メントルへの慕情
※先輩海兵は帰還を諦めたトリップ主(知識有)
※トリップ主(→)←コビーっぽい
「コビー……コビー?」
「え? は、はい」
名乗った途端に寄越された問いかけめいた声音に、コビーは敬礼したままでこくこくと頷いた。
それを聞き、しげしげとコビーを見下ろした海兵が、それから『へえ』と声を漏らす。
その手が軽く己の顎を撫で、何かを懐かしむようにその目を細められて、コビーはただただ困惑した。
何故なら、目の前の相手に『懐かしまれる』意味が分からないからだ。
ナマエと名乗った目の前の将校は、コビーの知らない相手だった。
コビーや彼の同期であるヘルメッポを可愛がり鍛えるかの『英雄』よりはいくらか階級が下のようだが、その姿からして、雑用がおいそれと声を掛けて良いような相手でないことは分かる。
そんな相手にコビーが名乗ったのは、相手が『精が出るな、新入りか?』と気さくに声を掛けてきたからだ。
『英雄』たる海兵に目を掛けられているからか、それともこれが海軍の雑用としての常なのか、多い仕事量にヘロヘロだったコビーがすぐさま背中を伸ばしたのは、もはやただの条件反射だ。
びしりと背中を伸ばしたまま、困惑をその顔に描いているコビーを見下ろして、ああすまないな、とナマエが声を漏らした。
「随分懐かしい名前だったんで、つい」
「は、はあ」
そうして放たれた言葉に、コビーは更にその目をぱちくりと瞬かせた。
それを見下ろして、ナマエがその口元に笑みを浮かべる。
どことなくミントの匂いを漂わせた手が伸ばされ、ぽすんとコビーの頭に乗り、潮風に晒されて少し痛んだコビーの桃色の髪をかき混ぜた。
「よーしよしよし」
「わ、あ、あのっ」
「ははは、お前、うちの犬っころみたいな顔してるぞ」
褒められてるとは思えないような言葉を寄越した海兵が、ぱっとコビーの頭から手を放す。
ぐらぐらと揺らされた視界にコビーがわずかにたたらを踏むと、転びそうだと思ったのか伸びてきた手が今度はコビーの肩を掴んで、体勢を立て直したコビーの肩口を軽く叩いた。
「よし。コビーくん、気を付け」
「はい!」
放たれた命令に、コビーがすぐさま背中を伸ばす。
掌を相手に晒さない海軍式の敬礼をして、きりっと顔を引き締めて見上げた顔を見下ろし、面白そうに笑った海兵が、コビーの肩口から離した手を己のポケットへと押し込んだ。
そしてそこからすぐに手を出し、握った拳をコビーの前へと差し出す。
先ほどより強くミントの匂いが漂い、コビーの鼻を少しばかり刺激した。
「お手」
「は、はい?」
拳を突き出したまま言われた言葉に、困惑しながらコビーが敬礼を解く。
目の前の拳を見つめた後、おずおずとコビーが握った拳を相手の手の甲へと乗せると、『そう来るか』と笑った海兵がくるりと自分の拳をひっくり返した。
開いた手に拳を握られて、ぎゅっと押し付けられた掌に何か堅いものがあると気付いたコビーの拳が、わずかに緩む。
その隙間へと硬い何かを押し込み、挟み込んだところでようやくコビーの手を解放した海兵は、動かした片手の人差し指を立て、自分の唇の端へと押し付けた。
「内緒だぞ」
優しげな声でそう言い、休憩時間にでもお食べ、と子供に言うような言葉を零してから、笑ったままで相手が一歩足を引く。
それからじゃあなと手を振って去っていった相手に、コビーは慌ててもう一度敬礼した。
振り向きもせずに歩いていった将校が角を曲がり、その姿が見えなくなったところでようやく敬礼を止めて、その目が握ったままだったそれを見下ろす。
「……あ、飴」
ナマエがコビーの拳へと無理やり押し込んだそれは、コビーもよく知る市販の包みだった。
確か、一つの大袋に三十粒足らずが入っているものだ。いくつかのフルーツ味が混合されている筈なのに、コビーの掌の上にある二粒はどちらも薄荷だった。
あまり薄荷味は得意ではないが、疲れた頭をすっきりさせるのにはちょうどいいのかもしれない。
