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処刑台を追う
※主人公は何気に転生トリップ系海兵
※片腕欠損描写あり
※そして『Z』へ
※血なまぐさい描写あり
※微妙に名無しオリキャラ注意



 小さな頃から何かずっと、思い出せないまま引っかかっているものがあった。
 いつか思い出せるだろうかなんて、そんなことをずっと、考えていた。







「チェック」

 一言と共に、駒を一つ進める。
 キングを睨みつける駒を見下ろし、ぐっと口を曲げた俺の向かいの相手から、やや置いてため息が漏れた。

「あァ、敵わねェなァ」

 ことり、と音を立てて自分のキングを自ら転がして、そう呟いたゼファー教官が軽く体を逸らす。
 ぎしりと椅子の背もたれが軋んだ音を立てて、二人しかいない部屋の中に響いた。

「ナマエ、お前はいい参謀になれそうだ」

「そうですか?」

 褒められたような気がして軽く頬を掻きつつ、でもこれしかとりえが無いですよ、と言葉を続けながら盤の上に駒を並べなおす。
 白と黒で分かれた駒をお互いに向けなおしてやりながら、もう一回やりますかと尋ねると、ゼファー教官が首を横に振り、自分の膝に肘を置いた。

「勝てねェ戦いをいつまでも挑み続けるのは馬鹿のすることだ。やるんなら、自分が勝てるほうに仕向けてやんねェとなァ」

「つまり?」

「次はカードだ」

 おれの引きはなかなか強いぞ、なんて言いながら笑われて、確かにすごそうですねと同意する。
 少しチェスが得意なだけの俺を、元海軍大将でもあるこの人がこうして自分の暇潰しの相手に選んでくれたのは、俺がこの人の補佐役だからだった。
 どうせなら海兵として役に立ったらどうだ、と言ったのはゼファー教官だけど、俺はある程度の強さしか持つことの出来ない海兵で、どうしてだか戦闘の場に立つと足が竦む。
 訓練では平気なのに、命のやり取りをする現場にいくと棒立ちになってしまう俺は、まるで実戦には向いていない。
 裏方どころか退役を促されるところだったのを、訓練では平気だったろうがと唸ったゼファー教官が引き取って、『さっさと慣れろ』と言いながら様々な新兵訓練に同行させてくれている。
 時たま発生する海賊との小競り合いではやっぱり足が竦んでしまうけど、焦らなくていいと言ってくれるゼファー教官の言葉に、安堵しているのは事実だ。
 少しおかしい俺を、ゼファー教官は初めて会ったときからあっさりと受け入れて受け流してくれている。

『あの…………大変申し訳ないのですが、どこかでお会いしたこと、ありませんか?』

 新兵だった頃、訓練にいけと本部へ配属されて教官に出会ったとき、俺は激しい既視感に襲われた。
 それをどうにかしたくて尋ねた俺の言葉に、少しだけ不思議そうな顔をしたゼファー教官は、『ナンパか? いい度胸だ』と笑って流してくれたが、今思えばとてつもなくぶしつけな質問だったと思う。
 あの日の俺は本当にただの新兵で、マリンフォードへ来た初日の話だった。俺がゼファー教官に、会ったことのあるはずが無いのだ。
 けれども、やっぱりどうしてか、俺はこの人を知っていた。
 事前に聞かされたのは名前とその階級だけだったのに、顔を見た瞬間に、この人が『ゼファー』教官なんだと分かった。
 それがどうしてなのかは、今も分からない。
 今となっては、すっかり慣れてしまった違和感よりも、俺はこの人の役に立つほうが大事だった。
 ゼファー教官は強くて、厳しくて、しかし優しいいい人だ。
 のぼりつめた海兵らしく、清濁を飲み込み貫く正義を持っている。
 黒腕の二つ名にふさわしいその強さを見て、憧れない海兵なんてそうはいない。
 この人が現役の海軍大将だったなら、きっと多くの人間を従えて、ひょっとしたら今は海軍元帥にだってなっていたのではないだろうか。
 勿体無いな、なんてことを考えながら、チェスの駒と盤を片付けた。
 その上でカードを取り出して、軽く混ぜる。

「教官の知っているゲーム、どういったものがありますか? 俺、あまりカードのほうには詳しくなくて」

 丁寧に手を動かしながら尋ねると、ん? と声を漏らしたゼファー教官が首を傾げた。
 それから少し考えるようにして、そうか、とその口が言葉を紡ぐ。

「なら、おれが直々に、」

 教えてやる、と多分続くはずだった言葉を、ゼファー教官がぴたりと止める。
 その様子に目を瞬かせて、俺はじっと目の前の相手を見た。

「教官?」

 声を掛けた俺の前で、ゼファー教官が片手の人差し指を立てる。
 唇にそれを押し当て、しい、と息だけを漏らした様子に、俺は頷いて口を閉じた。
 二人揃って口を閉じ、そのまま身動きすらやめれば、部屋の中にはランプの燃えるかすかな音しかしない。
 どうにも耳を澄ましているらしいゼファー教官に合わせて俺も同じように耳を澄ませると、ずっと遠い場所で、悲鳴のようなものが聞こえた。
 背中が凍るようなそれに目を見開いた俺の前で、ゼファー教官が勢いよく立ち上がる。

