次も約束
※『いと弱きもの』の続編
※主人公はトリップ系男児
※ミホークが元賞金首という捏造
「ねー、鷹の目〜」
大海原を漂う船の上、ふと声を寄越されて、ミホークはちらりとその声の方へと視線を向けた。
道端を歩いている人間ならばすくみあがりそうな眼光を、しかし慣れた様子で受け止めた小さな少年が、座るミホークの傍らでひょいと両手を動かす。
「これ」
言葉とともに差し出された『手配書』に、ミホークはわずかに怪訝そうな顔をした。
「おれの手配書がどうした」
古びたその紙きれは、ミホークにとっては随分と懐かしいものだ。
海賊と呼ばれ政府の決めた賞金を首にかけられた一枚には、今はもう取り下げられた金額が記されている。
どこで手に入れた、というミホークの問いに『この間もらった』と返事になるようでならない言葉を紡いでから、小さなナマエの指が写真の下を軽くなぞる。
「ここ、鷹の目の名前が書いてある?」
金額の上を撫でながら首を傾げられ、ミホークはわずかに目を眇めて目の前の子供を見つめた。
ミホークの返事を待つナマエの顔は、普段と何も変わらない。
例えば冗談を言ったりいたずらを仕掛けている様子もないそれに、わずかにため息を零してから、ミホークは頷いた。
「ああ。おれの名前だ」
はっきりとした返事に、ふうん、と声を漏らしたナマエが手配書を自分のほうへと向ける。
その目がしげしげと手元を眺めているのを見やり、ミホークが口を動かした。
「読めぬのか」
ある日突然空から降ってきた『少年』が、ミホークの言葉に軽く頷く。
手配書というのは世界中に配られるもので、使われる文字は基本的に公用語だ。
もちろん、広い海の彼方に浮かぶ未開の地ではその限りではないかもしれないが、ナマエの生まれ育った地がそれほど文明が発達していないとはミホークには思えない。
「……まだ習ってなかっただけ。エーゴくらい、習えばすぐ読めるんだからな!」
ミホークの言葉にどういった感情が含まれて聞こえたのか、ナマエが口をとがらせてそう反論する。
少しばかりすねたような顔をして、その手がミホークの手配書を小さく折りたたんだ。
それからそのまま自分のポケットに押し込んだ子供に、ふむ、とミホークは少しばかり自分の顎に手をやる。
じっとミホークが見つめた先で、聞きたいことが終わったのかその視線をミホークから外したナマエが、自分の腰に巻いてあるロープに少しばかり触ってから、あ、と短く声を漏らす。
慌てたようにその手が下へ置いてあったガラス瓶を捕まえて、ずい、とミホークのほうへそれを差し出した。
「鷹の目、さっきより右になってる!」
あっちだよと左を指さす子供の手の上で、海軍中将のビブルカードがふるりと震えていた。
※
海軍本部に王下七武海が呼びつけられることは、それほど頻度は多くないにしても多少は回数のあることだ。
『海軍』に属する海賊としての報告めいたことを求められたり、念波を傍受されては困るようなやり取りであったり、またはいくつかの注意喚起に議題を含めた会議。
ミホークがそちらへ赴くのは気が向いたときだけだが、ナマエと言う名の子供を拾ってからは、少しばかりその頻度が増した。
何せ人が住んでいる場所である分、物資も豊富だからだ。
ミホークにとっては必要のない物でも、子供にとっては必要となる物はいくらでもある。それらを手配するのに、マリンフォードという島はうってつけの場所だった。
そして、子供など相手をしたこともないミホークよりも子供に構う人間の多いそこは、ナマエにとっても『楽しい』場所ではあるようだ。
「……何をしている?」
しかしそれにしても、と首を傾げて、ミホークは甘いにおいのする部屋の中を見やった。
ほんの少ししか集まらなかった王下七武海と海軍の責任者を交えた会議とやらがようやく終わり、ナマエを残してきた部屋へと戻ったミホークの目に入ったのは、何やら少し汚れた姿になったナマエと、そして置かれてあったテーブルの上に鎮座している塊だった。
甘いにおいの発生源が、べったりと白いクリームを塗りたくられてそこにいる。
「これ作ってた!」
チョコレートか何かのソースがかかっているのか、一番上の表面がまだらの模様を得ているそれを掌で示して、ナマエが薄い胸を張った。
どことなく満足そうなその顔に、また部屋を出ていたのか、とミホークは把握した。
ミホークの『弟子』という扱いを受けているらしいナマエは、『おいたをしなけりゃ好きにしな』と笑った海軍中将の言葉を受けて、海軍本部にいる間は好きなようにあちこちをうろついている。
いつだったかは海兵たちの訓練に混じろうとして海兵たちを困惑させていたし、その前にはなぜか『英雄』と名の付く海兵の横で煎餅を齧っていた。
そしてどうやら、今日も好きなようにしてミホークのいない時間を過ごしていたようだ。
「一人でか?」
「ううん、つるちゅーじょーと」
海兵の名前を紡ぎながら、ナマエはそわそわとその身を揺らしている。
どうやら近づいて欲しいと求めていると気付いて、ミホークはひとまず自分とナマエの間の距離を縮めた。
一つだけ用意されていた椅子をひかれ、それに座ったミホークの鼻を、テーブルの上にある塊の香りがくすぐる。
甘いにおいのするそれは、誰がどう見ても『ケーキ』と名の付く菓子だった。
白いクリームの内側がどうなっているかは分からないが、見ているだけで口の中が甘ったるく感じられる。
