お別れカウントダウン
※カク誕生日話
ウォーターセブンは水の都だ。
年々ゆったりと沈みいくこの都市にナマエが紛れ込んだのは、あまりにも唐突だった。
すぐにそこが自分の生きていた『世界』ではないと気付いたのは、水路を泳ぐ図鑑でも見たことがないのに知っている生き物がいたからだ。
漫画やアニメでしか見たことがないようなその動物を確認して呆然としながら歩いていたら思い切りけつまずいて、転んだ先にあった水路に落ちて、随分深いそれに驚きながらも流されていたところでひょいと誰かに救助されて。
「お前さん、何をしとるんじゃ?」
泳ぐんなら別の場所が良さそうじゃがのう、なんて言い放った相手を見上げたときに、ナマエは色々と考えることを諦めた。
だって自分を持ち上げて笑っているつぶらな瞳の彼は、誰がどう見たって『CP9』の『カク』だったのだ。
※
「ナマエ、おるかのー?」
「ああ、カク。いらっしゃい」
からんと押し開いた扉と共に投げられた声に、ナマエはテーブルを拭きながら返事をした。
にかりと笑ったガレーラカンパニーの職長殿が、いつものようにテーブルの一つに腰を下ろす。
「ご注文は?」
「Aランチじゃ」
他の客が残した食器を片付けて、カウンターまで移動してから注文書を手に取ったナマエが戻れば、メニューをちらりと見やったカクが本日のランチを注文する。
カウンターの向こうの店主にそれを伝えてからナマエが水の入ったグラスを運ぶと、店内を見回して自分以外に客がいないことを確認したカクが、自分の隣の椅子を軽く引いた。
「ほれ、座れ」
「いやいや、俺はまだ仕事中だから」
「いいじゃろう、少しわしの相手をするくらい。のう?」
言葉の後半がカウンターの内側にいる店主へ放られて、いいよいいよ、と気のいい店主が返事をした。
にんまり笑ったカクへため息を零しつつ、それじゃあちょっとだけ、とナマエも椅子に腰を下ろす。
「今日も遅い昼飯だな。仕事忙しいのか?」
「そうなんじゃ、最近海賊船の修理も増えてのう」
はあやれやれとわざとらしくため息を零して、カクの手がひょいと帽子を外した。
くるりと回したそれをテーブルの端に置いた相手へ、そうなのか、とナマエが相槌を打つ。
「カクならそのくらいさらっと終わらせてるもんだと思ってたのに」
「わしだけで仕事が進むんならできるが、船は一人で作るもんでもなかろう」
「それもそうだ」
「じゃろ?」
からりと笑ったカクの顔に、暗いところなど何もない。
まるでただの船大工だなと、椅子に座りながらナマエは目の前の相手を観察した。
ナマエを助けてくれたあの日、身寄りが無いと分かったナマエを、カクは随分と世話してくれた。
その時の会話で、ナマエはこの街がまだ『ナマエの知っている話』の中のウォーターセブンではないということを知った。
世話してもらった働き口で働いて金を貯めながら、じっと待ち続けて二年、まだ帰れる兆しは無い。
早く帰ってしまいたいのに、とまで考えてから、ナマエはふと自分がエプロンのポケットに放り込みっぱなしでいたもののことを思い出した。
カクは毎日ランチを食べに店を訪れるから、その時にでも渡そうと思って持っていたものだ。
「ナマエ?」
もぞりとエプロンのポケットに手を入れたナマエへ、カクが首を傾げる。
それを見ながらポケットから物を取り出したナマエは、そのままそれをカクのほうへと差し出した。
ナマエの片手に少し余る程度の大きさのものを差し出されて、カクの目がぱちりと瞬きをする。
「なんじゃ?」
「やるよ。明日、誕生日だろう?」
リボンの掛かった箱をカクの前へ置きながらナマエが言うと、誕生日、と口の中で言葉を紡いだカクは、それから少しばかり怪訝そうな顔をしてナマエを見やった。
「……こういうものは、普通は当日に寄越すものじゃないかのう」
「だって俺、明日は休みだから」
会わないだろ? と言って、ナマエはカクと逆の方向に首を傾げた。
ナマエがこうしてカクとの親交を深めているのは、カクがこの店へよく通っているからだ。
時々は外で出くわすこともあるが、明日は久しぶりの休みであることだし、ナマエにわざわざウォーターセブンを駆け回る『山風』を探す気は無い。
ナマエの言葉に、カクがつまらなそうに口を尖らせる。
