ひとまず君が一等
※異世界トリップ主人公はクザンさんの元同期
※戦争編以前
「……クザン?」
少しばかり困惑したような声を零して、ナマエの傍らの男を見やった。
人の家まで上がり込んで置いてフローリングにごろりと寝ころび、先ほどまで何を話しかけても適当な返事を寄越していた客人が、何、と声を漏らしながらナマエを見上げる。
先ほどまで頭を支えていた筈のその手がナマエの腕を掴んでいて、彼の顔から自分の腕までを視線で辿ったナマエは、浮かしかけていた腰を改めてフローリングに落ち着けた。
物の少ない室内で、厚みのある窓の外からわずかに聞こえる雨音以外には部屋をにぎやかにする音楽すらなく、ナマエの声がそのまま自室に転がり落ちる。
「出かけようとしてるのに、掴まれちゃ何にも出来ないだろうが」
放してくれ、と言葉を続けて掴まれたままの自分の腕を揺らすと、支えを失った頭をフローリングに擦り付けるようにしながら仰向けに体の向きを変えたクザンが、真下からナマエを見上げた。
「まァーた雨の日にわざわざ出かけるわけ」
どうでもよさそうな声音ながら、明らかに非難する意図で持って言葉を紡いだクザンの視線が、じとりとナマエの顔へ注がれる。
この間みたいに風邪でもひいたらどうすんの、と寄越された問いかけに、座り直したナマエが肩を竦めた。
「クザンが看病してくれるだろ」
「やだよ、面倒臭ェ」
寄越された言葉にクザンが眉を寄せるが、ほんの一ヶ月ほど前に風邪をひいたナマエを看ていてくれた彼を知っているナマエの口には、酷ェなと呟きながらも笑みが浮かぶ。
心配してくれているのだろう、人の腕を掴んだままのクザンの指には緩む気配も無い。
「晴れてる日でも好き勝手に出かけてんだから、雨の日くらい大人しくしてなさいや」
笑うナマエを見上げて、クザンがそんな風に言葉を紡ぐ。
少しとげとげしくも聞こえる言葉に、晴れた日に好き勝手やってんのはそっちの方だろう、とナマエは言い返した。
その額にアイマスクを置いて、『だらけきった』なんていう正義を掲げた海軍大将となってから、愛用の自転車で傍らの男がグランドラインをフラフラしていることをナマエは知っている。
それは当人の口からきいた情報でもあったし、ナマエ以外には誰も知りようのない彼の『記憶』からのものでもあった。
募集を見て海軍に入隊した後、その壮絶なる訓練の前に挫折してあっさりと海兵を辞めたナマエにはほんの少しも知りえない筈である『オハラ』でのあの出来事も、その時まだ『大将』ではなかったクザンが誰を逃がしたのかも、いつかの未来に彼が海軍の下から去っていくだろうことも、ナマエは誰かに聞くまでもなく知っているのだ。
「この間行ったのは春島だったか? 土産のあの菓子、旨かった」
あちらこちらを出歩くだけあって、クザンの持ち寄る土産は多彩だ。その中でも、一昨日に渡された包みの中身は美味だった。
それを思い出したナマエが言うと、クザンは、へェ、と声を漏らした。
「それじゃ、次も似たようなのにしとくよ、気が向いたら」
「おう、楽しみにしてるぞ」
適当さのにじむ言葉に頷いてから、ナマエの目がもう一度自分の腕を見る。
相変わらず傍らの海兵に捕まれたままの腕は、逃げようと引っ張ってみてもびくともしない強さで囚われていた。
服の端が氷づく様子もないので、クザンはただ引き止めているだけなのだと分かりはするが、全く逃がしてくれる様子の無いそれに、ナマエの口からは溜息が漏れる。
「…………だから、出かけようとしてるんだが」
放してくれよ、と続けたナマエに、やだよ、とクザンが呟いた。
年齢に見合わない子供じみた言葉に、大の大人がヤダとか言うなよ、とナマエが笑う。
しかしクザンは気にした様子もなく、頭をフローリングに乗せたままで口を動かした。
「なんでそう、雨の日にばっかり出かけようとすんの」
他の日はそうでもないのに、と言いながら、その目がナマエの顔をさかさまに観察する。
