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君へ感謝を込めて
※ペルとトリップ主とアラバスタ(アラバスタ編以前)



 足を踏み出した先に何も無かった、と気付いたその次の瞬間には、ナマエの体は何物にも触れないままに空中へと飛び出していた。
 は、と声を漏らしかけたのを、正面から吹き付ける風が抑え込む。
 目も開かぬほどの強風の最中、両手でどうにか目元を庇って事態を確認しようとしたナマエは、自分の目の前に広がる砂色の壁を発見した。
 荒い塗装なのか、海原のように波打ったその砂壁には濃い影がところどころについていて、ぽつぽつと緑色の苔のようなものが生えている。
 ナマエの体に吹き付ける風はそちらから吹いているようだったが、見渡す限り一面の砂壁という事実に瞬きをしてから、ナマエはきょろりと自分の周りを見渡した。

「…………え」

 そうしてその口からおかしな声が漏れ、その顔から血の色が引いたのは、ナマエの周囲には何もないという事実を知ったからだった。
 右にも左にも真上にもものが存在せず、見渡す限りの澄んだ青空がナマエの背中側に広がっていて、先ほどまでアスファルトを踏みつけていた筈の靴裏にも何も無い。
 体がぐらりと揺れた気がして、自分の頭が『砂壁』の方へ傾ごうとしたことに気付いて開いた両手で体の正面からの『風』を受け止めながら、ナマエは恐る恐る、もう一度自分の『正面』を見た。
 見渡す限りの『砂壁』はまだ遠く、敷き詰められたその砂の上を歩く誰かの影すら一つも見当たらない。
 ナマエの体は、そちらへ吸い寄せられるように引っ張られている。その現実に、ぶわりと背中にかいた汗がナマエの体を冷やした。
 自覚した途端に、エレベーターに乗って上昇した時のような不快感に、ひぐ、とナマエの口が震える。
 何がどうなってこうなったのか、全く分からない。
 だが事実として、ナマエは『正面』の砂原に向けて落下していた。
 体に受ける強風は、あまりにも高い位置から落ちていることによるものだろう。ただ体が浮いているだけのようにも感じるが、体に強烈な風を受けていると言うことは、その体がものすごい速さで落下しているという事実でもある。

「スカイダイビングとか……一生やるつもりなかったっての……!」

 強がるように呟きながら、ナマエは必死になって体の向きを支えた。
 意味が分からないが、このままではまず間違いなく、自分はあの砂漠に叩き付けられて死ぬだろう。
 それが何分後のことかは分からないが、少なくとも一時間も後では無いはずだ。
 生き延びるつもりなのか、頭の中が取り留めもないことを考え出してどうにもならず、ナマエの口に引きつった笑みが浮かぶ。重力に置いてけぼりにされた胃液がせり上がってくるのを口を引き結んで引き止めながらのそれは何とも不格好で、恐怖を隠しきれない弱々しいものだった。
 ここが『どこ』なのかとか、どうして自分がそうなっているのかも分からないまま、いっそ意識を手放してしまえば楽に死ねるんだろうかとまで考え始めたナマエの視界の端で、何かが動く。
 どこまでも広がるような青空に現れたそれは、黒い点からだんだんとその大きさを変え、ばさ、と羽ばたく音を零したのとほとんど同時に、ナマエの体に横からぶつかった。

「うお!?」

 思わず声を漏らしたナマエの体が、先ほどまでとは違う方向へと引っ張られて、支えられるようにしながら斜めに降下する。
 じわじわと勢いを殺され、体に受ける風の強さが変わったと気付いた時には、その体はぽんと勢いよく熱い砂の上へと落とされていた。
 顔を砂へと押し付ける恰好で勢いが止まり、口に入り込んだ砂を噛みしめてしまったナマエが、やや置いてから体を起こす。

「……ぶはっ! いってェ!」

 勢いよく顔を上げ、片目に入り込んだ砂に悲鳴を上げながら顔の砂を払い落としたナマエの上に、降り注ぐ日差しを遮るように影が落ちた。
 その事実に気付いて、まだ異物が入って痛む片目を抑えたままで、ナマエが無事な方の目をそちらへ向ける。

「……あんな高さから落ちたら、ひとたまりもないだろう」

 そんな風に言って、ナマエを見下ろしているのは一人の青年であるらしい人影だった。
 青年である、と断定出来ないのは、その姿がどう見てもナマエが知る『人間』のそれとは違っていたからだ。
 隈取のような模様のついたその顔には大きなくちばしがあり、袖口から覗いている腕も猛禽類の鋭さを持った鳥のそれに似ている。
 その腕に添って飛び出しているのは大きな風切り羽の並んだ翼で、先ほどナマエの耳に届いた羽ばたきの音はそれが奏でたものだと言うことがナマエにも分かった。

「……えっと、あの」

 わけの分からなさが過ぎて、ぐるぐると目を回しそうになりながら、ひとまずナマエが口を動かす。
 礼を言わなくてはならない。助けてもらったのだから、相手が人間であろうとそうでなかろうとその筋は通すべきだ。

