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月明のしずく (1/2)
※転生トリップ特典『超怪力』
※主人公は魚人



 大事なものには触っちゃいけないんだと、俺が気付いたのは小さな頃の話だった。
 この世界へ、俺をその命と引き換えに産んでくれた母親の形見が、手の上で粉々に砕けたのだ。
 確か、金目のものを狙われて奪われそうになり、引き戻そうと掴んだ指に力を入れた時だった。
 とても強度のある貝だという話だったのに、小枝のように簡単に折れて砕けたそれに俺は驚いたし、俺から奪おうとしていた相手も驚いていた。
 相手が手放したから奪われることはなくなったが、砕けてしまった形見は元には戻らない。
 母親が作ったという貝細工の破片は今も、俺の手元の巾着に入って首から下げられている。
 どうやら俺は、随分と怪力な『魚人』として生まれたらしい。
 それは、別に構わないのだ。
 何処かで見聞きしたような世界を生きているのも、体が自分の『覚えている』ものとはまるで違うことも、母親もいない今の俺が天涯孤独の身の上だということだって、今自分が『生きている』という事実の前には大した障害にもならない。
 死んだ筈が生まれ変わって、しかも漫画とよく似た世界にいるだなんてまるでおとぎ話のようだけど、現実だということは分かっていた。
 しかし問題は、ひょんなことから俺が、『人間』のたくさんいる船に乗ることになってしまったことだった。
 『白ひげ』と呼ばれる大海賊に息子にしてもらえて、俺の周りには同じような『兄弟』達が大勢いる。
 しかし、その殆どが『人間』だ。
 人間というのがどのくらい脆いかは、俺だってよくよく知っている。
 魚人と人間はまるで違うし、かつての俺はあまりにもあっさりと事故で死んでしまったのだ。
 例えば今の俺があの車と正面衝突したのなら、ひしゃげたのは車の方だったに違いない。けれども、あの日の『人間』だった俺には無理だった。
 『家族』達が嫌いなのかと問われるのは心外だ。
 同じ『父親』を持つ兄弟同士で、嫌いなわけがない。
 けれども、相手に手を差し出されたって、その手を掴み返すことは難しかった。

「どうしたんだよ、ナマエ」

 船にあがんねェのか、と小舟の上から手を出してきた相手を見あげて、いや、と小さく声を漏らす。
 それからその手を避けて船に触れ、出来る限り揺らさないように気を付けながら海水を蹴飛ばし、海から上がった。
 濡れた体で小舟へ座り込み、見上げた真横のモビーディック号は、その向こうに月をのぼらせながら悠然と海の上に佇んでいる。
 今日はこのあたりで夜を過ごすことにするらしく、俺が今船から降りていたのは、海底の近くに沈没船があったからだった。
 別に一人でよかったのに、夜の海だからと付き添いを申し出てきたサッチは、小舟の上で大人しく俺の帰りを待っていてくれた。
 沈没船の中を少し探索してみたが、おかしな生物が住んでいるような様子は無かった。
 明日はきっとサルベージにかかるだろう。
 持ち帰った小さな金貨の一枚を弾いてから、それをぽいと傍らへ放る。

「おっと」

 それを受け取ったリーゼント頭の海賊が、つまんだ金貨を月にかざした。

「何年前のだ、これ」

「さあ」

 寄越された声に首を横に振ってから、ちらりと自分が先ほど掴んだ小舟の縁を見やる。
 指が食い込んでしまったのか、分厚い板の上に四つほどへこみが出来ていた。
 やっぱり、力の加減というのは難しい。
 それに、歳をとるごとにどんどん強くなっている気がする。衰える日というのは来ないんだろうか。
 小さくため息を零したところで、ちか、と光を弾いた金貨が顔の前へ差し出される。

