喜びの日を
※主人公はやっぱり異世界トリップ
今日は、かの『殺戮武人』さんのお誕生日です。
派手好きなキッド海賊団の面々はお祝い事もお酒も大好きなので、一日ほど酒浸りの宴が催されるに違いないと、ナマエはひっそり確信していました。
だと言うのに、一体これがどういうことなのか、ナマエには全く分かりません。
「……何で一日が終わろうとしているんだ……!」
夜も更け、まだまだ次の島へは辿り着かないだろうという話で、見張り台に上ったナマエが握りしめたのは単眼鏡でした。
見下ろした甲板の上には、明かりがいくつかともっているだけで、いつもの宴の様子などほんの少しもありません。
そう、宴が行われていないのです。
いつごろ用意を始めるのだろうかと思いながら、見張り当番であるがゆえに昼間は仮眠をとっていたナマエには、日中にキッド海賊団の中でどういう会話が交わされていたのかもわかりません。
ただ一つだけ分かるのは、一週間も前から確信を抱いていた事柄が行われていないと言う事実だけでした。
キラーさんの誕生日をみんなが知らなかったということは無いでしょう。
先月のキッド船長の誕生日の祝い方は何とも盛大で、悪辣極まりない船長をたたえる為に民間船を襲って金品を巻き上げて喜ぶと言う『悪い海賊団』そのものの姿だったのをナマエはちゃんと覚えています。
ナマエは本来ならこの船に乗っているはずもない一般人だったので、普通の感性として『止めましょうよ』と言ってみたのですが、ああ? と唸ったキッド船長があんまりにも怖かったのでそっと口を閉じたのです。
キラーさんが背中に庇ってくれなかったら、きっと一回や二回くらいは小突かれていたに違いありません。
そして、キッド船長の誕生日を知っている面々が、キッド船長と他のどのクルーよりも親しげに会話を交わすキラーさんの誕生日を知らないでいると言うことは、あまり考えられないことでした。
何か理由があるのでしょうか。
それすら分からず、うーん、とナマエの口からうなりが漏れます。
「見張りをちゃんとしたらどうだ」
「うひ!」
そこで後ろから唐突に声を掛けられて、驚いた猫のようにナマエの体が上へと飛び上がりました。
その手で持っていた単眼鏡を落としかけて慌てて掴まえ、すぐにその顔が後ろを振り返ります。
「キ、キラー……!」
ナマエが呼びかけたそこにいて、そのまま見張り台へと入り込んできたのは、誰がどう見ても殺戮武人と呼ばれる海賊さんでした。
月明かりをいつもの仮面で弾いて、ナマエの傍までやってきてからその体が座り込みます。
ナマエは一般的な『日本人男性』の体格なのですが、この世界の男性達の例に漏れず、キラーさんもナマエよりずいぶんと大柄でした。密着しては座りにくいだろうと、優しい気遣いでナマエの体がキラーさんから離れます。
座り込んだキラーさんは何やら包みを持っていて、開いたそこから取り出したものがナマエの方へと差し出されました。ナマエが開いた距離をものともしないのは、キラーさんが体躯に見合った長い手足をしているからです。
「差し入れだ」
「あ、え、あ、どうもありがとう」
訳が分からないと目を白黒させながら、とりあえずの礼を言って、ナマエがキラーさんからそれを受け取ります。
手のひらを少しだけ温めたそれは、どうもただのおにぎりのようでした。
秋島が近いからか、気候も少し秋寄りで、夜中の今は寒さすら感じます。
ありがたく受け取ったそれを見下ろしてから、ナマエの目がもう一度キラーさんを見やりました。
「あー……えっと、これはキラーが作ったのか?」
問いかけに、キラーさんが頷きます。
問題があるのかと仮面の向こうから尋ねられて、別に無いぞと首を横に振り、ナマエはそのままおにぎりにかじりつきました。
少ししょっぱいおにぎりを一口分噛みながら、その目に単眼鏡を押し当てて見張りの仕事へ戻ります。
どこまでも見回せる広い大海原は、訪れた夜で黒く染められていて、月明かりが美しく弾かれる以外にはその目を引くものもありません。
見張りを続けながら何度かおにぎりに口を付けて、最後の一口も口へ押し込み、汚れた指まで軽く舐めてからふと何かを感じてとなりを見やったナマエは、そこで仮面が自分の方を向いているのにようやく気付いて、さっきと同じように体を跳ねさせました。
「え? な、なに?」
「…………いいや、別に」
驚いた顔でとりあえず聞いたナマエへ、顔を逸らしたキラーさんは首を一度横に振りました。
何もないと言いますが、何も無いわけがないでしょう。
ナマエはそう思いましたが、深く聞いても返事をくれそうにないと言うことも知っていたので、とりあえず諦めます。
少しべたつく手を拭くために腰に巻いてあったサッシュベルトへ押し付けようとして、そこでそこに挟まれていたものに気付いて、その目が一度瞬きをしました。
それから自分の腹部を見やって、そこにあるものを確認した後で、単眼鏡を左手から右手に持ち替えます。
比較的きれいな方の手で取り出したそれは、四角い箱でした。
巻かれた綺麗なリボンが少し潰れているのは、買ってからもう何週間も経つからです。