「ああ、こういった『人間』を見るのは初めてなのか」

 あきらかに『鳥人間』である相手を見上げてそんなことを考えたナマエの前で、そんな風に言いながらぎし、と少しばかり体を軋ませたその『人間』が、ゆるりと変貌する。
 着込んでいる衣服を限界まで広げていたその体がじわりとしぼみ、袖口から伸びていた翼が袖の中へと消え、その腕が人間のそれらしいものに変化した。
 刺青か何かを入れているのか顔の隈取じみた模様は消えないが、そびえていた巨大なくちばしも人間らしい唇に変わり、覗く肌からも羽毛が消える。
 ほんの一分足らずでナマエにもなじみ深い『人間』の姿になった彼は、その状態で軽く両手を広げて、ナマエへ向けて囁いた。

「これでどうだ?」

「…………」

 尋ね、彼が首を傾げたところを見たところでナマエの記憶がないのは、恐らくは許容範囲を超えた脳が現実を拒否したためだったのだろう。
 どこかで見たような姿をしていた『彼』がペルと名乗ってくれたのは、ナマエが目覚めた療養所でのことだ。







「ナマエ」

 かけられた声にナマエが顔を向けると、外から顔を覗かせている人間がいた。
 相変わらず屋外は攻撃的な日差しに晒されているようで、彼の着込んだ服がはじく光が眩くナマエの目を突き刺す。

「ペル」

 それに少しばかり目を細めながらその名前を呼んで、ナマエの手が手元にあった道具を片付ける。
 軽く手を払い、すぐに立ち上がって近付くと、休日中にすまないな、とペルが言葉を零した。

「気にするなよ」

 そんな風に言いながら、ナマエの手がペルを室内へと招く。
 ナマエが構えているその小さな家は、あの日ペルと名乗ったこの悪魔の実の能力者に命を助けてもらった後、どうにか見つけた仕事で得たベリーで借り上げている場所だった。
 文字通り『降って』湧いたおかしな人間であるナマエがそうやって生きていられるのは、国民からも信頼が厚いらしい『ハヤブサのペル』がどうしてかその身元を保証してくれているからだ。
 その衝撃的な『体』と顔と名前と、そしてこの場所が『アラバスタ』と呼ばれる砂の王国であるという事実でナマエにもう一度気絶しかけるショックを与えた彼が、どうしてそうしてくれるのかはナマエには分からないが、突然ここへ落下していたのだと話したナマエを信用してくれたらしい彼は、恐らくとても優しいのだろう。
 二、三か月に一度ほど様子を見に来てくれていた彼が、それに比べれば頻繁にナマエの下を訪れるようになったのは、ナマエの趣味が彼に露見してからのことだ。
 ペルが椅子に座りながらごそりと服の狭間のポケットから取り出したものをナマエの方へと差し出したので、ナマエの両手がそれを受け取る。
 少し目の粗い布で丁寧に包まれていたそれは子供向けの首飾りで、ペルと共に空を飛んできたのだろう、太陽の日差しを浴びたのか少し温かくなっていた。

「ビビ様がどうしても直してほしいと仰っているのだが、どうだろう」

「このくらいならすぐ直せるよ、大丈夫」

 同じ形の在庫がある筈だ、とひび割れた金具を確認したナマエが言えば、それならよかった、とペルがほっと息を吐く。
 優しげなその顔をちらりと見やって、ナマエは少しばかり目を細める。
 もう眩い日差しからはかくれた場所にいるというのに、ペルは相変わらず眩い青年だった。
 それがその恰好のせいなのか、ひたむきさの所為なのか、それとも優しいその笑みのせいなのかはナマエには分からない。
 本当は知っているのかもしれないが、あえて考えを至らせたいとは思えなかった。
 だって、ここは『夢』の世界なのだ。

「すぐに直すけど、その前にお茶でも淹れよう。この間、茶葉を分けて貰ったんだ」

 預かったものをテーブルの上へと残し、そう言葉を置いてナマエがペルとテーブルから離れる。
 そう構わなくていいとペルは言うが、客人をもてなさないなどと言うことがナマエに出来るはずもない。
 夢の中とは思えないほど現実感のある世界で戸棚を開き、あれこれといじってから飲み物を用意したナマエが振り返ると、椅子に座ったままのペルの視線とぶつかった。
 どうやらずっとこちらを見ていたらしい、と気が付いて、ナマエが首を傾げる。

「どうかしたのか?」

 尋ねながら、茶器と共に元来た道を戻ったナマエに、いいや、とペルがわずかに声を漏らした。
 首を横に振っているが、どう見ても『何も無かった』とはいいがたい顔をしている。
 しかし、ナマエが不思議そうに見つめた先でペルがその目を逸らしてしまい、何かを誤魔化すようにその唇が動いた。

「何か変わったことは無かったか?」

「つい一週間前も聞いた台詞なんだけど」

 彼が来るたび口にするその質問に、カップを彼の前へと置きながら、ナマエは肩を竦めた。
 別に何もないよ、と言葉を続けてから少し置いて、あ、とその口から声が漏れる。
 カップに手を伸ばしかけたペルが動きを止め、窺うようにナマエを見やった。
 少しばかりその眉間に皺が寄せられ、先を促す鋭い眼差しに、ナマエの口が言葉を続ける。

