おきがえ2回
※コラソン逆トリ中
気が付いたら見ず知らずの男が室内にいた。
訳の分からない文章だとは思うが、俺だってわけが分からない。
いつも通り道を歩き、一人暮らしの寂しい家に帰って明かりをつけ、コンビニで買ってきた食事をローテーブルへ放ってネクタイをほどいてからくるりと振り向いたら、俺以外に誰もいないはずの室内に男がいたのだ。
どうしてだか黒っぽい羽毛をあしらいまくった不可思議なコートを着込んで、帽子をかぶってサングラスをかけた姿は、夜遅いこの時間には何とも不釣り合いだった。
着ている服はハート柄で、かわいらしいはずのそれが妙に似合っているのは、顔に施されている化粧が奇抜なせいだろうか。
まるでピエロのようだが、愉快さはあまり感じない。
漂う雰囲気は俺の知る『一般人』とはまるで違っていて、今ポケットに入っている手が拳銃をつかみだしてきても驚きはしないと、そんなことをぼんやり思った。
「…………え? 強盗?」
ほとんど思考停止した状態で思わずつぶやいた俺の言葉に、ゆるりと男は首を傾げた。
※
突如として俺の家に現れた男は、『コラソン』と名乗った。
ハートだか何だかの意味だった気がする外来語に、だからそんな服を着てるのか、と妙な納得をしたものだ。
話を聞く限り、どうにもコラソンはこの世界の人間ではないように感じる。
ほんの少しも『日本』を知らず、向こうが話してくる事柄は俺の知らないことばかりだ。
ただ単にほら話をしている不法滞在者の可能性もあるのだが、コラソンと話す限り、それはありえないような気がした。
だとすれば戸籍も無ければパスポートもないということで、見る限りただの外国人でしかないコラソンをそこいらに放り出すのはさすがに可哀想だと判断した俺は、コラソンが『帰る』までコラソンと同居することにした。
コラソンのほうが驚いていたのはちょっと笑ったが、まあ騙されていてひどい目に遭わされるのなら、それはそれで自己責任だろう。
「!」
「うわっ」
そしてコラソンは、とんでもなくドジである。
今日もまた、人めがけて転んできた誰かさんを慌てて支えて、俺は相手を押しやった。
「なんで何もないところで転ぶんだよ、ほんとに」
「わ、悪い」
ため息を吐きつつちゃんと立たせてやったところで見上げると、俺より随分大柄な誰かさんが申し訳なさそうにこちらを見下ろす。
あの奇抜すぎるメイクを落として、目立ちすぎるコートを脱がせて適当に買ってきた服を着込んだコラソンは、随分大柄なただの外国人になってしまった。
長い手足が悪いのかよく転ぶし、いろんなものにぶつかったり落としたりするし、無自覚だろうがそのドジに俺を巻き込もうとしてくる。
おかげさまで、俺はなんとなくコラソンが転ぶのを察知できるようになってしまった。
階段では気を付けるんだぞ、と言い含めて、コラソンより先に歩き出す。
本日の目的は、近所でやっている縁日だった。
会社も休みの今日、祭囃子が聞こえてきたところで、俺の同居人殿がそわそわした様子でベランダから神社の方を見やりだしたからだ。
あのままでは身をのり出しすぎてベランダから落ちかねないし、見たことのない日本文化を楽しみたいというのなら、まあ連れて行かないこともない。
「なあナマエ、あれは何だ?」
どうにか階段を転ばずのぼったところで、コラソンが俺の服を軽く引っ張ってきた。
女の子にやられたら胸がときめきそうなしぐさだが、やっているのは俺よりどでかい男である。
決してキュンとは来ていない。絶対だ。
「あれ? あー……イカ焼きかな」
コラソンが指さす方を見やると、いくつも並んでいる屋台が見えた。
一番手前の店に貼られたポップを見ての俺の言葉に、いかやき、とコラソンが言葉を零す。
まさかイカ焼きすらもない世界なのか、とちょっとだけ衝撃を受けながら、俺はコラソンの方を見やった。
「食べてみるか?」
「!」
俺の放った言葉に、こくこくとコラソンが頷く。
よしそれじゃあ、と足を進めて、俺はその店で小さめのイカ焼きを二つ買った。
「ほら」
片方をコラソンに差し出すと、コラソンの手がそれを受け取る。
物珍しそうに串をしげしげと眺める相手に、さっさと食えよと笑ってから俺もイカ焼きにかじりついた。
夏の終わりのこの季節、あちこちに提灯がつられた縁日はそれなりに騒がしくて人もいる。
いろいろな食い物もあるし、テキ屋も多いようだ。まあまあ楽しめるだろう。
次は焼き鳥だな、と狙いを定めつつ、改めてコラソンへと視線を戻した俺は、そこにあった顔に『おい』と声を漏らした。
「なんでイカ焼き食べるだけでそんなことになるんだ」
まさかイカで口を拭いたのかと尋ねたいくらい口元が汚れている。
当人は俺の言葉でそれに気付いたらしく、慌てた様子で袖口で口元をぬぐい、そして汚れた袖に気付いて慌て出した。
「いやあの、これは!」
「わかった、わかったから落ち着け」
今にもイカ焼きを放り出して弁明しそうな相手へそう言って、とりあえずその肩を叩く。
とりあえずそれを食っちまえ、とイカ焼きを指さすと、コラソンはおとなしくもう一口イカ焼きにかじりついた。
小さい奴を頼んでよかった、と食べていくそれを見ながら、肩から下げてきた鞄に片手を突っ込む。
そうして取り出したポケットティッシュを一枚差し出すと、コラソンの片手がそれを受け取り、イカ焼きを詰め込んだ後の口をごしごしとぬぐった。
「お前が汚すのなんて予想済みだから、そんなに慌てなくていいよ」
鞄から引っ張り出したコンビニ袋に自分が食べ終えたイカ焼きの串を入れて、コラソンのも奪い取ってそれに入れる。
それから汚したティッシュも受け取って袋へ入れると、コラソンがぱちくりと目を丸くした。
不思議そうなその顔を見上げて、この間姉貴に電話したからな、と言葉を放つ。
姉貴のところには、暴れん坊の幼稚園児と言う俺の甥がいる。
あちこちで転んでは服を汚してくるのだとため息を零していた相手に、そういう子供を連れて遠出するときはどうするんだ、と尋ねたのは、コラソンがテレビに夢中になっていた時だった。
『そりゃ決まってるじゃない、着替えを何着も持ってくのよ』
電車にも乗せられなくなるから、と笑っていた姉貴に天啓を受けた気持ちになったのは、もはや仕方のないことである。
コンビニ袋を持ったのとは逆の手で軽く鞄を叩いて、俺はコラソンへ向けて片目を瞑った。
「なんだったらかき氷を頭からひっかぶってもいいぞ、コラソン」
「…………おれも、そこまでじゃない」
俺の発言に、自分を知ってるようで知らない誰かさんがとても不本意そうな顔をする。
しかしあちこちの食い物を食べて歩く中で俺の用意したものを使い切ってしまったので、コラソンは俺の想定の上を行くドジっこだった。
end
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