「キラー、これ」
声を掛けながらナマエが箱を差し出すと、ナマエの横に座ったままのキラーさんがその仮面を改めて箱の方へと向けました。
軽く首を傾げてから、伸ばされた手がナマエの手から箱を受け取ります。
「何だ、これは」
「キラーへの誕生日プレゼント。ほら、今日、お前誕生日だったんだろ」
そんな風に言いながらナマエは自分の腕に巻いてあった時計を見やります。
きちんと時刻を合わせた時計はまだ日付変更がされていないことを示しているので、どうやら間に合ったようです。
良かった、とため息を吐いたナマエの横に座ったままで、箱を自分の膝の上に置いたキラーさんが、そのまま仮面の向こうで呟きました。
「こんなぎりぎりに祝って貰えるとは思わなかったな」
「いや、だって、みんなならこう、宴とかするだろうと思うじゃないか。その時に言えばいいと思ってたんだ」
当てが外れたんだと続けて、ナマエはもう一度甲板の上を見下ろします。
相変わらず甲板の上は静かで、もしやみんながキラーさんの誕生日を忘れているのではないかと不安になるほどでした。
もしそうであったなら酷い話です。もしもキラーさんがキッド船長に直訴しに行くと言うのなら、お供をしようと心に誓いつつ、絶対に大騒ぎするんだと思ったのに、とナマエが呟きます。
「なるほど、違いない」
そんな風にキラーさんが言葉を零して、その仮面がもう一度ナマエの方へと向けられました。
月光をはじく仮面を向けられて、ナマエは少しだけたじろぎました。
『この世界』に来てキッド海賊団に拾われてから、ナマエが一番分からないのはキラーさんのことでした。
仮面をつけているので表情すら読めないキラーさんは、殺戮武人と名のつく恐ろしい海賊さんであるはずなのに、時々妙に優しいことをしてナマエを戸惑わせるのです。
キッド船長に睨まれた時に庇ってくれたり、戦闘に巻き込まれそうになったら船室に蹴り込んでくれたり、今だって夜食を差し入れてくれました。思えば、気絶して海を漂っていたナマエを助けたのもキラーさんだという話なのですから、こわい二つ名だと言うのに今一つナマエはキラーさんを怖がることが出来ないままです。
よく分からないままキラーさんの視線を見つめ返して、あ、と声を漏らしたナマエは改めて口を動かしました。
「誕生日おめでとう、キラー」
もしかしたらこの船で一番最初に言ったかもしれないナマエを見上げたままで、やや置いてから、ああ、とキラーさんが声を漏らしました。
ナマエよりずいぶんとたくましい腕が伸ばされて、ナマエの足を軽く捕まえます。
何だろうとそれを見下ろしたナマエは、そのまま足を引っ張られて、慌ててキラーさんとの距離を詰めました。
近くに寄ってきたナマエを見上げてから、ようやく足を離したキラーさんの頭が、ナマエの足の方へと寄せられます。
もたれるようにされて、困惑しつつもナマエは足に力を入れました。
さすがに、いくら体格が違うとは言えもたれられただけで転ぶとは言いません。まだまだ他のクルーに比べると貧弱ですが、新米サラリーマンとして電車に揺られてきた頃よりは、ナマエもたくましくなったのです。
「キラー? どうかしたのか」
眠いなら船室に戻った方がいいぞ、と紡いだナマエに、キラーさんが首を横に振りました。
頭を擦り付けるようなその動きに、よく分からないもののナマエはひとまず単眼鏡を持ち直します。
意味が分かりませんが、キラーさんがよく分からないのはナマエにとってはいつものことで、そしてキラーさんが自分に酷いことをする海賊さんではないことをナマエはよく知っていました。
悪辣で非道極まりないキッド海賊団の『殺戮武人』さんは、しかしナマエに言わせれば『優しい』海賊さんです。
スプラッタ映画も真っ青な血しぶきに震えたナマエを甲板から船室に追いやったあの日から、キラーさんは戦闘が始まるとナマエを船室に閉じ込めるようになりました。そのせいで戦っているキラーさんを見たことが無いので、そんな風に思えるのかもしれません。
『優しい』キラーさんに誕生日のお祝いを言えたのは良かった、とため息を零して、ナマエはもう一度周辺を警戒しました。
しかし、ここは本当にグランドラインなのかと尋ねたくなるほどに、あたりの海は平穏です。
この海原の続く先で雷が降り竜巻が起こり嵐が進み水流が飛び出しているなんてことが本当にあり得るのだろうかと、『知っている』ことを思い返しても不思議になるばかりです。
よく分からないまま、ひたすら単眼鏡で夜の海を確認するナマエは、傍らのキラーさんが仮面の下で小さく微笑んでいたことを知りませんでした。
ついでに言うと、何故か船の上の皆様がキラーさんの誕生日を一日勘違いしていたらしい、ということが発覚したのは、日が昇ってナマエの見張りが終わった翌朝のことでした。
一日遅れのキラーさんのお祝いはそれから二日ほど繰り広げられて、キラーさんが迷惑そうながらも嬉しそうだったのが、ナマエには一番うれしかったのでした。
end
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