犬の心得
※アニマル転生主人公は大型犬雑種で見た目が怖い
※名無しオリキャラ副官注意
ゴム紐でしっかりと取り付けられた海軍帽子と、前側で口があけられるようになっている子電伝虫入りのベルトの短いポーチ。
それらをしっかりと装備して、体の大きな海軍大将についていく犬。
それが、何を隠そう俺である。
「わふ」
「ん? どうかしやしたか」
胸を張って鳴き声を零した俺に気付いて、イッショウさんがこちらへ声を掛けてきた。
犬でしかない俺には言葉を返すことが出来ないので、『何でもないよ』と応える代わりにわんと鳴く。
「へェ、そんならようござんした」
多分イッショウさんは適当に応えているんだと思うが、まるで伝わったかのようだ。
何となく嬉しくなった俺の後ろで、俺の意思など無視して尻尾がぱたぱたと揺れた。
勢いのよすぎるそれが横を歩いているイッショウさんの足も軽く叩いたが、イッショウさんは気にした様子もない。
見上げた先では楽しそうに街中を歩いている誰かさんの顔があって、俺は改めて周囲を見回した。
「わうん」
今日、俺とイッショウさんが歩いているのは、今まで時々一緒に出かけていた海軍本部のある島ではない。
海軍大将となったイッショウさんは、ついによその島へも『仕事』で出かけるようになったのだ。
『遠征』と言う奴ではないらしいが、俺が同行を許されたのはきっと、俺が日々体を鍛えていたからだと思う。
犬として生まれなおした俺の体は、鍛えれば鍛えるだけ力の付く体だったらしく、最近は訓練場で遊んでくれる海兵にも『お前も随分と体力ついたなァ』と褒めてもらえるくらいなのだ。
調子に乗って鍛えたせいで体には筋肉が張り付き、鏡の中に何だか今にも子供を噛み殺しそうな闘犬が映るようになった。夜中に鏡を見たときは変な声を出してしまったが、あれは不可抗力である。
「……」
「ひっ ままあ……っ!」
だからまあ、子供が今までに輪を掛けて俺を怖がるようになったのだって、仕方の無いことだろう。
歩く俺と同じ程度の高さしか背丈のない子供が、母親らしき女性に抱き上げることを強請っているのが少し離れた場所に見えた。
その目は怯えたようにこちらを見ていて、間違いなく俺の所為であるということも分かる。
間違えても子供を噛んだりしないから、そんなに怖がらなくていいのにとも少しは思うが、俺だって真夜中の鏡に映った闘犬には驚いたのだから無理な話と言うものだ。
ちなみに、夜中に変な鳴き声を上げた俺に気付いて起きてきたイッショウさんが、何でかしばらく俺を抱えて子供をあやすように背中を撫でていてくれた。
翌日のイッショウさんがとても眠たそうだったことを思うに、俺は精神面でも鍛えていかなくてはならないだろう。
「わふ」
気合を入れて鳴き声を零した俺の隣で、イッショウさんがふらりと路地を曲がる。
それに気付いて後を追いかけた俺は、イッショウさんには関係ないのだろうがとても薄暗くていやな雰囲気の漂う路地に、揺れていた尻尾を落ち着かせた。
は、は、と漏らしていた息を押し殺すようにして後を追いかけると、先を歩いていたイッショウさんの向こう側で、何とも見た目からして一般市民とは言いがたい男が軒下から現れる。
「ありゃ、おっさん、こんなとこ歩いてたら危ねェぞ?」
いかつい顔に笑みを浮かべてイッショウさんへ言葉を投げかけた相手が、ぽん、と軽くイッショウさんの肩を叩いた。
「それともコッチに用事か?」
そしてそんな風に言いながら、路地を成していた壁の一つを指差す。
イッショウさんの後ろからそちらを見やった俺は、そこに一つの店があると言うことに気が付いた。
看板の文字は読みづらいが、どうやら賭場らしい。開いた扉から漂うタバコの煙と、犬になってから少しよくなった耳に届くルーレットの音に、そう判断する。
「おんやァ、賭場がこんなところに?」
「ん? ああ、そうか、アンタ島の人間じゃねェんだな」
どことなく嬉しそうに呟くイッショウさんに、男がそんな風に呟いた。
