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幾重の目隠し
※何となく異世界トリップ系男子はサッチが好き



「もうそろそろ、そのくらいでやめた方がいいですよ」

 微笑み寄越された言葉に、サッチはちらりと傍らを見やった。
 飲めや歌えやのいつもの宴で、いつの間にやら傍らに腰を下ろした男が、もう見慣れた笑顔で酒瓶を抱えている。
 ラベルにあるのはサッチからすれば弱いと一言で片づけられるような銘柄だが、その赤ら顔からしてもう随分と酔っぱらっているということは見て分かった。
 それの倍ほど度数のある酒瓶は、すでにサッチの周囲にいくつか空になって転がっている。
 まだ中身が入っているうちの一本を手に持ったまま、おー、と声を漏らしたサッチの体が後ろ向きに傾く。
 冷えた甲板にそのまま寝転ぶと、真上には晴れ渡って広がった星空があった。
 月が近くで丸いから、なんていう理由で始まった酒盛りにはふさわしい夜空だ。

「酒は薬だってオヤジも言ってたろォ、もう少し飲ませろ」

 そんな風に言いながら片手を動かせば、だったらその一本までにしといてくださいよ、と傍らから言葉が寄越される。
 へいへい、とそちらへ返事をして、サッチは寝ころんだままで酒を呷った。
 おかしなところに入りそうになった液体をそのまま無理やり飲みこんで、軽くせき込んでから、うう、と唸る。

「ちっくしょ……おれの何が駄目だってんだー」

 言葉を零したサッチの脳裏を占めているのは、ここ三か月の間滞在し、今朝がた離れて来たあの島にいた、ただ一人の女性の顔だった。
 一目見た瞬間にサッチの頭の上には鐘が鳴り響いたというのに、残念ながら同じ症状には見舞われなかったらしい彼女は、どう見ても海賊であるサッチからのアプローチをあしらい、どうにか親しくなってもきっぱりとそれを断った。
 理由を聞いても『海賊だから』の一点張りで、そればっかりは敬愛する『オヤジ』のいるサッチにはどうしようもないことだ。
 いい加減諦めろと何人かの兄弟達には背中まで蹴られて、モビーディック号に乗り込んだサッチは確かに彼女のことを口説くのは諦めたが、悲しさまでを捨て去ることなどできるはずもない。
 船医すらため息を吐いたサッチの傷を癒してくれるのは、今のところは傍らの酒瓶達くらいなものだ。
 酒を飲みながらひたすら彼女との三か月間の思い出を口にするサッチに、周りで聞いていた兄弟達も殆どが飽きてしまったようで、今サッチの声が届く近くに座っているのは、ナマエという名前の彼だけである。
 もともとはスペード海賊団の一員であり、エースがこの船の正式な『家族』となったのとほとんど同時期にサッチ達の『兄弟』となったナマエは、どことなく優しげな雰囲気を持つ青年だった。
 生き急ぎ名を馳せていたエースの後について走っていた癖をして、その体つきは軟弱で、あまり強くもない。話によれば、海を漂流していたところをエースに拾われて、それからはずっと海賊としてやってきているらしい。どこにでもありそうな話だ。

「飲むんなら起きたほうがいいですよ」

 酒の回った視線を向ければ、そんな風に言って笑ったナマエが、サッチの顔を見下ろしている。
 寝ながら飲みたいなら船医から道具を借りてきましょうか、と続いた言葉に、いらねえよと返事をしてサッチは起き上がった。
 酒を飲む道具にするから医療道具を貸してくれ、だなんてことを船医に言ってしまったら、放って寄越されるのは吸い飲みではなくてメスに違いない。しかもきっと、あの船医ならナマエでは無くてサッチを狙って投げてくるはずだ。巻き込まれるのはごめんである。

「そんなに好きだったんですか、その人のこと」

「おう……めっちゃくちゃ美人だったんだぜ……!」

 問われた言葉に返事をしながら、サッチは酒瓶を傾けた。
 会ったこと無かったかとナマエへ尋ねれば、残念ながら一度も、とナマエは穏やかに返事をする。
 その言葉に、そうだったか、とサッチは軽く首を傾げた。
 確かにナマエとサッチでは隊が違うが、あの島には三か月もいたのだ。島を歩くたびサッチは彼女を捜していたし、共に過ごすことも多く、それゆえに家族達が彼女に近寄ってくることも多かった。
 今思えば、強面の海賊達に近寄られて、彼女は委縮してしまっていたのではないかとも思える。何と言うことだろうか。
 誰にぶつけたらいいのかもわからぬ衝撃にふるりと手を震わせたサッチの横で、それは残念でしたね、とナマエが呟く。

