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英雄ラプソディ
※アニマル主人公は虎(名無しキャラ成り代わり?)
※子ガープさん捏造につき注意
※名無しオリトラ注意?
※若干のバイオレンス




『そんなにコワいカオしてるくせに、なんでそんなにコワガリなんだよ〜』

 そんな風に兄弟に言われたのは、はたしていつのことだったろうか。
 もう随分と遠い思い出だった。
 ぐるる、と喉を鳴らして唸りながら、そっと苔むした岩の上に伏せる。
 『この世界』で生を受けて、あの日ここへと逃げ込んでから、俺はずっとこの山で生きてきた。
 外見はただの獣だと言うのに、頭の中身が『人』であるがゆえの選択だ。
 俺は、虎だった。
 普通に生きて普通に死んだはずの『人間』だったはずなのに、次の命を与えられて、こうして虎として生きることになった。
 それだけなら、まだ良かったのだ。
 頭の中が『人』であっても、厳しいながらも優しくしてくれる母親がいたし、俺と同じころに生まれた兄弟がいた。
 同じ虎だからか言葉も通じて、きゃうきゃうがうがうと鳴き交わしながら組み合って転がって遊んでいた彼や、優しく舐めてくれていた母親はどうも普通の虎であるようだったが、それだって、俺にとっては大事な大事な『家族』だった。
 その家族が今は傍にいないのは、俺が『虎』であるがゆえのことだ。
 あの日襲ってきたよそのナワバリの雄虎は、俺達の母親を自分のつがいにするために、俺達を殺しにきた。
 ライオンが時々そうするという話には覚えがあったが、どうやら虎もまた、子殺しをする獣だったらしい。

『あした、狩りにいこうぜ。かあさんをびっくりさせるんだ!』

 丸みのある耳を揺らして楽しげに発案していた兄弟が目の前で噛み殺されても、俺には成すすべもなかった。
 くるくる見ていて楽しいくらい忙しなかった目がぼんやりと濁り、食い込んだ牙の傍から零れた赤い血が俺と揃いの毛皮を濡らして、草の生えた地面へ染み込むようにじわじわと広がっていく様を、今でも時々思い出す。
 怖くて怖くて堪らず、逃げ出した俺を追いかけて来た雄虎は、俺をその太い前足でひっかくように叩き、腹を傷つけられた俺の体はその勢いで簡単に弾き飛ばされて、沢から川へ落ちて流された。
 随分な距離を流されて、必死になって水から這い出た時には見知らぬ場所にいて、帰り道も分からず、何よりあの雄がいるのだと思えば母親のところへ戻ることも考えられずに、そのまま逃げだした先が今の居場所だ。
 腹の傷はすっかり癒えたし、たった一匹でこそこそと生きながらえた俺の体は、まだあの時の雄ほどではないにしろそれなりに大きくなった。
 あの日のことを思い出すたび、自分の体が虎であることが煩わしくなるが、こればかりはどうしようもないことだ。
 獣が自殺などできるわけがないし、いつか死ぬまでこうして一匹で、緩慢な時間を寂しく生きていくしかない。

「……がるるる」

 低く唸り、そっと岩の上に立ち上がる。
 前に食事をとったのはいつだったろうか。すっかり腹が減ってしまった。
 この山には大きな獣もいるはずだが、そういった連中は大概狂暴なので、俺がとるのはもっぱら小動物だ。
 適当に野兎でも探すとしよう。
 そう決めて、すん、と鼻を鳴らした俺の耳に、小さく茂みを揺らす音が届く。
 反射的にその場で耳を低くして、俺は音がした方へと顔を向けた。
 がさ、がさがさと茂みが揺れているのが、視覚でも確認できる。
 うまい具合に、何か生き物がいるらしい。騒がしいその様子からして、蛇などと言った危ない生き物ではなさそうだ。
 そう判断しながらも、少し俺の腰が引けたのは、茂みの中を歩くその動物が、いつもの獲物より少し大きいように感じたからだった。
 この沢は狭いながら俺のナワバリとなっているから、大きな生き物はあまり近寄ってこない筈なのだ。
 小熊だったりなどしたら、反撃される可能性も否めない。熊の一撃は痛いのである。鼻先を霞めた攻撃にぎゃいんと悲鳴を上げて逃げたのは先月の話だ。
 しかし、注意深く確認しても、藪を歩く生き物の気配は一匹だけだった。
 子熊なら、親熊が一緒にいるか、そうでなければもう一匹と一緒の筈だ。それに、妙に足音が小さい。体重は軽いらしい。肉付きの悪い鹿か何かだろうか。