それからその目が何かを考えるように視線をさ迷わせて、そしてその口元にニヤリと笑みが浮かぶ。
何ともいやな、間違いなく悪い人間の笑い方である。
俺がそう判断したところで、イッショウさんへ視線を戻した男が、軽くその手でイッショウさんの腕を捕まえた。
「よかったらひと勝負どうだい。カードは無理でも、ルーレットならアンタにも出来るだろ?」
おれが出目を教えてやるからさ、なんて言い放った男の目には、イッショウさんが葱を背負った鴨として映っていることは想像に難くない。
なるほどそれじゃあひと勝負、なんてイッショウさんは言っているが、このまま行かせるのは駄目だ。
楽しく過ごしたいならば、俺もお目付け役として付いていくべきだろう。
そんな風に判断して、俺は大きく口を開いた。
「……わん!」
※
イッショウさんは、よく悪い人に絡まれる。
一見して分かる盲目で、体の大きさのわりに穏やかで、まるで人を疑うことの無さそうな言動をするものだから、悪い人間にしてみれば間違いなく養分だ。
これでイッショウさんが強くなかったら、そりゃあもうその生涯を悪人に骨の髄まで舐めしゃぶられていたに違いない。
もちろんイッショウさんだって自分の命は守れるだろうが、俺は出来ればその有り金も矜持も優しい心も、ちゃんと守って欲しいと思っている。
だから、別に見た目からしてやくざ者だった男に酷く怯えられたからと言って、なんと言うことはないのだ。
「ナマエ……そう落ち込まねェでくだせェ」
あっしを助けてくれたんでしょう、なんて言いながら俺の背中を撫でるイッショウさんに、わふんと返事をする。
しかし、別に落ち込んでいない、と伝えるつもりの鳴き声にはまるで力が無く、それはイッショウさんにも伝わったようだった。
更によしよしと背中や頭を撫でられて、きゅん、と子犬のような鳴き声がもれる。
俺とイッショウさんが今いるのは、先ほどの路地を抜けて進んだ先にあった小さな公園だった。
ちなみに、遊んでいた子供達は、突然現れたよそ者たるイッショウさんと俺と言う存在によって、ぱっと公園から出て行ってしまった。
そこまで怯えられると、まるで俺が賞金首か何かのようだ。
イッショウさんが船から降りるとき、誘われても断っておいたほうがイッショウさんのためにも良かったんじゃないだろうか。
俺が見ている限り、殆ど島民と交流していない海軍大将を見上げると、ベンチに座ったイッショウさんが、背中を撫でていた手を俺の頭の上へと移動させた。
よしよしと頭を撫でてくれるイッショウさんの顔は、しかし何となく明後日の方向を向いている。
目が見えないから当然なのだが、もしもその目が俺を見ることが出来たら、もしかしてイッショウさんも俺を怖いと思ったりするんだろうか。
いや、さすがにさっきの悪そうな男のようにあからさまに怯えたりはしないだろう。
それでも、俺がどれだけ怖いか見たら、もしかしたら船を降りるときに俺を誘わなくなるかもしれない。
『一般人を怯えさせるわけにゃあいきやせんから』とか、イッショウさんなら言ってもおかしくない。
いや、でも。
犬らしさのかけらもない悩みが頭の中でひしめいて、俺はぺろりと自分の鼻先を舐めた。
その間も何度か俺の頭を撫でていたイッショウさんが、ふと何かに気付いたようにその手を止める。
それから数秒を置いて、するりと俺の毛皮を辿ったその指が、俺の顔のほうへと触れた。
「ここが目ェ、ここが鼻、ここが口」
口を動かしながら、イッショウさんの指がするするとその言葉が示すあたりを辿る。
これが牙、と俺の石でも噛み砕ける牙まで触るその指に、いつだったかのように舌でその指を押しやると、前だったらあっさりと手を引いていたはずのイッショウさんは、どうしてか更に俺の口の中へと指を侵入させてきた。
反射的に口を大きく開いたのは、万が一にもイッショウさんの指を噛んではいけないと思ったからだ。
何て無防備な人だろうか。俺が普通の犬だったら、間違いなくその指は噛まれている。
