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愚かなもので
※主人公が相変わらずバラされているので注意




「ペンギン、避けるのはダメだよ」

 航海士にそう言われて、ペンギンは手伝っていた手を止めた。
 それからちらりと視線を向けると、大きなその手で不便そうに文字を書いていたベポが、動きを止めて軽く手で顔を擦る。
 手についていたインクでうっすらと白い毛並みを汚しながら、それでも気にした様子なく『ダメだよ』ともう一度繰り返された言葉に、ペンギンは軽く首を傾げた。

「…………何の話だ?」

「もう、またそうやって誤魔化す」

 ペンギンの返事に、白熊がとても不満そうに声を漏らす。
 人と顔の作りが違う彼の様子は分かりづらいが、明らかにむくれているらしい相手に、ペンギンは軽く肩を竦めた。
 ペンギンとナマエの間のおかしな雰囲気は、大概のクルー達が気付いているらしい。
 ずっと一緒だった相手と距離を取ったのだから、『何かあった』と思われるのはもはや当然だったと言えるだろう。

「今度はベポなのか」

 二人の様子がおかしくなってから一週間ほどが経過した頃から、船の中のクルー達の何人かが世話を焼こうとしていたことはペンギンも知っている。酒を勧められたり、雑談の中から『理由』を聞き出そうとしてくる相手をはぐらかすのも、一週間もやっていると随分とうまくなった。
 遠目で見かけるナマエも、その視界にペンギンが収まらなければいつもとそんなに変わらない顔をしている。
 このまま放っておけばきっとこれが普通になるんだろうと、そんなことまで考えてナマエの方へ近寄らなかったペンギンを責めるでもなく、おれはそういうの向かないんだよと答えたベポがペンを置いた。

「できた!」

「今日もまたぐしゃぐしゃだな」

「うう……シロクマですみません……」

 人とはつくりの違う手で描かれた海図はペンギンの目から見ても確かなものだったが、紙を押さえる時に握り込んでしまったのか、あちこちに皺が入っていた。
 どうだとばかりにかざされたものを見て率直な意見を述べたペンギンに、ベポががくりと肩を落とす。
 別に貶したかったわけじゃないとそれに慌てて、ベポの手から書き上げたばかりの海図を受け取ったペンギンが両手で軽くそれを広げた。

「悪かった。インクが乾いたら重しを乗せておくから、そう気にするな」

 中身は完璧なんだ、問題ない。そう続けたペンギンの言葉に、そうかな、と少しだけ浮上した様子のベポが視線を向ける。
 そうだと頷いたペンギンに、あのね、と航海士が言葉を零す。

「この間おれ見ちゃったんだけど、ナマエもしょんぼりしてるよ」

 放たれた言葉に、ペンギンが少しだけ目を見開く。
 それから視線を戻すと、こっそり膝抱えてるの見ちゃったよとベポが言った。

「きっとペンギンが避けてるからだと思う」

 囁かれた言葉に、ペンギンは最近のナマエを思い浮かべた。
 しかし、ペンギンを見ていない時のナマエは、いつもと何も変わらない。
 ただその目がペンギンを見つけた時だけ少し何かを言いたげな顔をして、それから困ったようにペンギンを見つめるのだ。
 突然頬を叩いたペンギンを怒っている様子は無くても、その様子に何とも言えない気持ちになって逃げだすのがいつものペンギンで、その後のナマエの様子なんて背中に目もついていないのだから知るはずもない。

