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見方次第の攻防
※『メントルへの慕情』の先輩海兵主とコビー



「やあコビー、今日は特別可愛いな」

 唐突に寄越されたそんな声に、それが誰のものかに気付いたコビーは、ぴたりと窓を拭いていたその動きを止めた。
 それからその手が慌てて握っていた雑巾をバケツへ放り込み、それからそのまま自分の頭に触れて、そこにあった三角の耳が付いたカチューシャを掴んで外す。
 今日は『ハロウィン』と呼ばれる日だった。
 新兵たちは仮装をするのがならわしなのだと言われて、コビーの頭がそれを装備したのはヘルメッポに支給品のうちで一番『可愛らしい』ものを押し付けられたからだ。
 女性が好みそうな可愛らしさにコビーは少しばかり抵抗したが、『一番動きやすそうだろ』と友人に押し切られてしまった。
 一日仮装して過ごさなくてはならないなんて、海兵というのも随分と大変だ。
 早く上へあがらなくては来年もこのような目に遭うのだろうと考えて、友人と互いに出世を誓い合ったのは今朝のことである。

「どうしたんだ、せっかく可愛かったのに」

 はじらいと共に仮装を解いたコビーの傍で、首を傾げた海兵がそんな風に言葉を零す。
 男が可愛いなんて言われたって困ります、と眉を寄せてそれに返してから、眼鏡を軽く手で押し上げたコビーは相手を見上げた。
 そして、そこにあった相手の顔に、あれ、とその目を瞬かせる。

「……ナマエさんも、仮装してるんですか?」

 既に見慣れている顔があるはずの位置で、かぼちゃが陽気に笑っていた。
 空いた目や口の穴にも黒い布がはられていて、その中をのぞき込むことも出来ない。
 あからさまに提灯ジャックを模したその姿に、思わず相手の階級を思い返したコビーへ向けて、いやいや、とナマエが首を横に振る。

「いつも飴を持って歩いてるんだから不公平だと言われてな」

「……ええと?」

「ああそうか、知らないか」

 言葉の意味が理解できずに首を傾げたコビーへ、ナマエがかぼちゃを揺らす。
 作り物なのだろうか、それにしてもよくできているとオレンジ色の巨大かぼちゃを見つめたコビーへ向けて、ナマエが言葉を紡ぐ。

「ほら、仮装をしていない相手には『トリックオアトリート』と言ってみろと言われてるだろ」

「……ええ、はい、まあ」

 昨日の夜にどうしてだか楽しそうに笑った先輩海兵に寄越されたのと同じ言葉を繰り返されて、コビーは一つ頷いた。
 『悪戯か、お菓子か』。そんな二択を迫る呪文はハロウィンという日の定番で、コビーもかつては故郷で大人相手にそんな文句を唱えたことがある。
 彼の友人のヘルメッポはといえば、父親の権威をかさに着て他の子供達からも巻き上げていたという話だった。とんだガキ大将である。
 そして、明らかに人を子供扱いしている台詞に、どうしてそんなことを海兵になってまでするのだろうかと不思議になったのだが、ナマエの様子からしてあれには意味があったのか。
 ぱち、と目を瞬かせたコビーをよそに、まあその言葉の通りなんだけどな、とナマエが続けた。

「つまり、新兵たちに何回『悪戯』をされたのかで競うわけだ」

「それはもしかして、少ない方が勝ちなんですか」

「そう。そして、ひどいことに俺は仲間外れだ」

 これでも被ってろと投げられたんだと顔を隠すかぼちゃに触れて、どうやらナマエはその内側でため息を零したようだった。
 恐らくは薄荷の匂いが充満しているだろうそれを見上げてから、そうなんですかとコビーも頷く。
 コビーも知っている通り、ナマエはよくそのポケットに飴を忍ばせている海兵だ。
 一つも持っていないなんて言う台詞をコビーは聞いたことが無いし、まるで無尽蔵にも思えるほどあちこちから取り出してくることも知っている。
 どうやら薄荷味が好きらしく、コビーに出会うたび分けてくれるものも全てが薄荷味だった。
 あまり得意では無かったそれを、コビーが必ず自分の口へ納めるようになったのは、つい最近の話だ。

「それだと、一度も悪戯をされないわけですから、ナマエさんの一人勝ちですね」

 相手を励まそうとコビーがそう言うと、なるほどそう言う考え方もあるか、と呟いたナマエがその指で軽く頭にかぶったかぼちゃの下のあたりを撫でた。
 恐らく顎に指を当てたかったのだろう、するると滑った指を適当な場所で止めて、ふむ、と声を漏らす。

