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恋と呼ぶらしい
※主人公は海兵さん(多分転生トリップ)



『スモーカー』

 ナマエがスモーカーを呼ぶその声音は、他の誰へ向けるものとも違っている。
 その事実にスモーカーが気付いたのは、海兵になりたてだった頃、ナマエ曰くの『かたつむり』を持ちたがらないどこぞの馬鹿のために、伝令を伝えようと支部の中を捜し歩いていた時だ。

『ごめん、俺、そういうの駄目なんだ』

 そんな声が聞こえて、声の主を見つけてやるべく足を進めたのは建物の裏手で、ナマエは同僚である女海兵と二人きりだった。
 すがるように手を伸ばしてきた相手の手を掴んで押し留め、なあ、と相手の名前を続ける声の硬さに、スモーカーが思わず足を止める。
 申し訳無さそうに相手を見つめ、『君にはもっといい人がいるよ』なんて言い放ったナマエの台詞と場の雰囲気からすれば、それがどういう現場なのかなんていうことは、簡単に分かる。
 人の色恋沙汰に興味など持たないスモーカーは、二人に気付かれる前にきびすを返して、現場から少しばかり遠ざかった。
 建物を回りこみ、恐らくナマエが通るだろう、建物の中へと続く小道の端でようやく足を止めて、葉巻を取り出す。
 口に咥えたそれに火をつけて、ゆるりと慣れた香りを零しながら、スモーカーは少しばかりその眉間に皺を寄せた。

『……?』

 何故だか違和感が胸のうちにあって、これはなんだろうか、と首を傾げる。
 けれどもスモーカーがその原因を究明する前に、わずかな足音がスモーカーの耳へと届いた。
 聞きなれたそれに視線を向ければ、建物を回りこんできたナマエが予想通りの道を歩きながら、スモーカーを見つけて『あ、やっぱり』と声を零す。

『葉巻の匂いがするから、絶対スモーカーだと思った』

 楽しげに弾む声音は、いつもと変わらない。
 先ほどの、間違いなく相手を拒絶していた声音とはまるで重ならないそれに、スモーカーはまたじわりと奇妙な何かを胸に抱く。
 不快感に似たそれの意味が分からず、そっと目を眇めたが、ナマエを睨んだところで何か変わるはずも無い。

『どっかの馬鹿が見つからねェもんでな。息抜きだ』

『またまた、そんなこと言って。人をサボりの口実にしないでくれよ』

 楽しそうな顔で言葉を紡ぐナマエへ向けて、おれがサボるか、と低く唸れば、それもそうかとナマエが手を叩く。
 スモーカーを『案外』真面目だと言ってくる失礼な海兵に、スモーカーはふんと鼻を鳴らした。
 それからその手が葉巻を口から離して、煙にまぎれて伝えるべき伝令をナマエへ向ける。
 そうしながら、やはり先ほどの違和感と不快感の正体を探ったが、スモーカーは結局それに辿り着くことが出来なかった。
 その答えを求めて、ナマエを気にするようになって、もう何年が経っただろうか。
 スモーカーほどではないが、ナマエもまた、上を目指す海兵だった。
 そして、基本的に相手と自分に明確な線引きをするくせに、スモーカーに対してだけは妙になれなれしい。
 休みの日に押しかけてくるのはもはや二回に一回の割合を越えるし、遠征や訓練の後はあれこれと世話を焼こうとするし、何より、とにかく近くへやってきて話しかけてくる。
 いろんなことを話して聞かされるうち、スモーカーはすっかりナマエと言う男に詳しくなってしまった。恐らく、同じようにスモーカーの話を聞きだしていたナマエもそうだろう。
 そして、どこの誰にするよりも明るく柔らかく、ナマエはスモーカーを呼ぶのだ。

「なァ、スモーカー」

 今日もまた、海軍支部のある平穏な島で、ナマエがスモーカーの名前を呼ぶ。
 何だ、とそれへスモーカーが応えてやると、片手にアイスを持ったままのナマエが、ぺろりと唇の端についたクリームを舐めるだなんていう行儀の悪いまねをしてから、そのまま口を動かした。

「俺、来月『南』に異動だって」

「…………」

 まるで世間話のように紡がれた言葉に、思わずスモーカーの足が止まる。
 立ち止まったスモーカーを置いて少し先を歩いたナマエが、そんなスモーカーを振り向いた。
 久しぶりの休日である今日、家にいたスモーカーを外へと連れ出したのは、いつもの通りナマエだった。
 海兵らしく二人で街中を警邏して、途中で共に昼食をとり、あれこれと話をした。
 二人が今いるのは島にある港の裏手で、人の通りは殆ど無い。
 スモーカーがその身に悪魔を宿してから、すっかり浸かることの無くなった青い海が、傍らから彼方へ向けて広がっている。

