あついのは誰のせい?
※『しあわせなせかい』『幸せの過程について』の続き
※付き合ってる二人
太陽の光が、水面を揺らして海底を照らす。
あちこちの鮮やかなサンゴをより鮮やかに浮かび上がらせるそれに目を細めて、ナマエは随分と深い海の間に浮かんだまま、ゆっくりと旋回しながら周囲を見回した。
水通しの良い上着の下から伸びた下半身は魚のようなうろこに覆われ、尾びれが水を掻く。
透き通った水中で、彼方に目を凝らすようにしながら泳いでいたナマエの周りに、数匹の魚達が誘われるように集まった。
それに気付いて旋回するのをやめたナマエが、その顔を魚達の方へと近付ける。
ぱくぱく、と餌を欲しがるように口を動かす魚達に同じ動きを返してから、微笑んだナマエの手が上着についていたポケットを軽く探った。
そこから出てきた湿ったビスケットを砕いてぽいと水中に放ると、魚達がそれにかじりつく。
それを見下ろしてから少しだけ距離を取り、ナマエは大きく尾をふるった。
水を追いやり体を浮かび上がらせて向かった先は、海面に浮かんでいる大きな船の傍らだ。
人間が普通に泳ぐ程度では到底追いつけない速さで海面へ飛び出して、ばしゃん、と一度はねたナマエが、濡れて顔に張り付く髪を片手で掻き上げる。
「あっつ……」
そうしながら注ぐ日差しの強さに顔をしかめて、その体が肩まで水面につかった。
そうして見上げた先には、真っ白なくじらをかたどった船首がある。
『白ひげ海賊団』の乗るモビーディック号達は、現在夏島の海域にいた。
春を過ぎた頃らしい夏島は、本格的な夏を前にじりじりと暑さを増しているところらしい。
すぐ傍らの夏島は小さな集落があるだけの島で、モビーディック号からは半分程度の人間が降りている。
空から降り注ぐ攻撃的な太陽の日差しがぎらぎらと輝き、あまり照らされていてはかなりの日焼けをしてしまいそうだった。
軽く水を掻いたナマエは、それからするりと船のそばを回り込み、そうして両端を結わえた状態で中央部分だけが長く水面へと垂らされていたロープに手をふれた。
「サッチー」
声を掛けつつロープを引くと、おー、と声が掛かってロープが引っ張り上げられる。
それに合わせてナマエはロープの上へと乗りあげ、たわんだロープに座るようにしながら船体の腹を滑って船上へと移動した。
途中でロープを固定され、ロープに座ったままで船体のふちにしがみついたナマエが、じんわりとあたたかい木材に顎を乗せながら甲板を見やる。
「ただいま……って、うわ!」
そうして甲板の方へと声をかけ、目の前にあった光景に驚きの声をあげた。
思わずひっくり返りそうになったところを、伸びてきた手がその腕をつかんで引き留める。
「ビビりすぎだろ、ナマエ」
ひょいとナマエを持ち上げて、そのままモビーディック号のふちに座らせてからそれを見下ろしてにやりと笑った相手に、そりゃ驚くって! とナマエは声を上げた。
「なに、その恰好」
海上と甲板の境に腰を落ち着けつつ、ナマエが見上げた先にいるのは、確かにサッチである筈だった。
しかし、いつもは真っ白なコックコートが赤黒く汚れて、顔と言わず体と言わずあちこちにサーベルのようなものが突き刺さっている。
顔にもいろいろな傷があり、床に倒れていたら惨殺死体と間違えてしまいそうな姿だ。
見回してみれば、あちこちを歩いているクルー達も程度こそ違うものの、似たような姿をしている。
見た目のわりに元気な様子のサッチが、軽く肩を竦めた。
「ほら、こんだけあちィからよ、夜に帰ってくる連中を脅かしてやろうって話になったんだよ」
「文脈が繋がってない」
「細かいこたァ気にすんなって、ナマエのも用意してあるしよ」
驚かされてしまったナマエが非難がましく言うのを、サッチは笑って押し流す。
それからその手がナマエの腕を離して、ナマエの傍から海を覗き込んだ。
「それで、海の方はどうだった?」
「このあたりが暑くなってきたから、海王類達も近寄らなくなってきたみたいだって」
見回した限りに大きな影はなかったよと、ナマエが呟く。
かー、と声を漏らして、サッチがぐるりとその場で体を反転させた。
今度はのけぞるようにして船体の外側に頭を投げだしながら、とても残念そうな声がその口から漏れる。
「肝心な時にいねェんだもんなァ、根性のねェ奴らだぜ」
そうだなと頷いていいのか分からず、ははは、とナマエは笑った。
すぐそばの夏島は、小さな集落があるだけの場所だ。
大所帯である『白ひげ海賊団』の食糧などを補給するには、少々心もとない。
それなら大きな生き物でもいないかと言われて、ちょっと見てくる、と言ったナマエが海に潜ったのは一時間ほど前のことだった。
海王類すら嫌う暑さがやってくるらしい夏島に、ナマエはちらりと視線を向けた。
「暑くなるのはやだなァ」
「あー、まったくだ」
ナマエの言葉にサッチが頷く。
汗の光る額もそのままに、太陽に顔を向けて目をぎゅっと瞑ったサッチが、わざわざ日差しを食らいながら『暑ィ』と文句を呟いた。
