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怜悧狡猾なりて
※短編『若気の至り』と同設定(短編以前くらいの時間軸)
※若ゼファー←主人公



「すごいな、ゼファーは」

 海軍本部の通路の一角で、呼び止めた彼にただ嬉しそうにくすぐったそうに笑いながらそう言われて、ふん、と鼻を鳴らして笑ってやったゼファーは、それからその目で改めて友人を見下ろした。

「てめェはどうだ? ナマエ」

 低い声で尋ねると、ゼファーに比べれば頼りない肩を竦めた男がゼファーを見上げて笑う。

「そうだな、俺は相変わらずだよ。このくらいで頭打ちじゃないかな」

 そんな風に嘯く相手に、またそれか、とゼファーは笑った。
 ゼファーが『大将』の位を与えられると聞かされて、真っ先にそれを教えてやろうと頭に浮かべたのは、同期のうちにいる同じように躍進していく数人では無く、目の前の男だった。
 ナマエという名前の彼は、ゼファーの友人だ。
 ゼファーが他者から向けられることに慣れた憧れの視線を同じようにゼファーへと注いで、そのくせその向こう側に隠しごとをしている男にゼファーが目をとめたのは、彼がゼファーを『憧れの対象』のままにせず近付いてきたからだ。
 親しくなり、共に海軍学校へ入り、同期のまま新兵として入隊した。
 功績を上げるゼファーを見あげる他の人間の誰がゼファーを羨んでも、ナマエの目に妬みが宿らないと気付いたのはいつだったか。
 まるでゼファーの積み上げる功績と武勲が『当然』のものであるかのように扱って、置いていかれてもナマエは動じない。
 もうすでにゼファーより幾分か下の階級になってしまったナマエは、あまり出世欲がないらしい。
 地位を得れば得た分だけ、守るものが増え戦うための武器も手に入る。
 正義と悪が白と黒で分けられないということはもはやゼファーも知っていて、その渦中でも『正義』を背に負って戦うためには、昇進していくというのは必要なことなのだ。

『大丈夫、ゼファーなら出来るよ。俺も、出来るだけ手伝うから』

 まだ若かった海軍学校時代。
 目の前で見せられた海兵の理不尽に憤り、ある日胸のうちの『正義』を吐露したゼファーに目を丸くして、それからナマエはそう言った。
 あの日の彼と同じ顔をしている相手を見下ろしてから、ゼファーの片手がひょいと相手へ伸びる。
 向けられたそれに不思議そうな顔をした男の頭を掴まえると、指で軽く頭を握った。
 落ちている小石など簡単に砂に出来るゼファーの指が、ほんの少しばかり手の中の小さな頭を圧迫する。

「いっ! ゼ、ゼファー、痛いって……!」

「くだらねェことを言うからだ」

 あまり得意ではないようだが、ナマエも多少は覇気を使える。
 さっさと頭にでも武装すれば痛みも引くだろうに、ゼファーがその手に覇気を使っていないと知っているからか、ナマエはそう言った抵抗をしなかった。
 痛い痛いと言いながらその手をゼファーの手へ添える癖に、掴んで引き剥がそうともしない。
 基本的に、ナマエはゼファーに逆らわないのだ。
 恐らく、ゼファーが彼へ『ついてこい』と言えば、ナマエは必死になって階級を上げる画策をするだろう。
 手柄を立てる為なら無茶な遠征にも飛びつくだろうし、ツキを呼び込むガープがよくやるような博打めいた作戦だっていくらでも考えて吟味し、きっといくつかを試す。
 今でも一部の海兵を除けば苦しいつらいと聞こえてくる訓練を、数倍にすることだって厭わないに違いない。
 さすがに誰かを陥れたり誰かの功績を横取りすることは無いにしても、それが分かっているからこそ、ゼファーはナマエへそう言わなかった。
 何故なら、ゼファーを見上げ憧れ妬んで、そうやって己を酷使して折れていなくなっていく海兵を、何人も見たからだ。
 『ついてこい』と言ったゼファーの言葉に従おうとして、ナマエの心が折れては全く意味が無い。

「仕方ねェ野郎だ」

 やれやれとため息を零してやってから手を離したゼファーに、何で俺が呆れられてるんだ、と口を尖らせたナマエが自分の頭を軽く押さえた。
 ゼファーの指が食い込んだ辺りをその指先でそっと揉みこんで、はあ、とその口がため息を零す。

「今日こそ頭蓋骨を粉砕されるかと思った……」

「軟な骨だ、一度折っておきゃァ強くなるんじゃねェか?」

「頭の骨をそうやって鍛えられるのはちょっとなァ」

 今のところ頭突きで戦う予定もないし、と続けてその両手でゼファーの前から自分の頭を隠すようにしたナマエに、冗談だ、とゼファーが笑う。
 それからその言葉を証明するように両の手をポケットへ押し込み、相手へ危害を加えられないようにすると、それに気付いたナマエがそっと手を降ろした。
 ちらりと窺うように、その目がゼファーを見あげる。

「……それで、今日はもうあがりなのか?」

「ああ」

 問われた言葉に、ゼファーは頷いた。
 遠征から戻り、上官から引き止められ申し渡された『辞令』の予定に、聞かせればきっと『すごいなァ』と言って笑うだろうナマエを探したのはゼファーの方だ。
 もちろん、ゼファーに今日の仕事は残っていない。
 荷物を持ち歩かないナマエの見た目では判別がつきにくいが、この時間に本部から出る為の通路に突き当たるだけになっているこの通路を歩いていたのだから、ナマエも今日の仕事は終わっているだろう。
 そしてゼファーの予想を肯定するかのように、それじゃあ、と呟いたナマエがその顔に笑みを浮かべる。

