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傍らの安寧
※わずかながらの死にネタ?
※イッショウさんを全盲と捏造中
※名無しオリキャラ(副官)注意






 世界徴兵により、海軍大将として軍に迎え入れられることになったイッショウが、その居住をマリンフォードへと移したのは、数限りなくあるその任務を果たすためには仕方のないことだった。
 イッショウのその目を考慮してか、書類仕事には副官が宛がわれ、彼が読み上げる文面をいくつも耳にして頷き、判を押すかどうかを決めるのもイッショウの仕事の一つだ。

「そろそろ休憩にしやしょう」

 何枚もの書類を読み上げるその声に力が無くなったことに気付いて言葉を放ち、イッショウが時間潰しの散歩に出かけるのもいつものことだ。
 慌てたように供を願い出た副官には軽くそちらの方へ掌を向けることで制し、一人で部屋を出て、仕込み刀である杖で足元を確認しながら、ゆっくりと廊下の端を歩く。
 何度か歩き回ったため、イッショウの頭の中には既にこの海軍本部内の地図が出来上がりつつあった。これなら、何か有事が起きたとしても、イッショウの能力を使って一目散に向かうことが出来るだろう。
 幾度か他の海兵とすれ違い、声を掛けられるのに返事をしながら歩んだイッショウがふとその足を止めたのは、すぐ横に、何やら随分と弱々しい気配があったからだった。
 そこには確か、小さな中庭があったはずだ。
 他の訓練場と違い、もう少し先に進んで通路を折れた先にある応接室から望むことのできるよう、美しく整えられているのだとは一度案内してくれた海兵の談である。
 別に、そこに人がいるのは構わないだろう。庭というからには職人も顔を出すだろうし、一般海兵である可能性もある。
 だと言うのにどうしてその気配が気になったのかと、軽く首を傾げたイッショウは、そっとその体を中庭の方へと向けた。
 確か段差があっただろうと思い返し、その手前で立ち止まって、少しだけ体を中庭の方へと傾ける。

「……どなたさんか、いらっしゃるんで?」

 そうやって声を掛けた先で、その気配が少しだけ身じろぎをする。
 こちらを見たらしいその気配の主がイッショウへ返事をよこしたのは、それから一分ほど経ってからのことだ。

「…………その、そこ、段差あるんで、危ないですよ」

 おずおずと寄越されたその声に、どうやらその人は『いい人』であるらしいと、イッショウは把握した。







 『ナマエ』と名乗った彼は、海兵かと尋ねたイッショウに否定を返した。それ故に、この海軍に出入りしている一般職の職人であるらしいとイッショウは判断する。庭師かと思ったが、どうもそれとも違うようだ。
 時々こっそりこの中庭に入って休んでいるのだと、恐る恐る秘密を打ち明けたナマエに、誰にも言いやせんよ、と返事をしたのはイッショウの方だった。

「そんなに、ここは心が落ち着きやすか」

「落ち着くっていうか……実家の庭に、すごく似てて」

 懐かしくってつい、と呟いたナマエの言葉に、なるほど、とイッショウが頷く。
 ナマエもまた、イッショウと同じく、遠い場所からこのマリンフォードへとやってきたようだった。
 そのことにわずかな親近感を抱いたイッショウが、時たまこの中庭へ訪れるようになったとしても、誰かが咎めることは無いだろう。
 ナマエの来る頻度がどれほどのものなのかはイッショウにも分からないが、イッショウがここを訪れる度、彼はこの中庭にいた。
 ひょっとするとイッショウのことを待っていたのかもしれないと思うくらいには弾んだ声で、『イッショウさん』とイッショウを呼ぶ彼に、イッショウの口に笑みが浮かんだとしても仕方の無いことだ。
 今も、イッショウは中庭の端にあった小さなベンチに腰を下ろして、すぐそばにはナマエの座っている気配がある。
 植え込みのお陰で応接室の窓からは見えないらしいそこは、この中庭で過ごすには絶好の場所のようだ。

「それで、あっしはこの海軍に入ったわけでして」

「へえ……それじゃあ、イッショウさんはやっぱり強いんですね」

 イッショウの言葉へそう返すナマエの声音には、感心するような響きがにじんでいた。
 もしもイッショウの両目がその視力を残していたなら、顔も知らぬ彼がその目をイッショウへ向けている様子を見ることが出来ただろう。
 そのことを少しだけ残念にも思ったが、ありのままをあるように受け入れるしかないと分かっているイッショウにとっては、ほんの些細なことだった。
 顔を見ることが出来ないのなら、他のことでナマエを知ればいいだけなのだ。

