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きみがすきなひと
※くっつく



 空になったグラスへボトルの最後の一滴を落とし、広がる波紋を見つめてから空のボトルを足元へ落としたキッドは、そのグラスを掴まえてからふと自分の前を見やった。
 視線に気付いたナマエが、不思議そうな顔をして首を傾げる。

「どうかした?」

 問いかけながら、いつものようにただの水を舐めたナマエに、キッドも口を動かした。

「……今日は止めねえのか」

 尋ねるキッドの足元には、空のボトルがいくつも転がっている。
 それらはすべて、この船長室にいる二人のうちの一人の腹に収まったものだった。
 甲板での酒盛りの後、中身の入った酒瓶を手に船長室へ戻るのは、最近のキッドにとってはもはや習慣となった行為だ。
 そうすれば、今キッドの前に座っている青年が、後を追うようにキッドの様子を見に来ることが分かっているからである。
 甲板で潰れた仲間達を介抱して、酒盛りの後片付けをした後のナマエを人目につかずに独占できるこの時間を、キッドはとても気に入っている。
 他愛ない会話をしながら酒を飲むのに付き合わせ、『飲みすぎだよ』とナマエが言い出すのがいつものことだったと言うのに、いつもより二瓶ほど多く転がったボトルを軽く踏みつけて、キッドは怪訝な顔をした。
 そんなキッドを前に、飲みすぎたと思うなら自分でセーブしたらいいのに、とナマエが笑う。

「俺は、今日くらいはいいかなって思っただけだよ」

「…………今日くらい?」

 そうして呟かれた言葉に、キッドが眉間にわずかな皺を寄せる。
 寄越された言葉にぱちりと瞬いてから、あれ? とナマエが首を傾げた。

「だって明日……あ、もう今日か。今日って、キッドの誕生日なんだろ?」

 そうして寄越された言葉に、酔った頭で日付を思い出したキッドは、ああ、と声を漏らした。
 確かに、今日はキッドの誕生日にあたる日だ。
 女でもあるまいし、自分の誕生日などここ数年気にしたことも無かった。
 そんなキッドを前に、ナマエが微笑みながら、『誕生日おめでとう』と言葉を紡ぐ。

「俺が一番最初だよね?」

「ああ」

 問いかけには答えながら、相変わらずの相手にキッドの口からは小さなため息が漏れた。
 ベッドに座るキッドの向かいで、椅子に腰を下ろしているナマエは、よくそんなキッドをむず痒くさせることを言う。
 しかし大概それは無意識で、ナマエの『そういった意識』はキッドの方へはかけらも向いていないらしい、というのがキッドの認識だった。
 ナマエが溢れる好意を抱いているのは、キッドはまだ顔しか知らない『海賊女帝』だ。
 絶世の美女であるらしい彼女は、キッドの知らない在りし日のナマエに遭遇し、そうしてナマエを誑かしたらしい。
 苛立ちを酒を舐めることでどうにか飲みこみ、誰に聞いたんだ、とキッドが尋ねた。
 キラーにだよ、と分かりやすく返事をしてから、ああそうだ、とナマエが言葉を紡ぐ。

「明日……じゃなくて今日、キッドの誕生日を祝うってみんなが言ってた」

「ああ?」

「キッドの誕生日、俺が宣伝しておいたから」

 誕生日は祝うもんだもんな、と紡ぐナマエの顔には、へらりと笑顔が浮かんでいる。
 キッドの船に乗ってもう結構な時間が経っている癖に、ナマエは随分と平凡な青年だった。
 恐らくは、とてつもなく平穏な島で生まれ、育ったのだろう。
 その感性は一般人のそれで、そのくせ、悪名高くなりつつあるキッドを前にしても怯えたりする様子も無かった。
 最初はそれが、キッドの興味を引いたのだ。

「……馬鹿か。ガキじゃねェんだからよ」

 口の端をつり上げながら言葉を紡いで、キッドはグラスの中の残りを飲み干した。
 もう一瓶あけようかとも思ったが、クルー達がキッドの誕生日を祝うと言うのなら、それはもちろん宴でのこととなるだろう。キッド海賊団のクルー達は、揃いも揃って酒好きだ。
 その時に飲むならいいか、と空のグラスをベッド近くへ移動させていたテーブルへ置いたキッドに、ナマエがわざとらしく目を丸くする。

