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桃色ディリュージョン(1/2)
※『桃色天使』『恋の必勝法』の続き
※カマバッカ修行を捏造中
※主人公は女装子につき注意



 サンジは、ぱちりとその目を瞬かせた。
 戸惑いが顔を彩っているのを自覚するが、それをひっこめたりすることはどうにもできそうにない。
 何故なら、幾度となく訪れたことのある小さな家が、どうしてか半壊してしまっているからだ。

「……ナマエ!」

 思わず持っていた荷物を取り落とし、家の主の名前を呼んだ。
 慌てて駆け込んだ家の中はしんと静まり返っていて、半壊した壁の向こう側にいつも通りの森が見える。
 サンジが幾度か使ったことのある調理台は無事のようだが、あちこちが荒れていた。
 まるで化け物が家の中で暴れまわったかのようだ。
 床の上に散乱した皿を踏めばぱきりと硬質な音が靴裏に返り、青い顔で改めて周囲を検分したサンジは、血の匂いや染みがないという事実に少しだけ胸をなで下ろした。
 しかしそれでも、ナマエと言う人間がいないという事実には変わりない。
 サンジに比べて、ナマエと言うのは普通と呼ぶべき男だった。
 『新人類』と呼ばれるサンジに言わせれば恐ろしい生き物ばかりが住んでいる島で、それは異質なほどだ。
 まさか何者かに連れさらわれたのか、とまで考えがいたって、サンジの歯が煙草を噛みしめる。

「……どこに行った……!?」

「あれ? サンジ」

 とにかく探さねば、とその場から駆けだそうとしたサンジを、引き留めたのは後ろから寄越されたそんな声だった。
 駆けだそうとした一歩を慌てて踏みとどまり、ばきりと床板を破壊しながら振り向いたサンジの目に、まさしく今探しに行こうとした相手の姿が映り込む。

「約束しなかったのに、来るのは珍しいな」

 微笑んでそんなことを言い放つナマエは、普段とは少し違う格好をしていた。
 いつもなら、男のくせに妙に似合う女性的な装いで、足首までを隠す長いスカートをはいているはずなのに、今日着ている服は体のラインが出づらいワンピースではあるものの、どうしてか端々が微妙にほつれたり裂けめが入ったりしている。
 まるで暴漢にでも襲われたような格好にサンジはわずかに息を飲んだが、ナマエの顔は平然としていて、見たところ怪我をしている様子はなかった。
 服の下までは分からないが、歩き方にも立ち方にも違和感はない。
 しかし問題は、その両手が抱えて歩いている物体である。
 日常生活において必要のないそれを見て、サンジの目が怒りを燃やした。

「……おい、どこのクソ野郎だ」

「え?」

「今から三枚におろしに行ってやる。どこだ、言え」

 低く唸るサンジの前で、丸くて重たそうな鉄球を抱えたナマエが困ったように小首を傾げた。







 サンジが『新人類』に挑戦を挑んで、すでに一年半が経過していた。
 サンジの手元には『攻めの料理』と銘打たれたレシピのほとんどが集まり、最後の一つを持った『女王』へと飽くなき挑戦を仕掛けている最中だ。
 さすがに『女王』と冠を持つだけあって恐ろしく強い敵へ挑むには、相当の鍛錬が必要である。
 相変わらず襲い掛かってくる『新人類』達を蹴散らし、時に逃げ場のない場所へと追い詰められながらも島中を駆け回っていたサンジが、時折訪れるのがナマエの家だった。
 『レシピを試したいだろ?』と微笑んでサンジを家に誘っていたのは、大体がいつだってナマエの方だ。
 そしてナマエの家で作った『攻めの料理』は、当然ながらサンジとナマエの腹に納まるのが通例だった。
 一昨日もまた、『おいしい』と言って微笑んでくれるナマエの皿に多めに料理を盛り付けてきた自覚が、サンジにはある。

「それでその……一昨日の料理が効きすぎたみたいで」

 言葉を零しつつ、ナマエの手がどうにか無事だったテーブルの上に置いた鉄球を撫でる。
 黒く重量感のあるそれからは太い鎖が生えていて、それがそのままナマエの腕に着けられた鉄輪へとつながっていた。
 まるで囚人のような恰好だ。
 わざわざそんなものを分けてもらうために出かけていたという男を前に、サンジはあきれの混じったため息を漏らした。
 ナマエの供述によれば、家をこんな状態にしてしまったのは、寝ぼけたナマエであったらしい。
 なるほど、破壊が家の中から行われている様子であったわけである。
 サンジの記憶に間違いがなければ、例えば『新人類』やサンジを普通と基準にするなら、ナマエはか弱いとしか形容のしようがない男だった。
 道具を使ったとしても、家の土壁をここまで破壊できるとも思えない。
 その強さを与えたのが『攻めの料理』だというのならば、このレシピはなんと恐ろしいものなのか。

