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腕枕の刑
※何気なく異世界トリップ主人公はハートクルー
※若干のスプラッタ??




「あ、ナマエだ。おはよー」

「おはよう、ベポ」

 呼びかけられて返事をしつつ、俺はひらりと右手を振った。
 他とは色の違うつなぎを着込んだシロクマが、てくてくと足を動かして近づいて、俺の目の前に屈みこむ。

「今日は何したの?」

「……俺にも分からない」

 寄越された問いかけに返事をしつつ、俺はちらりと自分の体を見下ろした。
 ひんやりとした通路に、袈裟懸けに斬られた俺の上半身が落ちている。
 普通に見れば何ともホラーな光景だが、この潜水艦の中に限ってはその限りじゃない。
 何せ、この船を率いる『死の外科医』トラファルガー・ローは、オペオペの実などというちょっと変わった悪魔の実の能力者なのだ。
 痛みも無ければ血も出なかった体の断面を床に預けつつ、少し斜めの状態でベポを見やって、軽くため息を吐いた。

「朝起きたらこうだったんだ」

 昨日は確か、普段と同じく大部屋で眠っていた筈だった。
 航海士であるベポや船長であるローと違って、俺はただの平クルーだ。大部屋でひしめき合って眠るのが基本なのである。
 それがどうしてか、目を覚ました時には通路にいたのだ。
 俺が何をしたんだと尋ねたいところだが、残念ながら犯人は近くにいない。
 体を動かされた覚えがないので、多分、俺が寝てる間に入れ換えられたんだろう。能力の無駄遣いにも程がある。
 残りの部分には温かい感覚があるので、俺の残りの部分がいつものところにあるのは間違いない。

「船長のところに連れて行ってくれないか?」

 せめて腕が二本あれば這っていけたのだが、片腕だけでは至難の技だった。
 たまに似たような目に遭っているシャチやペンギン達はともかく、俺にそこまでの筋力は無いし、体を半分に斬られた男が片腕でずるずると床を這っていくなんていうホラー映画のような光景を、わざわざ展開したいとは思わない。
 俺の言葉に、いーよ、と簡単に返事をして、ベポがひょいと俺の体を持ち上げた。
 切断された人体の半分を小脇に抱えるシロクマ、などという酷い恰好のままで歩き出したベポに揺られて、俺もそのまま通路を移動する。
 ちらりと見やってみたが、当然ながら、通り過ぎていく通路に俺の血は落ちていなかった。

「……あれー?」

 すたすたと歩きながら、何かに気付いたように声を漏らしたベポが、くん、と鼻を鳴らす。
 すんすんと何かを嗅ぐようにしてから、その鼻先がこちらを向いた。
 小脇に抱えるスタイルだった俺の体を持ち直し、人の首筋のにおいを確認するベポの鼻先にくすぐられて、そのこそばゆさに俺は少しだけ肩を竦めた。
 そんな俺を気にした様子もなく、足を動かしながら顔を離して、ベポが言葉を紡ぐ。

「ナマエ、シャチのニオイがするよ?」

 どうしたの、と言いたげに首を傾げられて、俺も同じ方へと首を傾げる。
 そのままで少しだけ考えてから、昨日のことを思い出して、ああ、と声を漏らした。

「昨日、シャチの奴が人の毛布に入ってきてたから」

 寝相が悪い奴と雑魚寝をすると、自分の寝具を守るのも至難の業だ。
 夜中に目を覚ました時にはシャチが俺の毛布を奪い取っていて、取り返そうにもしっかりと掴んだ手がそれを許さず、大人である俺は仕方なくシャチに毛布を半分貸してやる恰好になった。
 秋島が近いからか、潜水している船の中も少し冷えていて、寒かったんだろうシャチが俺の右側にすり寄ってきたのを覚えている。
 シャチから漂っていた潮のべたついた匂いに、翌日の夜までにこいつを風呂に押し込もう、と思ったのも記憶に新しい。
 あれだけくっついていたら、シロクマであるベポが感じるくらいには匂いも移っているに違いない。
 起きた時には通路に放置だった俺は、当然ながら顔を洗ってもいなければ着替えてもいないのだ。
 俺の言葉に、ふうん、とベポが声を漏らした。
 それから少しだけ考えるようにした後で、ああそっか、と我らが航海士は言葉を続けた。