「キッドが自制を覚えた……!」

「おれを馬鹿にしたか?」

「してないしてない」

 声を漏らしたナマエへキッドがあからさまに唸れば、ナマエはすぐさま首を横に振った。
 そうして椅子から立ち上がって、キッドの方へと近寄ってくる。

「それじゃ、俺はグラス片付けるね」

「いらねェ」

 言いながら、キッドが置いたばかりのグラスへ手を伸ばしたナマエの腕を、キッドの掌が捕まえる。
 え、と声を漏らしたナマエの体を自分の方へと引っ張りながら、キッドはそのままベッドの上へと後ろ向きに倒れ込んだ。
 うわ、とナマエが声を上げたのに重なるように、二人分の体重を受けたベッドがぎしりと悲鳴を上げる。
 それも気にせず足まですべてベッドの上へと上げたキッドは、ナマエの体を自分の隣に横たわるようにさせて、その腕でそのままナマエの体を掴まえた。
 床には酒瓶が転がっているので、ランプはつけたままだ。

「キ、キッド? あの、」

 体を強張らせ、何かを言おうとするナマエに対して、キッドの眉間に皺が刻まれる。
 何度か寄越された言葉を思い浮かべてしまい、恐らく寸分たがわぬものが寄越されると把握して、低い声がキッドの口から押し出された。

「何もしねェよ、黙れ」

 落ちた言葉に、一先ずナマエが口を閉じた気配がする。
 初めてのことでもあるまいし、何の色気も無く抱き枕にしているだけだというのに、ナマエは毎回律儀に、自分には好きな人がいるからとキッドへと訴えてくるのだ。
 あまりにも腹立たしく、いっそのこと裸に剥いてしたいことをしてやろうかと思ったことすらある。
 けれどもキッドがそれを実行しないのは、そうした後でナマエがどんな態度に変わるのか分からないからだ。
 敏いキラーには先日気付かれたし、他のクルーもうすうす感じているだろうに、鈍いナマエはキッドの胸の内を理解しない。
 キッドが言葉に出さないのだからそれも当然なのかもしれないが、海賊女帝に懸想しているナマエへ自分の心を告げるだなんて負け戦を、ユースタス『キャプテン』キッドにできるわけがなかった。
 大人しくなったナマエを改めて抱きしめて、頬をシーツに押し付ける格好になったキッドは、そのままでそっと目を閉じた。
 酔いの回った体に、じわりと眠気が忍び寄ってきた気配がする。
 傍らにナマエを置いたまま、それを手繰り寄せようとしたキッドの傍で、そういえばさ、とナマエが言葉を紡いだ。

「前に言ってたキッドの好きな人って、俺が知ってる人かな」

 放たれた問いかけに、キッドが閉じていた目を開く。
 見やった先で、ナマエはぼんやりと天井を見上げていて、キッドの方を見てはいなかった。
 独り言に近い問いかけは、しかしこの部屋に二人きりである以上、キッドへ向けられたものに間違いはないだろう。
 何だ急に、と口を動かしたキッドへ、前は教えてくれなかったから、とナマエが呟く。
 確かに、前にそんな話になった時、キッドはその名前をナマエへは告げなかった。
 何故なら、ナマエこそがその当人だからだ。
 そんなことも知らないナマエに、キッドはゆっくりと言葉を紡いだ。

「聞いてどうするんだ、そんなもん」

「知ってる人だったら、手伝えることもあるかなあと思って」

 キッドの言葉へ、ナマエが答える。
 手伝うと言うその台詞に、キッドは舌打ちを零した。
 いくら鈍いにしても、言っていいことと悪いことがあるのではないか。
 そう唸ってやりたいところだが、ナマエにそれを言うわけにもいかず、話をそらすように声を漏らす。

「…………てめェがそんなことをしても、おれは海賊女帝との間を取り持つつもりはねェぞ」

 もしもキッドが今よりさらに名を上げ、好き放題にこの海を進んで行けば、そのうちどこぞの『麦わら』のように王下七武海とも敵対することもあるかもしれない。
 その相手が例えばボア・ハンコックだったとしても、キッドがナマエをそちらへ差し出すなんてことはあり得ないことだった。
 相手が女だろうが、絶対に叩きのめすに決まっている。
 しかしキッドの言葉に、それはいいよ、とナマエが頷いた。

