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拾得希望
※子マルコ捏造(少年マルコ)
※主人公は無知識異世界トリップ系日本人




 ざあざあと、雨が降る。
 駆け込んだ軒下から、古びたトタン板を叩く大粒の雨音を聞いて、俺は小さくため息を零した。

「……ったく、ついてないな」

 次の町までまだ距離があると言うのに、こんな時間にこんなところで雨に足を止められてしまった。
 この分では、明るいうちには次の町にはたどり着けないだろう。
 今日はここで野宿か、と小さく呟きながら、ちらりと後ろを振り返る。
 俺の頭の上を守る軒の主は廃屋で、放棄されて久しいのか、割れた窓ガラスが白く曇って汚れていた。
 家自体の形は日本家屋のそれに似ているが、扉は全部が開き戸のようだ。
 扉は錆びた鎖で頑丈に閉じられていて、ついでに言えば室内からも雨音がする。
 光の入らない中は暗くて、油虫が好みそうなすえた匂いを嗅いで顔をしかめた。
 不快な室内から目を逸らした俺は、そのまま自分が立っているのと同じ軒下にある空間を見やった。
 雨粒を受けて喜び揺れる草が茂る庭先の前に、縁側のように隙間の空いた板敷きの部分があるのだ。
 そこもうっすら汚れているのが離れたままでも分かるが、こんな何がいるかも分からない家の中に入って夜を過ごすよりは、傍らに伸びている縁側の方が安全かもしれない。
 少なくとも、何かあればすぐに逃げ出すことが可能だ。
 そう判断して、軒先で足を引き、未だに屋根を打つ雨音の下を移動する。
 屋根が広々と伸びているおかげで濡れた気配のない縁側に手をやり、やはり汚れていることを確認してから、その板がしっかりとしていることを確認した。さすがに腐っていたりしたら座りようがないが、その心配もなさそうだ。

「よっと」

 雨が落ちていく木々が広がっている方へ体の正面を向けたまま、俺はひとまずどかりとそこへ腰を下ろした。
 荷物を足元の濡れていないあたりに置いて、中からタオルを探る。
 掴み出したそれは使い込まれた古びた物だったが、俺の大事な物資だ。

「この雨はいつやむんだろうなァ」

 耳をふさぐような豪雨の音を聞きながら、そんな風に呟く。
 一人でこうして放浪するようになって、少しは天気の変わり目も分かるようになってきたが、さすがに航海士でも無ければ天気予報士でもない俺にはそんな予想は出来ない。
 気持ち的には明日の朝にはからりと晴れていて欲しいところだが、なんて考えたところで、ぴかっと重苦しい雲の合間が強烈に光った。
 それから殆ど間をおかず、空気が破裂するようなけたたましい音が響き渡る。
 雨音すら掻き消すようなそれに思わず首を竦めたのと、何故か尻の下の板がごつんと何かにぶつかったのは同時だった。

「……っ 心臓に悪ィな……って、ん?」

 ため息を零しながら呟いて、先ほどの違和感に首を傾げてから、座り込んだままで足元をのぞき込む。
 逆さの薄暗いそこを覗き込んだ途端、何かが自分の顔に迫ってくるのを感じた俺は、ほとんど脊髄反射に近い行動で体を起こした。
 先ほどまで俺の顔があった辺りを、銀色の何かが通り過ぎていく。
 錆が浮いてはいるが先のとがったそれがフォークだと把握して、俺はすぐにその柄を持っている手を掴まえた。
 触れたその手は小さくて細く、俺に捕まれたことに驚いたのかびくりと震えたが、気にせず勢いよくそれを雨が降り注ぐ方へと引っ張り出す。

「はなせ!」

 声を上げて俺を睨み付けてきたのは、まだ年端もいかない子供だった。
 先程の雷で驚きぶつけたのか、額が少し赤くなっている。
 いつから縁側の下に潜んでいたのだろう、その体はべとべとに汚れていて、片腕に布に包んだ何かを抱えたままでこちらを睨むその目は、その小さな体に似合わないほどにぎらついていた。
 その足が蹴りを放ってきたのを掴まえて、子供の体の右半分を掌握することに成功した俺は、逃れようと暴れる子供を見やって眉を寄せる。