「それじゃァ、ナマエさん、次はあんたさんの番でしょう」

 お互いに一つずつ自分の話をすると言うのが、ここ最近のイッショウとナマエの決め事だった。
 ナマエが、イッショウに対して色々な質問をしてきたのがそのきっかけだ。
 イッショウは『休憩』のためにここへきているのだから、そう長時間いられるはずもない。
 会っている時間を殆ど自分の声を聞くだけで過ごしたイッショウが、三回目にこの中庭を訪れた時に持ち掛けたそれに、ナマエは不思議そうにしながらも応じてくれたようだった。
 そうして聞かされた話を聞く限り、海兵でなくただの一般人であるナマエは、随分と平和な海で育った青年であるようだ。
 それがわざわざ、どうしてこのグランドラインのマリンフォードまで、とはイッショウも思ったが、誰にでも事情はあるのだからと聞かないままでいる。
 その気配を探る限り、ナマエは決して悪人では無かった。
 それが自分の主観からくるものだとはイッショウも知っていたが、しかし自分すら信じられなくて正義を背負える筈もないのだから、疑いを抱く余地もない。
 いつかはナマエの方から話してくれるだろうと、そんな風にすら思っているイッショウの隣で、えーっと、とナマエが声を漏らした。

「この間は、学校の話をしましたよね……それじゃ、今度は就職した時の話でも」

「今の職場ですかい?」

「あ、えっと……いや、前の職場の話です」

 寄越されたイッショウの質問に少し言いあぐねるような間を持って、それからナマエが言葉を漏らす。
 そうですか、と軽く頷き、イッショウは手元の杖を持ち直した。
 肩にそれを預けるように抱えて、聞く体勢を持ったイッショウの姿に気付いてか、ナマエがゆっくりと話し出す。
 ナマエの言葉は、イッショウが想像しやすいようにと言葉を選びに選んだ気配のある、なんとも優しげな響きに溢れていた。
 海軍本部の、それも客人をもてなす為だけに誂えさせた庭に似た庭が家にあったと言う台詞から言って、随分裕福な家柄の人間だろう。
 だと言うのに、目の不自由なイッショウを見下す気配もなければ、そのことについて言及してくることもない。
 イッショウをイッショウとしてあっさりと受け入れて、イッショウがその身分を明らかにしても、ナマエの態度は変わらなかった。
 ほんの少しの時間しか一緒にいられないのが残念だと思うくらいには、イッショウは彼を好ましく思っている。

「それで、職場の見学に伺ったら、社長さんがいらっしゃってて」

 イッショウの横で、ナマエが一生懸命に話をしてくれている。
 それらを聞き、時に相槌を打ちながら、イッショウのその日の休憩時間は過ぎていった。







「そういえば、大将はよく中庭にいらっしゃっているんですね」

 休憩時間を終え、部屋へと戻ったイッショウと共に仕事をしていた副官が、書類を片付けながらそんな風に言葉を放った。
 寄越されたその声に、イッショウが軽く頷く。
 それから少しだけ眉を寄せて、誰かに迷惑をかけているのかと言葉を紡ぐと、そんなわけじゃないですよ、と副官は慌てて声を上げた。
 とんとんと書類を整える音を零して、それから椅子を引いて立ち上がる気配がする。

「ただ、噂を聞いたのと、昨日通りがかりに見かけたので……今度、自分もご一緒してよろしいですか?」

「へェ、そりゃあもちろん、歓迎しやす」

 寄越された言葉に笑って頷き、ああでも、と言葉を零した。
 イッショウが中庭で過ごす時、彼は基本的に一人では無いのだ。

「先にあちらさんにも話しときやしょう」

 海軍大将であるイッショウを前にしても態度の変わらなかったナマエが、他の海兵を連れてきて態度を変えるということは無いだろうが、やはり一言くらいは断っておいた方がいいだろう。
 そう思ってのイッショウの言葉に、え? と副官が戸惑ったような声を漏らした。
 どうしたのかと首をかしげて、イッショウがそちらを窺う。

「……どうかしやしたか?」

 問いかけると、少しの間を置いて、ひょっとして、と副官が言葉を零す。

「大将、あの庭で何か飼ってますか?」

 駄目ですよ動物を飼う時は許可をとらないと、と続いた言葉に、へえ、と肯定とも否定ともつかない声がイッショウの口から漏れる。
 むしろ海軍本部の中でも許可をとれば動物が飼えるのかと問いたかったが、そう言えば元海軍元帥はヤギを執務室に置いていたらしいという話は聞いたことがあった。
 だからその疑問を口にはせず飲みこんで、代わりの言葉を口から紡ぐ。

「あっしは、何にも飼ってやせんよ」

 どうしてそんな勘違いを、とまで続けたイッショウの言葉に、そうなんですか? と問いかける副官も不思議そうだ。
 もう一度首を傾げたイッショウへ、ですが、と彼は言葉を放つ。

