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ライフオーバー (1/3)
※『ライフリミット』の続き
※サッチ側
※ほぼ主人公不在
※死にネタです
※捏造過多です
※名無しオリキャラ注意



『よしよし、良い子だ坊主、暴れんなよー』

『…………うん』

 最初に交わした会話は、確かそんなものだ。
 見張りに立っていたサッチが発見した遭難者は、年端もいかぬ少年だった。
 波間に揺れるその姿を見てしまった時は、もしや見間違いかと目を擦ったものである。
 体のあちこちに擦り傷が出来ていて、腹にはいくつか打撲跡もあった。
 いつから波間を漂っていたのか、冷え切った体で僅かに震えてすらいたか弱い存在に、サッチはどこの誰がこんな子供を海へ放り捨てたのだと怒りすら湧いたものだ。
 サッチが拾ったのだからとサッチにその世話が一任された子供はナマエと名乗り、随分と手のかからない子供だった。
 海賊船へ乗せられようが強面なクルー達に見下ろされようが、さすがに大体の島にはその名が轟いているだろう『白ひげ』に対面しようが表情を変えないその様子と来たら、間違いなく『可愛くない』。

『……それ、なに?』

『ん? コレか? 林檎だよ、ほら』

 けれども、サッチがナースに頼まれて作った林檎の飾り切りを見た時の子供の眼差しは、年相応なものに思えた。
 すごい、とその口で言葉を紡いで、丸い目がサッチを見あげる。

『ほかにもできる?』

『お、まあな。もう一個、何か切ってやろうか』

 寄越された問いに頷いたサッチが訊ねると、子供の頭がこくこくと動いた。
 だからサッチの手が皿を置いて、新しい林檎を一つその手に持ち直す。
 目の前でサクサクとナイフを使って切れ込みを入れ、先ほど作った白鳥の横に蝶を置いてやると、ナマエの目がまたもきらきらと輝いた。
 それに気を良くしたサッチが調子に乗って、刻みすぎた林檎をナース達に配って歩く羽目になったのだが、それはそれでよしとしよう。
 表情は変わらなくても、見ていればその感情の機微が分かることがあるのだと、サッチはその日ようやく気が付いた。
 他のクルー達は『そうか?』と首を傾げていたので、ひょっとしたらかなり親しくならなくては分からないような、些細な変化なのかもしれない。
 無理やり笑うと何かを企んだような笑みになる子供は相変わらず子供らしくなかったが、そういうものだと納得して接してみると、ナマエはまた随分と『可愛い』弟分だった。
 サッチが運ぶ料理をうまいと言って、きっと見たことも無いだろう海や島をその目で見て、一般人なら出会うことも無いだろう魚人や人魚たちにも会った。
 そのどれもをきっと楽しんでくれていただろうナマエが、何処か遠い目をして言ったのはいつだったろうか。

『何かあったら、いっかいだけ、俺がまもってあげるから』

 まるで何か尊い約束をするように囁いたナマエを、変なこと言うなァ、とサッチは軽く笑い飛ばした筈だ。
 なんていうことをしたのだろうか。
 もしもあの日に戻れたなら、『そんなこと言うな』と怒鳴ってやれたのに。
 そうすれば、もしかしたらナマエは、サッチを庇ってティーチに刺されたりなど、しなかったかもしれない。

「サ、チ」

 急速に血を失った小さな体が、随分と冷たくて軽い。
 生臭い血の匂いを厭わず子供を抱き上げながら、サッチの頭の中を巡ったのは船医の言っていた『ナマエに大怪我をさせるな』という言葉だった。
 稀血らしいナマエは、失った血を輸血で補わせることが出来ないのだと、そう言っていた。
 いっそかき集めて補わせてやることができるなら、溢れて広がり床にまで滴った鮮血の全てを集めてやったが、そんなことが出来る筈もない。

「サ、チ、ごめ……」

 震える声がサッチへ向けて何かを囁こうとして、サッチの両腕が子供を抱き直す。
 必死になって足を動かして医務室を目指している筈なのに、どうしてまだ辿り着かないのだろうか。
 モビーディック号はこんなにも広かったのか、と今更なことを考えて眉を寄せ、腕の中の子供を見下ろしたサッチは、わずかにその目を見開いた。

「……何笑ってるんだよ……ッ」

 今までに見たことが無いくらいの穏やかな顔で、ナマエがその口元に笑みを浮かべている。
 終わりが来ることを悟ったようなそれに、なあ、やめろ、とサッチは必死になって言葉をかけた。
 ナマエの体はどんどん冷たくなる。当人も寒いのか、いつの間にかその頬がサッチの体へ擦りつくように押し付けられていた。
 ナマエの目が閉じられて、それに気付いて怒鳴りたいような叫びたいような気持ちになったサッチをよそに、子供の唇がわずかに動く。
 声も無く動いたそれの言葉を読み取り、サッチの腕に力がこもった。
 『あの日、助けてくれてありがとう』なんて、そんな今更な礼を口にするのがどうしてなのかなんて、すっかり軽くなってしまったその体を抱いているからこそ分かることだ。