「コビーは頭がいいな」

「いや、そんな……」

「しかし、今一つこの状況を理解できていないらしい」

「え?」

 唐突に寄越された褒め言葉にコビーが少しばかり顔を赤くして緩めると、そこでそんな風に言葉が寄越された。
 目を丸くしたコビーが見上げた先で、かぼちゃから離れたナマエの手が、ひょいとコビーの方へと差し出される。
 ふわりと漂った薄荷の匂いは、相変わらずナマエの香りだった。
 いつもならコビーの手へと飴を落としてくるその掌は上を向いていて、当然ながらそこには何も乗っていない。
 ぱちぱち、と目を瞬かせたコビーへ向けて、ジャック・オ・ランタンが言葉を紡いだ。

「トリックオアトリート」

 ハロウィンの呪文に、コビーの目が戸惑いを浮かべる。
 それからその視線が掌とかぼちゃ頭を交互に見やり、数回それを繰り返してからようやく意味合いを理解して、そんな、とコビーは声を漏らした。

「掃除中なんですから、持ってるわけないじゃないですか……」

「まあ、そうだろうな。でも、今のコビーは仮装していないからなァ」

 困り顔のコビーへ向けてそう言うナマエは、どうしてかとても楽しそうだ。
 きっと笑っているのだろうと思うとかぼちゃの被り物が邪魔なように思えたが、まさか手を伸ばして奪い取るわけにもいかず、コビーは耳付きのカチューシャを握りしめた。
 『可愛らしい』恰好をしている自分を見られたくなくて仮装を解いたというのに、まさかこんな落とし穴があるだなんて。
 眉を寄せたコビーへ向けて、ナマエがかぼちゃの内側でくすくすと笑う。
 それからその手がひょいとコビーの肩を掴まえて、後ろへと軽く押しやった。
 逃げ出そうとする前に足を後ろへ運んでしまって、コビーの体が壁際へと追いやられる。
 とん、とその背中が壁に触れて、困惑したコビーが見上げると、ナマエの両手が壁へと着けられ、その間にコビーの体を閉じ込めた。

「あの……ナマエ、さん……?」

「大丈夫、軽い悪戯だ、痛いことなんてしないよ」

 優しく囁いて、ナマエが少しばかり身を屈めた。
 近くなったかぼちゃ頭に、思わずコビーの手がそれを掴まえる。
 しかしナマエはその抵抗を許さず、壁についていた片手がコビーの片腕を掴まえて、もう片方の腕と一緒に改めて壁へと押さえ込まれてしまった。
 痛みなど感じさせない強さで、本気の抵抗をすればすぐに逃げられそうなものだが、それをしてもいいのか分からずコビーがただ顔へ戸惑いを浮かべる。
 ナマエはと言えば、表情を隠したかぼちゃ頭のままでコビーの顔を覗き込んでいて、笑っているのかどうなのかも分からない。
 もう片方の手が動いて、それがコビーの顔へと向かったのに気付き、コビーは肩を竦めてぎゅっと目を閉じ、身を固くした。
 ふわりと漂った薄荷の匂いと共に、何かがコビーの頭に触れる。

「……うん、よし」

 数秒を置いてコビーの両手が解放されて、何かに納得したような声を漏らしたナマエがコビーから体を離した。
 壁際に人のことを追い詰めておきながら、まるで他意はないと言わんばかりにうんうんと頷いているナマエに困惑しつつ、コビーの手が自分の頭へと向けられる。

「ああ、駄目駄目。外さないでくれ」

「いや、でもあの……」

「すごく似合ってるから、大丈夫」

 指がそこに着けられた何かに触れる前に、そんな風に言ったナマエがコビーの両手を掴まえた。
 そうは言われても、何をつけられたのかも分からないのでは気になって仕方がない。
 何をつけたんですかとコビーが訊ねると、コビーに似合うものだとナマエは答えた。

「さっきのも良かったが、こっちもいいな」

「…………何だか、嫌な予感しかしないんですが」

「大丈夫、いつも通り可愛いぞ」

 かぼちゃ頭の相手に言われて、数秒を置いてその意味を理解したコビーが、少しばかりその目を眇めて相手を見あげる。
 もしやナマエは、いつも、コビーを『可愛い』とでも思っていたのだろうか。
 それは、男として何となく複雑なものを感じさせる評価だ。
 醜い、嫌いだと思われるよりはもちろんいいが、コビーがナマエへ抱く『好意』を思えば、可愛いだなんて思ってほしくない。コビーはナマエと同じ男で、海兵なのだ。
 好意的にみられていることに感じている嬉しさと、それ以上の微妙な気持ちが複雑に絡み合うコビーをよそに、後で一緒に写真を撮ろうか、なんてことをナマエが言う。

「…………ナマエさんがかぼちゃを外してくれるのなら、考えます」

「ん? それじゃあ、その時はさっきのコビーのカチューシャでも着けようかな」

 こんな日くらいしか着けないもんな、なんて笑って了承を寄越したナマエとのツーショット欲しさに写真に収められたコビーの頭の上には、コビーの髪色と同じ色味の兎耳が一対、途中からやんわりと折れて生えていた。



end


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