「寂しい?」

 笑って尋ねてきた相手に、少しばかり押し黙ってから、スモーカーは葉巻の煙まじりのため息を零した。
 胸のうちにわいたわずかな違和感と不快感は、ナマエと共に過ごすうちに慣れてしまったものだった。
 もはや飲み込むのすらも手馴れてしまって、口から不満など出てもこない。

「うるせェのがいなくなるんなら、これからは休みも寝て過ごせるだろうよ」

「お前なァ」

 スモーカーの言葉を聞いて、いいけどたまには外に出ろよ、と笑ったナマエが、それからスモーカーとの間に開いた距離をつめる。
 一歩、二歩、三歩と動いた足がスモーカーの目の前で止まり、スモーカーより少しだけ低い場所からスモーカーを見上げて、海兵は唇を動かした。

「恋人が離れていっちゃうんだから、もう少し寂しがれよ」

「…………ああ?」

 微笑みながらのナマエの言葉に、スモーカーは眉間に皺を寄せた。
 怪訝そうにナマエを見下ろすと、その顔を見上げたナマエが、あれ、と声を漏らして目を丸くする。

「もしかして、気付いてないのか?」

「何がだ。気色の悪ィことを、」

「だってお前、俺のこと好きだろ」

 アイスを片手に、まるで世の中の道理を説くようにそんな突拍子もないことを言い放たれて、スモーカーは絶句した。
 急に何を言い出すのだろうか。
 驚きと困惑と、そしてどうしてだかわずかな焦りを感じたスモーカーの前で、ナマエが自由のきく片手をスモーカーの目の前へと広げて晒す。

「俺の誘いは殆ど断らないし、俺が誘いに行くまで家で待ってるし、俺が誘わなかったら不機嫌になるし、いつもこっち見てるし、女の子の前で俺のこと貶しまくるし」

 数えるように指を折り曲げ、そこに拳を作ってからその手をおろしたナマエが、持っていたアイスをスモーカーの口へと押し付ける。

「俺のことを呼ぶときだけ、すごーく優しい声出すし?」

 さすがに気付くって、と続けて笑ったナマエを前に、スモーカーの眉間の皺は深くなった。
 その手がナマエからアイスを奪い取り、押し付けられていた口から離す。

「……何だ、そりゃあ」

 そんなもの、どれもナマエの自己紹介ではないだろうか。
 ナマエはしつこくスモーカーを誘うし、スモーカーが断ろうというそぶりを見せれば捨て犬のように憐れな顔をする。女がスモーカーへ近付けばそれとなく遠ざけようとするし、スモーカーが無茶をやれば誰より早く気付く。
 名前の呼び方なんて、それこそだ。

「てめェの話か、ナマエ」

 唇についてしまったアイスを乱暴に手で拭い、それからそう尋ねたスモーカーの前で、ナマエは目を丸くした。
 けれども、そこから浮かべたのは困惑ではなく、どうしてかとても嬉しそうな微笑みだ。

「そうだよ。俺の話でもある」

 ちゃんと気付いてるじゃんか、なんて言い放ってスモーカーの言葉を肯定して、ナマエの手がアイスを持ったままのスモーカーの手へと触れた。
 軽く掴んだそれを下に引かれ、わずかに体の傾いたスモーカーの顔へと、ナマエの顔が素早く近付く。
 まだアイスが付いていたのか、ぺろりと舐められたのはスモーカーの唇だった。

「スモーカーくん、だァいすき」

 ふざけた調子でそう言って、ナマエはスモーカーからアイスを取上げた。
 向こうについたら手紙を書くだとか、大嫌いだけど『カタツムリ』だって飼ってみせるから電話をしようだとか、そんな言葉を続けながらスモーカーへと背中を向けて、先ほどつめた距離を広げるように足を動かす。
 そのまま更に数歩進み、まるでスモーカーから返事が無いということにようやく気付いたらしいナマエが、そこでようやく足を止めた。
 ちらりとその目がスモーカーを振り向いて、あれ、とその口が言葉を零す。

「スモーカー、もしかして照れてる?」

 どことなく赤い顔で楽しそうに笑ってそう言ったナマエに、それもてめェの話か、と唸ってやるつもりだったスモーカーの口は。
 しかしどうしてか、動いてはくれなかった。
 ただ、胸のうちの不快感と違和感が何処かへ飛んでいってしまったようなので、きっとそのせいだと思いたいところである。


end


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