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ありていに言えば失考
※短編『天国と地獄』と同設定
※トリップ系一般人主人公はモモンガさんが好き
※微妙にオリキャラ注意



 『この世界』へやってきて、一番困ったのは食事事情だ。
 何せ、食材を買いに行った先で目にしたのは、俺が見たことも食べたことも無い食材が殆どだった。
 かといって、食べなくては飢えるのだから手を出さないわけにもいかない。
 『最近一人暮らしを始めたばかりで』とかなんとか言いながらとりあえず店の人に調理方法を聞いて、恐る恐る調理をして、少しずつ食べられるものを増やしていった。
 俺が男だからか、周りで聞いていた奥様方も気にかけてくれているようで、最近はどこそこが安いだの新しい調理方法だのを教えて貰ったりするようになっている。
 本当にこの島はいい人達ばかりで、この世界に海賊というものが本当にいるのかと逆に疑問を抱きたくなるくらいだ。
 今日もまた、買い物の途中で声を掛けてきた顔見知りの奥様と一緒に同じ店で買い物を済ませて、重たいものを購入した彼女の荷物持ちをしたところだった。
 家まで送っていったらお礼にと煮物のおすそ分けも貰えたので、今日の夕飯はこれにしよう。
 久しぶりの誰かの手料理に少し浮かれた気持ちのまま、家路につこうと夕暮時を歩いていた俺の視界の端に、ちら、と人影が入り込む。
 思わずそちらへ顔を向けてしまったのは、その人が誰よりも俺の目を引く存在だったからだった。

「モモンガさんだ」

 こちらに背中を向けている相手の名前を思わず呼んで、歩いていた足を止めて道の端に寄る。
 ここ先月の頭からその姿を見なかったから、またどこかへ船を出していたのだろうか。
 俺の知る限りだが、海兵さんは常に忙しそうだ。
 何となく、その背中も疲れているように見える。
 何処かへ向かうところか、それとも帰るところか。
 その背中を眺めながら少しだけ考えて、それから一つ息を吸い込んだ俺は、足先を彼の方へと向けた。

「モモンガさん!」

 そうして声を掛けながら、素早く相手へと近寄る。
 俺の声を聞いてぴたりと動きを止めた彼は、それからちらりとこちらを見やった。

「……ああ、ナマエか」

 どことなく強張った声で名前を呼ばれて、少し戸惑いながらも隣に並ぶ。
 オレンジ色に染まる街道を歩き出したモモンガさんに合わせて脚を運びながら、『お久しぶりですね』と言葉を投げると、『ああ』とモモンガさんが頷いた。
 かなり疲れているのか、その目が少しばかり逸らされて、いつにない相手の様子にわずかに目を瞬かせる。
 やっぱり、声を掛けるべきでは無かっただろうか。
 けれども、もう一ヶ月も会っていなかった。
 少しだけ声が聴きたかったなんていう理由で行動した俺は、本当に自分の欲望に忠実で身勝手だ。

「ごめんなさい、お疲れなのに」

 もう帰るところなんだろう相手へそう言いながら、持っていた荷物を持ち直す。
 モモンガさんが足を向けていた方向には海軍本部がある。いくつか食事処もあるが、モモンガさんはどこかで食事をとるんだろうか。
 ついていきたいところだけど、俺の手元には先ほど貰ったばかりのおすそ分けがあるし、何よりこれ以上モモンガさんを疲れさせたくない。
 そのまま口を閉じて隣を少しだけ歩き、この先の大通りで別れようと決めた俺の傍らを歩いていたモモンガさんが、数歩進んだところでそっと口を開いた。

「……その、ナマエに話があるんだが」

「は、はい?」

 改まった様子で言葉を寄越されて、慌てて顔をモモンガさんへ向ける。
 歩いている相手の方はこちらを見てはおらず、空耳だったろうかとちょっと恥ずかしくなった俺の傍で、モモンガさんがこちらを見ないまま口を動かした。

「先ほどの御婦人は、既婚者だ」

 私の部下の妻だ、とそんな風に言葉を続けられて、ぱちりと瞬きをする。
 何が言いたいのか分からず、少し困惑して首を傾げながら、はい、と返事をした。
 モモンガさんの言う『先ほどの御婦人』というのは、恐らくは俺にこの『おすそ分け』をくれた彼女のことだろう。
 時々夫ののろけまでしてくる彼女が既婚者であることは、もちろん知っている。
 男手が必要な時にいやしないんだからと笑って言っていたが、彼女の夫はどうやら海兵だったらしい。
 忙しいモモンガさんの部下だというのなら、やはり忙しく働いている人なんだろう。
 いや、今はそれよりも、モモンガさんの方が気になる。
 もしかして、俺が先ほど彼女を家へ送っていくところを見ていたんだろうか。
 だったら声を掛けてくれれば良かったのにとも思ったけど、部下の奥さんと言うのは顔を合わせづらいものなのかもしれない。

「会ったことはないですが、素敵な方だってよく仰ってますよ」

 話を合わせるようにそう言って、わずかに口元へ微笑みを浮かべる。
 俺の言葉に少しばかり眉を寄せて、そこでようやくモモンガさんがこちらを見下ろした。
 どことなく戸惑いを含んだようなその目を見つめ返して、どうしたんだろうと首を傾げてから、持っていた荷物の一つをモモンガさんの前で軽く揺らす。