自分が持ってきたことにして後でヘルメッポさんにも分けてあげよう、と今は別の場所で雑用をこなしている同期の顔を思い浮かべてから、渡されたものを見下ろしたコビーの視線が、先程の将校を追いかけるようにちらりと前方へ向けられる。
けれども、そこには当然ながら、先程の海軍将校の姿は見当たらない。
「……ナマエさん、か」
ちょっと変わった人だったな、なんて失礼極まりないことを呟いて、コビーの手がポケットへと飴を仕舞い込む。
それが、コビーがナマエと出会った、一番最初の思い出だった。
※
「やあ、コビー」
「あ、ナマエさん」
お疲れ様です、と敬礼をしたコビーに、楽にしていいとナマエが笑う。
いつものやり取りにコビーも笑顔を向けて、片付けるところだったモップを日当たりのいい場所へと立てかけた。
初めて出会ったあの日から、ナマエという名前の将校はよくコビーへ声を掛けてくるようになった。
何度も会話をするうちに、随分と仲良くなることが出来たのではないかと、コビーは思っている。
最初はその肩書を合わせて呼んでいたコビーへ、名前だけでいいと彼が言って、『それならぼくのことは呼び捨てにしてください』と頼んだのはコビーの方だ。
図々しかったかと少しだけ言葉を口から出したことを後悔したが、ナマエは何ともあっさりと『コビーくん』という距離を置いた呼び方から変えてくれたので、ほっと息を吐いたのはもう随分と前のことになる。
色んな話をして、いろんな話を聞いて、コビーはナマエのことに少しばかり詳しくなった。
ファミリーネーム、誕生日、年齢。住んでいる地域。
日頃任されている仕事。電伝虫の番号。飼っている犬の名前。
とある『英雄』の直属の部下の一人で、軍艦に被害が出るような戦い方をする上官に頭と胃を痛めたことも多い。
最近の上官は以前より落ち着いてくれたようだが、それはそれで寂しく思っている。ただし、そのあたりは内緒。
フルーツキャンディの中から選り分けて持ち歩くくらいに薄荷味が好き。よく食べているせいで、彼自身からも少しばかりミントの匂いがする。
コーヒーは薄いものが好みで、支部のコーヒーは苦手。
独身で、現在親密な女性はいない。
全身の指を合わせれば数え切れてしまう程度のことだが、それでも初対面の頃よりは随分と知っている。
ナマエはコビーを構ってくれるし、優しくしてくれる。
仕事についても良い方向へ計らってくれているらしいとは、コビーが人づてに聞いた話だ。確かに、コビーやヘルメッポへの極端ないびりじみた雑用は殆ど回ってこなくなった。
コビーがナマエと交流を深めていると言った時、『あいつは秘密主義な奴だがいい奴だぞ』とガープは言っていたが、コビーが問えばナマエは大体何にだって答えてくれた。
コビーがうっかりと何か機密事項を訊ねた時は、ちゃんと『それは言ってはいけないことなんだ』と言ってくれる。
年齢よりずいぶんと子供扱いをされているような気もしたが、十は違うコビーとナマエの年齢差を考えれば、それも仕方ないというものだった。
「今日のランチは魚フライだったぞー」
「そうなんですか、すごく楽しみです」
早めの昼食を終えたらしいナマエの言葉にコビーが笑うと、あと一時間してから行けば揚げたてが食えるぞ、なんてアドバイスが寄越される。
「ここいらの食べ物は体が育ちやすいからな、たくさん食べてはやく大きくなれ」
そんな風に言いながらひょいと向けられた手に、コビーは慣れた様子で両手を合わせて差し出した。
雑用をこなしつづけて、海賊の船に乗っていた時よりも荒れ始めたコビーの掌の上で海兵の手が開かれ、ぽとりと包みが落とされる。
「内緒だぞ」
「はい、ありがとうございます」
見慣れた薄荷飴をコビーへと手渡した後で、いつものように言葉を紡いで人差し指を立てた相手に、コビーはこくりと頷いた。
どうして『内緒』にしなくてはならないのか分からないが、ナマエが言うならそれを『誰』から貰ったかなんてコビーは誰にも言いはしない。