「もしもそうなら、『誰』に話しておかれるんですか? 昨日だって、お一人でいらっしゃったのに」

 寄越された言葉の衝撃に、イッショウの眉がぴくりと動いた。







「あ、イッショウさん」

 いつも通り中庭に現れたイッショウを、いつも通りにその声が出迎えた。
 イッショウが足元を確認しながら近寄れば、弱弱しいながらも確かに、ベンチに腰を下ろしているナマエの気配がする。
 そのことに少し息を吐いて、イッショウはいつも通りにベンチへと腰を下ろした。
 木々の間から落ちる日差しは温かく、イッショウの体をじわりと温める。

「今日もいい天気でようござんした」

「そうですね」

 イッショウの言葉へそう返事をして、ナマエが傍らで笑っている。
 その小さな笑い声を聞きながらも、イッショウの頭の中に少しばかりこびりついているのは、昨日、副官から聞いたあの言葉だった。
 いくらナマエの気配が小さくても、その姿が見えないなんてことはあり得ない。
 イッショウの知る限り、イッショウが座っているベンチは死角でも何でもなく、応接室からはとにかく、傍らに横たわる通路からは簡単に見渡せる位置にある筈だ。
 それに、話によれば、イッショウの副官である彼だけでなく、他の何人かも、『イッショウ』が『一人』でこの庭にいる様子を目撃しているらしい。
 それらの情報はすなわち、イッショウの傍らに座っているはずのナマエが、他の人間には見えないという事実を表していた。
 そういう能力者である可能性も否めないが、それよりそう聞いてイッショウの頭をかすめたのは、よくある怪談話の類いだった。
 何故なら、ナマエが『今』の自分の話をしないからだ。
 どこに住んでいて、どんな仕事をしていて、何の用があってこの海軍本部にいるのか、何一つまだイッショウに語ったことがない。
 それがもし、語る内容が無いと言う事実に基づくものであったとするのならば、と、そこまで考えが飛躍してしまったイッショウの手が、軽く杖を握りしめた。
 今も隣にいる彼は、もしや本来は存在しないはずの者なのではないか。
 死んだ人間の心だけがうろつくだなんてこと信じてはいなかったが、もしナマエがそうなのだと言うのなら、これからは信じてもいい。
 ひょっとすると、ナマエはその声だって他の人間には届かないのかもしれない。
 誰にも見えず、誰とも会話が出来ない寂しさをイッショウは知らないが、それならば、イッショウをいつだって歓迎しているナマエの声にも理由がつくような気がした。
 そんなことを考えたイッショウの横で、イッショウさん? とナマエが不思議そうに声を零す。
 黙り込んでいたイッショウを窺うその気配に、ああすいやせん、と笑ってから、イッショウはその手をナマエの方へと差し出した。
 片方の掌を無造作に向けて見せれば、すぐ隣で戸惑ったような気配がする。

「手ェ、貸してくださいやせんか」

 その状態でイッショウが言葉を紡ぐと、え、とナマエが声を零した。
 それから、少しだけの沈黙の後で、恐る恐るとイッショウの手に何かが触れる。
 捕えるようにイッショウが握りしめたそれは、確かに青年の掌だった。
 驚いたように強張ってはいるものの、文官でもない限り海兵にはあり得ないような頼りなさのその手は、温かな日差しにあたっていると言うのに、随分とひんやりしている。
 けれど確かにそこにあるそれを握りしめてから、イッショウの手がぱっとそれを手放した。
 解放されてすぐに逃げ出していった掌の主は、まだ戸惑ったようにイッショウを見つめているようだ。

「あの……?」

「そういや、握手もしたことが無かったと思いやして」

 そんな風に嘯いて、イッショウの背中がベンチの背もたれへと押し付けられる。
 ナマエがどこの誰で、ひょっとしたら普通とは違う人間かもしれないだなんてこと、イッショウにとっては関係の無いことだった。
 触れることが出来て、会話が出来て、意思の疎通が出来る。
 それならば、イッショウにとってのナマエは、他の人間と何一つ変わらない。
 もしもイッショウの両目が常人と同じならそこに誰もいないと言う事実を認識してしまったのかもしれないが、あいにくなことに、イッショウの両目は光を失っているのだ。
 だからこそ、ナマエ自身が話してくれるまでは、イッショウにとってのナマエへの態度は、いつもと何も変わらない。

「それで、今日は何の話をしやしょう?」

「え? え、えっと……」

 だからそんな風に呟いたイッショウに、ナマエは納得いったのかいっていないのか不明瞭な声を漏らす。
 しかしそれでも誤魔化されてくれるつもりなのか、いつものようにイッショウへ質問をした。
 イッショウが、それに答える形で話し始める。
 彼の知らない自分を語りながら、けれどもとりあえず副官には何か後で断り文句を考えなければと、イッショウは頭の端でちらりとそんなことを考えていた。


end


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