「今日はお祝いしに行かないか」

 昇進祝いだ、なんて言った相手に、そうだなとゼファーも頷いた。
 実際のところまだ昇進したわけでは無いから、『昇進祝い』というのもおかしな話だ。
 それに、間違いなくそうなるとしても辞令を下すまではあまり吹聴しないようにと、ゼファーの上官はゼファーへ言い含めた。
 だからこそ、センゴクやガープ達は予定どうかな、なんて呟いたナマエに、ゼファーは軽く首を横に振った。

「あいつらは今日はいい。まだ辞令が出たわけじゃねェからな」

「え?」

「まァ、てめェ一人にくらいなら話してもいいだろうが」

 噂話が広がっていくのは面倒だ、なんて言って笑ったゼファーに、ぱち、とナマエがその目を瞬かせる。
 それから、わずかにその顔が赤らんで、それにゼファーが何かを言うより早く、その顔が逸らされた。

「そ、そうか! それじゃあ、あんまり大々的に祝ってやれないな。残念だ、せっかく奢ってやろうと思ったのに」

「別に奢ってくれて構わねェぞ。前はおれの奢りだったろうが」

 どことなくわざとらしく放たれた明るい声に、ゼファーはそんな風に返事をした。
 その目が観察した先で、じんわりと髪から覗く耳を赤く染めたナマエが、あれはゼファーがカードで負けたからじゃないか、なんてことを口にする。
 その手がゼファーの見えていない場所で自分の顔に触れて、何を確かめたのか、やがて逸らされていたその顔がゼファーの方を改めて見やった。
 先ほどと何も変わらない顔色で、はは、とその口が言葉を零す。

「仕方ないな……知っちゃったことを無かったことには出来ないから、俺だけ先に前祝いしてやるよ」

 ガープ達に祝ってもらう時は奢り側から抜けさせてもらうからな、なんて。
 祝われる当人には関与できそうにないことを言い放った相手にゼファーが肩を竦めると、あっさりと取り決めたらしいナマエが、いつもの店でいいか、とゼファーへ尋ねてきた。
 行き付けの店への誘いにゼファーが頷くと、それじゃあ行くか、なんて言ってナマエがゼファーを促して歩き出す。
 恐らくは一ヶ月以内に海軍大将となるだろう男を従えるようにして歩くナマエの後を追いながら、ゼファーは目の前の頼りない背中を見た。
 その背中に自身の正義を背負って揺らすナマエの姿は、いつもと何も変わらない。
 いまだに赤みの引かないその耳さえなかったなら、先程の挙動不審など無かったかのようだ。
 けれども、目の前で展開されたそれがどういう意味なのか、ゼファーはよく知っている。
 友人となり、同じ海軍学校に入り、共に海軍へと入隊した。
 その最中でナマエの対応には何の変化も無かったから、いつからなのかは分からない。
 ゼファーがナマエのそれが『そういう意味』なのだと気付いたのは、ゼファーに生涯を共にしたいと思えるような恋人が出来てからだった。
 むしろどうして今まで気付かなかったのかと言えば、ゼファーにとって恋愛対象というのは女に限ったものであるからだ。
 男が男にそういった感情を抱いているということに対する嫌悪はわかなかったが、絶対に振り向かない自分に囚われるナマエが、少しだけ哀れに思えた。

『女が出来た』
 
 だからこそ、諦めさせてやろうと思ってそう言ったゼファーに、ナマエはほんの少し驚いた後、ゼファーへと笑顔を向けたのだ。

『へえ、そうか! いいなあ、いつ結婚するんだ?』

 取り乱したりもせず、ただゼファーのそれすら『当然』のことだと言いたげに言い放った相手がどういうつもりだったのかは、ゼファーには分からない。
 ただ、せっかく逃れるきっかけを与えてやったのに、ナマエはそこから逃げようともしなかった。
 それから幾度かつついても逃げようとしなかったナマエに、彼を突き放すことを諦めたのはゼファーの方だ。
 いや、むしろ今は、ナマエが自分から離れて行かないように気を配っているかもしれない。
 その胸にあるものが恋愛感情ではなくなったとしても、いつか普通の男のように女を愛するようになっても、ナマエの心の一部を手に入れたままでいられるように。
 何とも小賢しく、汚い真似だ。
 まるで海兵らしくない。

『大丈夫、ゼファーなら出来るよ。俺も、出来るだけ手伝うから』

 けれども、まだ白と黒で世界が分けられると思っていた頃、一番初めにゼファーを肯定したのは、ナマエという名前の友人だった。
 だから、そう。
 ナマエにも原因の一端はある。

「ゼファー?」

 考えている間に普段より少し歩みが遅くなったのか、通路の奥まで行って先に進んでいたナマエが、大きな通路に踏み出す前に足を止めてゼファーの方を振り向いていた。
 不思議そうなその目を見やって、ナマエが開いた距離を大きな数歩で跨いで、悪ィな、とゼファーが言葉を落とす。

「てめェの金でどんなつまみを食ってやろうかと考えてた」

「…………高いのは止めてくれよ、この高給取りめ」

 ゼファーの言葉に眉を寄せて、ナマエがそんな風に言葉を漏らす。
 そうは言っても、ゼファーが選んだなら、無駄に高級感あふれる名前の、妙にお高いつまみの一つ二つが頼まれたところで、ナマエは怒りもしないだろう。
 ようやく耳の色が落ち着いてきている相手を見下ろして、ゼファーは肩を竦めた。

「まァ、考えておいてやる」

 なんて奴だ、酷い、なんてゼファーを非難しながらも、友人はゼファーの近くで笑っていて、だからゼファーもそれで満足だった。
 数年の後、彼がゼファーの傍から『逃げた』本当の理由は、未だに分からないままだ。



end


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