「おいおい、危ないだろ」

 声は平静を保っているが、先程の雷よりも驚いているので心臓が痛いくらい脈打っている。
 フォークなんて目に突き刺さったら、失明するに決まっているじゃないか。相変わらずこの世界は野蛮で危険だ。
 俺の腕を振り払おうとしながらも、片腕で抱えた荷物を手放すことが出来ないらしい子供は、はなせ、ともう一度唸った。
 はいはいと返事をしながら、未だこちらへ切っ先を向けてくるフォークを掴んで子供から奪い取り、その腕を逃がす。
 自由になった手で慌てたように武器を奪い返しに来た子供の肘を掴み直して、掴んでいた足を手放した方の手で凶器を離れた場所へ放り投げてから、俺はひとまず子供の体を縁側の上へと押し付けた。
 背中を縁側に押し付けるようにすれば、抑え込まれる恐怖に顔をこわばらせた子供が更にめちゃくちゃに暴れる。

「はなせ、よい!」

「はいはい、暴れるなって。お前が俺に何もしなけりゃ、俺もお前に何もしないから」

 なだめるように言いながら、俺はひとまず子供の足をそろえて掴まえ、その上に自分の足を乗せて子供の抵抗を奪うことにした。
 こんな汚い所に体を押し付けられるなんて可哀想だが、縁側の下よりは衛生的だろう。子供の顔にこびりついているのはヘドロじみた黒い汚れだ。
 両足を抑えられ、更には利き腕らしい右腕も取られてしまった子供が、左手に持った何かの包みを自分の体に押し付けるように抱きしめながら、きっとこちらを睨み付ける。

「このくいもんはおれのだ、やらねェよい!」

 口走ったその言葉に、なるほどその包みの中身は食べ物か、と俺は把握した。
 降り注ぐ雨粒やそれによって蒸れた木々と土の匂いで分かりにくいが、言われてみれば少し甘酸っぱそうな匂いがする。イチゴか何かに近いような、美味しいだろうと思わせるようなそれだ。果物だろうか。
 少し気になったが、こんなやせぎすの子供から食べ物を奪うほど落ちぶれてはいないので、相手へ向けて笑みを浮かべた。

「分かった分かった、お前のそれはとらない」

 優しく聞こえるように言ってやったつもりだが、俺の言葉を受けた子供はまだ不審そうにこちらを見上げている。
 何とも失礼な子供だ。
 文句を言ってやろうとしたところで、ぐう、と控えめに小さな音がする。
 未だ空で唸っている雷のそれに似た音と共に震えたのは、俺が捕まえて押さえて付けている子供の腹だった。

「……なんだ、腹が減ってんのか」

 思わず尋ねると、むっと子供が眉間に皺を寄せる。
 空腹だったならさっさと手元の食べ物を食ってしまえばいいだろう、と言おうとして、ひょっとするとその最中を俺が邪魔してしまったのかもしれないな、と思い直した。
 どうして子供が縁側の下に潜んでいたのかは知らないが、目つきからして俺が知っているような『子供』とは違った待遇で生きてきたに違いない。物を食べる時はかくれて食べるだなんてどこかの野生の動物のようだが、奪われることが日常だと言うのならそれも仕方の無い話だ。
 少しだけ考えてから、俺はそっと子供の腕を抑えていた手から力を抜いた。
 それに気付いた子供が、少しだけ怪訝そうな顔をする。
 生まれつきなのか誰かに面白半分に剃られたのか、少し面白い髪形をしている子供を見下ろしてから、俺はそっと言葉を落とした。

「暴れない、大人しくするって約束するんなら、俺の飯を分けてやるがどうする?」

 確か、前の町で買った保存食が残っているはずだ。
 次の町ではしばらく働いて路銀を貯める予定だったし、今食べようが明日食べようが大して変わらないだろう。
 俺の言葉に、目の前の子供がぱちぱちと瞬きをした。
 その口が返事をするより早く、もう一度ぐるるると腹が鳴き声を上げて、子供の顔がしかめられる。
 いい返事だ、とそれへ笑ってやってから俺が子供の腕を放しても、子供は身動きせずにそのまま俺の様子を観察していた。
 さすがにフォークをとりに行かれてはたまらないので、足は押さえつけたまま、腕を伸ばして開きっぱなしだった鞄を掴む。