「…………ぐる」

 いくつか獲物を想像してみて、自分がどうにか勝てそうなイメージを掴んでから、そっと岩場から下へと降り立った。
 茂みの向こうの相手に気付かれないよう、姿勢を低く保ったまま、尾も降ろしてゆっくりと相手へ近付く。
 茂みまで近づくと、ほんの少しばかり血の匂いがした。
 どうやら、どこかを怪我しているようだ。
 それは好都合である。

「……ガァ!」

 一呼吸を置いてから、俺は自分を奮い立たせるために声を上げ、それと共に茂みの中へと勢いよく飛び込んだ。
 両の前足で茂みの中の相手を捉えて、そのまま地面へ引き倒す。縦に細長かった妙な体つきのそいつは、俺の体重を支えることもできずに倒れ、うぐ、と小さく声を上げた。
 すぐさま息の根を止めようと口を開き、相手へ噛みつこうとしたところで、目の前の相手が何なのかに気付いた俺の動きが止まる。

「いっ……でェ……っ」

 顔をしかめて、ぶつけたらしい頭を抑えながら唸ったその相手は、誰がどう見ても『人間』の子供だった。
 俺が一度かじっただけでなくなりそうな頭が、開いた俺の口の下にある。
 枝で切ったのか、額には小さな切り傷があって、そこから漂う誘うような血のにおいは、先ほど俺が茂みの前で嗅いだものと同じだった。
 つまり、俺が狙った獲物は『人間』だ。

「………………」

 かじりつこうとしていた口を開けたまま、どうしたものか、と考える。
 狩った獲物は生でも食えるが、さすがに、まだ『人間』を食べようと思えるほど『虎』になり切れてはいないのだ。
 開くか閉じるか悩んだ俺の口から垂れた唾液が、べちゃ、と真下の顔へと落ちる。

「うぶっ」

 驚いたように声を上げた子供は、慌てた様子でその顔に落ちたしずくを袖口で拭ってから、開いた目でじろりと俺の顔を見上げた。
 戦いを挑むようなその眼差しは何とも強く、虎である俺を前にしているというのに、全くおびえた様子がない。
 そのことに戸惑い、口を閉じてから少しだけ身を引いて、ぱちりと瞬きをした俺の視界の端を、何かが過った。

「…………何もしねェんなら、どかんか!」

 言葉と共に、ぐるんと回り込んだ何かに後頭部を押され、驚いたまま傾いた俺の頭に、何かがごちんと勢いよくぶち当てられる。
 あまりの痛みに、ぎゃっと情けない悲鳴が漏れたのは俺の方だ。
 それが、俺と子供の出会いだった。







 俺を頭突きでねじ伏せ、痛みに身を丸める俺を前に『しまった、ナイフを忘れた』と何とも恐ろしいことを口にした子供は、俺が無抵抗で服従する意思があることを示したところでようやく俺を許すことにしたようだった。

