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100万打記念企画

「ナマエ、落っこちんなよー」

 甲板に響いた誰かの声に、マルコはふとその足を止めた。
 ナマエと言うのは、今は白ひげ海賊団の一員となった元スペード海賊団の一員の名前である。
 巨躯に獅子と虎の両方の特徴を乗せたその身は獣のそれだが、今さら人ならざる者が『家族』となったところで何かを言うようなクルーは白ひげ海賊団にはいなかったため、ナマエはあっさりとマルコ達の『弟分』になった。
 その名を呼んで笑っているのは、どうやら甲板の端から海を覗き込んでいる四番隊隊長のようだ。
 見慣れたコックコートの背中に首を傾げて、マルコの足もそちらへ向いた。

「何してんだよい」

「お! マルコ」

 問いかけながらひょいと傍らから覗き込むと、マルコに気付いたサッチが楽しげな声を上げる。
 それを聞きつつ海の上を見やったマルコは、そこに浮かんでいた小舟と、その上に乗っている獣の姿にわずかに目を丸くした。
 同じ船にエースを乗せて、尾の先を軽く水面に触れさせながら水面を真剣なまなざしで覗き込んでいる獣は、誰がどう見てもナマエだ。

「……何してんだよい」

 先ほどと同じ言葉を違うニュアンスで呟いて、マルコが首を傾げる。
 それにサッチが返事をするより早く、ナマエの前足がすばやく水面を叩いた。
 ばしゃ、と大きく水音を立てて跳ねたものが、放物線を描いて船の上へと飛んでくる。

「どわ!」

 どうやらそれがまっすぐ己の方へと飛んできたらしいサッチが悲鳴を上げて、慌てたように身をかがめた。
 それを視界に入れながら追いかけたマルコの目に、甲板に落ちてぴちぴちと跳ねる魚の姿が映り込む。

「……ああ、魚獲ってんのかい」

 手を伸ばして魚を拾うサッチを確認して、マルコがそんな風に呟いた。
 そうなんだよと言いながら、サッチの片手が傍らに置いてあった籠の中へと魚を放り込む。
 すでに何匹かの魚がいるらしいその中からは、わずかに生き物が暴れる音がした。

「さっき、エースの奴が間違えて釣竿燃やしちまってよォ。新しく作ってんだが、なーんかナマエがあれを始めちまったんだよ」

 楽しげに笑ったサッチの言葉に、マルコの口からは溜息が漏れる。
 マルコの知る限り、ナマエと言う名前のあの獣は、エースにべったりだった。
 もちろんエースの方から構いに行くこともあるが、それよりナマエがエースを見つけて近寄っていくことの方が多い。

「エースが誘ってたのかい」

「いんや? 海に飛び込もうとするからエースが『あれやるのか?』って言って船出したら、ああなった」

「……それじゃ、前の船じゃよくやってたのかねい」

 やれやれと肩をすくめて、マルコの視線が改めて海の上へと向けられた。
 エースは、マルコと同じく悪魔の実の能力者だ。
 海に落ちれば泳ぐこともできず沈んでいくだけだと言うことは十分理解している筈だと言うのに、ナマエの後ろに座って眺めているエースにはそんな不安など何一つ見当たらない。
 それが自分への自信からくるものなのか、それとも同乗している獣への信頼からくるものなのかと少しばかりマルコが考えた先で、またもナマエの前足が閃いた。
 ばしゃ、と水を跳ねあげて飛ばされた魚が、正確に甲板へと飛んでくる。

「いでっ!」

 そうしてそれがそのまま屈んでいたサッチの魂の象徴へと突き刺さり、じたばたとその場で苦しげに暴れ出した。
 あまりにも素晴らしくはまり込んだそれに、ぷ、とマルコの口から笑いが漏れる。
 それから慌ててその口元を片手で隠して、その目が不自然にサッチの方から逸らされた。

「あ、テメ、マルコ今笑っただろ」

「笑ってねェよい。それより、そのフランスパンどうにかしろよい」

「こっち見て言ってみろこら」

 非難の声を上げつつごそごそと自分のリーゼントに突き刺さった魚を抜き取って、傍らの籠へと放り込んだサッチが、全くもうと口を尖らせつつ髪形を整える。

「さっきからあいつおれんとこばっかり飛ばしてくんだよ。なんだろ、おれなんか嫌われるようなことした?」

「それをおれに聞くか。知らねェよい」

 屈んだままそんな風に呟くサッチに、わきあがるものをどうにか落ち着けたマルコがそんな風に言葉を零した。
 どっちかと言えば懐いてんじゃねェかい、と言ってやると、それならこんなことしねェんじゃねェの、何て言いつつサッチが触れていた自慢のリーゼントに、またもどすりと魚が突き刺さる。