「ほら」

「!」

 引き寄せたそれから保存食の燻製肉を取り出して子供の方へ向けると、まるでおもちゃのように素早く子供が上半身を起こした。
 伸びた手が俺から食料を奪い取り、その口がいぶされた肉に噛みつく。

「とらねェから、もう少し落ち着いて食え」

 かなり腹が減っていたんだろう、抱えていた筈の『食い物』すら傍らに放り出して両手で肉を掴んでいる子供に笑って、俺も自分の分の夕食を口に運ぶことにした。
 子供がかじっているのより一回りほど小さい燻製肉を噛みしめて、軽く咀嚼しながら目の前を見やる。
 家主がどういう手入れをしていたのか知らないが、見る影もないほど草の生い茂った庭先には先ほどと変わらず雨が打ち付け、少し白んで見えるほどだった。
 吸い込む空気も湿りきっていて、今夜は冷えるだろうな、なんて考えながら食事をとる。
 しばらくして傍らを見やると、かなり急いで食べたらしい子供が名残惜しげに最後のひとかけらの燻製肉を口へ押し込んでいたので、荷物から取り出した次の食料を子供へ向けた。
 少しは腹が落ち着いたのか、戸惑った顔をしながら、子供の手が俺の差し出した非常食を受け取る。
 いぶしたチーズを指でちぎり、その小さなかけらを口に押し込んでから、子供がもごりと口を動かした。

「…………かねなら、もってねェよい」

「ん?」

「おれにやさしくしたって、なんにもねェって、いってんだよい」

 そんな風に言いつつ、子供は窺うようにこちらを見ている。
 どうやらもう暴れるつもりは無いらしい、と判断して子供の両足を解放してからその場に座り直し、自分の膝で肘を支えるようにして頬杖をついてから、俺は子供の様子を観察した。
 見た目の年齢に不釣合いなその目つきが、何とも痛ましい。
 日本だったら公的な機関に保護してやってくれと通報するところだなと、もう随分と昔に生き別れた世界のことを思い出した。
 誰かに言ってみても医者を紹介されるだけだったからもう誰にも言ったことがないが、俺はこの世界で生まれた人間じゃなかった。
 まともに生きていた筈なのに、ある日突然この世界へと放り出されたのだ。
 大まかに言えば平和の分類だった日本で生まれ育った俺から言わせれば、この世界は無茶苦茶だった。
 海賊が闊歩する海にはジンベエザメよりでかい肉食獣が数多く存在しているし、人間を飼うような恐ろしい貴族はいるし、目の前で人が死んだり殺されたり殺したりする。
 俺が生き残り『帰る術』を捜して歩けているのだって、ただ運が良いだけのことに違いない。

「別に、何にも見返りを期待してねェから、そんな心配をするなよ」

 言ってやってから顔を手から離し、そっと手を動かすと、俺の動きに怯えたように子供がびくりと身を引いた。
 何かされないかと構える相手に笑って、先ほど濡れた自分の体を拭いていたタオルを掴まえる。
 縁側から立ち上がり、少し汚れたそれを軒先から向こうへ差し出すと、見る見るうちに俺のタオルは雨水に侵食されていった。
 ぐっしょり濡れたそれをきつく絞ってから、まずは自分の手と足についた汚れを拭いて、その後もう一度水を含ませてから絞り、先ほど座っていた位置へと戻る。
 両手でチーズを持ったまま、俺の動きを観察するように目を向けている子供へタオルの綺麗な面を差し出すと、ぱち、とその目が瞬きをした。

「……なんだよい」

「すげェ汚れてるから、これで拭け」

 顔だけと言わず腕も足もな、と言葉を続けた俺に、子供は妙な顔をした。
 その顔や体には汚れがこびりついていて、少し汚いにおいもする。隣に座ったままでいるには少々堪える相手だ。
 不審そうにタオルを見つめ、それから俺を見上げることを繰り返して全く動かない相手にため息を零して、ひとまず掌の大きさに畳んだタオルを子供の顔に押し付ける。