「ナマエ、たたき起こせ」

「は、はい!」

 短く寄越された命令に、俺は慌てて頷いた。
 それから素早く部屋を出て行った相手を見送って、慌てて部屋に備え付けてあった電伝虫を捕まえる。
 非常事態に使う番号を回せば、船内のあちこちと繋がった音がした。

「全員起床! 敵襲!」

 掴んだ受話器相手に声を上げれば、ほんの数秒を置いて、電伝虫の口から様々な物音が漏れ始める。
 それを聞きながら、更に数回伝令を放ち、俺は受話器を戻した。

「……あ……」

 通信を遮断した電伝虫がわずかに怪訝そうな視線を向けたことで、自分の手が震えているという事実に今更気付く。
 それと共に急に息苦しくなって、どきどきと心臓が脈を早めているのを認識した。
 冷や汗が溢れて、足がなかなか動かない。
 これだから、俺は前線に出られないのだ。
 いつもだったらひとまず船内に残って、出来る範囲のことをする。
 しかし、何かが俺に、甲板へ行くようにと囁いている気がした。
 そうしなくてはならないという強迫観念に似た焦燥感がぐるぐると体の中に荒れ狂い、今にも口から何かが出そうだ。

「……なん、だ?」

 よく分からないものの、導かれるようにそろりと重たい足を動かす。
 部屋から出ると、通路を多数の海兵達が行き来していた。
 幾度か訓練で一緒にいたことのある新兵が、俺に気付いて部屋にいるよう声を掛けてくる。
 それに首を横に振り、しかし他の海兵達の邪魔にはならないよう、通路の端をそろそろと歩く。
 そしてどうにか辿り着いた甲板で俺が見たのは、甲板のあちこちに倒れている血まみれの『後輩』達だった。

「お、おい……!」

 大丈夫か、と声を掛けて、一番近かった相手の傍へと倒れこむようにして近付く。
 どうにか助けてやろうと手を触れて、けれどもごろりと俺の手に任せて寝返りを打った相手の様子に、その海兵がもはや返事など出来ないだろうということはすぐに分かった。
 そこら中が血まみれだ。まだ、殆どの海兵達は甲板に転がって苦しんでいるが、そのままではきっと物を言わなくなるだろう。
 吸い込んだ空気に混じる鉄錆に似た生臭さに、思わず口元を手で押さえる。
 叫びだしたいような、けれどそれすら喉が絞られて出来ないような状況で、俺の目を引いたのは、俺より少し離れた場所で交戦するゼファー教官と、数人の海兵と、そして海賊だった。

「……!」

 その様子を見た瞬間、まるで落雷が落ちたかのように唐突に、俺の頭にいくつかの『何か』が浮かぶ。
 その事実に目を見開き、そして動けないでいるうちに、新兵達が海賊を攻撃した。
 ゼファー教官は目の前の海賊を今すぐにでも捕らえたいようだが、それが出来ていない。
 新兵達を庇っているのだと言うことは、見ていてすぐに分かった。
 何とか下がらせようとしているが、仲間達をこんな目に遭わされて、若い海兵達が言うことを聞くはずも無い。
 そしてどうしてか、俺はこの戦いの結末を知っている気がした。

「…………ゼファー教官!」

 だからこそ、きっと気付けば俺はその場から駆け出して、いつもなら硬直して動けなくなっているだけのはずの体を、無理やり教官と海賊の間に割り込ませることが出来たのだと思う。







 ずきずきと、肩が痛い。
 痛みに無理やり眠りを遠ざけられて、俺は仕方なくゆっくりと目を開けた。

「……あ」

「目が覚めたか」

 俺のそれを待っていたかのように、すぐ傍から声が掛かる。
 それを聞いてゆっくりと傍らへ視線を向けた俺は、ゼファー教官、と相手の名前を呼んだ。
 俺がこの『病室』で目を覚ますようになってから今日までのうち、初めて室内で見た顔だ。
 ベッド脇の丸椅子に陣取る教官を見つめてから、そのまま視線を窓へと向けた。
 窓の外はもう真っ暗で、既にあれから何度目かの夜が来たということを俺に教えていた。
 その事実を確かめてから、小さく息を吐いて、どうにか体を起き上がらせる。
 俺の着ている服の右袖が、中身も無いままするりとシーツをこする音がした。
 人間の腕と言うのは随分と重たかったらしく、片方の腕が無いというだけで結構バランスをとるのが難しくなる。
 左手をベッドに付き、体を支えるようにしてベッドの上へと座りなおした俺の横で、ゼファー教官が口を動かした。

「痛むか」

 問われた言葉に、はい少し、と返事をする。
 本来なら『いいえ』と返事をしたいところだが、それをやったら多分叱られるだろうと思ったので、口から漏れたのは控えめなものだった。