触れる感触からして噂の武装色の覇気とやらは使っていないようだし、そうなるとイッショウさんの指がレンガより硬いとは思えないので、へたをするとその指すらも噛み千切ってしまうのではないか。
「わう」
一体何をしているのかと鳴き声を漏らす俺を放っておいて、俺の上あごの裏まで触ってから指を抜いたイッショウさんは、今度は両手をこちらへ伸ばしてきた。
俺の顔をしっかりと掴み、両手で揉むように犬の顔を撫でまくって、しばらくそれをやってからようやく満足したらしいイッショウさんが、なるほど、と声を漏らした。
「随分とりりしいお顔をしてらっしゃるようで」
納得したようなその声音に、俺はイッショウさんが俺の顔の形を確かめていたらしいとようやく気付く。
ただ触っただけで分かるのかは分からないが、イッショウさんのその目は生まれつきのものではないから、触って形を確かめることで、想像上に描くことは出来るかもしれない。
怖い顔だと知られてしまったのか、とわずかに尻尾を丸めた俺の前で、俺の顔を掴んだままのイッショウさんが優しげに笑みを浮かべた。
「ナマエより、あっしの方が恐ろしい顔をしていそうなもんだ」
「わん?」
落ちてきた言葉に、思わず鳴き声がもれる。
何で、と尋ねたつもりの俺へ向けて、顔にこんな大きな傷が二つもありやすからね、とイッショウさんが俺の方へ体を傾けた。
確かにその言葉の通り、イッショウさんの顔にはとても目立つ傷跡がある。
しかし、たかだかその傷くらいで怖い顔とは言えないのではないだろうか。
むしろ、目が見えないことを主張してくるその傷の所為で悪い奴が寄ってきている気もする。
真夜中に鏡にその顔が映りこんでも、怖くて悲鳴を上げることは無さそうだ。
「くうん」
鼻を鳴らして、俺は少しだけ鼻先をイッショウさんのほうへと近づけた。
そうして、近かったその額をぺろりと舐める。
中身が人間であることを考えれば異常な行動だが、しかしまあ今の俺は犬なのできっと問題ないだろう。
俺の行動に少し驚いたように身を引いたイッショウさんが、それからまたすぐにその顔に笑みを浮かべる。
「ありがとうごぜェやす」
何に対しての感謝なのかは分からないが、寄越された言葉に『どういたしまして』と応えるべく、俺もわんと鳴き声を零した。
それに重なるように、俺の首から掛けていたポーチから、プルルルルと小さく音が漏れる。
「…………」
「…………わふ」
動きを止めたイッショウさんの掌へ体を逸らしてポーチを押し付けると、やや置いてから仕方無さそうに、イッショウさんがポーチを開いた。
出てきた子電伝虫が、必死な顔でプルルルと鳴いている。
ガチャ、と音を立ててその受話器を動かした途端に、目に涙すら浮かべた子電伝虫が声を上げた。
『大将! どこに行ってるんですか!!』
聞こえた声は、間違いなくイッショウさんの副官のものだ。
どうやら、こっそりと軍艦を抜け出したことにようやく気付いたらしい。
そうなると、そろそろこの『散歩』も終わりだろうか。
帰りに少し寄り道をするかもしれないが、出来るだけ帰る方向へ誘導しよう。
謝罪を落としながら二言、三言と言葉を交わすイッショウさんを見上げて、俺はぺろりと自分の鼻先をもう一度舐めた。
先ほど口の中まで触られた感触を思い出して、少しむずむずする。
とりあえず帰ったら水でも飲もう、なんてことを考えたところで、ナマエ! と子電伝虫が俺を呼んだ。
それへわんと鳴いて返事をすれば、それが聞こえたのか、涙目の子電伝虫が俺の方を向く。
『頼んだぞ、頑張ってイッショウさんを連れて帰ってきてくれ!』
とても必死な声で寄越されたので、任せろ、と言う意味をこめてもう一度『わん』と鳴く。
俺と子電伝虫のやり取りを見ていたイッショウさんは、ああこりゃあ参った、なんて言って笑っていた。
end
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