綴られない物事 (2/2)
結局、夕食が終わってもマルコに声を掛けることは出来なかった。
そうして片づけを終えて入り込んだ薄暗い倉庫の一角を、ごそごそとあさる。
甲板から逃げ込んで隠したノートを引っ張り出して、俺はカンテラを傍らに置いて座り込んだ。
ぱらりとめくった中には、確かに俺の字で日本語が記されている。
あちこちが震えたりがたがたで、たまに漢字も間違えているそれは、やっぱり確かに俺の日記だった。
別に読み返したいわけではなかったけど、そんなに昔のことでもないのにめくったそこに綴られた言葉に懐かしさを感じて、小さくため息を零す。
俺のこれを読んで、マルコはどんな風に思っただろうか。
もしかしたら俺の『好き』が恋愛感情だとは気付かれなかったのかもしれない、と言うのが、夕食を食べながら浮かんだ俺の考えだった。
だって、マルコはまるで様子が変わらないのだ。
いくら俺の知っている常識からは離れた場所にある世界でも、さすがに同性愛が普通だとは思えない。
それとも、普通と変わらないマルコの様子こそが、俺に対する拒絶の現れなんだろうか。
そんなことを考えるとぎゅうっと心臓のあたりが痛くなって、ぐっと眉に力を入れながら、俺は日記をぺらぺらとめくった。
短い言葉ばかりが続く日記は、俺があの日から辿った日々を記していた。
今となってはそこまでこだわっていないことも、いくつもある。
ユニフォームは汚れてしまって破けたから捨てて、似たようなものをマルコが買ってくれた。
あの島を離れてから、あの夢は見なくなった。
魚をさばくのは、あの頃よりうまくなったと思う。
動物をさばくのにも、少しだけ慣れた。
そういえば、あの日見かけたキノコは食べちゃダメな奴だった。俺の判断力って素晴らしい。
懐かしい日々を眺めながらそんなことを考えつつ、何度も何度もめくって、途中で手を止める。
「…………うーん」
そこに記された俺の文字は、どう考えても俺の『好き』がどういったものかを記しているものに思えた。
マルコがとんでもなく鈍かったら気付かれないかもしれないが、それはちょっと希望的観測すぎやしないだろうか。
これはやっぱり、マルコのあの『何も変わらない』態度は、俺からの気持ちを全部拒絶するという現れなんだろうか。
だとしたらいっそのこと、告白してすっきり終わらせた方がいいんだろうか。
だけど、振られたらさすがに泣かない自信はない。
女々しいことこの上ないけど、俺は真剣にマルコが好きなのだ。
どうしよう、と眉を下げつつぺらぺらと最後のページまでめくってから、そこにあったものに俺は目を瞬かせた。
「…………あれ?」
そこには、俺の書いたものじゃない文字が書かれていた。
小学生が書いたようなすごくいびつなひらがなが、罫線をはみ出て斜めに一文を作っている。
『そういうことはもっとはやくいえ』
きっぱりと記されたそれに、それが誰の書いたものなのか把握してぱちりと目を瞬かせたところで、かたん、と倉庫に物音が響いた。
驚いて顔を上げて、目の前にいつの間にかあった人影にびくりと体を震わせる。
「……マ、マルコ!?」
困惑しながら後退ると、後ろにあった棚に背中がぶつかった。
俺のそれを見下ろして、マルコがひょいと俺の前に屈み込む。
床に置いたカンテラにその顔が照らされて、こちらを見ているその表情が闇の中に浮かび上がった。
こちらを見ているマルコは、どことなく面白がるような笑みを浮かべていた。
意地悪そうにすら見えるそれに、どうしてか心臓が高鳴ったのを感じて、場違いなそれに顔が赤くなるのを感じる。
カンテラで照らされている室内はそれでもまだ薄暗いので、マルコには気付かれていないと思いたい。
「あの、」
「目の前にくるまで気付かねえってのは、ちょっと注意力が足りねえんじゃねェかい」
そんなんじゃあ海賊としてはまだまだだ、と言葉を放ったマルコの手が、ゆっくりとこちらへ伸ばされた。
屈んだその足元が膝をつき、片手を俺の後ろの棚へ押し付けるようにされると、必然的に俺の方へとその体が前のめりになってくる形になる。
困惑しながら逃げようにも、俺の右にはマルコの腕があって、左は壁だった。ついでに言えば後ろは棚で前にはマルコがいる。
逃げ場がない事実に目を瞬かせる俺を見て、笑ったマルコが言葉を零す。
「まあ、半日の時間はくれてやったんだ、もういいだろい」
「えっと」
「ナマエ、おれに何か、言いてえことがあんだろい?」
言ってみろ、と目の前の相手に迫られて、さらにぶわりと顔が熱くなったのを感じた。
両手でつかんだノートがひしゃげた気がするが、今は構っていられない。
マルコはどうして、そんなことを言わせたいんだろう。
マルコは女の子が好きなのだ。幸いなことにナース達の中に『彼女』はいなかったようだけど、俺だってそのくらいはちゃんとわかってる。
なのにどうして言わせたいんだろう。ちょっと俺をからかってるだけなんだろうか。
そんなことを考えると悲しくすらなったので、俺はマルコから目を逸らすように顔を伏せた。
俺とマルコの傍らに置かれたカンテラが、ちらちらと炎をその中で揺らしている。
「ナマエ?」
俺の名前を呼ぶマルコの声はいつもと変わらなくて、それがとても苦しく感じる。
一度、二度と深呼吸してから、俺は目を伏せたままで口を動かした。
「…………言ったら、その」
「ん?」
「言っても、今まで通りでいてくれるかな」
振られても今まで通りでいたいなんて、何ともずるい話な気がする。
それでもできれば、今まで通り『弟分』として仲良くしてくれないだろうか。
俺をモビーディック号へと連れてきたマルコは、その責任感でか、よく俺のことを構ってくれた。
俺の知らないことを教えてくれるのは大体がマルコで、それが素直にうれしかった。
そんな毎日をこれからも過ごしたいなんて言う、そんなわがままな思いを口にすると、んん、とマルコが短く声を漏らした。
「そいつは困ったねい」
「……っ」
本当に困ったような声音で寄越されて、ぎゅっと体を縮まらせる。
俺のそれを見ているだろうに、気にした様子でもなく、マルコは呟いた。
「弟と『恋人』は、別モンになるんじゃねェのかい?」
今まで通りは満足できねェなァ、なんて言葉がさらりと寄越されて、思わず目を見開く。
それから恐る恐る顔を上げると、こちらを見ているマルコの顔が視界に入った。
俺を見ているマルコの顔は、先ほどとほとんど変わらない。
まさか今のは聞き間違いだろうか。
だって、今のは、まるで。
「それで、ナマエ? おれに言いてえことがあんだろい」
ちょっとばかり意地悪に歪んだ口元が、俺へ向けて言葉を落とす。
真っ向から寄越された言葉に、どきどきと心臓が高鳴ってしまう。
マルコの顔は先ほどより俺の方へと近付いていて、こんなに近くじゃ顔が赤いのだって気付かれてしまう、と今さらなことを考えた。
両手で持っていたひしゃげたノートをマルコと自分の間に挟んで、顔を隠すようにすると、向かいの方から低く笑い声が漏れる。
「観念しろよい、ナマエ」
そうして寄越された楽しげな声に、俺はハルタが嘘つきだという事実に気付いた。
どこの誰が『落ち込んでた』っていうんだ。
だけども今さら詰りにはいけないまま、体中が熱くてたまらないような状態でどうにか言葉を紡いだ俺に、マルコはとても満足そうだった。
end
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