「沢があるんなら、休憩でもするか!」
 にかりと笑ってそんなことを言い放ち、俺がさっきまで座っていた岩の上に腰を下ろした子供を、後ろ側に伏せながら見守る。
 何とも無防備な背中だが、その右手の近くにはいつでも握ることが出来るように鉄パイプが転がされていた。
 そこまで警戒しなくても、やっぱり俺には『人間』を襲うことなど出来そうもない。
 ひりひり痛む頭を軽く前足で擦りつつ、小さく息を吐く。痛かった。あの子供の頭は鋼鉄で出来ているに違いない。
 それにしても、何でこんな子供が、山奥まで入ってきたのだろうか。
 この山には、蛇も熊も虎もいるのだ。親は一体何をやっているのだろうか。
 早く帰るように促したいところだが、がうがうぎゃうぎゃうしか鳴けない俺の言葉は、当然ながら『人間』には通じない。
 俺に背中を向けたまま、岩の上で足を沢へ向けて投げ出した子供が、肩から下げていた鞄を開く。
 少し大きな包みを取り出して、その膝の上で開かれたそれはどうやら子供の弁当のようだった。白いそれは、俺が知っているものより大きいが、どう見てもおにぎりだ。
 この世界で初めて見た『和食』と言うべきそれに、思わず目が釘づけになる。
 ついでにいえば、先ほど感じた空腹感がまたもやってきて、ぐるるるる、と俺の唸り声にも似た腹の音がその場に少しばかり響いた。
 子供の顔の半分くらいはありそうな大きなおにぎりを両手で掴み、今まさしく口へ押し込もうとしていた子供が、ぴたりと動きを止める。
 それからその顔がこちらを向いて、怪訝そうに眉が寄せられた。

「…………お前、ハラ減ってんのか?」

 そっと尋ねられて、とりあえずぱたりと尾を揺らしながら改めて体をその場に伏せた。空腹だからと言って、子供を襲おうとは思っていないという俺なりのアピールだ。
 そのままでじっと視線を注ぐと、しばらく俺の顔を眺めた子供が、それからぎゅっと眉間のしわを深めて自分の手元のおにぎりを見やり、大きく口を開けてそれに噛みついた。
 それは何とも大きな一口で、頬を膨らませながらもぐもぐとおにぎりを噛みしめ、飲みこんでから更にもう一口、二口と噛みついていく子供の手の中で、おにぎりが縮んでいく。
 半分ほど食べ進めたところで、口の端に米粒を付けてむぐむぐと口を動かしたまま、子供がひょいとその場から立ち上がった。
 そうしてこちらへ近寄ってきた相手に、ぱちりと瞬きをしながら体を低くする。

「ん」

 口の中がいっぱいなのか、一生懸命頬を膨らませたままで、子供が唸りつつその両手をこちらへ向けて差し出した。
 その両手の上にあるのは、先ほど子供が噛みついていたおにぎりの残り半分だ。
 何やら具が入っているようだが、それにしたってでかい。
 どうしたのかと見つめた先で、ん、ともう一度声を漏らして、子供が俺の前に屈みこむ。
 そうしてその両手とおにぎりが鼻先まで寄せられて、俺はようやく、子供が自分の食事を分けてくれようとしていることに気が付いた。

「…………がる?」

 何故だ、と見つめた先で、子供はまだもぐもぐと口を動かしていた。いっぺんに頬張りすぎだ。ハムスターみたいな顔になっている。
 そのまま、更に寄せられてきた手の上のおにぎりが鼻に触れたので、俺はそっと口を開いた。
 恐る恐る伸ばした舌でおにぎりを舐め、舐めとった米粒を口の中へと運べば、懐かしすぎて逆に新鮮な味わいがそこに広がっていく。
 ぴん、と尻尾が立ってしまったのは、まあ仕方の無いことだろう。
 だって、おにぎりだ。米だ。生肉が嫌だとは言わないが、何年ぶりの『和食』だろうか。
 間違えて子供の手を口の中にいれてしまったりしないよう、気を付けながら舌を動かして、俺はそのまま子供の手の上からおにぎりを米粒一つ残らず舐めとった。
 猫科特有のざらついた舌先で掌を舐めれば、ようやく口の中が空になったらしい子供が、くすぐったい、と軽く笑って手を降ろす。
 見やった先で、にんまり笑った子供の口の端には、まだ米粒がついていた。