「サッチ隊長がそんなに入れあげるなんて、半年前の子以来じゃないですか」

「今度こそ運命の出会いだと信じたんだがなァ……」

「それなら相手もサッチ隊長のことを好きになったはずですから、違ったんですね」

 出会いはこれからですよ、と無責任な慰めをするナマエに、け、とサッチは声を漏らした。
 大所帯の白ひげ海賊団の中には、島に妻子を残してきたようなものもいる。手紙を交わす者も多いし、船長たる『白ひげ』の希望でその島へ行き、彼から見れば『孫』にあたるような相手を見せることだって、そう少なくはない。
 海賊であるサッチはひとところに留まることなど出来ないが、海賊だから、という言葉だけで断られてしまうのは、何とも切ないものである。

「はー……どっかに、おれのことを一番に好いてくれるような奴ァいねェかなァ」

 輝くような瞳でじっと愛をこめて見つめられたら、今のサッチならころりとそちらへ転んでしまえそうだった。
 傷心の四番隊隊長の横で、あははは、とナマエが軽く笑いを零す。

「それじゃあ、俺なんてどうですか、サッチ隊長」

「ん? あー、ナマエなァ」

 寄越された言葉に、サッチがちらりと傍らを見やる。
 酒瓶を抱えて軽く顔を赤らめた酔っ払いは、その目でじっとサッチのことを見つめていた。
 酔いに任せているのだろうが、真剣に注がれた熱すら感じるようなその視線に、サッチの口がへらりと笑いをかたどる。
 伸ばした手でぱしりと軽くその頭を叩くと、あいた、と声を漏らしたナマエの目がサッチから逸らされた。

「お前が女だったら考えるんだがなァ」

 笑って言葉を紡ぐのは、いつものことだ。
 付き合いが良く面倒見の良いナマエは、失恋に傷付いたサッチが酒を飲んで管を巻くたび最後まで付き合い、今のような冗談を口にしてサッチを元気づけようとするのである。
 熱っぽく視線を送ってくると言う念の入れように、本気に取られたらどうするんだお前は、とサッチが笑ったことも、一度や二度ではない。
 男同士でのそういった仲を否定するわけではないが、ナマエがもしもそういう感情を向けるなら、それは彼がこの船で一番目を掛けている『隊長』であることくらいはサッチにも分かっているのだ。
 船長、と呼ぶたびに軽く叩かれて、最近ではエース、と呼び捨てることも多くなった二番隊隊長のことを、ナマエはとても気にかけている。
 大体エースの横に張り付いているナマエが、まだエースがつぶれたわけでも無いのにそれをせずにサッチの横にいる時なんて、サッチが酒を飲んで管を巻いているこの時くらいだった。
 サッチが延々同じ話を繰り返し、他の兄弟達がため息を零して離れて行っても、ナマエはただ傍らに座ってサッチの話を聞いている。
 おかげさまで、最後は前後不覚まで酔っぱらって寝てしまっても、サッチが甲板に放置されることはなくなった。
 恐らく、ナマエがちゃんと部屋まで運んでくれているのだろう。
 非力な彼にそんなことをさせていると思えば少しばかり申し訳ないが、その間はずっと自分の傍にいるのだろうと考えれば、わずかな優越感も感じる。
 歪んでるよなァ、とサッチは一人、心の中だけで呟いた。
 独り占めにして優越感を感じるだなんて、『弟』の一人に向けるには、少々おかしな感情である。
 その正体を知っているような気もするが、気付いてはならないと感じてもいるから、サッチがそれを突き止めようとしたことはなかった。

「……サッチ隊長が言ったのに。酷いなァ」

 そんな風に呟いて、ナマエがわざとらしく口を尖らせる。
 子供じみた表情をしたナマエの、ひび割れた何かに蓋をしたその双眸には気付けないまま、何を言ってやがると笑ったサッチは、浮かんだものすべてを飲みこむために酒瓶へと口を付けた。




end


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