悪いうそ
※異世界トリップ主人公はサッチが好き
嘘を吐いていい日だ、なんて言いだしたのは、果たして誰だったろうか。
気持ちよく過ごして通り過ぎたとある島の風習であるらしいそれを口実に始まった今日の白ひげ海賊団の宴は、いつもの通りモビーディック号の甲板の上を酒に浸りきった男達で満たしていた。
そこかしこでたわいもない嘘の応酬があり、互いにその偽りを指摘してげらげらと笑っている。
サッチもまたそのうちの一人であり、片手に酒瓶を持ちながら歩いた四番隊長が次の標的に選んだのは、二番隊の連中と共に酒を飲み交わしているナマエだった。
先日の島ではサッチに出会いが無かったために、リーゼントの彼が恋に破れることも無く、そのせいでナマエの目はサッチの方を向いていない。
エースがつぶれたようで、すぐそばに酒瓶を抱えて倒れ込んでいる顔の真っ赤な二番隊隊長に笑っているナマエは普段の彼そのもので、その様子を見ながらそろりと近寄ったサッチの両腕が、ナマエの肩口を回り込んでナマエの頭を掴まえた。
「ナマエ、愛してるぜェ〜!!」
声を上げて、目の前の後頭部にずりずりと頬ずりをする。
どこかでサッチの声を聞いたらしいクルーの誰かが『お熱いねェ』と笑い声を上げた。
それを気にせず好きなだけ頭を擦り付けてから、わずかにリーゼントも崩れたままで、サッチの体がぱっとナマエから離れる。
「なーんちゃってな!」
そんな風に言って笑い、その手で軽くナマエの背中を叩いたサッチは、そのまま片手でナマエの肩を掴まえて、目の前の男の体を振り向かせた。
ナマエが冗談好きな男であることを、サッチはよくよく知っていた。
何せ彼は、想い人に振られてくだを巻くサッチに付き合い、『いっそ自分にすればいい』と冗談を言ってまで慰めてくれるのだ。
だからサッチも、頭の上の自慢のリーゼントが非常食だの、実はコックコートの下を刺青が広がっているだの、左の親指限定でバラバラの実の能力者だのと言ったくだらない冗談と同じように、ナマエへそれを口にした。
急に頭を抱えられて驚いただろうナマエも、きっと普段のサッチ自身と同じように笑ってしまうだろうと、そう思ったからだ。
けれども、振り向いたナマエの顔に、サッチの顔に浮かんでいた笑みは戸惑いに変わる。
「…………ナマエ?」
何故なら、サッチを見やったナマエは、酒で赤らんだその目を眇め、明らかな怒りでもってサッチを睨み付けていたからだ。
ナマエの手が、自分の肩に触れていたサッチの手を払い落とす。
宴の一角で、他からは全く注意が払われていないことは分かるものの、茶化すことすら出来ないような怒気を感じて、サッチはぱちぱちと瞬きをした。
「お、おい……?」
「…………言っていい嘘と悪い嘘があるんですよ、サッチ隊長」
声を低めて、吐き捨てるように、ナマエがそう口にした。
怒りを滲ませているというのに、その目には酷い悲しみすら見えて、酔っていたサッチの頭が少しばかり冴えていく。
自分は何かを間違えたらしい、と把握して、どうした、ともう一度その肩に触れようとしたサッチの手は、しかしナマエ自身の手によって叩き落された。
ぱし、と軽く乾いた音が鳴り、ますます困惑するサッチの前で、振り向いた体勢のままナマエが顔を伏せる。
サッチよりも体の小さいナマエがそうするとサッチからはその顔が見えなくなり、そのままふるりと肩を震わせたナマエに、サッチはうろたえた。
「お、おい、ナマエ?」
困惑しながらも、今叩き落された手をもう一度伸ばしていいか分からずうろうろとその手を宙に泳がせて、サッチがナマエの名前を繰り返す。
「…………なーんちゃって」
そこで、小さく声が落ちて、サッチの目の前でナマエが顔を上げた。
そこには普段と変わらぬ笑みがあり、サッチの目を見て笑ったナマエの口が、そのまま言葉を紡ぐ。
「どうしたんですかサッチ隊長、そんな驚いた顔をして」
今日は『嘘』を吐いていい日なんでしょう、とそちらへ向けて笑ったナマエが、先ほど自分が叩き落したサッチの手を掴まえた。
痛かったですか、すみません、なんて言葉を紡ぎながらその手を擦られて、驚きを浮かべていたサッチが笑いながら眉を寄せる。
「何だよ、驚かせやがって」
「最初にやったのはサッチ隊長ですよ。大体、『愛してる』なんてのは自分の命より大事な相手に言うもんじゃないですか」
つんと顔を逸らして、ナマエはそんな古風なことを口にした。
あってるじゃねェかとそれへ笑って、酔っ払ったサッチが言葉を続ける。
「おれァ家族を愛してるもんよ」
それはサッチだけでなく、他のクルー達も同じだろう。
『家族』というものをくれた『オヤジ』たるエドワード・ニューゲートを敬愛する『息子』たるサッチの愛情は、当然ながら自分の『家族』達へも向けられている。
はいはいそれなら俺だって愛してますよ、とおざなりにナマエが返事をした。
「まったく、後ろから首を抱えるなんて、締め落とされるんじゃないかと思って驚くじゃないですか」
肩を竦めてそんな風に言いながら、ナマエはサッチの手を解放する。
その後で、自分の傍らに置いてあった酒瓶を掴まえて、まだ栓も開いていなかったそれを開けた。