「だって、ハンコックは好きな人がいるし、俺だって付き合いたいとかそういうんじゃないし」

 あんまりにもあっさりとした言葉に、キッドはますます不機嫌な顔になる。
 好きな相手が誰か他に惚れているとして、関わりを持たなくて構わないと思えるほどの深い心を、キッドは持ち合わせていない。
 出来れば近くに置いておきたいし、他に渡すつもりも当然ながら無いのだ。

「…………いたい。ちょっと、キャプテン、痛い」

 キッドの心が反映されたのか、腕の力が強まったらしく、あいたたた、とナマエがわざとらしく声を上げた。
 仕方なく少しだけ腕の力を緩めてやってから、キッドの目が改めて閉じられる。

「うるせェ。黙れ。おれは寝る」

 苛立ちに紛れて言葉を紡いだキッドに、ナマエは大人しく従ったようだった。
 静寂の戻った室内で、キッドはただ眠りに落ちようと意識を落ち着かせる。
 けれども、先ほど酔いに紛れて近寄ってきていた眠気は影も形も見当たらないまま、時間だけが過ぎていった。







「…………」

 時計も無い室内で、無音のまま時間が過ぎ、いつまで経っても訪れない睡魔にキッドがどうしたものかと考え込んだ頃、もぞりとキッドの腕の下でナマエが身じろいだ。
 寝返りかと思ったが、キッド、と漏れた声に、ナマエはまだ起きていたらしいことを把握する。
 珍しいこともあるものだと、目を閉じたままでキッドはそんなことを考えた。
 キッドがこうやって抱き枕にしたとき、大体いつもはナマエの方が先に寝入るのだ。
 酒も入っていないくせに無防備に寝姿を晒すナマエに、後からため息を漏らしたことも一度や二度では無い。

「………………キッド、寝た?」

 そうっと、窺うように声を漏らすナマエに、キッドは返事をしなかった。
 また先ほどのような不毛な会話を繰り返されては、今より苛立ちがまして眠れなくなることは目に見えているからだ。
 キッド、とさらに呼びかけられても無視をして、規則正しく呼吸をするキッドに、ナマエはどうやら『眠っている』と判断したらしい。
 もう一度身じろいだその体が、キッドの方へ少しだけ近寄る。

「…………………………あのさ」

 小さな小さな声で、ナマエが言葉を紡いだ。

「俺が、キッドが好きって言ったら怒る?」

 唐突に寄越された言葉に、キッドの思考が追い付くまで少しかかった。
 キッドが眠っていると思っているナマエは、思考が停止しているキッドの様子には当然気付かないまま、囁くように言葉を落とす。

「キッドの好きな女の人ってどこの誰なのかな。顔も性格も美人だったら、諦めもつくのになァ」

 前に聞いた話じゃよく分からないし、と呟くナマエのそれは、ほとんど独り言だ。
 その声が先ほど呟いた言葉を幾度か頭の中で繰り返して、ようやく理解に至ったキッドは、ナマエを抱きしめたままで低く声を漏らした。

「………………おい」

「っ!?」

 キッドの声に、ナマエの体が面白いほど大きく、びくりと震える。
 硬直してしまったナマエを抱く腕の力を緩めて、キッドは片腕をベッドに添え、体を少しばかり持ち上げた。
 ナマエの体を抱く手はそのままに、ぐいと自分の下へ来るように引き寄せれば、体を強張らせているナマエは何の抵抗も無くキッドの真下まで引きずられる。
 身を起こし、上からその顔を覗き込むようにしたキッドの目に、目を丸く見開いたナマエの顔が映った。
 キッドが起きていることなど、考えもしなかったのだろう。わずかに怯えすら見えるその顔を見れば、先ほどの言葉に偽りは無いことくらい簡単にわかる。
 わずかに目を細めてから、キッドはナマエへ向けて言葉を落とした。