「うぶっ」

「はいはい、暴れんなよー」

 驚いたような声を零した子供が抵抗しようとしたが、俺が落とした言葉に先ほどの『交換条件』を思い出したらしく、チーズを握りしめたまま大人しくなった。
 苦しくならないようにすぐに顔からずらしたタオルでその不思議な髪形をしている頭まで拭いてやってから、ほら、と離したタオルを子供の前に晒して見せる。
 古びたタオルが黒く汚れているのは、まず間違いなく子供の顔についていたあのヘドロのような汚れの所為だ。

「な、汚れてるだろ」

 そう言った俺を前に、子供はぎゅっと眉間に皺を寄せた。
 それでも、まだ両手でチーズを持って動こうとしないので、タオルの綺麗な面を表側にして折り畳んでから、今度は子供の腕を拭く。
 ズボンから伸びた足先まで拭いてやって、最後に汚れの酷い服まで拭ってやると、もはや俺のタオルは使用不可能になってしまった。
 殆ど雑巾としか言いようのないそれを、出来る限り綺麗な面を表にするように畳み直して、やれやれ、と息を吐きつつその場に座り直す。
 されるがままだった子供は、綺麗に拭いてやった指でチーズをひとかけら千切り、それを自分の口へと押し込んでいるところだった。
 先ほどよりじわじわと、まるで惜しむようにチーズを食べながら、その目がちらちらとこちらを窺っている。
 よく分からないので放っておくと、やや置いてチーズを半分ほど消費したところでようやく心を決めたらしい子供が、小さくなってしまったチーズを握りしめたままで言葉を零した。

「…………なあ」

「ん?」

「おまえ、オヒトヨシってやつかよい」

 問いながらこちらを見上げる子供の目には、先ほどまでの鋭いぎらつきは見当たらなかった。
 おずおずと漏れたその声に首を傾げて、うーん、と唸ってみる。

「自分じゃそう思ったことは無いな」

 俺は大概自分勝手に生きていると思う。
 この島へ来たのだって自分の為だし、今子供に食事を分け与えたのだって気まぐれで、その顔を拭いてやったのは子供が横に座らせておくにはあんまりにも汚れていたからだ。
 だと言うのに、俺の返事を聞いても納得した様子のない子供は、先ほどより少し面白い物を見る目でこちらを見ている。

「おれ、マルコってんだよい」

 そうしてそう名乗られて、おや、と俺は軽く首を傾げた。
 俺の動きに合わせたように、同じ方向へ頭を傾けた子供が、俺を見上げて言葉を零す。

「おまえは?」

 雨音に紛れるようなその声に、どうやら名前を聞かれているらしい、と判断して、俺は子供へ向けて返事を落とした。

「ナマエだ」

 姓もあるが、今それをマルコと言うらしいこの子供へ言ったって仕方の無いことだろう。
 俺の返事に、ナマエ、と口の中で人の名前を転がした子供が、それからにまりとその顔に笑みを浮かべる。
 ようやくチーズから離れた右手が、先ほどまで大事に抱えていた自分の荷物を掴まえて、その塊をごろりと俺と自分の間に転がした。

「なァナマエ、これやるよい」

 どう見たって年上の俺を呼び捨てにして、子供がそんな風に言葉を寄越す。
 先ほどまで『渡さない』と息巻いていた物を差し出して来た子供に、俺の顔は随分と戸惑いを浮かべたことだろう。
 けれど俺のことを見上げた子供は、そんな俺のことなど気にした様子もなく、激しい雨音にも負けぬ強さで言葉を続けた。

「だから、おれをひろえよい」

 な、と声を漏らして笑った子供に、一度俺が断ったのは、無理もない話だと思う。
 だって仕方ないだろう、いつか帰るこの世界で、子持ちになる予定なんて無かったのだ。
 けれども諦めなかったマルコは俺の後をついてきて、結局そのまま『俺の物』になり。
 ひょんなことから『白ひげ』と呼ばれる海賊に遭遇するまでの間、そうして俺達は二人で仲良くあちらこちらを旅して過ごしたのだった。


 余談ではあるが、マルコが一口かじったという彼の『荷物』は、匂いの割にこの世のものとは思えないほどに不味かった。
 あれは絶対に完食出来ないだろう。通りで腹を空かせていた筈である。



end


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