左右一方通行
※主人公は白ひげクルー
本日は晴天なり。
海を往くモビーディック号は今日もまたいつも通りで、海賊船だというのに庶民的なことに甲板の上ではシーツがはたはたと翻っている。
ついこの間の島で入った新人たちが一生懸命あちこち行き来しているのを、俺は少し高いところから眺めていた。
「いやー、若ェのは元気だなー」
「よう、ナマエ、またサボりか?」
昔は俺もあれくらい機敏に動けたのになァ、なんて老いについて考えたところで後ろから声が掛かる。
それを受けて、欄干に座ったままのけ反るように振り向くと、さかさまになった世界に笑って佇む『家族』がいた。
「何言ってんだサッチ、俺はこうして新入り達を監督してるんだぜ」
危ないことがあればすぐ飛び降りて助けに行くんだ、と胸を張りつつ姿勢を戻すと、物はいいようだなァなんて呟いて笑みを深めたサッチが側へとやってくる。
一つ上のデッキの上で、欄干に座る俺の横にもたれかかったサッチの頭の方が低い位置になったのを、傍らから見下ろした。
「にしても、久しぶりに晴れてよかったなー」
「まったくだ、今日あたり宴かもしれねェぞ」
「晴れた記念に?」
「晴れた記念に」
一週間ほど雨続きだった海域をようやく抜けて、彼方まで晴れ渡ったグランドラインの大海原を眺めて互いに言葉を交わし、俺は肩を竦める。
『オヤジ』と俺達が慕う船長殿を筆頭に、酒好きがほとんどを占めているせいか、白ひげ海賊団の宴の割合は随分と多いものだと思う。
最近では『何の意味もない』宴はしなくなったが、代わりになんでもかんでも宴の為に祝ったりするようになった。一番祝いやすいクルーたちの誕生日は、さすがに人数が多いのでひと月に一回まとめて祝うと決まっている。
「肉が足りねえし、また釣りで海王類釣ってもいいぞ、ナマエ。モビーディック号をひっくり返さなけりゃな」
「あれァ不可抗力だろ」
つい先月、釣りをしていた俺の前に現れた巨大な海王類のことを揶揄ったらしいサッチに、俺はため息を零した。
モビーディック号が派手に揺れて、何人か転んだらしく、被害者たちになじられたのはいまだに納得いっていない。
別に狙っているわけではないのだが、俺が釣りをすると随分な確率で海王類か海獣がやってくる。
俺を海に放り込めばもっとたくさんやってくるんじゃねェのか、といつだったか食料が乏しくなった時にとんでもないことを言っていた薄情な家族を見やると、サッチがにまりと笑った。
「マルコもそろそろ肉が食いてえって言ってたしよ」
「…………なるほど」
そうして寄越された言葉に、俺は一つ頷いた。
マルコと言うのは、この船に乗る一人の海賊の名前だ。
特徴的な見た目と特徴的な口調と、そして俺に言わせれば誰より輝いた雰囲気を持った特別な存在である。
そんな相手が肉を食べたいというのなら、何ならもう俺は縄を片手に海へ飛び込んでも構わない。ちょっと怖いが、マルコのためなら仕方ない。
「それじゃ、ちょっと頑張ってみるかな」
「お前、相変わらずハニーちゃんに甘ェよなァ」
「ハニーだから仕方ない」
俺の大事な誰かさんを可愛らしく呼んだ相手にそう答え、それじゃあちょっと付き合えよ、と言葉を放ったところで、こつんと頭に何かが当たった。
わずかに痛んだ頭を押さえて振り向くと、俺の頭に当たったらしいものがころりとデッキに転がっている。
半分に削れた石鹸に、軽く瞬いてから後ろを見やった俺は、それを放り投げてきた人物を見つけた。
「マルコ」
「またサボってんのかよい、ナマエ」
あきれた声音を放った相手が、ずかずかとこちらへ近づいてくる。
その手ががしりと俺の襟首を捕まえて、ぐいとそのまま後ろへ引いた。
欄干に座ったままで逆上がりのような姿勢になってしまい、仕方なくくるりと体を回してデッキへ着地する。
「久しぶりに晴れたんだ、今日くらいは働けよい」
「これから釣りでもしようかと思ってたんだ」
「その前に洗濯だ、ほら」
立ち上がり直した俺を見下ろして言葉を放ち、石鹸を拾い上げたマルコの手が、俺の襟から服の中にそれを入れた。
少し濡れていたそれがぬるりと肌の上を滑って、とんでもないこそばゆさに身を捩る。
「わ、たっ、とっ」
ぬるぬる滑るそれを慌ててつかみだして、俺は服の上から石鹸の軌跡をごしごしと擦った。
「ひどいことするな、ハニーは」
「こんなところでサッチと駄弁ってる浮気性なダーリンにはうんざりだよい。さっさと働け」
俺の放った軽口にため息交じりに言い返して、マルコはそのまますたすたと歩き去っていく。
船内へ戻って行ってしまった相変わらず眩しい後姿を見送ってから、石鹸を持っていないほうの手で軽く口元を押さえた俺は、ちらりと傍らを見やった。
「……俺、今顔崩れてないか?」
「いや?」
感覚としてはとんでもなくだらしくなっているはずなのだが、俺の顔を見たサッチは軽く首を横に振る。
相変わらずの鉄仮面だなァとひどい発言をしてから、そのまま肩が竦められた。
「そういや、なんで付き合ってねえんだ、お前ら」
「そりゃ俺が片想いだからだろ、言わせんな馬鹿」
泣くぞ、と唸りつつ、洗濯用の石鹸をそっと持ち直す。
俺がマルコを好きになったのは、マルコが俺のことを拾って白ひげ海賊団へと連れ帰って、しばらくしてからのことだった。
男を好きになるだなんてどうかしているが、好きなものは好きなんだから仕方ない。
もちろんマルコからそんな感情を返してもらえるはずもないから、これは完全に俺の一方通行だ。
サボってるところを見られてあきれられてしまったが、マルコが先ほど放ってくれた甘ったるい呼び名がぐるりと頭の中を回っていて、今なら洗濯と言わず掃除と言わず、なんだってこなしてしまえそうだった。
お手軽な自分には呆れすら感じるが、浮つくものをこらえられそうにない。
「それじゃ、俺はちょっと洗濯してくるから」
「おう」
「あとで船尾に来いよな、俺が変なの呼んじまったらすぐ倒してくれ」
「いい加減、自分で倒せるようにはなんねえのか?」
「俺は人間だから無理だな」
「おれだって人間だっての!」
寄越された言葉に真剣な顔で答えると、この野郎と怒られた。
いやいやご冗談を、とそれに首を横に振り、それから軽い挨拶をしてから欄干を乗り越えて下の甲板へと飛び降りる。
だん、と足が甲板に叩き付けられ、ちょうどすぐ近くにいた新入りが驚いたように飛び跳ねた。
猫だったら尻尾くらい膨らませていそうな反応に謝りつつ、とりあえずそちらの仲間へ入れてもらうことにする。
「………………片想い、ねェ」
上の方でサッチがそう呟いたのは、俺の耳には届かなかった。
end
戻る | 小説ページTOPへ