「じゃあきっと、そのせいだよ」

 納得したように紡がれた言葉に、ん? と俺が首を傾げてしまったのは、仕方の無いことだろう。







 俺がこの世界へ不可抗力でやって来た時、板切れにしがみ付いて海を漂っていた俺を発見して拾い上げたのは、この潜水艦の船長だった。
 温かそうな帽子と袖口から覗く刺青と目の下の酷い隈に、その男が誰なのか把握した俺は、それはもう驚いた。
 だって、どこからどう見たって、前に読んだ『漫画』のキャラクターだったのだ。
 一瞬コスプレイヤーかとも思ったが、その後ろには人語を話すシロクマがいたのだからそんな現実逃避もできず、俺は仕方なく事態を把握した。
 ここは俺が読んでいた『漫画』の世界だった。
 水濡れで使えなくなった携帯電話やノートパソコンを興味深げに確認し、俺を『珍しい島生まれで行くあての無い人間』だと判断したらしいローは、そのまま俺を自分のクルーへと迎え入れた。
 ひょっとすると、その顔を見た瞬間に反応した俺が気になっただけの話かもしれないが、確かに行くあては無かったので、ありがたい申し出に俺はほいほいとその背中についていくことにした。
 あれから、俺はこの船でハートの海賊団の1クルーとして生きている。
 力は弱いし何か特技があるわけでも無し、船のことなんて何も分からないからただの足手まといにしかならないはずだが、ローが決めたことに異論を唱えるクルーは、この船には一人としていなかった。

「キャプテーン、ここにナマエ置いとくね」

 こんこんこん、と船長室の扉を叩いて、ベポが中へと声を掛ける。
 それからその手がそっと俺を床へと降ろして、じゃあね、と声を掛けてからそのまま歩いて行ってしまった。
 床に半分めり込んだような恰好で横たわりながら、手を振ってそれを見送る。
 その途中でぶうんと室内から広がったサークルに体を包まれ、おや、と思った次の瞬間には自分の周囲が一変した。

「おお……」

 相変わらず、妙な感覚だ。
 突然入り込む形になった少し薄暗い室内に、ぱちぱちと瞬きをする。
 それから視線を巡らせると、ちょうど俺の正面にあたる場所で、柔らかそうなソファーに座った男がこちらを見下ろしていた。
 両手をソファーの背に添えて足を組み顎まで逸らした、何とも高慢なポーズのその男は、この海賊団を率いる船長殿だ。

「船長」

 呼びかけて、おはようございます、と言葉を投げた。
 俺のそれに、ふん、と鼻を鳴らして、ローの手が軽く動く。
 それと同時にまた周囲が一瞬にして変化して、俺の体はローが座るソファーの上へと移動した。
 どさり、と落ちたのは、多分さっきまでここにあった本だろう。
 俺の代わりに床へ転がってしまった可哀想な本を見やろうとした俺の顔に、少し温度の低い指が触れる。
 ぐっと掴まれて引っ張られ、俺は視線を改めてローへと向けた。
 寝起きらしいローは、相変わらずの不機嫌顔だった。
 目の下の隈がいつもよりひどく見えるのは、はたして気のせいだろうか。

「船長、俺の半分はどこにあるんですか」

 尋ねながら意識して左腕を動かすと、じたばたとうごめく何かの物音が聞こえた。
 どうやら、俺の残り部分はいつもの通り、ローのベッドの上で毛布に包まれて縛られているらしい。
 返してください、と言葉を落とした俺を見下ろして、ローがわずかに眉間に皺を寄せる。
 俺に触れていなかったもう片手が動いて、自分の横に転がしてあったものを掴まえた。
 目の前へと持ってこられたそれに、ぱちりと目を瞬かせる。
 小さなスプレー容器の中で、透明な液体がたぱりと動く。
 漂う匂いから判断するに、それはどうも消毒用のアルコールのようだ。
 もしや、と見つめた先で、俺の方へとそれを近付けたローが、しゅっと俺の首辺りに中身を噴射してきた。

「うひっ」

 驚きすぎて変な声を出しつつ、アルコールが入らないように目を閉じる。
 しゅっ、しゅっ、とさらに人の首を消毒して、用意していたらしいタオルだかガーゼだかで丁寧にそれを拭ってから、ローの両手が改めて俺の体を持ち上げた。
 ソファーの後ろでコトンと物音がしたので、スプレーは放られてしまったんだろう。
 恐る恐る目を開いて、俺の体を膝に乗せたローの顔を確認する。

「あの……船長?」

 漂う消毒液のにおいを嗅ぎながらその顔を見上げていると、何かを確認するように俺の方へと顔を寄せたローが、よし、と小さく頷いた。
 何が良しなのか、俺には全く理解できない。昨日だって風呂に入ったし、消毒したくなるほど汚れてはいなかったと自負しているのだが。
 訳が分からない俺の体を抱えたまま、ローがソファーから立ち上がった。
 ローより背が低いとは言え成人男性なのだが、体の半分を失っている俺など、ローにとっては簡単に運べる荷物であるらしい。
 そのままベッドへと運搬されて、ぽいとそこへと放られる。
 何かにぶつかって、ぶつけた顎と今は無い筈の左肩が痛んだ。どうやら、先客となっていた『俺』自身を攻撃してしまったらしい。

