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これよりカウントアップ
※『カウント・ゼロ』後



 一体、何がどうしてこうなってしまったのだろうか。
 そんなことを考えてナマエが首を傾げるのは、彼の身柄が海上の船の上にあるがゆえのことだった。
 ほんの数日前、唐突にナマエの住まいに現れたCP9達の手によって、彼はウォーターセブンから連れ去られたのである。
 恐ろしいことに彼らはナマエが懇意にしている住民たちにも手を回していて、翌日から一週間ほど雇ってくれるはずだった雇い主からの仕事を断り、周辺への挨拶を済ませて、ナマエの持ち物の全てもその船へと運びこんでしまった。
 顔の知れたカクやロブ・ルッチ、カリファにはこなせぬはずの仕事も、ウォーターセブンを訪れたことが無かったらしいジャブラ達の手にかかれば簡単なものであったらしい。
 あれよあれよという間に船室を一つ与えられ、意味も分からず目を白黒させていたナマエの上には『彼らの雑用係』というありがたいのかどうかも分からない役目が鎮座している。
 今日もまた、人数の分だけ増えた洗濯物を甲板で干していたナマエは、白いシーツの向こうに人影があるのに気付いて息をのんだ。
 何故なら、太陽が知らせるそのシルエットは、誰がどう見てもこの船で一番強いだろう男のものだったからだ。

「おい、ナマエ」

 当然向こうにもナマエがいることは分かっているのだろう、掛けられた声に、はい、と慌てて返事をする。
 伸びて来た手がまだ濡れているシーツを無造作にめくり、現れたロブ・ルッチがその目でじろりとナマエを見下ろした。

「それが終わったら、カクの奴をどうにかしろ」

 まだ少しばかり濡れた洗濯物の入った籠を抱えているナマエへ向けて、ルッチが言葉を落とす。
 カクを、という言葉に目を瞬かせたナマエは、それから少しばかり首を傾げた。
 何の話だろうかと不思議そうな顔をした相手に、ルッチが軽くその目を眇める。
 鋭さを増したその視線に、ナマエはびくりと体を竦ませた。
 ウォーターセブンで肩にハットリを乗せていた時と違い、己の声で言葉を操るロブ・ルッチは、その時ナマエの前で演じていたよりも恐ろしい雰囲気を常に醸し出している男だった。
 そちらの方が素の状態だと言うことくらいはナマエにも分かるので、余計に相手が恐ろしい。
 そして、自分が怯えられていることなどすでに把握しているのだろう、何の感情も無くナマエを見下ろした後で、ルッチの手がシーツを手放した。
 めくれていたシーツが元の状態へと戻されて、ナマエと男の間を遮る。

「さっさとしろ」

 低く言葉を吐き捨てて、そのままルッチはナマエの前から歩き去って行った。
 シーツ越しには見えなくなった彼をそのままで見送って、ようやく詰めていた息を吐いてから、ナマエの手が籠から洗濯物を取り出す。
 自分が着込むよりサイズの大きいそれらを最後まで干して、籠を抱えたままでナマエが向かったのは、カクがいるだろう船内の一室だった。
 半分がキッチンとなっている、簡易の食堂のようなそこには、やはり一人分の人影がある。

「カク、生きてるか?」

 そんな風に問いかけながら、ナマエは籠を部屋の隅へ置いて彼へと近付いた。
 片手にスプーンを握りしめたまま、テーブルの上に伏しているカクのすぐ傍には、見た目だけはいい具だくさんのスープが盛られた皿がある。
 匂いすらまともなそれは、ナマエが『約束』を盾に強請られてしぶしぶ作ったものだった。

「……な、何ちゅう破壊力じゃ……舐めとった……」

 低く唸りつつ声を漏らしたカクを窺い、無理して食べるなよ、とひとまずナマエは進言する。
 ナマエの料理の腕は壊滅的である。
 当人はレシピ通りに作成しているはずなのだが、食べられるレベルの料理になったためしが殆ど無いのだ。
 それを『食べたい』と言ったのはあり得るはずもなかった『いつか』の約束をしたカクの方だったが、さすがにその様子を見ては心配になり、ナマエの手がカクの傍の皿に触れた。
 まだ半分以上中身の残っている料理を下げようと動いた手は、しかしカクの伸ばしてきた手に捕まれて引き止められる。