「お詫びにどうぞ」
「ん、おう」
笑顔と共にそれを差し出されて、サッチは持っていた酒瓶を真新しいそれと交換した。
普段ナマエが飲んでいる弱い酒では無く、どうやらエースを潰したのと同じ系統であるらしい火酒からは、強いアルコールの匂いがする。
呷った喉を焼くようなそれを胃に落とし、ふうとアルコール交じりの息を吐いてから、サッチはちらりとラベルを見やった。
「こりゃあ、ナマエには強いんじゃねェのか」
「俺にはそうですけど、エースにはちょうどいいかと思って」
だけど先に潰れちゃったんですと、ナマエが傍らで未だ眠っている海賊を掌で示す。
彼の言う通り酔いつぶれているエースは、サッチが持っているのと同じ酒瓶を抱えていた。
あらわになった上半身まで赤く染まっていて、軽くいびきすら零している。
明日は二日酔いで唸ってそうだなとそれへ笑ったサッチの前で、ナマエの手がエースから酒瓶を取り上げた。
まだ少し中身が入っていたらしいそれを、エースが寝返りを打っても触れそうにない場所まで移動させる。
相変わらず、ナマエはかいがいしい男だった。
海を漂っていたところをエースに拾われたというナマエは、大体がエースのすぐ近くに控えている。
サッチが知っている限りの例外は、ふられたサッチが酒を飲みながら愚痴を言っている時くらいなものだ。
しかし今日はその『例外』でもないのだから、ナマエがそうやってエースの世話をしているのは当然のことだろう。
だと言うのに、面白くない、なんていう考えが酒にふわつく頭に浮かんで、サッチは軽く首を傾げた。
「……んー?」
「どうかしたんですか、サッチ隊長?」
声を漏らしたサッチに気付いて、ナマエがその視線を向ける。
問いかけた彼の言葉に首を振り、何でもねェとサッチが言葉を返したところで、離れたところから誰かがサッチの名前を呼んだ。
それを聞いて視線を向ければ、どうやらナミュールをつぶしたらしいイゾウが、次なる相手をしろとサッチを手招いている。
おう、とそれへ返事をして、サッチも立ち上がった。
「じゃーなァ」
「はい。あんまり飲みすぎたら、明日に響きますよ」
「でーじょうぶ!」
進言するナマエへ笑い、軽くその頭を叩いてから、サッチはイゾウ達が座っている方へ向けて歩き出した。
酒で弱った足でふらつきながら甲板を移動して、ふと気になって後ろを振り向く。
ナマエはすでにサッチの方から視線を外して、その顔がすぐそばに転がるエースへ向いていた。
いつもとそんなに変わらない筈なのに、やはり何かが気に入らず、そんな自分にサッチがもう一度首を傾げる。
そのまま前へ向き直り、何故か分からぬそれを飲みこむべく片手に持っている酒瓶を呷ると、歩いていた足が更にふらついた。
強い酒に焼かれた喉から息を吐いて、サッチの手が酒瓶を降ろす。
それと共に足を止めれば、ちょうどサッチを呼び寄せたイゾウのすぐ傍だった。
「何だいサッチ、酒を飲みながら来るたァ余裕じゃないか」
「へ! ナミュールの仇はおれがとってやらァ」
サッチを見上げて笑ったイゾウへ言いながら、サッチはそのままもう一度甲板へ腰を下ろした。
威勢がいいねとそれへ笑い、イゾウの手が自分とサッチの間に酒瓶を三つ置く。
サッチの方へ一本、自分の方へ二本を寄せながら、そういや、とイゾウが紅を引いた唇を動かした。
「サッチ、今日の夕方の『戦利品』、鍵があかねェって騒いでたが、もう中身は検めたかい」
「ん? いーや、まだだ。明日ティーチの奴が戻るじゃねェか、そん時に鍵あけしてもらおうかと思ってよ」
今は他の船への伝令に出ている、自分が知るうちで一番手先の器用な相手の名前を出してから、サッチは自分が持って歩いてきた酒瓶を目の前の瓶の隣に置く。
大して中身の減っていないそれを見やりながら、へェ、とイゾウも言葉を零した。
「船の一番奥にあったって話だったな、アタリだったら見せてくれ」
「おう、アタリだったらな。まァ、あの船の規模じゃ、そういいモンでもなさそうだがなァ」
「そんなこと言って、悪魔の実だったらどうするんだい」
言いながら、自分の方へ寄せた酒瓶のうちの一つのふたを開けて、イゾウがそれを持ち上げる。
同じように封の空いている酒瓶を持ち上げて、サッチの手がそれをイゾウの持つ酒瓶へと軽く当てた。
「悪魔の実ね……もしそうだったら、一口食った後で良けりゃ分けてやろうか」
「クソ不味いだけじゃないか、遠慮するよ」
サッチの言葉にけらりと笑って、イゾウが持っていた酒瓶を呷る。
それに合わせて、サッチも同じように瓶に口を付けた。
傾けた瓶から流れ込んできた酒が、思考を鈍らせていく。
そのまま酒に身を任せたサッチは、その背中に誰かが視線を向けたことにも気付かないまま、翌日その手に悪魔の実を手に入れた。
ナマエのおざなりなあの言葉が自分に向けられたものだったと気付いたのは、自分とティーチの間に小柄な体が割り込んだ、その時のことだった。
end
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