「……ナマエが、か」

 本当かとペンギンが見つめた先で、おれは嘘言わないよとベポが軽く机に懐いた。
 ベポに合わせたらしい太い足のテーブルが、わずかにぎしりと音を立てる。

「普段はいつも通りみたいだけど、落ち込んでる時のナマエって本当に暗いねェ。いつもはペンギンが慰めてたんでしょ?」

 一目見たと言うナマエの様子を思い出しているのか、呟いたベポに対して、ペンギンは首を横に振った。

「……おれは、ナマエを慰めたことはない」

「そうなの?」

 そうして放った言葉に、ベポが意外そうな声を出す。
 自分の言葉が真実であることを示すために、ペンギンは一つ頷いた。
 ペンギンとナマエは幼馴染だ。
 そして、ナマエはペンギンが思うに、とても早熟な子供だった。
 子供らしく何かの失敗をしたときも、それをフォローする術に長けていて、くよくよとペンギンの前で落ち込んだことは無い。
 大体いつもペンギンを一番扱いにしていて、ペンギンの横で楽しそうに笑っていて、ペンギンが無茶をやれば『仕方ないなァ』とため息交じりについてきた。
 ペンギンがシャチとつるむようになった時も同様で、そこにトラファルガー・ローやベポ達が混ざっても同じだった。
 大事な幼馴染で大事な親友で、そして二週間前に自覚して殺された恋心の通りに言うならば、大切なペンギンの想い人だ。
 好きなのだ。
 けれども、どう考えてもナマエはペンギンをそう言った意味では好いていないだろう。
 小さな頃から今まで、ペンギンと『練習』をすることはあっても、ナマエからそんなことを言われたことなんて一度も無い。
 ナマエはペンギンのことを大事にはしてくれているが、そこに恋心なんて可愛らしいものはまるで見当たらなかった。
 自覚した途端に失恋するだなんて馬鹿みたいな話だが、そうとしか言いようがない。
 ナマエの笑顔を思い浮かべると、その次に先日の頬をはられて驚いた顔をしていたナマエの様子までもが脳裏に浮かぶ。
 それを受けて首を横に振ったペンギンの傍で、軽く首を傾げたベポが言葉を紡いだ。

「それじゃあ、ナマエは慰められ慣れてないんだね。だからシャチが何言っても聞かないんだ」

「シャチ?」

 納得した様子で紡がれたそれに、ペンギンは逸らしかけていた視線をベポへと戻した。
 シャチがいたのか、とそちらへ向けて問いかけると、ペンギンの様子に不思議そうにしながら、ベポが頷く。

「おれがナマエを見つけた時ね、しょんぼりしてるナマエをシャチが慰めてたから」

 何話してるかはよく聞こえなかったけどと紡がれて、ペンギンはわずかに眉を寄せた。
 別に、ナマエが誰といようがペンギンには関係ない。
 そうは思うのに不愉快な気持ちになるのは、恐らくはシャチがペンギンと同じように、ナマエに『練習』に誘われていたからだろう。
 『何の練習』と示しているかも分からなかったそれで、誘われている事柄が何であるかをペンギンが予想出来たのは、今まではペンギンがそれに誘われていたからだった。
 ナマエがあの文句を使うのは、ペンギンにだけだったはずなのだ。
 もちろん、ナマエが誰と『練習』をしたって、ナマエが悪いと言うことは無いだろう。
 いや、誰彼かまわず手を出されては風紀上の問題はあるかもしれないが、そこまでそれに重点を置かない男であることはペンギンも知っている。
 『恋人』が浮気をしたと言うのなら怒るのは正当かもしれないが、ただの『幼馴染』とあの『練習』が出来るペンギンやナマエの貞操観念のおかしさを考えると、ナマエが他へ手を伸ばしたことをペンギンが責める理由にはなり得なかった。
 せめて、『嫌がっている相手に無理強いしようとするな』と叱るくらいなら良かったのだ。
 叱って、諭して、仕方がないから自分が相手をしてやると言えばまだナマエは傍らにいたのかもしれない。
 そんな風に考えて、ああでも、とペンギンは胸の内側だけで一人呟いた。
 他の誰かになんてやりたくない。
 けれど、そんな風にしてナマエを引き止めても、多分それは、ただ苦しいだけだ。

「ペンギン?」

 どうしたの、とペンギンへ向けてベポが声を掛けてくる。
 それを聞き、何でもないと首を横に振ってから、ペンギンは海図の端を掴んだままでベポからわずかに目を逸らした。

「ベポ、お前にどうしても手に入らない欲しいものが出来たら、どうする?」

「うん? おれに?」

 そうしてそのままで訊ねると、ベポが軽く首を傾げる気配がする。
 うーんと少しだけ唸ってから、白熊航海士は言葉を返した。

「キャプテンが、海賊は欲しいものは奪うものだって言ってたよ」

 だから貰ってきちゃうかなこっそり、と何とも海賊にしては可愛らしいことを言い放ったベポに、そうか、とペンギンが頷く。
 何とも単純明解な回答だった。
 そういう手段も、まあ悪くは無いかもしれない。