「まだ食うとらん」

 不屈の精神を持っているらしいCP9がテーブルに伏していた顔を上げ、眉間に皺を寄せてナマエを睨め上げた。
 その眼光の鋭さに思わず身を引いてから、ナマエもとりあえず言葉を紡ぐ。

「いや、食べられるものじゃないのは俺自身がよく分かってるから、そう頑張らなくても」

「何を言うとるんじゃ、これはナマエがわしの為に作ったんじゃ、わしが食う」

 そんな風に唸って、どうにか体を起こしたカクがナマエの腕を逃がした手でスープ皿を引き寄せ、もう片方の手に握ったスプーンを操る。
 丸いくぼみにスープの具をのせ、そのままその口へとそれが押し込まれた。
 とてつもなく真剣な顔でどうにか口の中身を噛むカクを見やり、やれやれ、とナマエはため息を零す。

「わざわざそんなものを食べる為に人を攫うなんて、お前くらいだよ、カク」

 呟きながら、ナマエはその脳裏に、つい数日前のことを思い浮かべていた。








 見間違いだろうか、とナマエは一人、こっそりと首を傾げていた。
 しかし、その目が向けられた先にはやはり確かにどう見ても、ナマエには見覚えのある『見知らぬ』男が二人で歩いている。

「おいフクロウ、てめェももう少し持てよ、不公平だ狼牙」

「チャパパパパー、おれは大事な用がある、諦めろー」

 どうやら買い出しの途中らしい彼らはその手に荷物を大量に抱えていて、ここがウォーターセブンの中でも特に港に近い地区であることからすれば、それは大して珍しい光景でも無かった。
 彼らとすれ違う他にも、似たような量の荷物を抱えたり台車を引いたり、果てはブルに乗せて水路を通っていく人間はいる。
 しかし彼らの何がナマエの注意を引いたのかと言えば、少しばかりの変装はしているが、その顔と口調が、どうにも知っている人物のものだからだった。

「ジャブラと、フクロウ?」

 確か、そんな名前だったはずだ。
 思わず呟いたその声はとても小さく転がって、ああそうか、と離れた場所でナマエは口を動かした。

「もう出航したのか」

 ナマエが覚えている限り、彼らは海軍から追われる身となった筈の存在だった。
 実際にその場にいたわけでもなければ様子を確認していたわけでも無いから正確にはいつ頃か知らないが、麦わらの一味がフランキーを伴ってこのウォーターセブンを離れて、もうしばらくは経つ。
 さすがに他のCP9の姿は見えないが、彼らが無事に歩いているということは、同じようにカク達も無事なのだろう。
 酷い怪我をした筈だが、超人的な『この世界』の人間の一人であるカクのことだ、きっと今頃はウォーターセブンでよく見せていたような笑顔を浮かべて仲間達と一緒にいるに違いない。

「カク、元気かな」

 声を掛けてみようか。
 そんなことを考えながらジャブラとフクロウらしき二人組の背中を見送ったナマエの足が、目的の店の前で止まる。
 ナマエが少しの迷いを見せている間に、二人の背中は路地を曲がって行ってしまった。
 そちらの方向は、まだ復興の進んでいない裏町のあたりだ。
 カク達がどこで待っているのかは知らないが、五年もこの島にいた彼らのことだから、万が一を考えての人目につかない集合場所などいくつも取り決めているのだろう。
 追わなければ見失うことは簡単に予想がついたものの、少しだけ迷うようにしたナマエの手は、そのまま店の扉へと触れる。

「…………まあ、初対面で声を掛けても、警戒されるだけか」

 誰かに言い訳するように呟いて、ジャブラ達らしき二人が歩いて行った方から視線を逸らしたナマエは、そのまま店の中へと足を踏み入れた。
 いつもの食料品の買い出しに、店主は笑顔で応じ、必要な分だけの物資を購入する。
 料理の出来ないナマエの生命線は、職場の賄を除けば、この店で購入する缶詰だった。
 最近その買い物の頻度が増したのは、先日のアクア・ラグナでナマエを雇ってくれていた店が半壊し、ついでに言えばナマエの使っていた家も流され、結果として職と住処を失ったナマエが賄にありつくことが出来なくなったからだった。
 職人の多い街には作業員としての日雇いの仕事も多く、何とか仮の住まいも借りることが出来たので衣食住に困ることは無いが、さすがに毎日缶詰は侘しい。