最初の頃はヘルメッポへも渡していたが、今は彼に『分ける』ための飴をポケットへ忍ばせて、ナマエから受け取った飴は全部自分の口へ納めることにしていた。
薄荷味が苦手だったらしいヘルメッポは気にした様子もないし、コビーが『おやつ』を持参しているのだと思っているのか『ガキか』と笑われる程度だから問題は無い。
今日もまた二粒の飴をコビーへ寄越したナマエは、コビーがそんなことをしているなんてことは知りもしないのだろう、漂う香りに似合う爽やかさで笑ってその手を降ろした。
それからコビーが磨いた廊下へその視線を向けて、それにしても、と言葉を零す。
「磨き終わるのも早くなったなァ、慣れてきたか?」
「はい。ぼく達、もうすぐ雑用から卒業できそうなんです」
今朝方言い渡された言葉を思い出してコビーが言うと、へえ! とナマエが声を零した。
嬉しそうにその目を細めて、良かったな、なんて言葉を放つ。
それと共にその手がまたも自分のポケットへと押し込まれて、出てきた拳がコビーの手の上に飴を数粒落とした。
「それじゃあこいつはお祝いだ、とっとけ」
「は、はい、ありがとうございます」
柔らかな言葉と共に降り注いだものを両手で受け止めて、コビーがそんな風に口を動かす。
うんうん、と嬉しげに頷いたナマエは、それからやれやれと肩を竦めた。
「コビーの出世街道もようやく幕開けだな」
「そんな、出世だなんて」
「いやいや、俺には分かるさ」
お前はでっかくなる奴だよ、とコビーより大きな体で寄越された言葉に、コビーは少しだけ困ったように眉を寄せた。
何故なら、コビーを見下ろすナマエの目が、また『何か』を懐かしむような色を宿していたからだ。
コビーと対峙するとき、ナマエは高確率でこの目をする。
むしろ、その『何か』を懐かしみたくてコビーに声を掛けに来ているのではないだろうかと、コビーはそんなことを考えていた。
初めて出会った時は困惑して、それからしばらくの間は少し気になる程度だった。
けれども今は、その目を向けられることが少しだけ苦しいのだ。
「そんな風に言っていただけて光栄です」
出会った時から、ナマエはコビーの名前に反応していた。
『貴方の知っていた『コビー』というのは、どんな人だったんですか』
もしもコビーがそう訊ねれば、恐らくナマエは答えてくれるだろう。
それでもそれを口に出来ないのは、結局はまだコビーがただの臆病者だからだ。
相手へ確かめない間は、コビーの中に渦巻く考えは全てコビーの『想像』でしかなく、『事実』にはならない。
変わりたいと思っても、中々どうして性根というものは修正が難しいらしい。
「ナマエさんへ追いつけるよう、頑張ります!」
胸の内をよそに、笑顔を向けてそんな風に言葉を紡いだコビーへ、お前ならすぐだよ、とナマエが笑う。
コビーは彼のことをいくつか知っているが、恐らく彼はコビーが相手を知っている数よりも少なくしかコビーのことを知らないだろうなと、コビーは思った。
コビーの中に渦巻く『想像』も、彼がくれる飴を独り占めしてしまう独占欲も、彼が声を掛けてくれた時に浮き立つ感覚も、その瞳が自分を見ていないと感じた時の切なさも、ミントの匂いに何となく反応してしまうことも。
ナマエは何も知らないのだ。
だけど、それでよかった。
「まあでもその前に、もっと大きくならなけりゃな。せめてこのくらい」
「はい!」
コビーの頭から少し離れたところに掌を置いたナマエへ頷いて、コビーは軽く背伸びをした。
それでもまだ届かない掌に、ちょっと高すぎませんかと少しばかり眉を下げたコビーが訊ねると、成長期なんだからこのぐらいすぐだ、とナマエが楽しそうにその目を細める。
ミントの香りを漂わせる相手を見あげながら、同じ匂いのする包みを軽く握りしめたコビーは、そして結局その日も、相手へ『それ』を言わず『何』も訊かなかった。
end
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