「いった……! 船長、せめてもう少し丁寧に扱ってください。受け身も取れないんですよ」

「うるさい、おれに命令するな」

 俺の非難を受け流して、ベッドに転がされた俺の横へとローが体を横たわらせる。
 どうにか寝返りを打ってそちらを見やってから、俺は軽くため息を吐いた。

「寝るんですか」

「イラついて眠れてねェんだ、静かにしろ」

 低く唸るローに、知りませんよそんなの、と言いたいのを我慢する。
 目の下の隈が酷いこの船長殿は、何か気になることがあると中々眠ることが出来ない、少し神経質なタイプの人間であるらしい、とはペンギンから聞いた話だ。
 寝付けない、なんて事態を体験したことが無いのでその苦しみは俺には分からないが、そんな人間がわざわざ添い寝を求めてくるものだろうか。

「……別にいいんですが、だったら俺を追い出した方が、」

 いいんじゃないですか、と続ける前に、俺の右腕がぐいと引っ張られる。
 無理やり引いたそれの上に頭を乗せてから、俺の方へ体を向けたローが、じろりと俺の顔を覗き込んだ。

「お前は枕だろ、ナマエ」

 大人しくおれの安眠に協力しろ、なんて言いながら、ローは何故かぐりぐりと人の腕に頭を押し付けた。
 痛いです、と訴えてみても我慢しろと言うだけで、更に頭を擦り付けてからようやく満足したらしいローの手が、そっと俺の体を掴まえる。
 ローに斬られた断面に手を這わされて、わざとらしくその指でぐにぐにと体の内側をなぞられ、くすぐったいのだか気持ち悪いのだか分からない感触に、ぞわりと背中を何かが走った。
 俺の背中側にある残りの『俺』が、ふるりと震えたのを感じる。

「ちゃんと大人しくしてろ。ああ、二時間経ったら起こせ」

 俺の様子にわずかに笑ってからそんな風に命じて、手を降ろしたローはそのまま目を閉じた。
 人の腕を枕にしたまま、どうやら目の前の相手が本気で眠るつもりらしいと把握して、俺はそっと悟られないように息を吐く。
 吸い込んだ空気に僅かに混ざる消毒液の匂いは、俺の体からはもちろん、転がされているベッドや、傍らのローからもわずかに漂っている。
 俺にとって、これはローの匂いも同然だった。
 わざわざ男の匂いを嗅ぐ趣味は無いが、そう思えるくらい近い距離で過ごすことが、時々あるからだ。
 この船に乗ってからというもの、一週間に一回くらいの割合で、俺はローの枕となっている。
 やられ方は様々だが、最終的には今みたいに腕をとられてしまうのだ。
 腕だけを物理的に奪われたこともある。立っているのに腕だけ寝ているという感覚は違和感がありすぎて、気になって仕方なかった。
 多分、この船の中で一番貧弱で、それゆえに一番柔らかい腕をしているだろう俺の腕は、ローにとっては枕にちょうどいい堅さなんだろう。
 いい加減、今使っているのよりもう少し堅い枕を買うよう勧めてみたほうがいいかもしれない。
 いっそ俺が買ってもいい。この世界に低反発枕は有るんだろうか。
 そんなことを考えつつ、自分の左側と下半身に意識を集中する。
 もぞもぞ、とうごめく気配は背中側だけにあり、静かに動かしながらどうにか拘束から逃げられないか試してみるものの、どうにもうまく行かない。
 右腕が自由なら何とかなったかもしれないが、俺の唯一の武器は現在トラファルガー・ローの頭の下だ。

「あー……」

 せめて元に戻してからにしてくれたなら、ローに毛布を掛けてやることだってできたかもしれないが、今の俺にはそれすらもかなわない。
 船長、と呼びかけても無視されることは分かっているので、仕方なく口を閉じて、俺はローから外した視線を壁掛けの時計へ向けた。
 針がいびつなその時計は、今がまだ午前中であることを示している。ローは二時間後と言っていたから、起こすのは昼頃になるだろう。
 それより早く起こしたら、さっきより不機嫌な顔になることは間違いないので、俺にはもう何のすべもない。
 出来ることと言えば、ローの寝顔を観察することくらいだ。
 時計から動かした目をローの顔へと戻して、ひとまずその睫毛の本数を数えていくことにする。
 暇で暇で仕方なく、うっかりうつらうつらとしてしまったが、何とか命令を守れた俺を誰かほめてほしい。
 きっかり二時間後、俺が下半身を装備することが出来た時には、俺の右腕はしびれにしびれて使い物にならなくなっていた。

「なんだ、なさけねェな。邪魔なら使えるようになるまで置いていくか?」

 その原因となった癖に、しびれて身動き取れない俺の腕をつついたローがにやにやと笑い、俺はその申し出を全力で遠慮した。



end


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