「この島の人達は本当にいい人ばっかりですよね。俺はよそ者なのに、すごくよくしてもらってます」

 これももらっちゃいましたし、と荷物の口を軽く広げて相手へ向けると、その中にあったおすそ分けの煮物を見たらしいモモンガさんが、ほんの少しだけ目を見開いた。
 すぐさまその目がこちらへ向けられて、それからふいとその顔が逸らされる。
 戸惑いながらそれを見送って、俺が荷物を降ろすと、そっぽを向いたモモンガさんがごほんと咳ばらいをした。

「モモンガさん?」

 どうかしたんだろうか。
 不思議に思って声を掛けた俺の横で、すまなかった、とモモンガさんが言葉を零す。
 どうして詫びられるのか分からず、首を傾げたところで、俺は自分達が大通りへ差し掛かっていることに気が付いた。
 まだ名残惜しいけど、モモンガさんをこれ以上疲れさせるわけにもいかない。

「それじゃあ、俺はこっちなので」

「ん? ああ」

 そのまままっすぐ行こうとするモモンガさんに声を掛けて、大通りを右へ曲がる方へ足を踏み出す。
 それからモモンガさんを見やり、気を付けて帰ってくださいね、と言葉を投げようとした俺は、同じ方向に曲がってくる相手に気付いて目を瞬かせた。

「あれ? 今日はこっちですか?」

 モモンガさんがいつも帰るのとは、方向が違う。
 疲れているようなのに、何処かに用事があるんだろうか。
 無理はしない方がいいですよと言葉を投げた俺へ対し、ああ、いやと声を漏らしたモモンガさんが、改めて俺の隣に並ぶ。

「もう日暮れ時だ、危ないからな。家まで送っていこう」

「そんな、女の子じゃないんですから」

 優しげに寄越された言葉に笑って、首を横に振る。
 俺が可愛い女の子だったら、好きな人からのこんな申し出すぐさま受けるところだけれども、俺は残念ながら男だった。
 それに、今はモモンガさんがすごく疲れているようだったのが気になる。
 さすがに俺より年上の誰かさんはもうすっかり普段と変わらない顔をしているが、いつもと様子が違うことくらいは分かるのだ。

「お疲れなんですから、早く帰って休んだ方がいいですよ」

 だからこそそう言った俺の横で、モモンガさんが首を横に振る。

「何、ずっと船の上にいたからな、もう少し陸を歩きたいと思っていたんだ」

 まるでとってつけたような言い訳だ。
 けれども、自分の言い分を曲げるつもりの無いらしいモモンガさんは、俺が歩くのと同じ方向へ足を進めて譲らない。

「…………分かりました」

 何度か同じやりとりをして、結局折れたのは俺の方だった。
 こういうのも惚れた弱みというんだろうか。
 本当に恋愛というのは恐ろしい、なんて他人事のように考えてから、ふと思いついてちらりと自分の手元を見下ろす。
 相手の優しさに付け込むようで申し訳ないが、心配だからと自分の中で言い訳をして、俺は改めてモモンガさんを見やった。

「それじゃあ、うちで少し休んで行ってくださいね」

 とっても疲れた顔してますよと、今見ても分からない顔を見上げて言葉を続けると、少し困った顔になったモモンガさんが、片手で軽く自分の顔に触れた。
 口元を隠すようにしながら、そんな顔をしていたか、と言葉が落ちる。
 それを見やって頷いてから、俺は自分が持っている荷物を軽く揺らした。

「ついでに夕飯もどうですか?」

 さっき貰ったおすそ分け一緒に食べましょうと誘うと、モモンガさんがますます困った顔をする。
 そんなことまでしてもらうわけには、なんて言葉を寄越されたが、気にしないでくださいと俺は笑った。
 親睦を深めてもお互いの家を行き来するほど親しいわけではないから、モモンガさんが困惑するのも無理はない。
 けれども、度胸の無い俺が送られ狼になんてなりようがないのだから、これは本当に純粋な誘いだ。
 俺の家まで送っていって、それから帰り道にどこかで食べて帰るのなら、いっそうちで食べて行ってくれたらいい。

「おもてなし頑張りますから」

 ね、と念を押して笑いかけると、しばらく俺の顔を見下ろしたモモンガさんが、そっと自分の顔から手を離す。
 強引な俺に呆れているのかもしれないが、その口元はわずかに微笑んでいたから、不愉快だとは思っていないようだ。
 そのことにほっとした俺の横で、分かった、とモモンガさんが呟く。

「しかし、そこまでもてなしを頑張ろうとしてくれなくていい。他の友人を招いた時のように扱ってくれ」

 柔らかな声で寄越された言葉に、少しだけ胸が痛んだ気がしたのは、俺にとって、傍らの海兵さんは『友人』ではないからだ。
 けれども俺と彼は同性で、年齢だって違う。立場すらも、何もかも。
 言えない言葉は飲みこんで、そんなこと言われても、とわざとらしく困った顔をする。

「モモンガさんが初めてなので、やっぱり気合いを入れたほうがよさそうですね」

「なるほど……それは困ったな」

 お手柔らかに頼む、と笑ったモモンガさんへ『任せてください』と頷いて、俺は彼を伴って家路についた。
 怒って帰ったりはしなかったので、モモンガさんも俺のもてなしには満足してくれたんじゃないだろうか。

「次は、私が君を家に招こう」

 そんな爆弾発言を社交辞令にして帰っていってしまったモモンガさんを見送って、しばらく落ち着かなかったのは、まあ、仕方ない。



end


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