「……ナマエ!」

 ようやくたどり着いた医務室に飛び込みながらその名を呼んだサッチへ、子供は返事をしなかった。
 そうして結局、サッチは弟分を失ったのだ。







 子供の命を奪った『家族』がモビーディック号の一部屋へと放り込まれたのは、それからすぐのことだった。
 二番隊を任されたばかりのエースは、マルコや白ひげにたしなめられるほどの怒りをあらわにしていた。
 どさくさにまぎれてヤミヤミの実を口にしたティーチの極刑を願う者も、そこに情状酌量の余地を求める者も、不幸な事故で片付けたがる者も『家族』のうちには様々だ。
 けれどもそのうち、誰よりもサッチの耳を突き刺したのは、『サッチが見せびらかさなけりゃ』と綴って誰かにその口を叩かれた家族のものだった。
 確かにその通りだ。
 サッチが家族のことなど考えず、ティーチにそれをさっさと明け渡していたのなら、きっとナマエは死ななかった。
 そうでなくても気を配っていれば、ティーチが『家族』を殺してでも奪い取ろうと思っているほどに追い詰められていると気付けた筈だ。
 いや、いっそ見つけてすぐに捨ててしまえばよかった。
 悪魔の実など、手に入れなければ良かった。
 そんな悔いても仕方ないことばかりが頭の中で回る中でも、ナマエの葬儀は執り行われる。
 海の上での死者は海に流すのが習わしで、例えば海戦の最中に出た死者へそうするように、ナマエは小さな棺桶にその体を納められた。
 島が近ければ献花の一つでもするところだが、残念ながら花を買いに行くような時間もない。
 油を撒いた小舟へ乗せて、送り出したナマエの船が海の彼方へと向けて泳いでいく。
 随分と離れたところで、仕掛けが動いたのか小舟からゆらりと火の手が上がった。
 もうじき船は燃え尽きて、ナマエも焼けて海へと沈むだろう。
 煙と炎を零しながら、更に遠くへ遠くへと去っていく小舟を見送って、何人もの家族が涙を零して声を漏らす。
 サッチ達の小さな『弟分』は、まぎれもなく『家族』だった。
 そんな風に思いながら周囲を見ていたサッチに気付いてか、同じように涙を浮かべていたエースが、どうしてか眉を吊り上げる。

「……サッチ!」

 苛立ったように鋭い声がサッチを呼んで、サッチの方へと近寄ってきた元スペード海賊団の船長が、じろりと下からサッチを睨んだ。

「何で泣かねえんだよ!」

 詰るような言葉に、サッチはわずかに目を見開く。
 何と言っていいのか分からず、困惑を露わにしたサッチを前に、エースが更に何かを怒鳴ろうと口を開いた。
 けれどもそれは、後ろから伸びてきた手に覆われて無理やり飲みこまされてしまう。

「エース、いいからこっち来いよい」

「けどよ!」

「いいから、ほら」

 エースをぐいと引っ張ったのはマルコで、まだ何かを言おうとするエースの口をもう一度塞いで、誰よりも早くマルコがその場を移動した。
 それに倣うように、他の家族達もゆるゆるとその場を後にする。
 それぞれが泣きながら、又は家族の死を悼んで表情を曇らせながら、サッチをその場に残して去っていく。
 それらを見送っていたサッチの後ろで、サッチ、とその名を呼ぶ声がした。
 それを聞いて振り向けば、この船の誰もが敬愛する船長が、サッチを見下ろしている。
 海のように深いその心を表すような瞳に見つめられて、しかし何も言えないまま、サッチはもう一度海の方を見やった。
 遠ざかる小舟は、もはや煙と炎でしか確認することが出来ないほど遠い。
 まるであいつを見つけた時みたいだなと、サッチはふと子供に出会った日のことを思い出した。
 こんな風に遠く離れていて、サッチは偶然あの子供を見つけたのだ。

「……なァ、親父」

 遠い小舟を見つめながら口を動かしたサッチの後ろで、何だ、とそれへ返事が寄越される。
 それを聞きながら、サッチは甲板の上で口を動かした。

「…………おれァ、あいつを助けねェほうが良かったのかな」

 波間を漂うナマエを見つけて拾ったのはサッチだった。
 そのせいでナマエがああして死んでしまったのなら、それは結局のところ、サッチがあの小さな子供を殺したようなものだ。
 ぽつりと漏れた呟きは、しかし間違いなく後ろの船長へも届いたらしく、アホンダラァ、と低い声がサッチを叱りつける。

「お前があの日拾わねェで、ナマエが海王類に食われてたとしても同じことを言いやがるのか、サッチ」

「……けどよ」

「やったことは戻らねェ、もしもなんてのは考えたって意味のねェことだ」

 サッチの後悔を切って捨てるように言葉を放ち、それになサッチ、と偉大なる海賊が言葉を続ける。

「一人の男が自分の判断でやったことを、否定してやるな」

 低い声がそんな風に言葉を紡ぐ。
 それを聞いて、それ以上何も言えないまま、サッチはただ、炎と煙が海に沈んで消えていくまで海の彼方を見つめていた。







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