「……『誰』が、『誰』を好きだって?」

 先程のナマエの言葉が事実なら、キッドの問いの答えなど分かりきったことだ。
 けれどもナマエは往生際悪く、キッドから少しだけ目と顔を逸らし、何のこと? と震える声で言葉を紡いだ。
 ナマエの体を自分の下まで引き寄せたキッドの手がその体から離れ、じわりと動いてナマエの顎を掴まえる。
 ぐいと顔を元の位置まで戻し、逃げ場を捜すようにせわしない視線を自分の方へと向けさせると、キッドの双眸を見上げたナマエの顔が、少しばかり泣き出しそうなものになった。
 それはまるで、キッドに怯える一般人のそれだ。
 誰に向けられても気にしたことの無かった顔を、ナマエが浮かべているという事実にキッドの眉間に皺が寄る。
 先ほどの言葉をもう一度、面と向かって確かめたいだけだ。怯えられるような暴挙を働いているつもりもない。
 言え、と言葉を促してキッドが視線を注ぐと、ナマエは更に迷うように視線を揺らし、それからぐっと眉を寄せた。
 何かから逃げるようにその目が閉ざされて、震える唇が言葉を紡ぐ。

「………………『俺』が、『キッド』を好きだって言ったんだよ」

 声は小さかったが確かにキッドの耳まで届き、体を堅くしたナマエの上で、キッドはその口ににやりと笑みを浮かべた。
 笑い出したいくらいの歓喜がその胸の内を満たしていて、うまく言葉を紡ぐことも難しい。

「……へ、変なこと言ってごめん」

 しかし悲愴な顔をしているナマエには、キッドの沈黙は違うものと思えたらしい。
 そんな謝罪まで寄越して、嫌いにならないで欲しいと訴えてくるナマエの顎から手を離した。
 それからすぐに滑らせた手でナマエの服を掴まえて、自分の体を改めてベッドに横たえるのと入れ替えるように引き寄せる。
 キッドの膂力によって簡単に移動したナマエの体は、そのままキッドの体の上へと移動した。
 驚いて目を開いたナマエがその両腕で体を支え、ちょうど先ほどキッドがやっていたように、その体がキッドの上へと覆いかぶさっている。
 自分の体を跨がせて、困惑した顔のナマエを見上げたキッドの手がナマエの服を手放し、今度はナマエの上着の胸元を掴まえた。
 ぐいと引き寄せれば、抵抗できなかったナマエの顔がキッドの方へと引き寄せられる。

「……キ、キッド?」

 戸惑い、困惑した様子で声を漏らしたナマエに、キッドは笑ったままで言葉を紡いだ。

「てめェが、おれを好きだっつったな?」

 確認するように尋ねたキッドの顔を正面から見つめて、言ったけど、と呟いたナマエの顔にはただひたすらに困惑が浮かんでいる。
 先ほどの様子からして、気味悪がられたり嫌われたりすると言うことを予想していたのだろう。
 馬鹿馬鹿しい話だ。キッドは思った。
 ナマエが海賊女帝のことばかりを語っていた頃から、キッドは同じ思いをナマエに抱いていたのだ。
 そんなキッドが、ナマエに『好きだ』と言われて、そんな反応をするわけがない。
 けれどもそれを言葉にしてやらないのは、キッドのささやかな意趣返しだった。
 何せ、ナマエはキッドの前で海賊女帝の魅力を語り、麗しいと絶賛し、キッドを苛立たせてきたのだ。同じ時間をとは言わなくても、この程度のことは許されるだろう。
 だから言葉を紡がない代わりに、キッドの手が掴んだままの服を引き寄せ、ナマエの顔がさらにキッドの方へと近付く。

「わ、」

 それに気付いて体を強張らせたナマエが、両腕の力で体を支えようとするのを感じて、キッドはもう片方の手をナマエの頭の後ろへ添えた。
 そのままぐいと引っ張れば、驚いて目を見開いたナマエの顔が、ついにはキッドと触れ合う寸前まで移動する。

「キッド、あの、」

「うるせェ、黙れ」

 慌てたように言葉を漏らすナマエへ唸り、残りのほんの少しの距離は自分が頭を持ち上げることで埋めることにして、キッドはそのままナマエの唇に噛みついた。
 びくりとまたナマエの体が震えたが、逃がすつもりなど毛頭ない。
 全く、今日は笑い出したいくらいに最高の誕生日だった。



end


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