「ほら」

 返す、なんて言って笑った相手へ視線を向けてから、そのまま金貨をつまんでいるその指まで辿った俺は、ふるりと首を横に振った。
 受け取る時に何かの拍子にその指に触ってしまったら、ひょっとしたら相手を怪我させてしまうかもしれない。
 ただ武器をふるったりものを持ったりするだけの俺の手ならともかく、今目の前に座っている海賊は、料理を趣味としている『兄弟』なのだ。
 手がしばらく使えないなんてことになったら可哀想だろう。
 俺の考えなど読めるはずもないサッチが、俺の様子を眺めてから、少しばかりその眉間に皺を寄せる。

「お前、相変わらずだなァ、ナマエ」

 金貨をポケットへ仕舞いながら、やれやれと肩を竦められて、俺はそっと相手から目を逸らした。
 俺が『誰か』に触りたがらないということは、もはや船の上では周知の事実だった。
 俺と同じような『魚人』達なら少しは触れるが、彼らにだってたまに痛いと笑われる。
 聞かれたことがないから理由を話したことはないが、『人間』という脆い生き物に触ることが怖いということはすでに察されているのだろう、基本的に他の家族は俺に触ってこようとはしない。
 最近では、無防備に手を晒して見せるのはサッチくらいなものだった。
 むしろ、どうしてサッチがこうやって近寄ってくるのかも、よく分からない。
 黙りこくったまま、とりあえず船をモビーディック号の方へと近付けるべきかとオールへ手を伸ばしたところで、ふと視界の端で人影が動く。
 それに気付いて反射的に手を引くと、今俺が掴もうとしたオールの柄にサッチがその手を触れていて、少し驚いたような顔をしていた。
 突然人の手に触ってこようとしてきた相手に、何をしてるんだ、と思わず問いかける。
 俺の問いに軽く頭を掻いてから、だってよ、とサッチが呟いた。

「そりゃあ魚人島じゃあ人間に対する偏見を持つ奴だっているだろうけど、お前だって『家族』じゃねェか。そんなに毛嫌いすることねェだろ」

 少し口を尖らせてそんな風に言葉を重ねられて、ぱちり、と瞬きをする。
 意味が分からず首を傾げると、わかんねェか? と尋ねたサッチがひょいとその体をこちらへ寄せてきた。
 驚いて身を引くも、急な体重移動のせいでぐらりと船が揺れて、反射的に船の縁を掴んで体を強張らせる。手の内側で嫌な音が立ったのを感じて、更に体へ力が入った。
 俺のその様子ににやりと笑って、伸びてきたサッチの手が、ぺた、と俺の濡れた腕のあたりに触れた。
 あまり触れることのないぬくもりを肌に感じて、ますます体が強張ってしまう。
 もしもこれを振り払ったら、下手をすればサッチの腕はあらぬ方向に折れ曲がってしまうだろう。何て恐ろしい。
 一体、サッチは何をしたいのだろうか。
 分からずにとりあえずじっと相手の出方を窺っていると、笑いながらこちらを見ていたサッチが、ゆっくりとその顔に戸惑いのようなものを浮かべ始めた。
 そのままぺた、ぺたともう少しだけ俺の腕を触ってから、あれ、とその口が言葉を零す。

「怒らねェのか、ナマエ」

「……怒ったりしない、けど」

 出来たらそろそろ離れてくれないだろうか。
 言葉を重ねてみると、不思議そうにしながらもサッチが俺から手を離す。
 それを見送り、体の強張りを解いてそっと船の縁から手を離した。
 それから見やると、俺の掴んだ板が、しっかりと俺の手の形に凹んでいるのが視界に入る。
 それを見て小さくため息を零してから、俺はサッチへ視線を戻した。

「危ないから、触らないでくれ」

 そうしてそう呟くと、はあ? とサッチが怪訝そうな声を出す。
 その視線を誘導するように傍らのへこみを見やると、俺と同じ方向を見たらしいサッチが、げ、と小さく声を漏らした。



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