おにごっこの始まり
※『第一印象から決めていました』の続き
※主人公にトリップ特典(若さの秘訣)
俺はかなり、運が悪い。
見知らぬ場所に放り出されて、あれよという間にお尋ね者になって逃げ回って生きていく日々を過ごしながら、俺はそう確信していた。
しかもどうやらこの世界は『異世界』で、俺は『普通とは違う』らしい。
正直なところ、きっと俺が『普通』でこの世界の人間が『普通じゃない』んだとは思うが、俺以外に俺と同じ場所で生まれて育った人間がいないのだから、多勢に無勢というものだ。
「どうしたもんかな」
ぽつりと呟き、軽く頬を掻く。
どうやら今日は港に、海軍の軍艦が来ているらしい。
必死になって逃げ回り、途中で出会った賞金首に縋りついて習った変装の腕はなかなかに上達している。
そして、俺が手配されてからもうかなりの時間が経ち、最近ではあまり俺の手配書を貼っているところも見当たらなくなった。
しかし、とガラスに映った自分の顔を見やる。
しっかりと変装はしているが、その下にある顔が十何年も前の手配書とそれほど変わらないことを俺は知っている。
どうやら俺の老化は、かなり緩やかに進行しているらしい。
もちろんあの頃のままだなんていう若作りなことは言えないが、それにしたって十何年も経っているとは思えない。
おかげさまで体力も衰えることなくどうにか海軍から逃げ続ける生活を送れているが、それははたして本当に喜ばしいことだろうか。
かつらの上に帽子を乗せて、俺は黒縁の眼鏡を軽く押し上げた。
今日の船に乗って島を出るつもりだったが、港に海軍がいるとなると話は別だ。
暇な海兵が手配書を暗記していて、万が一にも発見されては困る。
あと一日、裏通りにでも潜んでいようと考えた俺は、その場からゆるりと歩き出した。
裏通りに入りながら、宿の空いている時間を確認するために手を動かし、腕に巻いた時計を見やったところで、ぴかりと何かが後方で光る。
突然の閃光に驚き、立ち止まった俺の肩の上を、ひょいと何かが通過した。
俺より少し大きな手が俺の腕時計ごと俺の腕を捕まえて、何かを確かめるように俺の腕時計を検分している。
そのことに目を瞬かせながらも、俺が視線を奪われていたのは、その手の袖口からのぞく時計だった。
デジタルな文字盤のそれを、自分が所有しているもの以外で見るのは初めてだ。
そして何より、どうしてだかなんとなく、見たことがある形をしている。
「……オォ〜、こんなにはやく見つかるとはねェ〜」
真後ろから声が漏れて、とん、とその長い指が軽く俺の手の甲を叩いた。
そこで体の硬直が解けて、慌てて腕の自由を奪い取りながら体を反転させる。
困惑しながら見上げた先に立っていたのは、俺より上背のある男だった。
ニット帽をかぶり、その上にサングラスを乗せて唇に笑みを乗せていた男が、俺の様子をしげしげと見下ろしてから、少しばかり不思議そうな表情をとる。
「…………ナマエは老けねェのかァい?」
昔とそんなに変わらないねと、まるで知己のような口ぶりだが、俺は目の前の男を知らない。
しかしとりあえず、首を傾げた男のかぶっているニット帽についた模様で、目の前の相手が海兵なのはわかった。
ざわりと血の毛が引いた気がして、足を一歩引く。
「ナマエ……ってのは、誰のことだ?」
後ろから急に触るなよ、物盗りかと思ったじゃねェかと言葉を紡ぎつつ窺うと、俺の言葉にぱちくりと目を瞬かせた男は、それから少しばかり眉を寄せた。
明らかに気分を害した様子の相手に、もう一歩後ろに引く。
「わっしを忘れたってのかァい?」
覚えてくれてると思ったのに、と紡ぎつつ伸ばされた手を、俺はさらに一歩引いて避けた。
知らねえよ、とそれへ返事をする前に、空ぶった手を引き戻した男が、そっと自分の片腕に触れる。
袖を引き上げ、見せられたのは先ほど見たデジタル時計だった。
やはりどこかで見たことがあるそれに眉を寄せた俺の前で、男が口を動かす。
「これだって、わっしにくれたのはナマエじゃねェか〜」
言葉と共に口を尖らせた男に、ぱちりと瞬きをする。
俺が時計を渡したなんて、何の話だ。
そう問いたかったのに、ふと思い出したのは、もう十何年も前のとある島でのひと時だった。
『……いいのォ? これ、めずらしいやつだよォ〜?』
不思議そうな声を出して首を傾げていた小さな子供の顔が、久しぶりに脳裏をよぎる。
そうして、記憶の彼方にあった子供の顔が、どうしてか目の前の男の顔にわずかに重なった。
「………………あ?」
思わず声を漏らして、目の前の相手をしげしげと眺める。
「…………ボル、くん?」
『ボルなんとか』くんの名前を呼べず、確かそんな呼び方をしていた筈だと愛称まがいの名を呼ぶと、目の前の相手がその口元に笑みを浮かべた。
とても嬉しそうにその目を細めて、そうだよ、と相手が俺の言葉を肯定する。
「覚えててくれてよかったよォ〜、忘れられてちゃあ寂しいもんねェ〜」
にっこりと笑ってとても嬉しげな声を漏らしているが、子供と別れた日のことも思い出してしまった俺の背中には、ひんやりとした汗がにじんでいた。
あの子供は確か、海兵の子供だった。
俺が賞金首であることを知りながら、海兵になると言ってのけたおかしな子供だ。
そして、確か。
「ナマエが誰にも捕まってなくてよかったよォ〜」
わっしが捕まえてあげるって言ったもんねェ? と紡がれた言葉に、呼吸を一つ。
その場から素早く逃げ出した俺を責める人間なんて、どこにもいなかったはずだ。
噂の『悪魔の実の能力者』だったのか、逃げ回っても逃げ回っても閃光と共に現れる海兵にほとほと疲れ果て、最後は人の多い広場へ行って人の群れに紛れた。
大っぴらにつけていた腕時計も鞄へしまい込み、何度も姿を変えて人に紛れながら移動しているうちに、どうにか相手も諦めてくれたらしい。
「た……助かった……!」
夕闇の中、昼とはまるで違う格好で物陰に隠れてほっと息を吐いたその時の俺はまだ、これから先何度も自分を追いかけてくる光人間がいるという不運を知らなかった。
end
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