自分を見上げるその視線を受け止めて、ああ、とナマエは呟いた。
「だってほら、こんな豪雨の日は、何だか特別な気がするじゃないか」
そう言葉を落として、その目がちらりと窓の外を見やる。
傘をさしても意味が無さそうな豪雨が窓を叩いて、静かな部屋にその雨音を響かせていた。
一年に数回有るか無いかのこんな豪雨を見ると、ナマエは自分が『この世界』に迷い込んだ日のことを思い出すのだ。
もう死ぬしかないんじゃないかと思うような人生のどん底だったあの日に迷い込んでから、もう何年もこの世界で暮らしていて、傍らの親しい友人や自分の担っている仕事を置いて帰りたいとは思えなくなったが、自分と似たような境遇の人間がまた『この世界』に現れていたなら手を貸してやりたいと思っている。
目を開けるのも煩わしくなるような豪雨の最中に出かけていくナマエの目的はそんな自己満足にも似たもので、その出自をしらないクザンからすれば意味の分からない行動だろう。
言葉の足らなさを知りながらナマエが笑みをクザンへ向けると、寝ころんだままのクザンが怪訝そうな顔をした。
何かを言おうとしたその口の動きを止めたのは、窓の外からの眩い光と、それとほとんど間をおかずにとどろいた雷鳴だ。
空気を割り開いて落ちたそれに腹の底を震えさせられて、うわ、と思わず肩を竦めたナマエが、改めて窓の向こうを見やる。
窓ガラスを叩く雨音に変わりはないが、先ほどの騒々しい落雷のせいで、少し小さくなったようにすら感じた。
「……すごい音だったな」
ありゃどっかに落ちたか、と表を窺うナマエの傍で、そうだろうね、と呟いたクザンが起き上がる。
その手がナマエの腕を手放し、お、とナマエが身を引こうとしたところで、じろりとクザンの眼差しが改めてナマエへ注がれた。
「こーんな危ねェ日に、守るべき一般市民の外出なんて正義の海軍大将として許可出来ねェなァ」
丸きりそう思っているとも思えないような平坦な声音で呟いて、クザンは肩を竦めた。
何だそれ、とそれへ笑ったナマエの顔の前に、はい、と何かが差し出される。
ナマエが見やったそれは、先ほどナマエがクザンへ進呈しようと持ち出して来たブランケットだった。
いらねェよ寒くないし、と言っていた筈のクザンが、目を瞬かせたナマエの前でそれを軽く揺らす。
「ほら、さっさと受け取って」
「ん? ああ」
「それで、ちょっと折り曲げてから膝に乗せて」
「こうか?」
寄越された指示へ素直に従って、胡坐をかいた膝の上へ適当な大きさに折り畳んだブランケットを乗せたナマエが、ぽん、とその上に手を乗せる。
そうそうと頷いてから、クザンの体がもう一度倒れ込んだ。
先ほどと違うのは、その頭がぽすりとナマエの膝に収まったと言う点だ。
その手が少しブランケットを引き寄せて、自分が気持ちの良いように位置を直している。
やや置いて、どうやら納得のいく感触になったらしいクザンが、もぞもぞと身じろいでいた頭の動きを止めてその手でアイマスクを引き下げた。
「それじゃ、お休み」
「……………………おいクザン、だから俺は出かけるって」
「オデカケは諦めて、大人しくおれの枕になりなよ」
視界を封じてしまった相手へナマエが言えば、市民を守るべき海軍大将が何とも人権を無視した発言を繰り出す。
はー、とため息を零し、ナマエんちの枕は低くって、とまるでナマエ自身に原因があるような口振りになったクザンに、何言ってるんだ、と膝を明け渡したままでナマエは呟いた。
「俺の常識の範囲外の大きさになってる自分の体を恨んでくれ」
うちには俺用の寝具しかないんだ、と続けつつ、ナマエはじろりとクザンの頭から足先までを見やった。
『日本人』としては一般的な体つきであるナマエは、この世界の一定の割合の人間と同じ程度の大きさをしているが、クザンはその範疇から外れた体格をしていた。
海軍の入隊式のあの日、巨大な人間が数多くいると言う事実を目の当たりにして、知識と実際に見るのとの違いに衝撃を受けたのはもう随分と昔の話だ。
