なきむし
※主人公は無知識トリップ系男児
ひっきりなしの嗚咽と小さな泣き声が、すぐそばで続いている。
これが深夜だったなら不気味なことこの上ないだろう、なんてことを軽く考えつつ、ため息を零したボルサリーノの目が、ちらりと自分のすぐそばを見下ろした。
「オォ〜……そろそろ泣き止んじゃどうだァい、ナマエ〜」
言葉を落としたボルサリーノの視線の先には、ボルサリーノの執務机の傍に隠れるようにして座り込んでいる小さな子供がいる。
少年と言うのも難しいような年端のいかぬその子供は、つい最近、海軍が保護した奇妙な人間だった。
海兵しか乗っていなかったはずの軍艦の奥深く、艦隊を率いる立場となっていたボルサリーノのための船室で、椅子に腰かけて部下から日程の報告を受けていたボルサリーノの膝の上へ、突如出現した侵入者だ。
海楼石も効かず、生まれ故郷を聴取してみても要領を得ない。
怪しいことこの上ない子供が、軍艦がマリンフォードへ戻ってもなおボルサリーノの傍にいるのは、彼がボルサリーノにしがみついて泣きじゃくったからだった。
引き離せばこの世の終わりのように泣きわめいて、引き付けすら起こしかねない。
さっさと鎮静剤でも打てばいいのではないかとボルサリーノは思ったが、幼いナマエは注射にすら怯え、青ざめて恐怖に震えながら泣きじゃくる子供に無体を強いる海兵は、少なくともその時その場にいた海兵の中にはいなかった。
数日確かめ、ボルサリーノの傍にいる時が一番落ち着いているという認識のもとにボルサリーノがその世話を任されているが、だからと言ってナマエが泣かないわけではない。
今日もまた、先ほどまではおとなしく眠っていたはずなのに、昼寝から起きてきた途端に泣き出してしまった。
しかもボルサリーノが椅子に掛けてあるコートに縋りつくようにしているので、どうやらコートはまたもクリーニングに出さなくてはならないようだ。
ひっく、ひっくと嗚咽を零すナマエに、やれやれとボルサリーノが声を漏らす。
「そんなに泣いてちゃァ干からびちまうよォ〜」
とりあえずそう言って手を伸ばし、ひょいとボルサリーノは子供の体を持ち上げた。
そのまま膝の上へ子供を乗せると、両手でごしごしと顔を拭ったナマエが、それでもいまだにうるりと潤む双眸をボルサリーノへと向ける。
何度も擦った両目は充血していて、膝に乗せた体は熱を出したかのように温かい。
湿った顔に眉を寄せたボルサリーノの手が、するりと軽くナマエの髪を梳くようにその頭を撫でた。触れた頭皮の汗ばんだ感触が、子供が泣き続けていることを物語っているような気すらする。
幾度か頭を撫でているうち、またもナマエの目から涙がこぼれて、それに気付いたらしいナマエが顔を伏せた。
うえーん、ともふえーん、ともつかない間の抜けた泣き声に、どうしたものかとボルサリーノは背もたれに背中を預けて考える。
子供が泣いている、その原因はなんとなくわかるのだ。
先ほどから何度も、小さな子供はそれを口にしている。
「おかあ……さぁん……っ」
帰りたいよう、と声を零すナマエを、家に帰してやりたいのはやまやまだった。
現れ方は不審だが、どう検査してもただのか弱い子供でしかないナマエは、恐らく何かの事象に巻き込まれただけの不運な被害者なのだ。
ただし問題は、その生まれがどこなのかが、さっぱり分からないということである。
いずれは分かるだろうが、今すぐと言うわけにはいかない。
そして、『いずれ』がいつになるか分からない以上、不用意な口約束をしてやることも、海軍大将であるボルサリーノにはできなかった。
だからこそ、『必ず帰らせてやるから』なんて無難な言葉すらはかない代わりに、頭を撫でていた手をそろりと小さな背中側へと滑らせて、頼りないそこをぽんぽんと軽く叩く。
「それとも、もう少し泣いとくかァい?」
満足したら泣き止んどくれよォ、と、子供に言うには少々きつい言葉を零したボルサリーノは、仕方なく子供の体を自分の方へと引き寄せた。
涙や他のもので汚れた顔がスーツに触れたが、気にせずもう少し背中を叩くと、子供の方からボルサリーノのスーツへと顔を押し付けてくる。小さな両手もぎゅうっとボルサリーノの服を掴んで、少し大きく漏れた泣き声がスーツの内側へと染み込んだ。
「泣き止んだらおやつにしようかねェ〜」
好きなようにさせつつ、言葉を零したボルサリーノの片手が、変わらずナマエの背中を撫でる。
小さな子供が泣き止んだのは、それから十分ほど後のことだった。
end
戻る | 小説ページTOPへ