「……………………」

「…………おいマルコ、こっち見ろ、ほら」

 全てをこらえるべく目を逸らしたマルコの横で、開き直ったらしいサッチが声を掛けてきたが、マルコがそれに従う筈も無かった。







「お、よっしゃー十匹目ー」

 ばしゃり、とナマエの前足が水面を叩いて、叩かれた魚がそのままモビーディック号へと飛んでいく。
 角度的にそこに誰がいるのかは見えないが、恐らくサッチが受け取ってくれるだろうと飛んでいった魚を見送って、ノルマ達成だな、とエースがにかりと笑った。
 それを聞き、ぐるると唸ったナマエが、魚を誘う為に使っていた尻尾を海面から持ち上げる。
 初めて共に島を離れた後、エースと自分の食料を確保するためにナマエが編みだしたその技術は、しばらく使ってはいなかったもののどうやら健在だったらしい。
 ナマエが船から身を乗り出す間、船がひっくり返ったりしないように重心を保つのがエースの仕事で、くるりと振り返ったナマエに合わせて体の位置を移動させて、近寄ってきた相手の頭に掌を乗せた。
 本当なら、今日の食材の確保はエースの仕事だったのだ。
 うっかりとその身に宿った悪魔で道具を燃やしたりしていなかったら、今頃は船尾で釣り糸を垂らしていた筈である。
 サッチや他のクルー達は気にするなと笑っていたが、島についたらすぐに代わりを買おうと決めて、エースの指がナマエの鼻先までを軽く辿る。

「ありがとな、ナマエ」

 そうして言葉を放つと、ぐるるるとナマエが機嫌よく唸り声を零した。
 その体が更にエースへと近寄ってきて、うお、と声を漏らしながらエースの体が後ろ向きに倒れる。
 ナマエから離れるべく移動しないのは、エースがいるのが海の上に浮かぶ小舟であるからだ。転覆するような目に遭えば、エースもナマエも海に落ちるのは逃れられない。
 何度かあった時のようにナマエが助けてはくれるだろうが、わざわざ悪魔を宿した体で海に落ちたいわけも無かった。

「ナマエ? どうした?」

 だからこそ力を抜いたエースが真上にやってきた相手を見上げて問いかけると、エースを小舟の上に押し倒したナマエが、鼻先で軽くエースの首筋を撫でた。
 伸びた髭に擦られるくすぐったさに肩をすくめて、うひ、と妙な声がエースの口から漏れる。
 ナマエがそのままエースの上へと座り込むと、最近背中に入れた刺青を見せびらかす為に露わになっている上半身に、柔らかな毛皮の感触が触れた。
 そのままぐっと体重を掛けられて、ナマエを乱暴に退かして起き上がることも出来ないエースが、あれ、と声を漏らす。

「ナマエ、お前もしかして眠ィのか?」

 問いかけたエースの上で、ナマエがぱたりと軽く尾を振った。
 確かに見上げた空からは柔らかな日差しが注いでいて、春島が近いのか、昼寝には最適な天気だ。
 それに普段ならナマエは気持ちよさそうに眠っている時間である。今起きているのは、ナマエがエースの仕事を手伝ったからだ。

「んー……」

 確かに一仕事終えたところではあるし、一眠りするのも悪くないかもしれない。
 そんなことを考えて、ちょっとだけ寝るか、とエースが呟けば、ぐるるるとナマエが喉を鳴らす。
 動いたエースの手が自分の帽子を掴まえて、明るい日差しを遮るようにその顔を覆い隠す。

「あれだ、じゃあ、どっちか起きたほうが起こすってことで」

 帽子の下からのエースの提案に、ぎゃう、とも、がう、ともつかない鳴き声でナマエが了承した、そのすぐ後。

「そんなとこでサボろうたァ、いい度胸だねい」

 低く唸った不死鳥が船の上に降臨することなど、エースは全く知らなかったのだった。



end


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