「足りたか?」

 尋ねられて、ぐるるる、と小さくうなりを零した。
 まだまだ満腹とは言えないが、空腹は和らいだし、何より米なんてもう何年も食べていないものだった。
 べろりと口のまわりを舐めて見せれば、俺の返事を受け取ったらしい子供が、そうか、と軽く頷く。
 ついさっき俺に襲われた癖に、先ほどまで近くに置いていた鉄パイプも離れた場所に放置して、俺の目の前に屈んだままの子供は随分と無防備だった。
 もちろん俺に子供を襲うつもりなどないが、それにしたって、俺が普通の虎だったなら危険極まりない行為だ。子供の親が聞いたら卒倒するに違いない。
 そんなことを考えている俺の前で、ちらりと空を見上げた子供が、あー、と声を漏らす。

「そろそろ引き上げねェと、またダダンの奴がうるせェな」

 言われて同じように空を見上げて、俺は今がそろそろ夕暮れ時だと気が付いた。
 ここは山の奥深くだ。子供の足で下山していたら、暗くなる前に山を出られるかどうかも分からないくらいだろう。
 大丈夫だろうか、と思って視線を戻した先で、子供がひょいと俺の前から立ち上がる。
 その手がこちらへ向けてもう一度伸ばされてきたので、俺は慌ててそれから逃げるように体を低くした。
 俺の様子に目を丸くしてから、子供の顔に困ったような笑顔が浮かぶ。

「何だ、こわい顔してるくせして怖がりだなァ」

 もう頭突きはせんわ、なんて言って笑ってから、更に降りて来た小さな手が、ぽふんと俺の頭に触れる。
 寄越された言葉は昔兄弟が言っていたのに似ていて、俺はぱちりと瞬きをした。
 俺が見上げた先で、笑ったままの子供が、そっと手を動かす。
 指が辿ったのは先ほど思い切り頭突きされたあたりで、どうもこぶになっているらしい辺りをやわやわと撫でてから、その手がそのままひょいと離れた。

「お前、この辺りがナワバリか?」

 姿勢を戻しながらの言葉に、がう、と鳴き声で返事をする。
 寄越された言葉を正確に理解しての俺の返事を気にした様子もなく、そうかそうかと頷いて、子供の顔の笑みが深まった。

「よし分かった。それじゃあ、今日からお前はナマエだ」

「…………がる?」

「明日はおれの狩りに付き合え、分け前は半分やる」

「………………がる?」

「けど、毛皮はおれが貰うぞ。お前は立派なの着てるからいらんだろ」

「……………………がる?」

 何だか強引に話を進められているような気がして、俺は何回かに分けて首を傾げた。
 最終的に地面とほとんど平行な傾きになってしまった俺を見下ろして、同じように頭を傾けた子供が、笑ったままで親指を立てる。
 そのまま、まだ口の端に米粒をつけている自分の顔を親指の先で示して、楽しげに弾んだ声が落ちた。

「おれの名前はガープだ。覚えろ」

「…………がぁ、う?」

 楽しげな声が紡いだそれは、どこかで聞いたことのある名前だ。
 戸惑いつつ鳴き声を漏らしたら少し名乗られた名前に似て響き、そうだと頷いて笑った『ガープ』が首の傾きを元に戻した。

「おれの飯を分けたんだ、今日からお前はおれの子分だからな」

 親分として大事にしてやる、とまたも勝手なことを言い放ち、子供が俺に背中を向ける。
 そのまま、先ほど座り込んでいた位置まで移動して武器と鞄を拾い上げ、じゃあな、とこちらへ手を振って、子供はそのままさっさと歩き去って行ってしまった。
 顔の傾きをようやく元に戻し、少し体を起こして、子供が去っていくのを後ろから見送る。

「………………がるるる?」

 一体、何がどうなったんだろうか。
 今一つ状況がつかめないまま、一匹でもう一度首を傾げる。
 戸惑っていた俺が、『どうやら『親分』なるものが出来たらしい』と把握したのは、翌日、己の言葉を守って現れた子供と過ごしてからのことだった。
 小さな体で無茶苦茶なことばかりする子供に付き合うだけでひいひい言いながら、それからの毎日は随分と目まぐるしく過ぎた。
 『ガープ』という名前の漫画のキャラクターがいたな、と思い出したのは、子供がその小さな拳で親熊をのした、その姿を見た時のことである。
 山をも砕く拳骨は、小さい頃から恐ろしい威力を持っていたらしい。



end


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