「裏の家に子供が生まれた」

 囁くその声に重なるように、少し離れた場所で赤ん坊の泣き声がした。
 少しむずがっただけなのか、すぐに落ち着いて聞こえなくなったそれを追うように壁際へ視線を向けた後で、ペルの口からため息が漏れる。

「…………ナマエ……」

「ははは、そう言うなよ、めでたいことだろ?」

「めでたいことに変わりはないが、紛らわしい言い方をするな」

 唸るように呟くペルに笑いながら、ナマエもその腰を椅子へと落ち着けた。
 あまり広くない家の中には、置き場所が少ないので家具が殆どない。
 それでも、一人暮らしであるナマエが椅子を二脚用意しているのは、こうしてこの家を訪れる誰かさんがいるからだった。
 殆ど自分専用のものとなっていることなど知りもしないのだろう、片手でつかんだカップに口を付けたペルが、吸い込んだ香りに少しばかり瞳を揺らす。

「美味いな」

「だよな。分けて貰えて良かったよ」

 呟くペルに返事をしながら、ナマエの手が先ほどペルに寄越された首飾りに触れた。
 先程までいじっていた道具を箱から取り出して、慣れた手つきで金具を外す。
 小さなかけらを丁寧にテーブルへ並べてから、道具箱を探ったナマエの手がいくつかの金具が入ったケースを取り出し、開いたその中から今外したものと同じ形の金具をつまみ出した。
 『元の世界』での趣味を夢の世界でまで行うあたり、自分はとことん物作りが好きなのだな、とその口元に笑みが浮かぶ。
 目が覚めたら、少し大きな物を作ってみるのもいいかもしれない。『あの漫画』を参考にして、何か適当なアクセサリーでも作ってみようか。
 学生の頃に読んでいた『漫画』を思い出してそんなことを考えたナマエの視界の端で、ことん、とペルがカップをテーブルへ置く。

「ナマエは、本当にそういったものが好きなんだな」

 そんな風に呟かれて、まあな、とナマエは返事をした。
 その間も手の動きは止まらずに、きちんと金具をそこに装着させる。
 それからきちんと留めることが出来ることを確認して、少し汚れているそれを道具箱から取り出した磨き用の布で擦り始めた。

「にしても、これ、少し質素なんじゃないか? お姫様ってのは、もっとキラキラしたものを欲しがるものかと」

「ご友人から頂いたものだからな。ビビ様にとっては何よりの宝物だそうだ」

 呟くナマエへ、ペルが返事をする。
 その言葉に、そういえば『ビビ』には『コーザ』なんて名前の相手キャラがいたな、と思い出して、ふうんとナマエは声を漏らした。
 彼が呼ぶ『ビビ様』と言う少女がどこの誰かを、ナマエは知っている。
 まだこの国には、『英雄』たる七武海もいない。ナマエの知っている『未来』は、きっともっとずっと先の話だ。
 その日までにこの『夢』から目を覚まさない保証はどこにもなくて、ナマエはペルへそれを口にすることが出来ないままでいる。言ってもきっと信じてはもらえないのだから、仕方の無い話かもしれない。

「……っと」

 声を漏らしながら、ナマエの目が改めて手元の首飾りを眺めて、くすみが汚れの無いことを確認する。
 丁寧にそれを先程の布へと包み直し、そうしてそのままペルの方へ顔を向けると、動くナマエの手元をずっと見ていたらしいペルの目がナマエの顔を見やった。

「はい、出来た」

「ああ、ありがとう」

 言いながら差し出せば、素直に礼を紡いだペルが両手で持ち込んだ物を受け取り、丁寧な仕草でそれを元通りにポケットへとしまい込む。
 その様子を眺めながら、ナマエは何となく口を動かした。

「今度、ペルに何か作ろうか」

 別に、何の気も無しに呟いた台詞だった。
 護衛隊の人間であるペルにとって、装飾品など邪魔になりかねない。
 あっさりと断られるかもしれないとすら予想したナマエの前で、しかしペルはすぐに反応を寄越した。

「いいのか?」

 問いながら、その目がナマエをじっと見つめる。
 期待するようなその眼差しに少しばかりのくすぐったさを感じて、自分から提案したんだからいいに決まってるだろ、とナマエは笑った。

「仕事の合間に作るから、すぐに出来るとは限らないけどな」

 少し照れくさくなってそう続けたナマエに、構わないと告げたペルが笑みを浮かべる。

「楽しみに待つさ」

 そんな風に続けるその顔は相変わらずの眩さで、ナマエは目を細めてそれを誤魔化した。
 彼が身に着けてくれるなら、と作り始めた装飾品が完成したのは、その日から五日ほど後のことだ。
 一週間後、時々アラバスタの市民が身に着けているような、丸い飾りを輪の形に連ねた装飾品をペルは喜んで身に着けてくれたが、『もう完成したのか』と残念そうに呟いたのがどうしてだったのかは、ナマエには分からなかった。



end


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