「……おれァ、なんともねェがな」

 煙草の煙を零しながらつぶやいたサンジの向かいで、俺は効きやすいみたいだな、とナマエが頷く。
 それで片付けてしまう相手にどうしたらいいか考えつつ、サンジは改めて周囲を見やった。
 ひとまず適当なもので壁をふさぎ、外からの視線や風は入り込まないようにしたものの、相変わらず家はほとんど半壊状態だ。
 どうすんだこれ、とこぼしたサンジの前で、そのうち直すよ、とナマエが笑う。

「安心してくれ、キッチンには近づかないようにしたから無事だ」

 そしてそんな風に言いつつ掌をキッチンのほうへと向けられて、サンジの眉間のしわは深くなった。

「誰がキッチンの心配をしたってんだ」

「あれ? だからそんな怖い顔してると思ったのに」

 違うのか、とナマエが小首を傾げる。
 麗しいレディのようなその顔を見やり、サンジは口を動かした。

「紛らわしい恰好しやがって」

 低く唸り、サンジはじとりとナマエを見やる。
 着用するのにとても苦労したというナマエの服の裂け目やほつれは、ナマエ自身がやったものであるらしい。
 それもそうだ。見た目はどうあれナマエは男なのだから、もしも万が一暴漢が襲い掛かったとしても貞操の危機など訪れることはないだろう。
 そうは思うのに、顔も浮かばぬ悪漢に押し倒されて怯えふるえるナマエなんていうものが勝手に脳裏へと描かれて、サンジの指が自分の口から煙草をもぎ取る。
 苛立ちを隠さず灰皿へ煙草を押し付けたサンジを前に、これでも頑張ったんだぞ、とナマエが反論した。

「もういっそ着の身着のままで出かけようかとも思ったけど、さすがにパジャマはまずいかなと思ったりして」

「そんな格好になるくらいなら、いっそ寝間着でよかったじゃねェか」

「いや、だってほら、パジャマだし……そんな恰好で出かけて、どこかでサンジに会っちゃったら恥ずかしい、し」

 わずかに目を伏せ、ナマエがそっと小さく声を漏らした。
 その頬がわずかに上気して見えて、サンジはわずかに目を見開いた。
 まるでサンジを特別扱いしているかのような発言に、どく、と心臓が高鳴ったのを感じる。
 だがしかし、どうにか身の内の動揺をねじ伏せて、サンジは努めて低い声を口から絞り出した。

「おい……またそれか」

「あれ」

 唸ればそこで視線を上げたナマエが、ふふ、と笑い声を零す。

「慣れちゃったのか、サンジくん」

 残念だなァ、なんて声を漏らすナマエに、サンジは短く舌打ちを漏らした。
 この地獄のような島には、女性がいない。
 麗しのレディとの出会いが全くない日々を過ごすサンジを、ナマエはいつだってからかうのだ。
 『新人類』とは違い、見た目が随分と女性的なので、その効果は抜群である。
 しかしそれも、一年半近くも過ぎればいい加減ある程度の耐性はついてくる。
 おかげで、『レディと見間違えることがなくなってもその姿が輝いて見える』といういやな事実にも気付いてしまったのだが、サンジはその原因については深く考えないようにしていた。
 見れば見るほどただのレディだが、ナマエはその女装を除けばまっとうな『男』だということを、サンジは知っている。
 オカマのふりをしているが、『男が好き』だなんていう話も聞かない。
 だからこそ、サンジには勝機など無いのだ。

「そんなんじゃあ、まともに生活できねェだろうが」

 話を逸らすように室内を見回して、サンジの口が言葉を零す。
 それを聞き、まあちょっとずつ力加減も覚えていくつもりだから、とナマエが答えた。

「何ならこれを機にリフォームしちゃおうかなと」

 そんな風に言いながら、ナマエの手が鉄球を離れる。
 ちゃり、と少しだけ耳に障る鎖の音がこぼれて、きちんと手入れの行き届いた指が、自分の腕についた鉄輪を撫でた。




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