「そろそろ、料理もまともに作れるようにならないとなァ」

 店主にベリーと引き換えで貰った缶詰入りの袋を抱えて、呟きながら店を出たナマエは、そのまま来た道を戻る為に足を動かした。
 人々の行き交う大通りから脇道に逸れて、仮住まいへと向けて歩みを続ける。
 だんだんと周囲の人影がまばらになり、明るいうちから人影のないいつもの通りへと曲がったところにある小さな借家の一つへと辿り着いた時には、それほど鍛えられていないナマエの腕は缶詰の重みでじりじりとしびれ始めていた。

「……っと、」

 声を漏らしながら扉に肩を当て、鍵を取り出そうとしたナマエの体が、そのまま内側に傾いでたたらを踏む。
 どうやら鍵を掛け忘れたらしいと気が付いて、不用心な自分に呆れのにじんだ笑みを浮かべたナマエは、しかしありがたく両手をふさいだままで家の中へと踏み込んだ。
 そうして、そこにあった人影に、ぱち、とその目を瞬かせる。

「遅いぞナマエ、待ちくたびれたわい」

 戸惑うナマエの視線を独占しているのは、勝手に人の家へと上がり込み、勝手に窓の少ない室内に灯りをともし、そして勝手に一脚しかない椅子に座ってテーブルに頬杖をついている、鼻の長い元『職長』だった。
 相変わらずのつぶらな瞳をナマエへ向けて、にかりと笑うその顔を見たナマエの手が、耐え切れずに持っていた包みを落とす。
 ごと、と音を立てて床に転がった袋の口が開き、ころりといくつか缶詰が転がった。

「…………カク?」

「何じゃ、幽霊ではないぞ。忘れ物があってのう」

 戸惑うナマエへ向けて、笑顔のカクが言う。
 『アクア・ラグナ』の最中に『里帰り』していったと噂の彼がどこの誰かを、ナマエは知っていた。

「…………なん、で」

 だからこそ思わず呟いたその声は酷く掠れていて、久しぶりに出会った『知り合い』にするには似つかわしくない態度に、カクの手が己の頬を離れる。
 そうして、人様のテーブルに放り出していた帽子を掴まえ、その頭の上へと乗せた。

「なるほど、ジャブラ達の言う通りか」

「え」

「知っとったんじゃな、ナマエ」

 帽子のつばを軽く下げて目元を隠し、呟くカクの口元はまだ笑っていたが、その声はお世辞にも楽しげなものには聞こえなかった。
 不穏な空気を感じ取り、ぶわりと背中に嫌な汗をかきながら、ナマエの足がよろりと後ろへよろめく。
 けれどもその背中は何かにぶつかり、家から路地へ出ることすら叶わずに動きを止めた。
 扉は開いたままであるはずで、真後ろにあるはずのない障害物に、ナマエは恐る恐る後ろを振り返る。
 その場で上げるべき悲鳴すら喉から絞り出せなかったのは、そこにはこのウォーターセブンにいるはずが無い『職長』の二人目が立っていて、じろりと見下ろすその眼光が鋭くナマエに突き刺さったからだった。








 つまるところ、あの往来でのナマエのうかつな独り言は、鋭敏な感覚を宿していたCP9の耳まで届いてしまっていたらしい。
 結局そのまま、ナマエは自分が『どこ』の『誰』であるかを吐かされた。
 ロブ・ルッチは鼻で笑い、カクが信じたかどうかも分からないが、それが真実であることはナマエが一番よく知っているし、どうして『彼ら』を知っているのかと言う問いの答えはそれしかない。
 結果としてカクやルッチ達は自分達の正体がナマエに知られていたということを知ってしまい、ナマエはそのまま攫われた。
 まさか口封じに殺されてしまうのかと一人焦ったナマエをよそに、海軍から追われる彼らの船はグランドラインの海の上を進んでいる。
 居場所も役目も与えられ、どうやら殺されないようだということはナマエにも分かったが、未だにどうして攫われたのかが分からないでいる。
 呟いたナマエの顔をちらりと見上げ、眉を寄せたカクが口の中身を飲みこんで、それから言葉を吐きだした。