「もうすぐ痛み止めの時間ですし」

 壁の時計を指差して告げると、そうか、とゼファー教官が頷く。
 そしてそれから少しだけ押し黙った後で、搾り出したかのような声がその口から漏れた。

「……どうして、庇った」

 問われたそれに、俺は誤魔化すように笑みを浮かべた。
 もう、一週間も前の話だ。

『ゼファー教官!』

 俺があの時、新兵を庇った隙をつかれたゼファー教官とあの海賊の間に飛び込んだのは、そうしなければきっと教官の片腕が失われてしまうと思ったからだ。
 片腕を失い、そして教官がその目の前で部下をもっといたぶられてしまうだろうと、思ったからだ。
 そしてそれは、多分事実だった。
 この病室に入ってから、まるであの日がきっかけだったかのように、毎日いろんな夢を見る。
 平和で平穏で、争いなどとは無縁な場所に生きている『俺』が楽しんでいた作り話の中に、ゼファー教官がいた。
 どこまでが妄想で、どこからが真実なのかは分からない。
 けれどもどうやら、俺は教官の未来と、そして多分過去を少しだけ知っているようだった。
 会った事のある気がしていたのも、きっとそのせいだ。
 荒唐無稽すぎて誰にも話せない秘密は今も、俺の胸のうちにある。

「ナマエ」

 こちらを見つめ、ごまかすなと唸る教官に、少しばかり困って目を逸らす。
 しかし、顔に刺さる視線の鋭さは変わらず、ぶすぶすと突き刺さるそれに耐え切れなくなってから、仕方なく口を開いた。

「……失うなら、教官の腕よりは俺の腕かと、思いまして」

「おれの腕がどうにかなっちまったかどうかは、分からねェだろうが」

 自分を犠牲にして『教官』を守ってどうする、そりゃあ『教官』の役目だ。
 唸るようにそう言ってから、それからしばらく押し黙ったゼファー教官は、その後でゆっくりとため息を零した。

「…………いや、違ったな」

「え?」

「まずは、助けられたことの礼を言うべきだ。ありがとう、ナマエ」

 そしてすまなかった、と言葉を漏らしたゼファー教官に、俺は慌てて視線を戻した。
 つらそうな顔をしているゼファー教官がそこにいて、謝らないでください、とそちらへ言いながら体を前のめりにさせた俺の体が、そのままベッドの上で傾ぐ。

「あ」

 けれども俺の体は、横から伸びて来た太い腕によって支えられた。
 もしかしたら失われるかもしれなかったその腕から辿って顔を上げると、ゼファー教官がその目で俺を見下ろしていた。

「あの海賊は、必ずおれがしとめる。お前のその腕と……あいつらの、ためにな」

 憎悪に満ちた唸り声に、ごくりと息を飲んだ。
 俺の『後輩』たちを大勢いたぶり、何人も殺して、そして俺の腕をぶった切ったあの海賊は、他の海兵が呼んだ増援が来たと見るやそのまま逃げていってしまった。
 敵を追うよりも新兵達を助けることを選んだのはゼファー教官だ。
 あの海賊がどうしてあんなことをしたのかなんて、そんなことは一生知りたくないところだ。許せないし、許せるとは思えない。
 きっとゼファー教官も同じ気持ちだろう。
 いや、きっと俺よりも深く、あの海賊に対して怒りを持っている。
 けれども、俺はあの海賊が『どう』なるのかを、多分知っている。

「……それじゃあ、ついていきます」

 だからこそそういうと、ゼファー教官がわずかにその眉を動かした。

「片腕もない俺じゃあ、まるで使えないかもしれませんが」

 それを見上げて言葉を紡ぎながら、縋るようにゼファー教官の服を掴む。
 寄る辺を求めて入った海軍で、俺のことを引き取ってくれたのはゼファー教官だ。
 この人の役に立てたらいいと、ずっと考えていた。

「つれていってください」

 同じ海軍に在籍している相手へ言うには、少しおかしな言葉だっただろう。
 けれども、おかしな俺をあっさりと受け入れてしまえるゼファー教官が、いつか海軍にすら失望して離れていってしまうことを、俺は恐らく知っていた。
 このままでは、置いていかれてしまう。
 縋るように紡がれた俺の言葉を聞いて、それをどう受け取ったのか。
 ゆっくりとため息を吐いたゼファー教官の腕が、俺をそっとベッドへと横たえた。
 子供を寝かしつけるように布団までかけてから、ああ、とゼファー教官の声が言葉を綴る。

「つれていってやる。ついてくるんならな」

 そうして寄越された了承に、胸のうちに安堵が広がり、よかった、と息を吐く。
 しばらくの時間が経ってから、海軍への失望を怒りに変えたゼファー教官は、それでも俺へくれた言葉の通り、ついていくと決めた俺を含む全員を、ちゃんと最後まで引き連れていってくれた。
 最後の最後で、突き飛ばされてしまったけれど。
 それでも、連れて行ってくれたのだ。


end


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