「なんじゃ、そこは休みを使って色々なサプライズをしてくれるもんじゃろう」
「せっかくの休みに?」
「わしはこの前やってやったと言うのに」
「ああ……」
言われて、ナマエは以前唐突に拉致されてしまった日のことを思い出した。
ナマエの前の長鼻の職長殿は、意外と子供のようなサプライズが好きだ。
ずた袋を頭からかぶされて拉致されてしまったナマエは、これはもしや人攫い屋かと結構本気で暴れたのだが、当然ながらCP9に勝てる筈もなく、いつの間にやらブルーノの酒場とやらへ連れ込まれていた。
カクのつながりで時々顔を合わせるガレーラカンパニーの船大工やCP9に誕生日を祝われたのが、ついこの間のことのようである。
「俺はあんな心臓が止まりそうなことはしません」
嬉しかったが、それ以上の恐怖を感じた被害者の発言に、なんじゃひどいのう、とカクがわざとらしく頬を膨らませた。
それでもその手がひょいとリボンを摘んで、丁寧な動きでそれを解く。
人だって簡単に殺せるその指が包み紙に小さな破れ一つ作らず開いていくその様子を、ナマエは横に座ったままで見つめた。
そうして出てきた箱の中身に、カクが不思議そうな顔をする。
「…………なんじゃ?」
「何って、ナイフだけど」
「見りゃあ分かる。観光土産か?」
怪訝そうな顔をしてカクが箱からつまみ出したソレは、確かにカクの言う通り、ウォーターセブンの観光土産として売られているものによく似ていた。
柄に、ウォーターセブンの町並みが飾り彫りにされている。
一応特注品だよとそれへ言葉を返して、ナマエが笑う。
一度鞘から刃を抜いて、小さなナイフの切っ先を眺めたカクが、それを収めながら不思議そうにナマエを見やった。
「……わしに、これをどうしろっちゅうんじゃ」
「まあ、使わないかもしれないけど」
問いかけに、ナマエはそう答える。
船大工として過ごすカクにとって、小さなナイフなど使い道はそう無いだろう。
ナマエがこっそりと知っているカクの本業でも、ナイフよりカク自身の手足のほうがよほど凶器になる。
それでも、カクへ何か贈り物をしようと思ったときに、ナマエが浮かんだのはそれくらいだった。
カクがこの街へ来てから、もう五年になるらしい。
それならば、カクはもうじきウォーターセブンを去るだろう。
その時、もし持って行ってくれるとしたら、それはこのくらいの大きさの『武器』になりえる物くらいだろうと踏んだのだ。
どちらにしてもこの街での姿と一緒に捨てていかれる可能性のほうが高かったが、他には何も浮かばなかったのだから仕方ない。
「カクにプレゼントしたいなあと思って買ったんだ。たまにはいいだろ? そういうのも」
「プレゼント、のう」
囁いたナマエの言葉に、ふむ、と頷きつつカクの視線が箱へ戻されたナイフへと注がれる。
やや置いて、少し面倒臭そうな顔になったカクは、仕方が無さそうに箱を閉じて元通り包みなおした。
「貰ったものを突っ返すような大人げのない真似は出来んからの。ありがたく貰っておいてやろう」
「偉そうだなァ」
「それよりナマエ、明日が休みだと言うんなら、今日は日付が変わるまでわしに付き合わんか。パウリーとの賭けに勝ったから、今日は彼奴が奢る話になっとるんじゃ」
「……パウリー、また負けてるのか」
包まれた箱を懐にしまいながらの誘いに、ナマエが呆れた顔をする。
そこで丁度店主から声が掛かって、カウンターにトレイの置かれた音がした。
呼ばれてすぐに立ち上がったナマエが、カウンターに置かれたカクの昼食を両手で持ち上げて、それをそのままカクのテーブルまで運ぶ。
「お待たせしましたー」
「おお、今日も美味そうじゃ」
嬉しそうな顔で、カクがトレイを見下ろした。
その内側に裏の顔があるなんて全く見せない相手へ向けて、ナマエも笑う。
もうじきアクアラグナの季節だ。まだ、麦わらの一味はウォーターセブンへは辿り着いていない。
カクとこうやって友人のような立場でいられるのは、あとどれくらいの期間だろうか。
「俺が仕事終わってから合流するんでいいなら、今日は付き合うよ」
それすらも分からないからそう呟いたナマエへ、そいつは良かった、と言ったカクの笑顔は、相変わらずの明るさだった。
end
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