「何を言うとるんじゃ、わしはわざわざ『約束』の為だけにナマエを攫っとらんぞ」

 ルッチに付き合えと頼むのにどれだけ苦労したと思っとるんじゃ、と何やら憤慨しているカクの様子に、ナマエは不思議そうに彼を見下ろした。
 何も理解した様子のないナマエを見上げ、ため息とともに食事の手を止めたカクが、それから片手で自分の傍らの椅子を引く。

「ほれ、座れ」

 いつだったか、ナマエが勤めていたあの店で寄越したような言葉を向けられて、何となくナマエはそれに従った。
 同じ高さの椅子に座り、そのつぶらな瞳をナマエへ向けて、あの日も言うたじゃろう、とカクが言う。

「わしは、『忘れ物』を取りに戻ったんじゃ」

「そういえば、そんなことを言ってたな」

 幽霊じゃないぞと笑っていた彼を思い出し、ナマエが頷く。
 ナマエにはカクの『忘れ物』というのが何なのかは分からないが、大きな荷物であったならナマエの目にも止まっているはずなので、その『忘れ物』とは小さなものであるらしい。危険を冒してウォーターセブンまで来たと言うことは、代替え品のきかない物だったのだろう。
 そういえば何を忘れたんだ、と尋ねたナマエの言葉に、カクの持っていたスプーンの先が向く。
 指差すように向けられたそれを見つめてから、ナマエはくるりと自分の後方を振り向いた。
 しかしそこはキッチンの片隅で、積まれた食料品があるばかりだ。まさか食べ物と言うことではないだろうとカクへ視線を戻し、もう一度自分の方を向いているスプーンを見やってから、ナマエの指がスプーンの方へと向けられる。
 それから、それが向けられている方向へ辿るように動いた指先は、自身の胸元へと移動した。

「…………ん? 俺?」

「そうじゃ」

 呟いたナマエへ、カクが満足げに頷く。
 その様子に目を瞬かせてから、ナマエはそのまま首を傾げた。

「なんで俺なんだ」

「わしが『一緒におる』と決めたんじゃから、仕方なかろう」

 問いかけたナマエを見やり、カクはそんな風に言葉を紡いだ。
 その何ともわがままな台詞に、ナマエは少しばかり眉を寄せる。
 しかし、彼の口から文句が滑り出す前に、ナマエを見やったカクの首がわずかに傾いた。

「何じゃ、わしと一緒はいやか? 何か困るのかのう」

 少しばかり拗ねたような声でつづられたのは、そんな台詞だった。
 『いやか』って、と呟いて、ナマエはそのまま口を閉じる。
 嫌だとは、どうしてかその口からは出てこなかった。
 その生業が恐ろしいものだと知っていても、自分の前にいた『カク』が全て演技だと分かった上でも、ナマエはカクが嫌いではないのだ。
 カクは、ナマエがこの世界へ来て初めて出会った人間だった。
 身寄りも行くあても無かったナマエを、何の気まぐれか世話してくれたのだ。
 彼がいなくなると知っていたあの日、もう会えなくなると思った時に感じた『寂しさ』は本物だった。
 それは分かっていても、それをそのまま口にするのは何となく躊躇われて、ナマエの目がそっとカクから逸らされる。

「…………まだ慣れなくて、ロブ・ルッチが怖いのが困るかな」

 そうして吐き出された言い訳じみた台詞に、ああそういえば、とカクが声を漏らした。

「ナマエがびくびく怯えるのが面白いと言うとったのう」

「……………………え」

「わはははは! ナマエ、からかわれとるぞ」

 思わぬ言葉に目を瞠ったナマエのとなりで、カクが楽しげに言葉を零した。
 あいつもあれで趣味が悪いんじゃ、と笑いながら、その手がスプーンを握り直す。
 そのままその手が新たな一掬いのスープを口へ運び、衝撃的なその味わいにぎゅっと顔がしかめられた。
 だから無理なくて食べなくてもいいって、とナマエが伸ばそうとした手をもう片手で掴んで抑え、カクはそのまま食事を進める。

「………………お前も変な趣味してると思うよ、俺は」

 まずいと分かっている物をひたすら口に運ぶ相手へそう言ってやりながら、とりあえずカリファあたりに料理を習おう、とナマエはこっそり心に誓った。




end


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