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私を信頼してくれるだろうか
 俺がクロコダイルの『飼い鰐』となって、数か月が経った。
 特筆するべきこととして、クロコダイルがその鉤爪で引っかけて持ち上げられるくらいだった俺の体は、もはやそんなことはさせないくらいに大きくなった。
 俺の認識する『普通の鰐』程度の大きさがある気がするが、まだまだ成長途中のようだ。
 どうやら俺の体は『バナナワニ』という、とても大きくなる種類であるらしい。そういえば、『漫画』でクロコダイルが飼っていた鰐に、そんな名前の生き物がいた気がする。
 そんなに大きくなったら、恐らく俺はこうしてクロコダイルの近くに転がっていることも出来ないんだろう。
 『悪人』の割に手広く色々なことをしているらしいクロコダイルは、現在ソファの上に寝転んでいた。
 『十五分経ったら起こせ』なんて鰐に言うべきではない台詞を寄越して、今はすっかり目を閉じている。
 規則正しく寝息が聞こえるので、間違いなく眠っているだろう。
 そう認識してから、俺はじっとクロコダイルの横で大人しくしていた。
 クロコダイルは本当に俺を『飼っている』つもりのようで、床の端にはいくつかの玩具が転がっている。犬猫が使うような奴に似ているが、どれもこれも鰐の俺がちゃんと扱える、いわば鰐専用のものだ。
 噛み砕く力を鍛えろとばかりに寄越されたものを齧っているのが最近の俺の日課なのだが、あれは結構な音を立てるから今は出来ない。
 クロコダイルの睡眠は、とても浅いのだ。
 通路を誰かが通った気配だけですぐに目を覚ますし、それを見越してこっそりと気配を殺した『部下』が毛布片手に入ってきても、毛布を掛けられたのと同時に目を覚まして『部下』に制裁を働く。
 あれは可哀想だった、と枯らされて放られた青年を思い出すものの、しかし自業自得だとも思う。
 クロコダイルが制裁を働いていなかったら、俺がその足を軽く甘噛みしているところだ。
 だってあの日のクロコダイルは、二日ぶりの睡眠だったのだ。
 八つ当たりなんて格好悪いことはしなかったが、起きてからもしばらくは機嫌が悪かったし、眠り直すことも出来なくて苛立っているのは分かった。
 『クロコダイル』にだっていいところは有るのだ。例えば俺がクロコダイルに逆らえばクロコダイルは俺を殺すだろうけど、今のクロコダイルは優しく大事にしてくれている。
 俺が漫画で読んだ『サー・クロコダイル』というのは、間違いなく悪人だ。でも、相手にとってはただの暇潰しの『ペット』でも、俺を拾って寝床も餌もくれた『クロコダイル』は、俺の大事な飼い主だった。
 その飼い主が可哀想な目に遭って、怒らないペットはいないと思う。
 思い出しても憎たらしい部下の顔を思い出し、それから目の前の時計がかちりと音を立てたのを聞いてから、は、と俺はそちらへ顔を向けた。
 時間だ。クロコダイルを起こさなくては。

「……ぐる」

 体の成長と共に全く可愛い声の出なくなってしまった口から鳴き声を漏らしつつ、むくりと体を起き上がらせる。
 そうして、ソファの端からどすりとクロコダイルの体の上へ顎を乗せてみたが、クロコダイルは身じろぎもしなかった。
 こんなにぐっすり眠っているのを見るのは初めてだ。
 寝かしておいてやりたいが、自分の予定を踏まえてクロコダイルが『十五分』と言ったのだから、一度は起こしてやらないと。
 もう少し体を乗り上げて、最終的にクロコダイルの上に体を乗せる格好になってから、のしのしとクロコダイルの体の上を縦断する。

「ぐるる?」

 さすがに顔に乗るのはまずいだろうとその胸元辺りまでで移動をやめて、自分の下あごでクロコダイルの顎をつつきながらもう一度鳴き声を漏らすと、クロコダイルが僅かにその眉間にしわを寄せた。

「…………あァ、時間か」

 やや置いて伸びてきたその掌が俺の鼻先を掴まえて、上あごと下あごをしっかりとかみ合わせる。あまり力がこもっていないのは、俺の口を開く力が弱いことを知っているからだろうか。
 起き上がるクロコダイルに併せて体が上向きになり、背を逸らせた俺を自分の上に乗せたまま、クロコダイルが俺の鼻先を掴んでいる指先で軽く俺の鼻の上を撫でた。

「イイコだ、ナマエ」

 よくやった、と褒めるように言ってからクロコダイルの体がざらりと砂になって、俺の体はぺしょりとソファの上へと倒れ込んだ。
 ざらざらと体の上を滑っていく砂の感触に視線を向ければ、俺を放り出すことなく俺とソファの間から脱出したクロコダイルが、先程仮眠を取るまで座っていた椅子の上でその体を作り直していた。
 新しい葉巻をくわえて火をつける様子を見やりながら、ごろ、とソファから床へと降りる。
 どす、と少し響く音がした。
 ほんの数か月前まではソファから降りるのだって大変だったし、音だってもっと可愛いものだったのに、やっぱり俺は随分と育ってしまったようだ。
 その事実に小さく息を吐いてから、床に転がっていた玩具の一つを口に咥える。
 そうしてそのままクロコダイルの傍へと近寄り、クロコダイルの足元に身を横たえると、それに気付いたクロコダイルの方からクハハハと小さく笑い声が漏れた。
 それから何も言わず、その足が組み直されて、床を踏みつけるべき足先が俺の背中へと乗せられる。
 踏みつけられている、と言って差し支えない恰好だが、別に痛くもかゆくもないそれを大人しく受け止めて、俺は口に挟んだ玩具を噛みしめる遊びを行うことにした。
 あまり楽しくはないが、娯楽の少ない飼い鰐生活では、自分を鍛えるくらいしか暇をつぶす時間が無いのだ。
 クロコダイルが構ってくれない以上、寝るかこうしているくらいしか浮かばない。
 それに多分、今やっている書類が終わったら、食事の時間だ。
 最近気付いたが、クロコダイルが俺へと用意させる『餌』は高級な生肉らしい。味わいもすっかり平気になった。むしろちょっと美味しいような気もするから、鰐というのは怖い。
 今日の食事は何だろう。
 書類を片付けているクロコダイルの足の下で、そんなことを考えながら、俺はただぼんやりとクロコダイルが暇になるのを待っていた。




end


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