「わあ!」

 そんな風に考えたところでガシャンと大きな音がして、驚いたように悲鳴を上げるベポに、慌ててペンギンもそちらを見やる。
 そしてその目が大きく見開かれたのは、懐いていた机から飛び退ったベポの前に、人間の腕が一本落ちていたからだった。
 何だこれは、と思わず呟いたペンギンの見ている前で、じたばた、とわずかにその片腕がうごめく。
 恐る恐る、と言った風にベポが片手で腕をつつくと、触れられたことに反応して腕がまた動いた。本当なら体を支点にして動いただろうに、胴体と切り離されてはのたうつしかないらしい。

「キャ……キャプテンが飛ばしてきたのかな……?」

「そうだろうな。海図が無事でよかった」

 ベポの言葉へ答えつつ、ペンギンが持っていた海図をベポへと差し出す。
 受け取った航海士の足の下は、突如として現れた腕が押しのけたインク瓶が落ちてインクを巻いていた。
 いくつかものが散乱しているが、その中に先ほどベポが放り出したペンが無いので、恐らくはこの『腕』の持ち主の所にあるのだろう。
 いつの間にサークルを広げていたのだろうか、気付かなかった。
 そんな風に思いながら手を伸ばしたペンギンは、ひょいとベポの前から腕を掴み上げた。
 そしてそれをそのままぽいと床の汚れていない辺りに放り出すと、ああ! とベポが声を上げる。

「駄目だよペンギン、それ、」

「大丈夫だ。片付けたら返してくる」

「え? 誰のか分かったの?」

 答えながらとりあえずインク瓶に手を伸ばしたペンギンへ、ベポが不思議そうな声を出す。
 恐らく航海士は匂いか何かで分かったのだろうなと感じながら、ペンギンは一つ頷いた。
 分からない方がどうかしている。
 何せ、今ペンギンが放ったあの腕は、ついこの間まではいつだってペンギンの傍にあった彼のものなのだ。







 ベポの部屋を片付けて、片腕を届けに行ってやろうと移動を始めたペンギンは、途中に出会ったクルーにナマエの片脚を押し付けられた。
 ご丁寧にカートまで用意されて、その上に四肢の二つを乗せる。
 もしもここが島の往来だったなら人肉を運んでるとして通報されるな、なんて恐ろしいことを考えながら、とりあえず目にも優しくない物体を黒い布で隠して移動したペンギンが見つけた時、ナマエは床の上を這っていた。
 どうやら四肢を丸ごと失ったらしい。
 倉庫の中での犯行だったのだろうかと、ナマエが背にしている開きっぱなしの扉を見やりながら考えつつ、ペンギンはナマエの方へと近付いた。

「……何をしているんだ、ナマエ」

 呼びかけると、小さく声を漏らして、ナマエの体がびくりと震える。
 それから慌てたように不自由な身を捩り、ナマエはそのままペンギンを見あげた。

「…………ペンギン」

 そうしてペンギンの名前を呼ぶナマエの顔は、ぶつけたのか少し汚れている。
 頬骨の上のあたりには擦り傷まであって、そんな状態で床を這っていたのかと、ペンギンは少しばかり呆れた。
 一体どんな不興を買って『船長』に攻撃される羽目になったのかは分からないが、四肢を失っても流血の一つもしていないナマエの様子は、明らかに『死の外科医』の仕業だ。
 とりあえず足と腕を片方ずつでも先に返してやろう、なんて考えたペンギンの前で、慌てたようにナマエが体をくねらせる。
 ペンギンから距離を取ろうと努力するそれは、まるでペンギンから逃げ出そうとするようで、その様子にざくりとペンギンの心臓のあたりが痛みを零した。
 それでも、それを堪えるようにどうにか息を吐き出して、ペンギンが屈みこむ。

「そんなに床を這いたいのか」

「あ、いや」

 放たれた言葉にナマエが首を横に振ったので、ペンギンはそのままナマエへと手を伸ばした。
 ペンギンの動きをナマエは拒まなかったが、どうしてかとても不思議そうな顔をして、そんな顔をされるのがまたペンギンには痛かった。



end


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