建物の方へと歩いて行ってしまった。
雪をきしませて歩いていくその背中を見送って、建物の中に彼が入るのを見届けてから、ドレークの手がそっと自分の頭から降ろされる。
そしてそれから、彼の言葉が示す箇所を探して、ごそごそとジャケットのポケットを探った。
両側についているポケットのうちの片方が、がさりと紙のこすれる音を立てる。
手を入れて入っていたものを抓みだすと、小さなキャンディが現れた。
いつだったか『おやつだ』と言って振る舞われたことを思い出し、わずかに口元をほころばせたドレークの手が、包みの中身を口の中へと放る。
甘味がじわりと舌の上に転がって、それに息を吐きつつ包みをポケットへと押し込んだところで、他にも何かが入っていることに気が付いた。
「ん?」
声を漏らしながら、入っていたものを掴みだす。
そして出てきたものを手の上で広げて、ドレークは思わず目を見開いた。
「…………え……?」
いまだ父に敵わない掌の上には、わずかに曲がった小さなメモ用紙が乗っている。
ドレークを困惑したのは、小さなその紙切れに、文字が記されていたからだった。
『逃げていい』
短いその一文の意味が分からず、困惑したドレークに、わずかな違和感が過る。
耳鳴りでもしそうなそれに周囲を見回したドレークは、あたりが静かすぎるということに気が付いた。
雪深いミニオン島はもともと静かな場所だが、それにしたって静かすぎる。
自分の呼吸すら、どうしてか聞こえない。
異常な事態に足が動いたが、雪を踏む音も漏れなかった。
そうして、意味が分からず周囲を注意深く見回したドレークの視界の端で、屋敷の一角が音もなく爆発する。
火の手が上がり、積もって広がる白い雪に彩を落とした。
「…………!」
一体、何が起こったのか。
どちらにしても恐るべき事態だ。敵襲だろうか。最近父親が海軍と取引しようとしていたことは、ドレークも知っている。その類の敵か。
いつものドレークだったなら、すぐさまその場から駆けだして、父親のもとへと馳せ参じたところだろう。
けれどもドレークの足を止めたのは、その手が握りしめた小さなメモだった。
『逃げていい』
まるでドレークを許すかのように記されたそれが、誰の字なのかはわかりきったことだ。
けれども、あのナマエが、こんなことをするとは思えない。
そして、この事態が起こることをナマエが予想していたのだとすれば、ドレークが助けに行っても、ナマエはついてきてくれない。
『あの人の役に立てるなら、まあいいさ』
ナマエが誰を選んだのかは、問わなくたって知っている。
「……っ!」
潤みかけた目を強く閉じ、それからすぐに開いたドレークは、がり、と口の中の飴をかみ砕いた。
先ほどまで甘ったるかったはずの口の中が苦くてたまらず、不愉快なそれをすぐに飲み下す。
息を吐き、大きく吸い込んだドレークは、それからくるりと建物に背中を向けた。
そしてそのまま、父の仲間達が騒ぐのを放って走り出す。
『ドリィ』と呼びつける声にも振り返らず走り続け、その日海軍に保護された『少年』の手元に残ったのは、真新しいジャケット一着だけだった。
end
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