何人もの実力者が顔を並べていたらしいが、ナマエがその顔を知っていたのは、いずれ海軍大将となるクザンだけだった。
一方的な親しみを持って話しかけたナマエへクザンは怪訝そうな顔をしたが、そのうちに仲良くなり、ナマエが退役してただの『一般市民』となってからも、こうして気安くナマエの下を訪れてくれている。
ナマエがそれを言ったことはないが、『この世界』でナマエと一番親しいのは間違いなく、傍らで寝ころんでいる海兵だろう。
その肩に乗せられた地位を考えるとそろそろ気安く声を掛けていいものでは無いのかもしれないが、一度敬語を使ったナマエへクザンはとてつもなく傷付いたような顔をしたので、結局そのままだ。
「よく泊まりに来てるんだから、おれの分くらい用意してくれたっていいでしょうや」
「なんで俺が自分より高給取りな野郎の物を買い揃えなくちゃいけないんだ」
身勝手なことを言う相手に呆れた声を出して、ナマエは溜息を吐いた。
久しぶりの休みだというのに、何とも不毛で情けない会話だ。
ナマエの部屋に物が少ないのは、ナマエがあまり片付けが得意ではないからというのが一番の理由だが、あれこれと物を買い集めるほどの財力が無いと言うのも一部の要因なのである。
施しを受けるつもりは無いので、気遣ったクザンがあれこれと買い込んでくるのは殆ど全て持ち帰らせているが、どうしても枕が欲しいと言うのなら、クザン自身が自分で持ち寄るべきだろう。
「自分で買って来い、置いといてやるから」
だからそう言いつつ、ナマエはその手でぺちりとクザンの額を叩いた。
ついでに子供相手にするようにわしゃりと髪をかき混ぜるように頭を撫でてやってから、両手を後ろへやって体を支える。
ナマエの膝の上に大人しく頭を乗せていたクザンが、その変化に気付いたのか、横向きにしていた頭をごろりと動かした。
後ろに体を預けているナマエの膝の上で、アイマスクをしたまま仰向けになったクザンの口から、あー、と小さく声が漏れる。
「…………それじゃ、今度一緒に買いに行こうじゃない」
そうして寄越された言葉に、別に構わねェぞとナマエは返事をした。
一人で店にも入れないだなんてことは無いだろうが、彼の膝に頭を預けるクザンはいわゆる海軍大将で、ついでに言えばこのマリンフォードでは顔が売れている。買い物の途中で誰かに囲まれてしまったら、それを助けてやるのは『一般人』の友人であるナマエの仕事だった。
「あ、なんなら今日行くか?」
この大雨なら人も少ないだろうと思ってそう提案したナマエに、だから何で雨の日に出かけたがるわけよ、とクザンが呆れた声を零す。
その手がぺちりとナマエの足を叩いて、やだよ今日は、とその口が漏れたのは相変わらずの子供のような口振りだった。
「濡れたら、力入れるの面倒臭くなるし」
「お前はいつだって面倒くさがりだろうが」
とってつけたようなその理由に笑ってやって、仕方ねえな、とナマエは呟いた。
ちらりと見やった窓の外は、まだ大粒の雨が降り注ぐ豪雨だった。
この最中、どこかの街角で過去の自分と似たような境遇の誰かが震えているのではないかと思うと少しばかり気になるが、それは確定されたことでも何でもない。
気になって街を歩き回ってもナマエはその境遇の誰かに遭遇したことがないのだから、もしもそんな人間がいたとしても過去のナマエのように自分の身は自分で守っているのだろうし、ただ気にしすぎなだけだと言う可能性もある。
はっきりとした正義すら背負えずに海軍の下を離れたナマエにとっては、今は膝の上の友人の『オネダリ』の方が上だった。
「まあ、それじゃ、今日は諦めてやるか」
「そうして」
仕方なさげに呟いたナマエの膝の上で、クザンが呟く。
その顔の向きがまたごろりと動いて、ナマエの腹側に顔を向けたクザンの口元には、少しばかりの笑みが浮かんでいた。
end
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