大きいと唸るほどでもないが、小さいと笑ってやれるほどでもない。
「さっさと食ったらどうだ」
どうしてか佇んだままのナマエへ向けてミホークが言うと、む、とナマエが眉を寄せた。
なんでそんなことを言うんだ、と言いたげなその顔に、ミホークはわずかに瞬きをする。
ミホークの困惑を感じ取ったかのように、似合わないため息を零した子供が、その両手で皿を捕まえ、ずいとミホークのほうへと差し出した。
「これ、鷹の目の」
そうして放たれた言葉に、ミホークは改めて、差し出された白い塊を見下ろした。
そしてそこでようやく、白いクリームの上に落ちたまだらが、文字を記そうとしていることに気付く。
さかさまな上に綴りが少々おかしいが、記されたそれはどうやら『ミホーク』の名前であるようだ。
海軍本部に来る前、手配書の文字を尋ねられたことを思い出したミホークの前で、すねた顔の子供が口を動かした。
「鷹の目、たんじょーびだったでしょ、昨日」
おめでとうございました、と言葉を重ねながら差し出した皿を無理やり膝に乗せられて、ひとまず片手でそれを捕まえながら、ミホークはナマエの言う『昨日』の日付を思い返した。
「…………そうだったか」
海へ出てから縁遠くなってしまった『日付』に、ぽつりとミホークの口が言葉を落とす。
それを聞き、ナマエが丸く目を見開いた。
「……鷹の目、自分のたんじょーび忘れちゃってたのか?」
恐る恐ると言った風に問いかけられて、そうだな、とミホークが頷く。
「逐一祝うようなことでもなかろう」
例えば『仲間』がいたなら別だったかもしれないが、一人を選択したミホークに祝いの言葉をわざわざ述べる人間など、そうはいない。
ミホーク自身すら気に留めてもいない日付だったのだ。
そういえばどこでそれを知ったのだろうか、とミホークが見つめた先で、どうしてかナマエがその眉を下げた。
どことなく悲しそうな顔になられて、ミホークのほうがわずかに困惑する。
しかし、数秒でその表情を打ち消したナマエは、ぱっとケーキの乗った皿から手を離し、小さな手でこぶしを握った。
「それじゃあ、もし俺が来年もいたら、俺が来年はもっとたくさんお祝いする!」
「……来年?」
「うん、今日はチコクしたからその分と、その前の分!」
頑張るから楽しみにしていろと、高い声が紡いだそれに、ミホークは軽く首を傾げた。
一体どうして、目の前の小さな子供がそんなことを言うのかがまるで理解できない。
相変わらず、空から降ってきた少年は変わった感覚の人間だ。
「その前に、『帰る』のではなかったか」
ミホークの知らぬ『故郷』を探している少年へそういうと、だから『もし』いたらだよ、と言葉を重ねてから、それから少しだけ考えたナマエは、さらに口を動かした。
「でも、帰っちゃってても、お祝いにはいくし」
きっぱりとした言葉に、ミホークはわずかに目を細めた。
帰る方法も分からなければ帰る場所も知らぬ癖をして、ナマエは馬鹿を言う少年だった。
しかしそれでも、ミホークは、目の前の子供が自分の言葉を違えぬ人間であることをよく知っている。
『……泣いてもイミないから、もう泣かない』
ある日突然ミホークのもとへと降ってきて、帰り方も分からなければ帰るべき場所すらも知らないナマエは、幼子らしく数日ほど泣き続けていた。
そしてある日、目を真っ赤にして顔中がひどい有様のまま、突然ミホークへ向けてそう宣言したのだ。
小さく細く頼りなく、ミホークが片手で殺せるような弱い生き物のくせに、あの日のナマエは強者のような目をしていた。
そしてあれきり、子供が『帰りたい』と言って泣いている様子を、ミホークは見たことがない。
時たま訪れる不安は歯を食いしばってかみ殺して、ミホークがいるから寂しくないと嘯いて、ナマエは『帰る方法』と自分で探そうとしている。
拾った子供を海軍へ押し付けようとしていたミホークがその手段を取りやめたのは、泣かなくなったナマエが『ミホークと一緒がいい』と言ったからだった。
「……貴様がそういうのなら、楽しみにしておくとしよう」
ナマエへ向けてミホークがそう言うと、ナマエがにへ、と嬉しそうに口元を緩めた。
それから、その手がテーブルの上に置いてあったフォークとナイフを取り出して、それをそのままミホークのほうへと差し出す。
「じゃあ、はい。めしあがれ」
「…………」
にこにこと笑いながら言葉を述べたナマエの前で、膝の上の皿から手を離したミホークが、ナマエの差し出したカトラリーを受け取る。
そうして切り分けた最初の一口を子供の口へ素早く押し込むと、子供は少し驚いたような顔をした後、おとなしくケーキをもぐもぐと噛みしめた。
数回繰り返すと不機嫌な顔になるので、そこでミホークが小さな一口を口に入れる。
それを繰り返して皿の上のケーキの半分以上を子供の口へと放ったミホークが、会議に赴きながら手配させていたものをナマエへと差し出したのは、このたびの集合が解けてマリンフォードを後にすることとなった日のこと。
「…………俺、まだたんじょーびじゃないよ?」
不思議そうにしながら小さな子供向けの本を両手で持ったナマエに、ミホークは『暇つぶしに読め』と言っただけだった。
end
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