それを聞いて、ナマエはちらりと自分が今までつかっていた場所を見下ろす。
それから少しだけ考えて、わずかに笑った人魚の手が、サッチの体に触れた。
「サッチ」
「ん? ……お、冷てェ」
そっと体に寄り添われて、先ほどまで海につかっていたナマエの肌のひんやりとした感触に、サッチがわずかに目を開ける。
嬉しそうに笑った相手にナマエも笑みを深めて、その両手がサッチの肩口から前へと滑り込んだ。
座っていた位置をずらし、サッチの背中に尾びれと膝のあたりが触れる。
いつもだったら、こんな風に自分からくっつくようなことなど、ナマエはしない。
だというのにしっかりとくっつくようなそれに、さすがに怪訝に思ったらしいサッチが、その片手をナマエの腕に添えた。
「ナマエ?」
どうした、と尋ねてその視線が自分の方へ向いたのを見てから、ナマエの下半身に力が入る。
「よっと」
「うお!?」
ぐいん、とモビーディック号と海上の境に座り込んでいたナマエの腰を支点にその体が回転し、体の半分を占める人魚の尾に体を乗せられたサッチの体ごと、ナマエが後ろ向きに倒れ込んだ。
向かった先はモビーディック号の甲板とは真逆、真っ青に広がる海の方だ。
だばん、と大きめの水柱があがり、そして沈む。
「……ぶは!」
すぐに浮上したサッチが、大きく息を吐いた。
丁寧に整えられていたリーゼントが海水で崩れ、顔に塗られていたペイントが少しばかり薄れている。
頭や体のあちこちに突き刺してあった作り物のサーベルが、海面へ落ちた。ぷかぷかと浮かぶそれは、どうやら木製であったらしい。
水中からそれを見上げて、ナマエも海面に顔を出した。
「びっくりしたか?」
「驚いたに決まってんだろ! 何を急に、」
「仕返し」
ナマエの言葉に慌てて言葉を紡ぐサッチへ、ナマエが笑ってそういい返す。
寄越された言葉に、な、と声を漏らしたサッチが、それから数秒を置いてその意味を理解して、ごし、と顔についた海水を拭った。
仕方なさそうにため息がその口から漏れて、伸びたその手がナマエの頭をがしりと捕まえる。
「わっ」
「やりすぎ。減点だな、こりゃ」
「え? 減点?」
誰が点数をつけてるんだと目を瞬かせたナマエを引き寄せて、サッチが笑う。
その顔がナマエの方へと近付いたのを見て、わずかに目を見開いたナマエは、慌てて目を閉じた。
つい最近、ナマエはついに名実ともに、サッチの『戦利品』になった。
つまりナマエとサッチは『そういう』関係で、そしてどちらかと言えばサッチのほうが積極的だ。
だから、そんな相手から唇を近づけられれば、おとなしく受け入れる体勢になるに決まっている。
しかし、意識していなかった額ががぶりと軽く咬まれて、ナマエはびくりと体を震わせた。
「サ、サッチ!」
「これでアイコな」
慌てて目を開けたナマエが非難がましい声を上げて見やった先で、サッチがけらけらと笑っている。
ナマエから離れたその手が軽く海を掻き、それにしても、とその口が言葉を漏らした。
「海ん中も結構あったけェのな、こんだけ暑けりゃあ当然か」
涼しいと思ったのに、と漏れた声に、あ、とナマエが言葉を返す。
「もう少し深いところは冷たかった」
海流が違うのか、船底まで行かない程度の深さでじんわりと冷えた水流が流れていた真下を指さすと、サッチが興味深そうに自分の足元を見下ろした。
ナマエも同じように海底の方を覗き込んで、別々に動く人間と人魚の尾をその目にうつす。
ゆったり動くナマエの尾と違い、人間であるサッチの足は軽く立ち泳ぎを続けていた。
慣れた様子で疲れてもいないようだが、大変だろうな、なんて考えたナマエの手が、そっとサッチに触れる。
海水で少し薄れた赤い染みごとその服を捕まえて、相手を持ち上げるようにしながら尾を動かすと、それに気付いたサッチが少しだけ足を動かす速度を落とした。
その目がナマエの方へと戻されて、それを見上げたナマエの体が、改めてサッチへ少しばかり近付く。
「あんまり深いところは駄目だろうけど、もう少し下まで潜ってみるか?」
俺が連れてくよ、なんて言葉を述べたナマエに、サッチがわずかに目を細めた。
「仕返しか?」
「違うから!」
「はは、冗談だって」
それじゃあ頼むかな、なんて言葉を寄越しながらその両手がナマエへ縋りつき、足の動きが止まる。
それを受けてナマエがくるりとサッチを背負うように身を反転させると、しっかりとしがみついてきたサッチが、ナマエの肩に顎を乗せた。
ぱしゃりと水を掻いたナマエの耳元に、ふう、とわざとらしく息がかかる。
「ひっ!」
「はは、お前案外耳弱いよな」
驚いて身を竦めたナマエにサッチが笑って、こら、とナマエが怒ったような声を上げた。
けれども、ただじゃれ合ってる程度のことで怒れるはずがないので、その顔には隠しきれない笑みが浮かんでいる。
幾度か似たようなやり取りをして、それからようやっと海中へと沈んだ二人を、ぎらつく太陽が呆れて見下ろしていた。
end
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